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カマトリ

1松代@管理:2004/11/08(月) 13:29
いかにしてカマヤンは鳥山仁と改造松代軍団にЗона板で戦いを挑んだか

2松代:2004/11/08(月) 13:31
規制推進派とオタクとの関係性について スレッドにおいて、松代とカマヤンさんとのやり取りが始まったのは、松代が投稿した「カマヤンさんの作品検討」がきっかけだと考えています。
しかし、カマヤンさんは松代の作品検討と他団体のマンガフィクション論とを強く結びつけ、松代にしてみればかなり的外れな指摘を繰り返しているように受け止めています。松代が作品検討を投稿したのは7月中旬で、カマヤンさんがレスをつけたのは9月末日ですから、よく考えたうえでの投稿だと判断しているのですが、論点が噛み合わないことには当惑しています。
確かに、自分は「マンガフィクション論」が提唱された当初から異を唱え、問題点を追求し続けていますが、その手法や論点は最初から特に変化させていないつもりです。
カマヤンの作品検討についても、AMIのマンガフィクション論とは「できるだけ直接的に結びつかないよう」に組み立て、またジポ法における様々な問題から切り離して、カマヤンさん個人の認識や意識に焦点を当てているのですから、自分としてはその点をきちんと読み取って欲しいのですね。
実際、自分はカマヤンさんが「マンガフィクション論を党派的に擁護した」点をひとつも指摘せず、カマヤンさんとのやり取りでも「カマヤンさんが団体のフィクション定義が不十分だと認めていた点」はきちんと評価しているのですから、カマヤンさんが執拗に「他団体のフィクション論と絡めた反論を展開した」のには、正直いってちょっと呆れてさえいます。
また、掲示板における対応という点でも、カマヤンさんは松代が問題視した他の投稿者より、はるかに丁寧な扱いを受けています。発言内容という点では、カマヤンさんの方が松代が問題視した他の投稿者よりもはるかに支離滅裂で、しかも意味不明の罵詈雑言さえ含まれているのにも関わらず、です。

ただ、2003年末から翌04年初めにかけて、カマヤンさんがひどく消耗し、問題のある言動がいくつか見受けられるようになったとは考えています。松代としては、恐らく疲労の蓄積や生活上のストレスなどに起因する、一時的な精神衰弱と考えていますが、いずれにしてもカマヤンさんの「現状における」思考能力や情報処理能力、精神状態等に問題を感じているのは確かです。
松代としては、カマヤンさんに対して、思い切って長期の休みをとり、メンタルチェックを踏まえた上、適切な方法で心身の不調から回復し、生活の基盤を整えて活動に復帰されるのがよろしいかと、そのようにお薦めしたい所です。

3松代の現状認識:2004/11/08(月) 13:33
カマヤン・倍賞美津子(みぃちゃん)主演 『心配されてるうちが花なのよ 見捨てられたらそれまでよ党宣言』

旅回りの女学生、みぃちゃんが山梨に帰って来た。沖縄集落の中のタケ子が経営する飯み屋の二階が彼女の住居で、内縁の夫・鎌倉と親友のアイコが待っているはずだった。その日は、みぃちゃんの弟の正とタケ子の娘、タマ枝、和男の不良中学生三人が修学旅行からはずされた腹イセに積立金強奪騒動を起こし、人質の野呂教諭が縛られ、物干し台に転がされていた。鎌倉は原発を転々と渡り歩く労働者・原発ジプシーで漫画家もしている。みぃちゃんとはジポ法改正運動以来の間柄で、みぃちゃんはそろそろ、二人で堅気の仕事に就いて結婚したがっていた。みぃちゃんは鎌倉の顔を見るや、アイコのことを聞く。アイコは東京の中野で漫画家相手の娼婦をさせられていて、鎌倉の手引きで逃げて来たが、前日、中野へ帰ってしまっていた。みぃちゃんは、鎌倉が漫画家に寝返ってアイコを帰したと思い込み、学校をクビになった野呂を鞄持ちとして再びドサ回りの旅に出た。そして、中野に向かう。殺されたと思っていたアイコは元気だった。彼女は好きな男、安次を葬ったところであった。学校を追われた正たちも鎌倉と共に中野に来ていた。事故で死んだという安次は、本当はアシスタント作業中に劣化ウランで被爆し、事故隠しの為にボート小屋に監禁されたのだった。アイコは一計を案じ、安次を死んだことにして埋葬するが、後日、やくざの目を盗んで安次を墓から掘り出し、みぃちゃんと野呂を仲人に墓場で結婚式をあげる。二人は浜を急ぐが、海上の船から銃で撃たれてしまう。みぃちゃんや正たちは、アイコと同じ境遇にあるフィリッピン女性のマリアにもやくざの魔の手が迫っているのを知り、マリアを連れて山梨にもどる。そして、老船長の船でフィリピンまでマリアを連れて密航しようと考えた。マリアを追ってやって来たやくざのシバは、鎌倉にアイコ殺しの代人として自首しろという。鎌倉は拒否し、シバを銃で撃つが、暫く後、シバの子分に撃たれてしまう。よろよろと外に出る鎌倉をやくざとつながっている鳥山が待っていた。そして、瀕死の鎌倉から銃をもぎ取ったみぃちゃんが鳥山めがけて発砲する。

4カマヤン:2004/11/10(水) 02:10
じゃあ、フィクションで返歌をしましょうか? 

その前に確認しておくけど、松代さん、心傷つけられたいですか?

5カマヤン:2004/11/10(水) 03:34

 もう一つ確認しておきたいが、スレ移動したということは、「フィクション」という語で
何を示していたのか、については、松代さんは検討する意志はないのですね?
「フィクション」が示すものについて、松代さんは興味がないのですね?

6СТАЛКЕР:2004/11/10(水) 09:10
「松代には分からない、要するにカマヤンには分からない」
カマヤンはこんな解釈があると考えている訳だ。
テレパスかよ!

7松代@管理:2004/11/10(水) 11:59
規制推進派とオタクとの関係性についてスレより発言移動
名前: カマヤン 投稿日: 2004/11/10(水) 02:04
>>253
で、>>168はどうなん? 返答拒否ですかいね?
松代さんに「仕事がほしい」と誤解される発言をかつてしていたのなら、
ごめんなさいでした。
当方には松代さんへ「金銭」や「生活の糧となる仕事」を頼んだ意図は
欠片もありませんでした。そのことに関して誤解を招く言動をしていた
のなら、それについては平に謝罪します。

8松代@管理:2004/11/10(水) 12:01
規制推進派とオタクとの関係性についてスレより発言移動
名前: カマヤン 投稿日: 2004/11/10(水) 05:55
松代さんへ
>の1行の「自分」を、「松代」と読むか? 「カマヤン」と読むか?
は、
>>248 
>松代じゃないの?
>>258
>従って、「自分」をカマヤンと解釈するのはかなり無理があるのではないか?
この読解でよろしいか?

9松代[TRACKBACK]:2004/11/10(水) 12:04
>>8
>カマヤンさん
この読解でよろしいかもなにも…

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/410/1037028995/r168でしたら、前後の文脈からも「自分」=「松代」となるのは当然です。

他の方々も指摘しておられますが、やはり前後の文脈から「自分」=「松代」と読み取るのが普通かと思われます。

……それとも
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/410/1037028995/r238
「ネタ」あるいは「罠」なんですか?(;´д`)ノ

もし「ネタ」あるいは「罠 なら、こっちの返答をドゾー(´∀`)ノ旦

まともに日本語も読もうとしない揚げ足取りに、どう答えようとわしゃしらんわ。
揚げ足取ってるほうの主観で、どうにでもいじくれるじゃないの?
松代名の発言で、発言者が「自分」という代名詞を使ってて、それがカマヤンをさすかどうかなんて知らんわ。

念を押しておくが、
1;「自分」という語は松代は積極的に使ってはいない。
2;カマヤン周辺の人間は「自分」や「オレ」という語に独特な定義づけをしているようだが、その内容を私は説明されていない。
3;「自分」や「「オレ」という語にこだわって積極的に使っているのは、カマヤン周辺人物であり、どういう文脈でどうこだわっているのかについて説得的な説明はない。

10松代:2004/11/10(水) 12:14
>>4-5
>カマヤンさん
おっしゃることの意味がさっぱりわかりませんが、もしも松代の心を傷つけることによって、カマヤンさんがなんらかの精神的な安定要素を得るとおっしゃるのであれば、どうぞ御随意に傷つけていただいてもかまいません。

他者の心を傷つけると宣言したうえで、該当する人物の心を傷つけるであろうと発言者が推測しているような内容の発言を公表することに対して、自分はなにひとつ感心も共感も肯定的な評価もいたしませんが、それもまた「表現の自由」であり、発言者の意図は最大限に尊重させていただきます。

11СТАЛКЕР:2004/11/11(木) 08:49
>まともに日本語も読もうとしない揚げ足取り

 好意的に解釈すれば、松代氏や鳥山氏をはじめ、ここの住人は文章に慣れているせいか、やや複雑な構文をふつうに使えてしまうし、読めてしまう。

 承知の通り(as you know)、おおむね漫画の人間は吹き出しに複雑な文章を使うことはあり得ないというか子供にも判る文章を作成するように訓練されているから、作る側も読む側もあまり複雑な構文は得意ではない。

 私も疲れていたりすると関係代名詞がどれを指しているか迷うことがある。
 つか、「中学生くらいが難なく読めるべき」新聞の水準と比較すると現代的には悪文だろう、松代氏の文章は。字下げもしてくれないし(笑)

 揚げ足取りとかいわずにそれくらいの気持ちで接すれば、お互いにイラつくこともないんじゃないの。

12СТАЛКЕР:2004/11/11(木) 09:10
フォローになってないし…

13СТАЛКЕР:2004/11/11(木) 13:19
>>12
そうでもないと思いますよ。
読めてしまう事と、読む気になる事とは又別ですからね。
ざっと読んで解り難かったら聞いたほうが早いや、
って思う気持ちも解る気がしますけど。

14松代:2004/11/11(木) 23:11
>>11-13

まず、松代の文章能力には問題があり、ややもすると文意が不明確で晦渋に過ぎるという点については、ある程度の自覚もあり、批判は甘んじて受けるつもりです。
ただ、もしも11さんが指摘する通り、本当に漫画作家や漫画愛好者の日本語読解能力が限られたものであったとしても、やはりそのことを安易に認めるのはよろしく無いと思います。
かつて、鳥山さんが他団体の掲示板で「ごめんね、漫画のように書けなくって」という主旨の発言をして、かなりの物議を醸した事例もありますが、漫画作家や漫画愛好者にも優れた日本語読解能力を有する人もいるので、ひとくくりに考えるのは問題でしょう。

その意味では、12さんが「フォローになっていない」と指摘するのも、もっともなことだといえましょう。

次に、カマヤンさんが以下の松代発言をどう解釈したかという点ですが、やはり「最初から【自分=松代】だと理解していたのではないかと推測しています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/410/1037028995/168

というのも、松代は問題の文章において、最初から最後まで松代を指す単語として「自分」という名詞を代名詞的に用いているのに対し、カマヤンさんが問題視しているのは1ヶ所のみです。もし、問題の文章において、自分という単語が「カマヤンさん」を指すのであれば、文章全体の意味が滅茶苦茶になります。ましてや、問題の文章における自分という単語が、あるところでは「カマヤンさん」を指し、別のところでは「松代」を指すなどとは、とうてい考えられないと言えましょう。

