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小雪

186名も無き求愛者:2004/04/19(月) 09:24 ID:sHBOfvbc
実家の小雪が死んだ。享年83歳。

身体が弱く親に溺愛されて育った祖母は、小さい頃から電波だったらしい。
二人の姉は村でも稀に見る人格者だったので、祖母は元気であること以外は何の期待もされていなかった。
祖母に負けず劣らず電波だった祖父は、女性の内面なんかどうでも良くて、祖母が美人だというだけで結婚した。
祖母は2男2女を産んだが、そのうちの次女(=叔母1)だけを溺愛してやはり電波にした。
長男(=私の父)に全ての家事と育児を押しつけ、やはり電波にした。
次男(=叔父)だけはまともだが、長女(=叔母2)は金銭感覚がなく、
遠距離浪人の息子に仕送りしたり会いに行ったりするためだけに莫大な借金をし、私の家に肩代わりさせている。
つまり、私の父方は小雪だらけだ。

逝く菌のコンビニ事件みたいなのを祖母が起こした時、
既に村を出て就職・結婚していた父は「弟妹の結婚に差し支える」と判断し、
それはいいが、病院に入れるのではなく、何故か自分の家に連れてきた。
母は事前に何の相談も受けておらず、30年以上キティの祖母の面倒を見させられた。

村でさえ「隣人が攻撃してくる」という被害妄想で山奥に家を買ったような祖母が都会に馴染める筈もなく、
絶え間なく大声で独り言を言いながら一日中自室にこもっていた。トイレに行く以外は何もしない。
さすがに退屈だろうと思った父が祖母専用に与えたテレビやラジオは、
「皆が私の悪口を言っている」と配線を引きちぎってしまった。
食事の用意も全部母にさせるのに、
「白飯と味噌汁の置き方が逆」だの「美味しくない」だの不平不満だけは一人前だった。
母に向かって「このキツネ憑きめ!」と焼き魚を投げつけたこともあった。キツネ憑きはお前だ。

少しでもリハビリを、と父母は祖母に「自分の食事の配膳(not 料理)」と「自室の掃除」をさせてみた。
結果は最悪だった。人に何でもやってもらうのがデフォルトの祖母は、更に周囲を恨むようになった。
現実を見るのが嫌なので病院を毛嫌いし、自分の治療に非協力的だった。
といっても、入院しても「日常生活に支障はない」と判断されてすぐ退院させられてしまうし、
父は自分の保険証に祖母の精神科履歴が残るのを嫌がって、自宅での投薬治療しかしなかった。
結核の疑いが出てきても、戦前で頭が止まっている祖母にとっては「不治の病」なので、
どんなに「現代では治る」と説明しても理解できず、監禁されると信じ込んで病院に行きたがらなかった。
母が無理矢理連れていくと、服を脱いで診察を受けなければならないことが嫌いな祖母は待合室で
「おま○この中まで見たいんだろーっ!」と絶叫し、母と他の外来患者さんを茫然とさせた。

誰も見やしないのに、身体を見られるのが嫌だと言って、風呂には年に数回しか入らない。
父母に強く言われて仕方なく入浴する時は、服を着たまま湯船に入っていた。
私の結納用に母が買っておいてくれた大きな絵皿は、絵が怖かったのか、
「夜になるとこの皿から悪霊が出たり入ったりしている、あんた達には見えないのか」といつの間にか割っていた。
祖母の脳内自画像は若い頃のまま止まっており、鏡に映っているのは大変な美人だそうで、
手鏡を覗き込んで一日中恍惚としている。
親戚から何か送ってもらったりしても、
「私は本家だから何でもしてもらって当たり前」という根拠のないプライドでお礼一つ言うでもなく、
実の姉達の葬式にすら行かなかった。

老衰で入院したが、病院食を頑として受けつけず、
「好きな物でも何でもいいから、少しずつでも食べて下さい」という医者の言葉を額面通りに受け止め、
自分の好物を毎日3食作って差し入れに持ってこい、と母に命じた。
既に介護用おむつを毎日差し入れしに通っていた忍耐強い母がさすがにキレると、今度は当てつけのように断食した。
チューブと点滴による栄養摂取が続いたが、自分で断食しておきながら、
看護士さんに「あんたの点滴の射ち方が悪くて痛い」と不満をぶつけ続けた。

果てしない延命治療の末、祖母は死んだ。正直ほっとしている。
しかし、祖母の電波を最も強く受け継いでいる父がまだ残っている。
長文、本当にスマソ。少しだけすっとした。


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