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スポーツ雑談スレッド

683「大変ショック」と張本氏=テレビ番組で名コンビ―大沢啓二氏死去:2010/10/07(木) 13:02:05 ID:KWOW3zj20
 7日死去した大沢啓二さんはTBS系のテレビ番組「サンデーモーニング」の
「御意見番スポーツ」コーナーに張本勲さんと共演。好プレーに「あっぱれ」、
ふがいない選手らに「喝」を入れながら、若い選手らを励ました。

 張本さんはTBSを通じ「大変ショックを受けています。まだ実感がわきません。
大沢先輩にはたくさんのことを教わりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
ご家族に心からお悔やみを申し上げます」とコメント。無念さがにじんだ。

 体調が悪く、最近2回は出演を取りやめた大沢さん。3日の放送では、視聴者
へのメッセージを託し、「欠席」をわびた後、今季の優勝予想で中日とソフト
バンクを高く評価した点を褒めてほしいと、自らにささやかな「あっぱれ」を
入れたのが最後になった。[ 時事通信 2010年10月7日 12:33 ]


大沢啓二氏死去、78歳=球界の「親分」、元日本ハム監督

 プロ野球の南海(現ソフトバンク)で外野手として活躍し、引退後はロッテと日本ハムで監督を務め、「親分」と親しまれた大沢啓二(おおさわ・けいじ、本名昭=あきら)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。78歳だった。

 近年はTBS系のテレビ番組「サンデーモーニング」でスポーツコーナーに出演。張本勲氏とともに辛口のコメントで人気があったが、最近は休んでいた。

 神奈川県藤沢市出身。神奈川商工高でエースとして夏の甲子園に出場。立大では強肩強打の外野手として後輩の長嶋茂雄、杉浦忠らとともに活躍した。1956年南海入り。リーグ優勝3度、うち日本一2度を経験。杉浦が巨人相手に4連投4連勝を演じた59年日本シリーズでは好守備で南海の2リーグ分裂後初の日本一に貢献した。東京(現ロッテ)に移籍し65年引退。通算打率2割4分1厘、17本塁打だった。

 71年途中から72年までロッテ、76〜83年と84年途中から閉幕まで日本ハムで監督を務めた。81、82年に後期優勝。81年にはプレーオフも制し、日本ハムが球団を持ってから初のリーグ優勝を遂げた。球団常務を経て93、94年にも監督を務め、監督通算13年で725勝723敗99分け。

 貫禄(かんろく)のある風貌(ふうぼう)とべらんめえ口調から「親分」と呼ばれ、プロ野球OBの中心としてマスターズリーグ設立に尽力した。


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