さらに、カマヤンさん自身もまた、以下の発言で「オレ」という名詞を代名詞的に用いており、最初に発言者名を明記してる場合は、自己を表す人称代名詞、あるいは代名詞的に用いられている名詞が、基本的に発言者当人を指し示すことを理解していると推測できます。

ただし、13さんが指摘するように、読み取る能力を具えていることと、読み取る意思を持つことは別問題です。当Зона板においても、カマヤンさんはしばしば「読む気がしない」旨の発言をしており、基本的にカマヤンさんには松代の発言を真面目に読み取る意思が存在しない可能性すら存在します。
とはいえ、真面目に読み取ろうともしないで文句を言うというのは、控えめにいってもあまり礼儀にかなった振る舞いではないように思えます。

もし、カマヤンさんがネタではなく本当に、松代の発言など「読み取るにも値しないが、感情的にむかつくからとりあえず文句だけはつけておく」と、本心から考えておられるのであれば、松代としても、ネタではなく本気で「まともに日本語も読もうとしない揚げ足取りに、どう答えようとわしゃしらんわ」と言う他なくなるのではないかと危惧します。

15松代@発言転載:2004/11/11(木) 23:14
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/410/1037028995/212
規制推進派とオタクとの関係性について スレッドより

212 名前: カマヤン 投稿日: 2004/10/22(金) 19:34
マンガ論的には、オレはフィクションとノンフィクションを区別していない。…(A)
だがAMIが言っている「マンガはフィクションだ」は、「マンガのキャラは自然人(実在児童)ではない」という
意味だ。…(B)
鳥山氏が一時期煽った「このマンガはフィクションです。実在の人間とかは関係ありません」運動で
言うとこの「フィクション」がどういう意味だったのかはオレは知らないし、関心もないが。…(C)
(A)と(B)を同時に発信すると、情報受容者が混乱する。
松代氏の定義の「フィクション」「ノンフィクション」は(C)の定義であり、(C)定義は(A)(B)とどこまで
重なりどこまで重ならないのかは私には不明であり、発言者である鳥山松代にはもっと未分化で
不明だろう。
冒頭で言った
「松代氏の『批評』の中で使われている『フィクション』『ノンフィクション』定義は、
あくまで『松代の言語感覚によるフィクション・ノンフィクション定義』であり、『カマヤンの定義では』
という書き方されると不愉快だ」
を、(A)(B)(C)で示すと
〈松代氏の『批評』の中で使われている『フィクション』『ノンフィクション』定義〉…(C)のバリエーション
〈『松代の言語感覚によるフィクション・ノンフィクション定義』〉…(C)のバリエーション
〈(松代による)『カマヤンの定義では』という書き方〉…(C)のバリエーションで、(C)=(B)と主張
〈という書き方されると不愉快だ〉…「(C)=(B)」じゃない。
>>211
> 2003年1月17日
>「女性とメディア(ICT)」・「女性に対する暴力」についての情報・意見交換会
オレが出席してもいないイベントのことでオレに逆恨みされても知らんわ。
君らにしろ誰にしろ、何があったのかマトモに報告すらできてないやんか。
マトモに報告すらできてもいないことについて、オレが出席してもいないイベントについて、
逆恨みされても全く意味不明だ。
オレが参加しないと、イベントを解釈したり報告したり対処することすら君らできんのか。
「児ポ法のことなら必ずカマヤンが出席するはずだ」という期待なんかされても迷惑だ。
仮にそう仮定するのなら、君らの存在理由ないじゃん。

16松代:2004/11/11(木) 23:16
こういうのもこしらえてみました〜
楽しんでいただければ嬉しく思います。

三十九歳の地図

鎌倉は三十九歳、地方から上京してきて、子供たちに社会科を教えながらマンガを描いている。三百人以上もの子供に知識を入れる単調な肉体労働の上に、集金に行けば、どこの家からもうさん臭さがれ、無視される。鎌倉はネット掲示板をつくり、知人の名を書き込み、世界システムを否定したから×印一つ、ブルーリボンを騙っているから×印二つなどとランクをつけ、それぞれのサイトに嫌がらせの書き込みをしている。鎌倉の知人には三十七歳になる独身男、松代がいる。ホラばかり吹いていて何も出来ないダメ男の松代に、鎌倉は反吐が出るような思いがする。そんな鎌倉の前に、自殺未遂の末、片足が不自由になった女が現われる。男と寝ては生活の糧にしている娼婦であるその女を、松代は醜く、汚なく、孤独で、そしてメンヘラーだとこき下ろす。しかし、そんな女を鎌倉はみぃちゃんと呼んで慕う。鎌倉には、松代は大人の人間の汚なさの象徴に見える。やがて女は身籠り、はじめて幸福な気持になった鎌倉は、女のために、生まれてくる子供のために、その幸せを完成させようとするが、生来の世渡りの不器用さからうまくいかず、都青少年問題協議会の起草委員会で、ブーイングの末に精神科医を怒らせてしまう。松代は鎌倉をなじった。松代は「ムーはフィクションなのか?ドキュメンタリーなのか?」と悲痛な言葉を吐き続ける。鎌倉のやり場のない怒りは、マンガフィクション論となった。ネット掲示板で自説を主張し続ける。

「全てのマンガはフィクションなんだ!ほんとだぞ!……」

書き込みを終えたあと、鎌倉はただ泣くばかりだ。その涙は、人間とは、人生とは、社会とは、その最深部を見、知ったことの代償なのだ。

17СТАЛКЕР:2004/11/12(金) 01:46
>>14
>本当に漫画作家や漫画愛好者の日本語読解能力が限られたもの

 あえてそういう捉え方もできるように強調した面もあるので、漫画の人の日本語能力を馬鹿にした風になってる部分は掲示板上で謝罪します。「能力」というより慣れの問題だろ、と思ってますが。

>松代の発言など「読み取るにも値しないが、感情的にむかつくからとりあえず文句だけはつけておく」と、本心から考えておられるのであれば

 そこがちょっと判断つけかねるところなんだよね。(このBBSに限れば)今までの経緯を見る限り、松代氏や鳥山氏あるいは鍋島氏が意図的にカマヤン氏を陥れたりことさら「心を傷つけ」たり見下しているとは思えないのだけどカマヤン氏はそうは思っていないようにも見える。
 だけどカマヤン氏がある程度はレスをつけているところをみると完全に断絶したいわけでもないのかなあと。

 鳥山氏はいまだにカマヤン氏のことを有能な人間と認めているようなので、双方で折り合いがつく範囲で仲良くやってもらえればいいなあと、あんまり人間関係のぐだぐだを見たくない外野の無責任な意見でした。ごめんなさい。

 そういう意味において >>16を無邪気に楽しんでよいものかどうか悩むところではある(苦笑)

1813:2004/11/12(金) 02:24
>>14
>13さんが指摘するように、読み取る能力を具えていることと、
>読み取る意思を持つことは別問題です。当Зона板においても、
>カマヤンさんはしばしば「読む気がしない」旨の発言をしており、
>基本的にカマヤンさんには松代の発言を真面目に読み取る意思
>が存在しない可能性すら存在します。

ん〜、そのように解説を付与されますと、私の真意が曲解される
危惧がありますので改めて書きます。
要するに、読みにくい文は、内容を真面目に読み取る気力を
読み手から奪い取る場合が往々にしてある。
しかし、それが読解力不足だとか、真面目に読む気がないだとか、
ただそれだけの問題だとは思えない。
と言う事です。

もっと言えば、難解な文を読み取る気力がないと言う批判も
解りますが、では、難解な文(視覚的にも読みにくいもの)を
書く側は、そもそも伝える意思が欠落していると言う
批判もあるでしょう。
と言う事です。

更に申し上げますと、ご自身が
>松代の文章能力には問題があり、ややもすると文意が
>不明確で晦渋に過ぎるという点については、ある程度の自覚もあり、
>批判は甘んじて受けるつもりです。
と、認識しておられるにも関わらず、書式その他を改められないと言う事は、
そもそも、相手に自らの言説及び意図が伝わらない事を予め
想定した上で、あえて発言されていると解釈するのが
妥当でしょう。

本気で相手とコミュニケートを図り、或いは議論を為したいと言うのであれば、
解るようにするべきなのは発信者側です。
発信者側がそれを怠るのであれば、この場合は『発信者側は
受信者・読者側と議論や理解、対話を行おうとする意思が欠如している』
のであって、それに対して受信者・読者側が無気力になったとしても、
受信者・読者側に責任があるとは、なかなか思えません。

19СТАЛКЕР:2004/11/12(金) 09:16
>>11
大学で歴史学専攻されて、おまけに刑法の専門書やら法律文を読みこなす
カマヤンさん相手に「漫画人間は複雑な構文が得意でない」とか
「読解力中学生程度」とか、そりゃあんまりじゃないの?

2011:2004/11/12(金) 17:19
>>19
なるほど。権威主義的なにおいもするが、それは失礼だったかもね。
法律文の読み方も単なる慣れなんだが。

そうなると「法律文も読みこなすカマヤンが松代氏の文章を読みたくないのはやっぱり『まともに日本語も読もうとしない揚げ足取り』なわけだね?(苦笑)
それもいやだし、「疲れていると」とか逃げ道を用意したつもりだったんだが。まあいいや。勝手にやってくれ。

21松代[TRACKBACK]:2004/11/12(金) 23:25
>>17-18

まず基本的な了解事項として、もし他者の発言内容に異議を申し立てるのであれば、相手の発言内容を「きちんと把握する」のは、最低限必要な事柄ではないでしょうか?

相手の発言を「読む気がしない悪文」とこきおろしつつ、それでいて「斜め読みもしないで文句をつける」というのは、対話以前の問題かと思われます。

読む気がしない悪文なら、悪文ということだけ指摘して、後は無視すればよいでしょう。

次に、一般論としての読み手対書き手の関係性と、カマヤンさんと松代の問題とを、はっきりと区別する必要がありますね。

一般論としては、13氏が指摘するように必要以上に晦渋な文章はそもそも「読んでもらえない」し、あるいは「読んでも書き手が望むようには理解されない」のだから、読んで理解されたいと望むのであれば「わかりやすい文章を書かなければならない」となります。

しかし、カマヤンさんと松代との関係性においては、13氏が指摘する一般論があてはまらない部分もあると認識しています。
以下にあてはまらない部分を示します。

1:カマヤンさんは複雑な文章を読解する能力を持っている

19氏も指摘しておられますが、カマヤンさんが運営する掲示板などでの発言や、カマヤンさんが引用、あるいは紹介する資料からも、カマヤンさんが複雑な文章を読解する能力を具えていることは明らかです。

2:カマヤンさんは読者の気を惹くようなわかりやすさを好んでいない

過去ログ倉庫にある以下のスレッドからも、カマヤンさんは単純化された文章ではなく、複雑でも主語、述語、目的語が明確で、発言者が自信の判断を明確にしている文章を肯定的に評価していることは明白です。

http://jbbs.livedoor.jp/news/410/storage/1043181168.html

3:松代は過度に複雑な文章を書かないよう、既に方針転換している

規制推進派とオタクとの関係性についてスレッドでのやり取りが始まってからしばらくして(発言番号では180番前後)、松代はカマヤンさんとの意思疎通に問題が生じている可能性を考慮し始め、文章の構成を変化させました。
具体的には、関係代名詞を使わずに文章を短く区切り(1文あたり最大200文字程度に圧縮)、指示代名詞の使用も最低限に押さえています。また、松代の判断を「常に明記」するようにも心がけています。
付け加えるならば、指示代名詞の使用を控えることと、文章を短くまとめることは、おうおうにして矛盾します。しかし、理由は不明ながらカマヤンさんは指示代名詞の指示対象を誤読する場合が多く、誤読可能性を軽減するために指示代名詞の使用を控えています。
さらに、以下の発言によって、松代はカマヤンさんの精神的疲労を考慮していることを明示し、カマヤンさんが「文章をきちんと読み取るだけの精神的余裕が生じる」まで、やり取りを休止することも提案しています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/410/1037028995/r187

22松代:2004/11/12(金) 23:26
以上の各要素を考慮するならば、11氏の指摘は非常に興味ぶかい点をついているといえましょう。

>>17
>そこがちょっと判断つけかねるところなんだよね。(このBBSに限れば)今までの経緯を見る限り、松代氏や鳥山氏あるいは鍋島氏が意図的にカマヤン氏を陥れたりことさら「心を傷つけ」たり見下しているとは思えないのだけどカマヤン氏はそうは思っていないようにも見える。
>だけどカマヤン氏がある程度はレスをつけているところをみると完全に断絶したいわけでもないのかなあと。

松代はそれなりに面白おかしくやり取りを続けさせていただいておりますが、カマヤンさんのネタ回しには、なにか鬼気迫るものがあります。松代は>>2でも指摘させていただきましたが、今年の初めには街頭で右翼と暴力沙汰を起こすなど、カマヤンさんの言動には余裕が感じられなくなっていることは間違いありません。

それに、13氏も指摘しておられますが、読む気が起きない文章なら「無視すればよい」だけのことです。誰も、カマヤンさんに文章を読むように強制していないし、まして読む気も起きない文章に返答するよう強制してはいないのです。

松代も>>2で明示していますが、カマヤンさんは2ヶ月以上放置していた文章に、わざわざ的外れな指摘を繰り返しているのですから、松代はカマヤンさんの意図について疑問を抱かざるをえません。

つまり、カマヤンさんは読む気が起きなかったからいったんは放置したと、そうとらえてもよいのではありませんか?

カマヤンさんが2ヶ月以上に渡って放置していた文章に、わざわざ的外れな指摘を繰り返したという1点のみをとらえても、13氏が示した一般論はあてはまりにくい情況なのではないかとかんがえます。

松代がカマヤンさんの運営する掲示板に投稿を繰り返しているのならば、カマヤンさんもなんらかの対処をしなければならないでしょうが、現在の情況は全く正反対です。
しかも、松代はカマヤンさんに対して、カマヤンさんの指摘が的外れなことを繰り返し表明しています。
カマヤンさんには「かまって欲しいなんらかの事情」が存在するのかもしれませんが、松代にはさっぱりわかっていません。

23松代:2004/11/12(金) 23:31
>>17
>そういう意味において >>16を無邪気に楽しんでよいものかどうか悩むところではある(苦笑)

ありゃりゃ残念。
実は、まだまだたくさんネタを用意していたところだったのですよ〜〜
まぁ、このままお蔵入りってのももったいないから、今夜は「週末洋画3本立てレイトショー」としゃれこみましょうか?

予告編
次週以降の予定

江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間
ガス人間第一号
ノストラダムスの大予言
人間革命
続人間革命
世界大戦争
地獄の逃避行
ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア

サヨクの森

みぃちゃんは、毎年、夏になると、両親と一緒に山荘で数ヵ月を過ごすことにしていた。今年も、みぃちゃんは森に住む漫画家鎌倉と、大人たちの知らない二人だけの遊び場で再会した。しかし、鎌倉は妙によそよそしく、みぃちゃんを見る目も変わっていた。鎌倉の夢は、世界システムの陰謀を暴くことで、今年こそ単行本を出版する、とみぃちゃんに言い、彼女を連れて森に入った。雨を避けるために入った洞窟で二人はキスをしあった。ある日鎌倉は、森のはずれの出版社で松代と出会い、うまく言いくるめられ、翌日、AA本の企画書をまとめるように命令される。二人だけの世界に松代が入り、状況は一変していった。松代はえらそうににふるまい、鎌倉に説教をし、金を貸すように要求した。ある日、松代を山にある洞窟に連れていった鎌倉は、インチキ出版企画で「オレ」を陥れようとした「自分」を、ネット掲示板でこき下ろしてしまう。都議会までいっしょについてきていたみぃちゃんは、いつの間にかサヨクに愛想をつかしており、その後、鎌倉がどうなったのかも、そして松代のフィクション定義も、わからなかった。
松代が言う「自分」とは、鎌倉なのか、松代なのか?
ただみぃちゃんがサヨクから脱皮し、自分の置かれている状況を認識した遠いあの日の思い出だけなのだった。

小さな辰

山梨の小さな町の屋敷に鎌倉(カマヤン)は戻ってきた。戦争前は一流マンガ家として東京での盛大なパーティに出席し、皆の羨望の的であった彼だが、ジポ法反対活動中に精神を負傷し、さらに男性として役に立たなくなったことにショックを隠しきれず、引きこもりの毎日が続いていた。そんな彼を見つめる姪みぃちゃん(カティア・バーガー)の何も知らない無邪気さは、いつしか鎌倉の一時の気の休まりとなっていた。そして彼女との交遊を題材に、一篇のマンガを描きあげようとするのだった。ある日東京の出版社のパーティから戻ってきた鎌倉は、自分が関わっているAA本企画が松代の陰謀であると見抜き、自分がみぃちゃんを愛していたことを確認する。そしてこの叶わぬ愛を決算すべく、鎌倉はネット掲示板に鳥山の悪を書き連ねるのだった。

フィクションとノンフィクション(元ネタ:死と処女)

独裁政権が崩壊して間もなくの嵐の夜。鎌倉は、妻の帰りを待っていた。停電の中で、鎌倉はいつものように落ちつきを失う。やがて1台の車が近づき、弁護士であるみぃちゃんが降りてきた。車がパンクして、通りがかりの車に送ってもらったと言う。深夜、みぃちゃんを車で送った松代が所用を思い出して引き返してきた。応対に出た松代とのやりとりを寝室で聞いた鎌倉の表情が凍りつく。鎌倉は隙を見て松代の車を発進させ、崖から海へ車を転落させる。家に戻った鎌倉は、泥酔した松代を縛り上げ、松代の車中にあった『ムー』をみせる。その音で起きたみぃちゃんに、鎌倉は衝撃の事実を語り始めた。松代こそ、独裁政権に逮捕された鎌倉を拷問した男だというのだ。鎌倉は、声と体臭で間違いないとも主張する。鎌倉は銃で2人を威嚇した。松代は無実を主張し続けるが、怒りを爆発させた鎌倉は、松代は『ムー』をみせながら楽しむように「これは【フィクションなのか?ドキュメンタリーなのか?】と拷問した」といった。必死に否定する松代は、当時、出版社に勤務していたから電話で問い合わせてくれと懇願するが、電話は不通だった。鎌倉は、松代に「自分」が誰を示すのかを告白させ、それをビデオに録画しようとする。全てを告白し懺悔すれば開放するが、拒否した場合は殺すという鎌倉。ようやく出版社に電話がつながり、みぃちゃんは松代が勤務していた事実を知る。だが、既に鎌倉は松代を断崖から突き落とそうとしていた。その瞬間、松代は「AA本で鎌倉を陥れようとした」事実を認め、過去を告白した。みぃちゃんは激しい怒りにかられるが、鎌倉は放心したようにその場を離れる。数カ月後、即売会場で『AA本』を売っている鎌倉とみぃちゃん夫妻、鳥山と一緒の松代の姿があった。

2411:2004/11/13(土) 00:35
>>21
 捨て台詞で終わるのもアレなんで補足。

 なんというか外野からはわかりにくい感情のもつれがあるようなので、文章の読解能力とかはまあ本筋じゃないように感じてた。で

>カマヤンさんは指示代名詞の指示対象を誤読する場合が多く

 私もそう思ったし、松代氏の「指示代名詞の使用を控えています。」も気づいていたけど、双方の論理性に問題があってのことじゃなさそうなんで、松代氏の晦渋な文章(笑)をやりだまにあげてカマヤン氏に妥協点を考えてもらって、笑ってすませられないものかなと思ったんだけど素人の浅知恵に終わっちゃったね。申し訳ない。
 松代氏の文章はマンガの吹き出しには収まらないだろうけど誤読が頻発するほど悪文ではないと思うよ。

>次週以降の予定
大霊界シリーズが抜けていると思うんだけどどうだろう?

25Practical:2004/11/14(日) 01:00
「カマトリックス」

(作品のあらすじ)
 漫画を描かない漫画家、鎌倉圭悟。凄腕の反体制左翼ゲリラという裏の顔を持つ彼は、最近「起きてもまだ夢を見ているような感覚」に悩まされていた。そんなある日、自宅のコンピュータ画面に、不思議なメッセージが届く。
 「起きろ、カマヤン」「世界システムが見ている」「白うさぎの後をついていけ」。正体不明の美女みぃちゃんに導かれた鎌倉は、清潔な一室で伝説のゲリラ長に出会う。現在ゲーム脳と戦っていると評判のゲリラ長は、偏光レンズの眼鏡を煌めかせつつ話し出す。

ゲリラ長「君がここにいる理由を、教えてあげよう。君は何かを知っているからここに来た。はっきりとは説明できないが、君は感付いている。この世界の何かが変だと感じているのだ。原因は分からないが、それは君の脳内に棘のように存在する。そして、そのせいでおかしくなる。君が私のところへ来たのは、その感覚のせいだ。私が何を言ってるか、分かるかね」

鎌倉「世界システム?」

ゲリラ長「世界システムはどこにでもある。我々を取り巻き、この部屋にもある。それは窓の外を見るだけで存在し、テレビを見ても存在する。漫画を描けない時、電話代を払えない時、親から遺産の生前分与を受ける時、君はそれを感じる。それは、君から真実を覆い隠し見えなくするヴェールの事だ」

鎌倉「真実とは、どのような真実だ」

ゲリラ長「君が病人だという真実さ。カマヤン。他の皆と違い、君はずっと昔に頭が病気になって、自分で自分を牢獄に閉じ込めた。嗅覚も味覚も触覚も正常に機能しない牢獄。脳が生み出す牢獄」

鎌倉「…………」

ゲリラ長「──最後のチャンスだ。この辺で何とかしないと、君の人生は取り返しがつかない」

そう言うと、ゲリラ長は両手を開く。右手には赤い薬、左手には青い薬があった。

ゲリラ長「青い薬を飲めば、君の頓珍漢な物語はここで終わる。漫画を描かない漫画家と左翼ゲリラは廃業して、凡人に戻れる。赤い薬を飲めば、君は不思議の国のアリス的世界から脱出して、世間の常識というものを私が教えてやれる」

 しばしの時間の後、「俺は病人じゃない!」と鎌倉は絶叫し、薬を両方とも払い除けた。その瞬間周囲の光景は溶解し、彼は衝撃的な世界の真実を知る。全ての人間は世界システムの奴隷であり、仮想現実(フィクション)を現実(ノンフィクション)だと思い込んで生きているのだ。真実を知ったその日から、鎌倉は新世代の救世主「カマヤン」として世界システムとの戦いに身を投じるのだ。
 そして救世主を抹殺しようと、世界システムからの使者「エージェント・トリヤマ」が眼前に立ちはだかる。エージェント・トリヤマは自らの分身を無制限に生産する能力を保持しており、ネットのあらゆる所に自らの分身を送り込んでは、カマヤンを攻撃した。カマヤンは、「荒らし」「原発関係者」「手配師」といったカンフーの究極奥義「無根拠ラベリング攻撃」で相手の精神に打撃を与え、もしくは呆れ果てさせてこれに対抗する。
 全世界が世界システムの支配下にある中で、僅かに残った自由な人々は、地下都市「オタクちゃんねる」で細々と暮らしているのみであった。ここへの侵入パスワードを入手しようと、トリヤマはゲリラ長を誘拐する。一方で、直接武力で破壊すべく、「Seven軍団」を差し向ける。
 窮地に陥ったオタクちゃんねるを救うべく、そしてトリヤマと最後の決着を付けるべく、カマヤンは世界システムの本拠地、Зонаへと赴く。ゲリラ長を尋問したトリヤマは、
 「投薬と治療を拒否されては打つ手無し。俺の負け」
 とついに白旗を揚げる。
 カマヤンは勝利の満足感に浸り、安らかに閉鎖病棟のベッドの中で眠りにつくのだった……。

(作品の見どころ)
 この作品の見どころは、第一に仮想現実(フィクション)と現実(ノンフィクション)を識別できないという、主人公の破天荒な世界観にあります。懸命な人ならお気づきでしょうが、「起きてもまだ夢を見ているような感覚」とは、メンヘラー的睡眠障害であるに過ぎず、不思議なメッセージが届いた自宅のコンピュータには、本当は何も表示されておらず、ゲリラ長の正体は某精神科医です。
 第二に、何と言っても派手なワイヤーアクションです。ワイヤーアクションとは、ワイヤーで俳優をぶら下げるのではなく、ワイヤーによって「誰かに操られているかのように」無責任で破廉恥な行動をする事です。作品中盤の「東京都庁で親指を下に向けるジェスチャー」をかますシーンの後、激怒した観客により全世界で映画館への放火騒ぎが頻発した事は、まだ記憶に新しいところです。

26СТАЛКЕР:2004/11/14(日) 01:45
はたから見たらカマヤンを小馬鹿にしたいじめに見えますな。
カマヤンが悪いんだけど。はっ!いじめはいじめられる子にも原因がある!?

27松代:2004/11/14(日) 12:55
>>24
>11さん
>双方の論理性に問題があってのことじゃなさそうなんで、松代氏の晦渋な文章(笑)をやりだまにあげてカマヤン氏に妥協点を考えてもらって、笑ってすませられないものかなと思ったんだけど素人の浅知恵に終わっちゃったね。

まぁ、流れをだいたい把握なさっているようなので、既にお気づきかとも思いますが、自分もなんとか妥協点を見いだして、というか「読んでもらってるうちが花なのよ、読む気もうせたらおしまいよ党宣言」でも出してもらって、距離を置いてから仕切りなおしとか考えていたのですけど、なんだかうまくいかなかったんですよね。
カマヤンさんにしてみれば、そういう妥協の仕方はプライドが許さなかったのかもしれません。
まぁ、単なる反動形成という見方もありますが(w

それに、松代の文章がややもすると晦渋であるという点についても、そこには「文章構成が複雑で理解し辛いという晦渋さ」と、の単語に「隠された意味が含まれていることに起因する晦渋さ」の2種類があり、後者の場合は「文章構造が簡単でも、場合によっては単語が掲示されているだけでも」晦渋だったりします。
ただ、単語の多義性による晦渋さは、おたくならなれ親しんだものでしょうし、また「文章構成が複雑で理解し辛いという晦渋さ」とは異なり、誤読の弊害も比較的小さいというか、わかんなかったらそれまでよなので、特に目くじら立てるほどのものでもないと思うんですけどね。

だいたい、Зонаが読めなくても当掲示板を利用する上で支障はないし、ゼロテ党やマサダ砦を知らなくても「熱心党スレ」でやり取りするには問題ないし、同じようにマイドクや「いきてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言」に「十九歳の地図」を知らなくても、カマトリスレは楽しめるでしょう。

ところが、そのあたりを理解できないか、あるいは意図的に混同する人も現れたので、ネタばれ覚悟で指示代名詞の使い方とか、その辺の事情も説明したんですよね。だいたい、わざわざ「とはいえ、真面目に読み取ろうともしないで文句を言うというのは、控えめにいってもあまり礼儀にかなった振る舞いではないように思えます」と書いてあるにもかかわらず、きれいに無視して「相手に自らの言説及び意図が伝わらない事を予め想定した上で、あえて発言されている」とまで言われると、くどくどと説明したくもなりますよ。

彼らにしてみると、それこそ鳥山氏じゃないけど「漫画のように書けない松代」に問題があるのでしょうが、自分らの読解能力を棚上げして、あるいは意図的に誤読したうえで、具体的に文章の問題点も指摘しないまま、読めない文章を書く方が悪いと決め付ける態度には、控えめにいっても問題を感じざるを得ませんな。

とまぁ、今回は「1文章を長めかつ複雑に構成」してみました。
読みにくい点などありましたら、具体的に問題点を指摘してください。

28松代:2004/11/14(日) 12:57
>>26
>はたから見たらカマヤンを小馬鹿にしたいじめに見えますな。

そう見えちゃうのか〜〜
まぁ、確かに元ネタを知らないとそういう部分だけ伝わりすぎちゃう可能性もあるし、またATGの「いきてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言」に「十九歳の地図」とかは、ちょっとばっかりマニアックかもしれないけどね。
ただ、カマヤンさんは映画がお好きなそうだし、どちらの昭和期の邦画を語るうえで外せない作品だから、伝わっているとは思うんですよ。ましてや「思春の森」や「小さな唇」は、みていない方がおかしい作品だから、パロディとしての意図は十分に伝わっていると思いますよ。

でもまぁ、当Зона板の住人には映画に興味のない人もいるでしょうし、もう少し配慮したほうがよいのかもしれません。とりあえず、日曜の昼下がりにふさわしいSF映画3本立てを流しますが、その後はしばらく休館とさせていただきましょうか?

この「カマトリ」は映画についてだらだら語るスレとして残すので、よければてきとうに使って下さい。

>>24
>大霊界シリーズが抜けていると思うんだけどどうだろう?
やっぱりそう思いましたか〜〜
まぁ、ノストラダムスに人間革命とくれば、大霊界だよね。でも、真面目な話として、丹波の最高傑作は「続人間革命」でしょう。作品を鑑賞することは極めて困難ですが、機会があったら丹波の壮絶なダイアローグを堪能して欲しいです。

昼下がりのお子様向けSF映画3本立て

スペース・カマヤン

太陽系第6惑星、土星の3番目の衛星“サターン3”に人類が建設したステーション、オタクちゃんねる。そこで科学者鎌倉と恋人の女性科学者みぃちゃんが、ジポ法問題を解決する目的の研究を進めていた。ある日、キャプテン・鳥山と名のる1人の男がやって来た。しかし、彼は、実は世界システムから要注意人物として手配されている問題人物だった。鳥山は、サターン3が土星食に入り、22日間他惑星と交信が不通になるのを知ってオタクちゃんねるを支配しにやって来たのだった。そうとは知らない鎌倉とみぃちゃんは、鳥山を歓迎するが、鳥山は、2人の前に、開発されたばかりだという“松代”を披露した。やがて完成した“松代”は、驚異的な早さで進歩を見せ、鎌倉を相手に説教をするまでになる。鳥山は自分に取りつけられた注入孔に探針を差し込み、思考プログラムを松代に注入し、操作した。しかし、その松代が独自に意志と感情を持ち始めていることに誰も気づく者はいなかった。ある日、鳥山の愛犬鍋島が松代に八つ裂きにされた。松代は、鎌倉にAA本の企画を持ち込み、金銭欲から鍋島を殺し、さらには鳥山に対しても敵対心を持っていた。遂に鳥山に攻撃をかけた松代。しかし、鎌倉の救援で松代をЗона板に閉じ込めることに成功した。選挙で規制推進派の女性議員を支援していた鎌倉の前に、松代が立ちはだかり、活動の足を引っ張り始めた。松代に反撃する鎌倉とみぃちゃんは、松代に金を貸して手なずけたが、都議会でロビイングを始めた2人は、都青少年問題協議会の起草委員会で、ブーイングの末に精神科医を怒らせてしまう。しばらくして目がさめた鎌倉は、ムーがフィクションなのかドキュメンタリーなのかと問いただされていること知って愕然とする。幸いみぃちゃんは無事だった。鎌倉は松代と自爆することを決心した。松代が勝ち誇ったように鎌倉の作品検討を公表した瞬間、オレは自分にとびかかった。みぃちゃんの目の前で、自分は松代なのか鎌倉なのかわからないままくだけ散った。そして鎌倉も……。今、オタクちゃんねるから逃げだしたみぃちゃんは、鎌倉との日々を想うのだった。

29松代:2004/11/14(日) 12:59
サイレント・ランニング

今世紀末、地球上の漫画は絶滅していた。わずかに3隻の宇宙船のビッグサイトで同人誌が即売されているだけだった。オタクちゃんねる号もその1つで8年間乗り組んでいる漫画家鎌倉を除いて、他の乗組員は早く帰還したがっていた。ある日、東京都からビッグサイトを爆破して帰還せよという命令が下り、乗組員は大喜びする。しかし、鎌倉は悲しみ、怒り、ビッグサイト爆破の準備をしている他の乗組員を殺害し、オタクちゃんねるを土星の方向に進める。彼は2体のロボットをプログラムし直し、同人誌制作の手助けをさせる。鎌倉はロボットに鳥山と松代という名をつけた。やがてビッグサイトの同人誌が売れなくなった。フィクションとノンフィクションが混ざったためとわかり、漫画フィクション論を公表した。その後、世界システムがオタクちゃんねるを見つけ、破壊にやってくることになった。もはや逃げられぬと悟った鎌倉は、世界システムを信じようとしない鳥山と共に運命をともにすることにし、オタクちゃんねるを閉鎖した。松代は何も考えず、もはや存在しない鎌倉ににせっせと粘着している。

不思議掲示板Зона

東京、冬。漫画家鎌倉は街頭で地方出らしいバイオリンを抱えた美少女に「あそこに右翼がいる」と声をかけられて、関わるのは面倒だから警察に、と提案するが「裸足で寒そうだから」という美少女に付き合って、その怪しい男と言葉を交わす。自称右翼は「この星のクロスナンバーか座標を教えてくれ」と尋ねるが、まっとうなサヨクプロシミソである鎌倉はそんな戯言を信じないで、男の手の中にあった<空間移動装置>を押してしまう。瞬間、鎌倉と美少女は砂漠のど真ん中にワープする。
「もしかして、あの男の星に来てしまったんじゃ…」と不安がる少女みぃちゃんに対して「これはフィクションだ。実在する自然人の人権は侵害しないのだ」と言い張る鎌倉は、年長者の威厳を失わないようみぃちゃんを促し、街をめざして歩き始める。灼熱の太陽が二人を襲う。酢はあるが、水はない。靴を履き替えたり、折り紙の要領で日除け帽を作ったり、できる限りのことはして、疲れ果てるまで歩いても人家にたどり着けず、砂の中に座り込む二人。時計は東京時間の朝4時を指している。そんな時、奇妙な音を立てて釣鐘型の宇宙船がやって来る。着陸した飛行物体から出てきたのはこぎたない男松代。檻を出してミョーな音をつけながら踊り始める。どうやら「ムー」と言っているらしい。
英語もフランス語も通じず、どんな身振りをしても返ってくるのは「ムー」ばかり。街まで送ってもらうつもりで政治家とのコネやAA本の企画も差し出した二人だが、取られるだけ取られて、宇宙船には乗せてもらえずに放り出される。呆気に取られた鎌倉だが、気を取り直して統計データに火をつける。マッチを擦った瞬間、釣鐘型の宇宙船がUターンして舞い戻って来る。統計データを欲しがる松代に「街まで乗せてくれるなら“ムー”だ」と交渉する鎌倉。なんとか船に乗り込む二人。事ここに至っても漫画家鎌倉は認めない、これがフィクションでないことを…。
二人が飛ばされて来てしまったのはグリーントライアングルとは無関係のЗона板。なんでも統計上のデータがえらい貴重品らしい。幸いなことに、鎌倉には統計上のデータなど無意味だ。なんとかこれで日本に帰ることができないだろうか。データ1本で、宇宙船のエンジンが買えるという話。いや、1本もいらない、その半分でいい…。簡単に思えた交渉も、統計データの貴重さをうっかり軽くみてしまった鎌倉がAA本の企画で失敗し、釣鐘型の宇宙船は燃料切れで立ち往生。おまけに今度は卵型の宇宙船がやってきた。乗っていた権力者鳥山は、“ムー”はフィクションかドキュメンタリーかと問い詰めたうえに、釣鐘型宇宙船の松代から有り金を巻き上げていく。これでは燃料を買うこともできない。三人で釣鐘型の宇宙船を押して歩くにしても、街は遠い…。三人は延々と続く砂漠をさまよう。と、砂漠に点在する集落の住人は、地球人二人のバイオリンと漫画に感激して、投げ銭をくれる。これで燃料を買い、残りのマッチでエンジンを買えば、きっと地球に帰れるはず。
ところが、釣鐘型宇宙船の松代にはなんの考えもなかった。松代の精神は鳥山に操られており、どんな嘘も裏切りも辞さない構えだ。
果して鎌倉とみぃちゃんは日本に帰ることができるだろうか。帰り着いたとしても、愛する家族は…。あの東京の街角に立っていた右翼は、この星の一秒は地球上の半年だと言っていた。このまま二人は宇宙の浦島太郎として終わるのか…。

31管理代行:2004/11/18(木) 13:31
不適切な投稿があったため、
投稿者の同意を得て削除しました。

32СТАЛКЕР:2004/11/19(金) 13:32
ウランの箱舟

 間もなく四十路になろうとしている漫画家とうら若き乙女がいた。二人は乙女が幼い頃から仲良しだった。二人とも長文が読めなかったからだ。ある日、二人は鉱山でウラン鉱脈に埋もれた古い箱舟を掘り出す。二人は箱舟を修理して天空の小島に乗り出した。空中庭園をはしゃぎ回る二人。すると箱舟も小犬のように空中を追ってくる。村に帰ろうとする二人は箱舟に乗ると、すごい勢いで、思いもかけぬ方向へひとりでに進み出した。箱舟は大きく開いた大洞窟の中へ突入。二人はその穴が九百年前のタイムトンネルであることに気がつかない。二人は小島の案内で七つの金の燭台の前に通された。突然、頭上から"あんごるもあ"が舞い下りてきて、二人は埋もれてしまう。そして燭台の真中に他人のふんどしを身に着けた男が現われる。やがて、"あんごるもあ"の下から現れてきたのは気を失った二人の姿。しかし、先程まで着ていたものは消え失せ、乙女と漫画家はネコミミ・モードとその下僕ジョー・ヤングになっていた。そこで二人は、かって見たこともない妖しく、美しく、恐ろしい禁断の園をめぐる。例の箱舟は何百年もの間、鉱脈に閉じこめられていたのを二人が掘り出し、修理して空に戻してくれたお礼に、どうして二人が長文を読めなくなったのか、それが九百年前に原因があることを教えようとしたのだった。

33松代@ギブアップ:2004/11/21(日) 12:53
>>32
>ウランの箱舟

すんません、元ネタ教えて下さいm(_ _)m
なんか少女漫画じゃないかとは思うのですが、ギブアップです〜

そうそう、カマヤンさんばかりネタにされてるのも面白く無いので、自分(発言者を指す人称代名詞として使用)をネタにしたのも観て見たいところです。

34松代:2004/11/21(日) 23:28
今日は、いわゆる大人の事情ってやつで、がらにもなく「キャットウマソ」なんぞを観てまいりました。

公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/movies/catwoman/home.html

でまぁ、思ったよりははるかによかったっすよ。アメコミ好き、ハル・ベリー好き、猫好きにはよろしいのではないでしょうか?
特にハル・ベリーがちょっぴりエロくて萌えでちた。

以上、終了…

というのもなんなので、まぁあえて補足しておくなら、もぅ映像表現という点じゃ、金持ちには絶対にかなわないのね。特に「モーションコントロールクレーンカメラ」の扱い方になると、スタッフの経験値がもろに出てくるから、日本の制作環境じゃ「永久に追いつけない」って事を痛感させられました。
それから、問題のクリームですけど、アレだけ素晴らしい効果があるのなら、漏れも「常用」したいところです。もちろん「上半身限定」ですけどね。

35松代:2004/11/21(日) 23:29
さておき、問題は本編じゃなくって、予告編が流れた「ポーラーエクスプレス」ですよ!

公式サイト
http://www.polar-express.jp/

原作について
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4751519999/250-8873634-9165804

アマゾンのカスタマーレビューにもあるんですけど、原作のアクロバティックな構図のとり方を、映画ではかなり意識して、というかある意味忠実に映像化(動画化)しているようです。ちゅうかぁ、泣かせるフレームワークとシークエンスの連続で、たとえ30秒に1回の割合で「これはゼメキスの罠だから、分別のある大人が引っかかっちゃいけない」と自分に言い聞かせていたとしても、これに耐えうる人間がどれだけいるか、ちょいとばかり疑問な所であります。
ゼメキスは「いい話」を映像化させたら、世界でもトップクラスの「嫌な奴」なので、もし「原作の洋書版」を読んでから観に行ったとシテも、防御力の低い観客はやられちゃうような気がします。
カスタマーレビューには「原作のもつスピリットは真似できないだろう」とありますが、それには半分しか同意できません。ゼメキスを侮ってはならないことと、それから音楽や声の力も含めたサウンドの影響力は大変なものがあるのです。
しかも、それは「洋書版」に限ってのことで、邦訳版だったら「映画の方がよい可能性さえある」んです。
もし、なんらかの事情で観る人がいれば、車掌の仕草、例えば懐中時計の「映像文脈的使い方」などに注目されることをお薦めします。ゼメキスの嫌らしさを、嫌と言うほど堪能できるでしょう。
でなかったら、登場する蒸気機関車のモデル探しとか、そう言う「あらぬ妄想」で気持ちを紛らせないと、てき面にやられちゃいますよ。

モデルと思われる機関車 Nickel Plateユs S-3 Berkshires(軸配置による)
http://www.southernsteamtrains.com/nkp%20berkshire.htm

おまけ
ホボ(ホーボー)について
英和辞書でひいてもホボについてはわからないので、とりあえずココとか読むといいよ。

The American Hobo
http://www.northbankfred.com/colin1.html

36СТАЛКЕР:2004/11/28(日) 11:19
Матуширо雷帝

(第一部)
十六世紀中葉のДвижение сопротивления。Матуширо大公(ニコライ・チェルカーソフ)は世襲貴族達の分割政治を打破し、専制君主による帝政の確立を計った。戴冠式に次いでМатуширо皇帝はЗин(リュドミラ・ツェリコフスカヤ)を王妃に迎えた。Матушироの伯母Минералはその子Ыоханe(パーヴェル・カドチニコフ)を帝位につけようと大衆の指導者Казутоをそそのかし、Матушироへの謀反を画策した。だが、皇帝の祖国愛にうたれ、暴徒達は皇帝へ忠誠を誓った。そして外敵Регулированная группаらを下し、Матушироはその皇帝の地位を確固たるものにした。だが皇帝はУТП帰還早々、重い病床についてしまった。一子Набешимаをもうけていたので彼を皇帝の座に就かせようとしたが、Минералは、Ыоханeを皇帝にせんと、必死の画策を計った。が、Матушироは奇跡的に回復した。皇帝はもはや貴族団を信用しなくなった。そのことは同時に貴族団との離反を招く結果になった。Минералは、王妃を皇帝から奪うため毒殺した。同時に遠征軍の敗北が報らされ、信頼していた部下の裏切りもあった。失意のМатушироはいったんУТПを捨て一般民衆の支持を待った。

(第二部)
УТПに帰ったМатушироは、精力的な政策を画した。が、貴族団は皇帝への反逆の狼火をあげた。この頃になって王妃の死が毒殺であったことを知った。Минералは今やМатуширо殺害を計っていた。ある酒宴の夜、Ыоханeに刺客をつけて宴会に送りこむが、事情を知ったМатушироはЫоханeに皇帝の正装をさせ、刺客は間違ってЫоханeを殺してしまった。Минералは半ば発狂した。国内の邪魔者を抹殺したМатушироは、外敵との戦いを神に誓ったのであった。

(第三部)
Матушироは数々の弾圧を告白し、神に赦しを乞う。やがて、Матушироには、自分の懺悔を実は聞いている僧侶Камаыанが敵の側についているのではないかという怯えが生じる。突然、Матушироは僧侶Камаыанの首にかかる十字架のネックレスを掴み、その首を絞め上げて言う。「ムーはフィクションなのか?!ドキュメンタリーなのか?!」そして、懺悔が拷問に変わり、全ての意味が転倒してしまう。

37鋼鉄男:2004/11/28(日) 14:36
>>36

第1部に関しては、全く素晴らしい。スターリン賞にふさわしい作品として、私自身から強く推薦しておく。
しかし、第2部に関しては、いくつか気になる部分がある。ニコライ・チェルカーソフ同志とともに、私の宮殿に来たまえ。じっくりと話し合う必要があるだろう。
第3部については…

Матушироが赦しを乞う相手は、神なのか?
それともネ申なのか?

38松代:2004/12/15(水) 12:34
掲示板の帝王

2003年。1999年から日本を襲った経済史上空前の不況のために、引きこもりはニートと化し、彼らはヲタクと呼ばれていた。ヲタクたちは鉄道を利用して即売会から他の即売会へ移動した。彼らは貨物列車や家畜車に乗るのが常套手段であったが、やむを得ない場合は2chにスレを立てて煽るという危ない綱渡りもした。だが、日本虚業組合のオタクちゃんねるに来るヲタクたちは、そことリンクしているЗона板で発言することは避けていた。この掲示板の管理人松代(アーネスト・ボーグナイン)は冷酷無比な男で、彼はヲタクたちの発言は絶対に許さなかった。ハンマーを携え、ヲタクたちを見つけたらその場で削除するというすさまじさだった。だが、この狡猾な松代の裏をかいて、いつも悠々とЗона板に書き込んでいるヲタクがいた。鎌倉(リー・マーヴィン)と呼ばれ、ヲタクから“カマヤン”というニックネームを贈られている男だ。ある日、鎌倉の世界システムを盗もうとして失敗した鳥山(キース・キャラダイン)という若者が彼の王座を奪おうと、行動を共にするようになった。そのためにЗона板で思わぬ失敗を犯したが、そんなことでひるむ鎌倉ではなかった。崖下でひと息いれると、彼は2chに捨ててあったゴシップを集めて、それを持って再びЗона板に現われた。鎌倉はゴシップの底に残っていた陰謀論を集めてオタクちゃんねるに投稿し始めた。鳥山はそれをとめた。これはやがて掲示板での議論を空回りさせて、その間に乗り込み、松代がЗона板で発言したとき、それに乗り換える方法だった。この計画は見事に成功した。それから3日目の朝、松代は2人のヲタクがЗона板に潜んでいるとにらみ、得意の科学的根拠で2人を撃退する手を使った。この戦法は効を奏して鎌倉はさんざん痛めつけられ危うくなった。鳥山はその気になれば鎌倉を助けられたのに知らん顔をしていた。それでも鎌倉は降参しなかった。科学的根拠の責苦をのがれるために鎌倉は、指示代名詞の対象がわからないと因縁をつけたからたまらない。松代はふり落とされ、セブンは傷つき、うなぎは気を失い、最後部に乗っていた鍋島は死んだ。やがて松代の指図によりЗона板は再開した。そして彼は、スレに書き込もうとしている鳥山を見つけ、鉄製のクサリで殴り殺そうとした。鎌倉は松代に怒鳴った。「松代、全てのマンガはフィクションだぞ!」。Зона板で鎖を手にした松代と、それに立ち向かう鎌倉との血みどろの決闘が始まった。鎌倉が松代の発言は意味不明だと反撃に出て、松代に重傷を負わせ、Зона板から突き落とした。彼は鳥山をも突き落とした。Зона板はばく進を続け、鎌倉の叫び声だけが木霊する。「貴様のような手配師に“カマヤン”をまねる資格はない。貴様のような原発関係者は利権あさりをして歩くのが分相応だ、金輪際人まねをするんじゃねえぞ」。

39松代:2004/12/19(日) 22:33
昨日、NHK大河ドラマ「新撰組!」の最終回を観たんだけど、どうやら最終回ひとつ手前の放送が当たりだったらしく、あまりにも型通りの最終回ぶりにげんなりしちゃった。まぁ、NHKの大河ドラマだから、いくら「新撰組!」でも「エヴァンゲリオン」みたいな真似するワケにはいかないのだろうが、もうちょっと期待を裏切ってくれてもよかったような、良くなかったような…
まぁ、あぁ言う型通りの最終回でもおさーんタチには受けるのだろうし、感動しちゃう人さえいるのかもしれない。
節目になる回では視聴者の期待を裏切ってはならないのが連ドラの鉄則とはいえ、画面を見ているだけでカメラアングルまで想像がつくような演出というかコンテってのは、やっぱりなんだかなぁと思うことしきり。

映像オタクの戯れ言だというのは百も承知だけど、よい意味で期待を裏切ってくれることの多かったシリーズだけに、あたかも視聴者におもねるような最終回にはさみしいものを感じてしまいました。

40鳥山仁:2004/12/19(日) 22:57
松代さん>
 アメコミ好きの松代さんがこいつに言及しないのは片手落ち(差別用語失礼!)では? ピクサー社が満を持して新規のシナリオ監督(マーク・アンドリュース)を入れただけあって、間違いなくここ数年のアニメシナリオとしては傑作だと思うんですが。

 監督とシナリオは、『アイアン・ジャイアント』のブラッド・バードで、アニメファンとしては「待っていました!」という感じになるはずなんですけどねぇ……何故かオタク方面で言及する人間の数が少なくて(私が見逃している可能性がありますが)、不思議で仕方がありません。

 まあ、「娯楽はこう作れ!」という見本なので、これからクリエーターになりたいという若い人は、是非見てください。ジブリの宮崎には悪いけど、比較するのが可哀相なぐらい良い出来なのですよ。

http://www.disney.co.jp/incredible/

41СТАЛКЕР:2004/12/20(月) 03:11
>アニメファンとしては「待っていました!」という感じになるはずなんですけどねぇ

 2D(セル)アニメと3DCGアニメは別物と言う考えが主流だからではないでしょうか。
 アニオタがアニメーションと呼ばれていればなんにでも飛びつく訳ではないのは、彼らの人形アニメやクレイアニメに対する言及が比較的少ないのを見て感じます。
 あと人権啓発系のアニメとかも語られないですね。その手のアニメの中になにげに萌えキャラがいたりして、割と安易なストーリーなども含めて個人的には結構好きなジャンルなんですが。

42松代:2004/12/22(水) 00:22
>>40
>鳥山さん
>アメコミ好きの松代さんがこいつに言及しないのは片手落ち(差別用語失礼!)では?

ディズニーはスルー推奨なのです。
いや、マジな話。

でまぁ、よくできた作品だと思うし、予告編観ただけで「あたり」だと思わせてくれる作品なんかそうそうないのですけど(これは「ファインディングニモ」も同様)、単に「よくできているだけの作品」ってコメントしづらいったらありゃしないっすよ。ディズニーじゃなくても、たぶんスルーしたと思います。

>何故かオタク方面で言及する人間の数が少なくて(私が見逃している可能性がありますが)、不思議で仕方がありません。

オタク国粋主義的にまずいからじゃないすか?
それに、萌えキャラもいないし〜
いや、マジな話。

もちろん>>41さんが言うように「2D(セル)アニメと3DCGアニメは別物と言う考えが主流」とか、また「彼らの人形アニメやクレイアニメに対する言及が比較的少ない」という事情もあるでしょう。
いや、比較的少ないなんてもんじゃなくって、あの「ウォレスとグルミット」でさえ、オタク方面ではほとんど語られることがないし、評判の「岸辺のふたり」なんかは作品そのものがなかったことにされてるんじゃないかと思うほどです。

岸辺のふたり公式サイト
http://www.crest-inter.co.jp/kishibe/

鳥山さんも触れてる『アイアン・ジャイアント』は、まだオタクが騒いだほうで、アニメだろうがゲームだろうがコミックだろうが、オタクさんたちが「非オタク的価値観」の何かに反応することは非常にまれですよ。
それに『アイアン・ジャイアント』はなんだかんだいってもロボットものですからね、オタク的価値観の範疇にあったといえるでしょう。

だから、昨今のディズニーアニメに対する反応が冷淡なのも、自分にとってはなんら不思議なことではなかったりします。

>>41
>あと人権啓発系のアニメとかも語られないですね。その手のアニメの中になにげに萌えキャラがいたりして、割と安易なストーリーなども含めて個人的には結構好きなジャンルなんですが。

この辺は「3ちゃんねるヲタ」の守備範囲に近いため、意外に早くブレイクするような気がしています。というか、いわゆる「金脈」があるのは傍目にも明らかなので、あとは「誰が最初に入山するか」が問題なのではないかとさえ思うのですけどね。

おまけ:1
この辺どうよ?

http://www.herald.co.jp/official/aviator/index.shtml
>アビエイター

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20041221203.html
>ディカプリオ主演、破天荒な大富豪を描く『アビエイター』

レビューだと後半がだるいとされていますが、ヒューズの晩年はだめだめ君だからなぁ〜
しょうがないと思うけどな〜

http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20041117205.html
>米国人の性の実態を明らかにしたキンゼイ博士の伝記映画

日本公開予定はたってないっぽいけど、観たいよなぁ〜

おまけ:2

自分がこだわり続けてる「ベネチア・ビエンナーレ」問題ですけど、無冠に終わったことを「肯定的に評価する」オタクはいないのでしょうかね?
実は「無冠に終わったこと」が「芸術界からヲタクへのプレゼント」であり、また「なぞかけ」じゃないかと思えてならないのですけどね〜
まぁ、オタクさんにはわからないことかもしれませんがね・・・

43鳥山仁:2004/12/22(水) 11:38
41さん、松代さん>
 うーん。どうにもよく解らないですね。ゲーム系のオタクが2Dから比較的抵抗無く3Dに移行したので、アニオタ=セル画(のリミテッドアニメ)以外は見もしない人、という事実が私に認識できないのかな? 宣伝量から考えても「気づかなかった」と言うことはないと思うので、クレイアニメや人形アニメのように単に「見逃しただけ」とは考えづらいですしね。

 オタクとナショナリズムに関しては浅羽も言及していたことですが、こっちもどうにもよく解りません。下手くそな日本のシナリオライターより、上手いアメリカのシナリオライターの書いた作品のほうが価値があると思うんですが。

 話は変わってハワード・ヒューズの映画ですが、スコセッシらしいチョイシングだとは思います。ヒューズ自身は典型的な強迫性障碍で、レストランで女優と食事中に少し汚れただけで、トイレの洗面所で全身に水を被って戻ってきた、というエピソードの持ち主です。ただし、作品が『ギャング・オブ・ニューヨーク』を超えられるかどうかは甚だ疑問ですね。まあ、スコセッシ本人はどんな駄作を撮ろうが『タクシー・ドライバー』一本さえあればオッケーでしょうけど。

4441:2004/12/23(木) 03:38
>ゲーム系のオタクが2Dから比較的抵抗無く3Dに移行したので、アニオタ=セル画(のリミテッドアニメ)以外は見もしない人、という事実が私に認識できないのかな?

 セルアニメが大好きな人は、手描きの絵を緻密に動かす技術を重視している場合が多いのではないでしょうか。少なくとも自分の周囲のアニオタに関してはそうです。
 逆にコンピュータゲーム系の人たちには臨場感や迫力のあるゲームが快適にプレイできることが大事なので、モニタに写る映像が2Dか3Dかについてはどうでもいいんじゃないでしょうか。どっちにしろCGなわけですし。

 と言うかなぜ鳥山さんがアニオタとゲームオタを一緒くたにしているのかがよく分かりません。たとえば、鳥山さんはコミケに参加しているのでオタク事情にも詳しいはずである、と勘違いしてしまうようなものでしょうか。相撲ファンとボクシングファンを「同じ格闘技ファン」と言うくくりで一緒にしてしまっているような乱暴さを感じます。

45СТАЛКЕР:2004/12/23(木) 10:48
>下手くそな日本のシナリオライターより、上手いアメリカのシナリオライターの書いた作品のほうが価値があると思うんですが。
ある一点にこだわらなければその通りです。
その一点とは、日本は世界に冠たるオタク大国である、という点です。
多くの日本のオタクはこれを重要なよりどころとして承認欲求を満たそうとしています。
となれば後進国のモノのできがよいどと認められないのも当然。
なにしろオタク人種はこだわり命ですから。

>相撲ファンとボクシングファンを「同じ格闘技ファン」と言うくくりで一緒にしてしまっているような乱暴さを感じます。
門外漢ってそういうものでは?
相撲とボクシングは見た目が違いすぎるけど、同じようなリングで時間切って戦うボクシングとK-1の違いなんて、門外漢にはわからないでしょう。
鳥山さんはゲーオタで、かつコミケに出入りしているとはいえ、いずれもきわめて極北に位置しています。
つまるところ門前をうろうろしてのぞいてるだけですから、その感覚は門外漢のままなのでしょう。

46松代:2004/12/23(木) 13:20
>>43
>ゲーム系のオタクが2Dから比較的抵抗無く3Dに移行したので、アニオタ=セル画(のリミテッドアニメ)以外は見もしない人、という事実が私に認識できないのかな?

>>44さんと>>45さんからも厳しい指摘を受けていますが、特定表現技法に対するヲタクのこだわりをきちんと把握していないと、ヲタクをいくら論じても空回りするばかりだと思います。

>>44
>セルアニメが大好きな人は、手描きの絵を緻密に動かす技術を重視している場合が多いのではないでしょうか。少なくとも自分の周囲のアニオタに関してはそうです。

チョット横レスになりますが、ヲタクの「手書きリミテッドアニメ」に対するこだわりって、びっくりするぐらい強固なものがありますね。古くはアキラがフルアニメだったことをボロクソにけなしたり、最近でもCG着色はセルアニメにあらずとして(いや、その通りなのですけど)、アナログ的色表現こそが日本アニメの神髄と言っていたアニメ原理主義者とでもいうべき人々があらわれていましたっけ。
自分は、映像作家や監督が「自ら表現したいものに最も適した表現技法」を自由に選択すべきだと考えているため、表現技法にこだわるあまり表現の幅を狭めるような論調にはどうしても納得できないものがあります。

例えば「○○というテーマはアニメで表現するのが最適であり、それも人間が着色するリミテッドセルアニメが望ましい」と映像作家なり監督なりが判断することと、また「○○というテーマはアニメで表現できないからつまらない、あるいは手がけるべきでない」と考える事は全く別ですし、後者の考え方は明確に間違っていると思うのです。

でも、ヲタクさんには後者の考え方を「自明としている」人がたくさんいて、そこが自分(この場合の指示代名詞は松代示す)にとって理解できないことであると同時に、ヲタクの限界点なのだろうと思うのです。

>>45
>多くの日本のオタクはこれを重要なよりどころとして承認欲求を満たそうとしています。

>>44さんへのレスにも書きましたが、特定表現技法に対するこだわりって、ヲタクが自分で自分の首を絞めているようなものだと思うのですけどね(この場合の指示代名詞はヲタクを示す)。
以前、この掲示板でも批判されていましたが、セルアニメのアニメーターを保護するために、アニメーターへなんらかの公的補助を行うべきだと主張していた人がいました。つまり、日本アニメはCGどころかCG着色さえ導入せずに、旧態依然たる「手描きの絵を緻密に動かす技術」だけを追求すべきだとでも言わんばかりの暴論であり、そもそも特定業種に対する公的補助をねだるという主張自体、お上べったりのゼネコンや天下り役人と同様の発想であり、とうてい理解できないような代物でしたが、ヲタクにはそこそこウケが良かったようですね。

ヲタクは世界共通という割に、海外の作品には目もくれないという態度には、日本のヲタクこそが「優良種」であり、海外のヲタクは「二級ヲタク」であるとの、民族主義的優越感が存在しているように思えてなりません。

はっきりいって、うんこ以下です。

いずれ、海外から優れたCG作品が流入してくるでしょう。
その時、1980年代の特撮ヲタクが日本特撮至上主義者とSFXファンとに分裂したように、日本のアニメヲタクもまたリミテッドセルアニメ派とCG派に分裂して、互いに糞を投げつけあうのでしょう。
やれやれデスよ。

47鳥山仁:2004/12/27(月) 10:40
41さん、松代さん>
 私の話を相撲とボクシングにたとえるなら、「ボクシングばかり観戦していたから、相撲が解らないのかな?」と言いたかっただけです。私にとってホームグラウンド、あるいはバックグラウンドはあくまでもゲームであって、アニメではありません。これは、45さんが指摘していたとおりで、両者を混同しているわけではありません。

 それに、以前から言っているとおり、私はオタク論はおろか作品評論そのものに興味がありません。その理由も以前語ったとおりで、「評論をするためには、どんなクズ作品でも最後まで読み通さなければならない」からです。それが現実を反映したデータであるならば気力も維持できますが、フィクションでどうにもならない代物を読み通す我慢強さが私に備わっているとはとても思えません。

48松代:2004/12/28(火) 23:58
>>47
>鳥山さん
>それに、以前から言っているとおり、私はオタク論はおろか作品評論そのものに興味がありません。その理由も以前語ったとおりで、「評論をするためには、どんなクズ作品でも最後まで読み通さなければならない」からです。それが現実を反映したデータであるならば気力も維持できますが、フィクションでどうにもならない代物を読み通す我慢強さが私に備わっているとはとても思えません。

別にヲタクを論じているつもりはないでしょうが、しかしそれでも鳥山さんの論考からヲタクという要素を外すことはできないように思えます。
以下に典型的なヲタク国粋主義者の日記と文章をアップするので、時間を作ってでも一読されるようお勧めします。

>生態観察日記ならびに掲示板
http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/thread.cgi?user_id=RXY00355

>特別寄稿「エロ本も立読み出来ない世の中にしないために」
http://homepage1.nifty.com/ikon/%90V%82g%82s%82l%82k/iken.html

49松代:2005/01/02(日) 18:17
プラネ「テ」スはよいアニメですね。

まぁ、今さらといわれれば全くその通りなのですが、大晦日のスペシャルで感動を新たにしたこともあり、勢いで書き込んでおります。ちゅうか、プラネテスは基本的に地味なBSアニメだったので(地上波はNHK教育で放送)、どうにもこうにもオタクにスルーされがちな作品ですが(引っかかってるヲタクの熱さは大変なものだけど)、やっぱりよい作品はよいと思うところです。
BSアニメといえば、CC桜が大ブレイク中ですが(いや、こういう嫌ブレイクは勘弁なんだけど)、その半分でもいいから注目されて欲しい作品ですね。

ぼやきはさておき、改めて観ながら感じたのは、映像的慣用句の使い方が本当にうまいってことですな。
もちろん、映像的慣用句の使い方がうまい背景には(上手くならざるをえない理由といったほうがよいか?)、この作品が「ハードSF」で「セルリミテッドアニメ」であるという、テーマと表現技法に起因する部分が非常に大きいのですが、なにしろ「新撰組!」最終回が映像的慣用句をあまりにもあざとく使っていたことにへき易した直後だったため(特にガキと手鞠のシークエンスなんか最悪…あれが感動の最終回だったなんて漏れには信じられないよ)、余計にそのことが強く印象づけられたのかもしれません。

言うまでもない事ですが、ハードSFというテーマにおいては「説明しなければならない事柄が極めて多い」にもかかわらず、セルリミテッドアニメという技法は「映像そのものの説明する力が実写よりも弱い」という弱点を抱えています(この辺は実写ドキュメンタリーやライトスタッフ、アポロ13と比較すればわかりやすいかも)。その ため、どうしても映像的慣用句を使って情況や設定などを説明しなければならない局面も多々あるのですが、プラネテスは映像的慣用句を使いつつもあざとさやくどさを感じさせないあたり、よくできた作品だなと感心させられます。

DVDも完結編がリリースされたようですし、未見の方はこの機会にどうぞってところでしょうかね。

プラネテス公式サイト
http://www.planet-es.net/

50熱心な投稿者:2005/01/03(月) 07:36
オタクがセルアニメ重視という姿勢にこだわっている、という意見は一部合っているとは思いますが
やはりそれは技術論にこだわるオタクの一面に過ぎないわけで、全体的な傾向であるとは思えません。
海外作品や非セル系アニメと日本のオタク好みアニメを分ける決定的な違いがあるとしたら、
自分の身近な世界がアニメの世界観に重なっているか、という点にあると思います。
(ロボットものは違うじゃん、とかいいそうですが、ロボットはオタクの世界では身近なものです)
最近オタクに受けたアニメとして「ローゼンメイデン」という作品がありました。
主人公は引きこもりの中学生で、そこに生きた美少女ドールがやってきて、ドタバタやらバトルを
繰り広げる、そういった作品です。お約束の萌えやコメディやシリアスまでありの作品ですが、
おそらくオタク的には主人公が引き篭もり、と言う点に共感を覚えたオタクは多いのではないでしょうか。
つまり海外作品にオタクが注目しにくいのは、世界観に共感しにくい、という点にあると思うのです。
そうそう、さっきTVで「ギャラクシークエスト」という映画をやっていましたが、あれは実写ですが
多分にオタク受けする要素満載だと思いますよ。

51СТАЛКЕР:2005/01/04(火) 10:52
>>50
単に意味不明なんですけど
だいたい,セルアニメとしてよくできてても『プラネテス』が
オタクに評価されていないことは松代氏も文句言ってます

これって,オタクの身近な世界観に重なるかどうかでしょ

それに,引きこもりをテーマにしてるドラマや小説,映画はいくつかあるけど
オタクは萌えてない
世界観にも共感してない

『ローゼンメイデン』は美少女ドールの萌えアニメで,引きこもり要素はただの味付け

もう少し説得力のある話すれば

52& </b><font color=#000080>(ylCmmjlo)</font><b>:2005/01/05(水) 00:44
なんでも意味不明で片付けるのはいかがなものでしょうね?
プラネテスが評価されてないのは、単にBSで放送されていたからに過ぎないと思いますよ。
地上波放送後の評価は高いし、衛星放送を見ないオタクの数は結構多いです。
それに「萌え」と「共感」は別物ですよ。萌えるから共感するだなんて一言も言ってません。

もう少し説得力のある話すればw

53松代:2005/01/17(月) 17:51
キタノ零年

あ い し あってればせっくすは あたりまえ

これはキタノじゃなくて侍でしたね

残念! 斬り!

公開自粛

54松代:2005/01/19(水) 23:48
東京駅ステーションギャラリーで23日まで開催中の「国芳、曉斎展」に逝ってきました。
場所が場所なので、余り突っ込んだ内容にはなっていないだろうと思っていましたが、好きな作家だし図録も欲しいし、みたい作品もアルしってんで、平日の夕方にのこのこ出かけてったんですよ。
でまぁ、結論からいえばステーションギャラリー的ぬるさというか、広く浅くなのははまぁ仕方ないとシテも、それでもなお散漫に過ぎるところがなくはなかったかなというところでしたね。それでもBunkamuraよりははるかにましだったし、図録も悪くなかったんだから、もにょるほどのものでもないのでしょうが…

あえてジョブス風にいえば、あの「そうそう、あともうひとつ」的な隠し球を用意していても、まぁバチは当たらなかったような、そういうのを求めるのはマニアの悪いクセのような…

ていうか「国芳、曉斎展」といいつつ、実は曉斎なんですよ。確かに展示作品の割合は半々か、ややもすれば国芳の方が多いのですが(國芳の代表作も3点含まれているし)、全体の雰囲気が曉斎なんですな。これは図録の解説にもあらわれていて、基本的に曉斎がメインです。でもまぁ、サブタイに「なんでもこいッ展だィ!」とつけるぐらいなら、やっぱり国芳メインにして欲しかったし、曉斎で引っ張るならおばけが少ないのはどういうことだとなるのですが(曉斎の目玉作品はおばけでしたけどね)、まぁその辺はいい始めるときりがないから(展示作品の借り受け情況などからも、そうは言ってられないのが見て取れるし)、もにょりつつもありがたく拝見させていただきました。

馬をもらったら、歯を確かめてはいけないという諺もあるし(いいものをいただいたらあら探しをしてはならないとの意)、気軽に鑑賞できただけでも多とすべきでしょうが、にしてもな〜

曉斎のモツ「見せかけの磊落さ」を、国芳とならべることによって、悪い意味で際立たせてしまったのではないか、あえて言うなら「狂画以外の新たな曉斎像」を提示することに力点を置くあまり、曉斎のモツ磊落さを演出する緻密さまでスポイルしたのではないかと、そんなことが気になる展示でした。

もな〜もな〜

55松代:2005/01/22(土) 23:33
となりのどろろ

原稿の48箇所を出版社の自主規制によって奪われたマンガの神様が、原稿回収の旅を続ける怪奇マンガです。
大手出版社に仕える醍醐景光は、プロシミソからのクレームを恐れたために、新人漫画家が書き上げた原稿から、48箇所を削除してしまいました。
そうして生まれた原稿は、物語の48ヵ所の部分が足りず、川に流され捨てられてしまいました。
時は流れ、出版不況の世を旅するマンガの神様。
実は彼こそが、自主規制に原稿を奪われた漫画家の、成長した姿だったのです。
マンガの神様は、原稿を奪ったプロシミソを1匹倒すごとに、失った原稿の部分を1ヵ所取り戻すことができるのです。
マンガの神様は、となりのどろろという名の奇妙なもふもふしたけものと知り合い、一緒に旅をするようになります。
しかし、となりのどろろとマンガの神様の行くところ、進歩的文化人やプロシミソが、次々と襲いかかって来るのでした。
(未完)

                     ヽ_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_ノ
       ハ,_,ハ    m       )                       (
  ?   ,:' ´∀';   ノ    r 、  ) うおぉー 俺にもモフモフさせろー!!   (
    l^ヽ'"'"~/^i'ツ'∧_∧ /    )                        (
  ヾ        'ミ,    )   __Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y
  ミ  ´ ∀ `  と,   ヽ ==--- ̄ ̄
  ッ       _   "ミ__>  ====----
 (´彡,.     (,,_,ノ  _ヽ_)_)
     "'"'゙''""''''゙""´
            ばふっ

      ハ,_,ハ    m
      ,:' ´∀';   ノ
    l^ヽ'"'"~/^i'ツ'∧_∧
  ヾ        'ミ,    )  ふんかふんか…いいにおい
  ミ  ´ ∀ `  と,   ヽ
  ッ       _   "ミ__>
 (´彡,.     (,,_,ノ  _ヽ_)_)
     "'"'゙''""''''゙""´

56松代:2005/01/28(金) 12:14:38
プラネ「テ」スはよいアニメですたね。

地上波でも最終回が放送され、関連グッズもボツボツ出始めましたが、やっぱり盛り上がらなかったな。
いくらなんでも桜と比べるのは酷だけど、民放の深夜アニメや「十二国」と比べても、まぁ玄人好みというかなんと言うか…
作画や演出、脚本の完成度が高くても、評価されない作品はあるという、よい見本を残した作品でしょうな。

でも、十二国は「おおねずみ」が面白いからいいや。

57松代:2005/02/08(火) 13:11:12
土曜ワイド劇場 メイドは見た!

夫のフィギュア萌え(仮)プレイがもとで離婚した苦い経験をもつメイド・大谷は、行く先々の家でさまざまな秘密や不幸を探り出すことに無上の喜びを見出している腐女子だった。そんな陰湿な楽しみにふけるレイヤー腐女子が、派出先の家々で巻き起こす凄まじい事件を描くシリーズ。松本清張作品としては異色の深夜萌えアニメ形式だが、その中でも主人公が社会に対して抱いている怨念がみごとに描かれているのが見所。

#2「エリート家庭の萌えの秘密 "みだれて…"」
他人の家庭の秘密をさぐることを生きがいにするメイド・大谷は、夫が財閥の御曹司、妻がタレントというエリート家庭に興味を抱いて働きに行った。家庭は夫のにきさんすけ、妻のかおる(小林薫)のほか2体のフィギュア、さんすけの母・千代の5人だった。リモコン装置の門扉に圧倒され、食玩などのこわれ物をいちいち鍵をかけた戸棚にしまい込む用心深さに首をひねった大谷はやがて、このエリート家庭にひそむ萌えの秘密を次々探り出して行く…。


#3「エリート家庭の萌え探し・結婚 スキャンダルの秘密」
派出先の家庭の秘密をさぐり出すことを無上の喜びとするメイド・大谷は、代議士・聖子宅を次の仕事先に選んだ。夫と生後6ヶ月の赤ん坊・雷太の3人家族だった。大谷は聖子の家へ行ったその日からさっそく仙波家の秘密の一端をかぎつけた。それは赤ん坊・雷太が実在する自然人かどうかにかかわるものだった。


#4「華やかなエリート家族の萌えた秘密」
今回は、メイド・大谷が、誕生パーティーの手伝いに行ったのが縁で大学者で大資産家の大学学長・ハーバート西に一目惚れされ、名指しで同家のメイドとなる。ところがその直後から当の西がセクハラをはじめ、大谷は莫大な遺産と学校の経営権をめぐる骨肉に奪いに巻き込まれるが、やがて持ち前の好奇心と推理力を駆使して当主西にまつわる意外な秘密をさぐり出す・・・。


#5「美しい名門女病院長・華やかな萌えの秘密」
よその家の秘密を探り出すのが何よりも好きというメイド・大谷の今度の仕事場は婦人科医院の院長・あか 木支 の邸宅だった。大谷はこの病院の問題がギャルの客取りであることをたちまちかぎつけた。自薦他薦あまたあるなかで一番熱心なのは副知事で、審議会のメンバーにして条例を新設しようと懸命だった。権謀術渦巻く中で得意のアンテナを駆使した大谷はやがてあか 木支 の意外な秘密を探り出していく・・・。


#6「東京・秋葉原再開発、ピンク看板の危険な秘密」
メイド・大谷は次の仕事先に都知事邸を選んだ。一代で巨億の富を築いた不動産会社オーナー。そして無類の色好みとして有名な人物だった。お目見得もすまないうちに挑みかかられて仰天した大谷は、やがて持ち前の好奇心で家族の問題点をさぐり出した。長男で父親とは正反対に押しの弱い代議士のぶと副知事のひそかな関係、そして三男で銀行員のそれにもまして押しの弱い人格である。のぶを上手く使って秋葉原再開発構想を打ち出した都知事は、都条例問題でおたくと対決することになった。大谷も秋葉原の接待要員としてコスプレを命ぜられ、心うきうきと旅立ったが・・・。

58СТАЛКЕР:2005/02/08(火) 15:46:59
>松本清張作品としては異色の深夜萌えアニメ形式だが、
松本清張?
まじ?

59松代:2005/03/06(日) 12:37:50
ミネラルのスーナンを探して(1985)
28歳の平凡な主婦ミネラルは、ある日、中野の漫画喫茶で親友ウェストと2chをみていて、奇妙なスレを見つけた。<スーナンを探している>というもので、夫のヨハンとの退屈な生活に浸っている彼には、何か刺激的なものだった。一方、スーナンは、後頭部を刈りあげた21歳のエロ漫画家。根っからの善人で、それなりに人気もある。その日も、イベントで知り合った女性ファンのベッドで目が醒めた。そして、いたずらのつもりで、彼女の服を借り、女装してみたことから、彼の人生は大きく変化する。ミネラルは、スーナンのスレをヲチしていた。そんなある日、<波止場で会いたし、スーナン>という発言を見つけ、ハリキッて出かけて行った。波止場では、スーナンらしき目立つ女が女と会話を交わしており、スーナンの後をつけて行ったミネラルは、彼の同人誌を買いこみ、何とかスーナンと話しを交わしたいと思った。そして<波止場で会いたし>とスレにポストして、波止場に行く。スーナンの女性ファンもやって来る。しかし、スーナンに夢中のミネラルを不愉快に思っていたウェストから狙われ、その結果、頭を打って記憶喪失になり、自分が誰だかわからなくなる。ミネラルはスーナンのアパートヘ連れて行かれた。お互い惹かれ合うが、スーナンには女性ファンがいる。自分が誰だかわからぬままに新しい人生を歩み始めたミネラルは、幸せだった。一方スーナンは、なんとなくミネラルとベッドまで共にする仲になっていたが、女性ファンのことも愛していた。結局は夫のヨハンと共に家に戻ったミネラルであったが、どうしてもスーナンが忘れられず、ブログに彼へのゆがんだ愛情を書き綴るのだった。

60鳥山仁:2005/03/06(日) 16:06:52
松代さん>
 涙でモニターが歪むような作品を描くのは禁止。というか、スーナンはさておいて、ミネラルが鉱物好きって設定を加えておかないと、誰なのかさっぱりわなんないでしょ。あ、フィクションなのか。そういえば、私の大好きな精神病の本に出てくる統合失調症の患者は、宇宙は鉱物で出来ているという強い思い込みがあって、
「鉱物は宇宙の好物です」
と病院のノートに書いていたそうですよ。
そして、その後の文字の羅列も素晴らしく
サファイア→ファイアー→火炎地獄
です。
 クリエーションの業界で、病人に勝るモノ無しですな。愛すら感じます。

61СТАЛКЕР:2005/03/06(日) 18:59:46
>クリエーションの業界で、病人に勝るモノ無しですな。

ロシア関係ですと、

帝政ロシア時代に生まれた同世代の作曲家で
統合失調症?のスクリャービン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3

うつ病のラフマニノフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95

が有名ですね。

62松代:2005/03/11(金) 01:29:19
あえて「どういうわけだかわかりませんが」といっておきますが(まぁ、だいたいの想像はつきますけど)、実写系ペドがやたら熱心に探している作品がアニメとしてリメイクされました。
これで、実写版の上映機会はますます減るでしょうね(´-`)y-~~

http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY200503100400.html
>「ガラスのうさぎ」アニメが完成 全国で上映へ
>東京大空襲などで家族を亡くした少女の戦災体験をつづった児童文学のロングセラー「ガラスのうさぎ」(金の星社)が、終戦60周年に合わせてアニメーション映画になり、10日、都内のホテルで製作発表があった。

63СТАЛКЕР:2005/03/15(火) 18:57:08
プロシミソ系思想家 w.w著『大量パクリ時代の児童萌え作品』抜粋
……現在の社会の支配階級であるオタクが「下らなくても好きな物は好き!!」というイデオロギーを社会に広める以前、児童に対する萌えは「心の中に思いを秘める」という奥ゆかしさと区別できないものだった。
その時代、画家や漫画家は健全な画像を描く傍ら、児童への萌えを込めた画像をしばしば描き、それは普段は机の奥の奥にしまっておかれた。これは萌えへの特別な欲求を満たす儀式の時にだけ取り出され、画像制作者や萌えを共有する少数の人々にとって秘匿されているがゆえの魅惑を持っていた。
そしてオタク階級の勃興によって奥ゆかしさが脇に押しやられると、萌え画像は公共の場に引き出されるようになったが、同時に画像は「原画価値」の礼拝というそれまでにない意味を担うこととなった。というのも、萌え画像の一般化に伴い、画像の粗悪な複製や、萌え画像と同様の線の組み合わせを動かし声を付けるものが新たに作り出されたのだが、それらは元の画像の萌えオリジナリティーのもとに無限後退していく性質を常に帯びていたのである。
この萌えオリジナリティーへの無限後退は「著作権」という概念の元に正当化された。この「著作権」とは、原画制作者が児童から受け取る萌えの印象を、ある線の組み合わせの中に「正しく」統合する在り方の唯一無二性から発生するとされた。
そして萌えオリジナリティーへの無限後退は、実は原画のさらに後ろへ向かっていくのである。これは実物の原画に近づけば近づくほどそれとの距離を感じるという萌えアウラの感覚である。
例えば「原画価値」礼拝時代の巨匠Tの、色紙の上にサインペンで素早く描かれた、二つの円らな瞳の上にもう一つの目のある少年の顔の絵を見てみよう。
この少年はTのトレードマークとなり、莫大な著作権料を生み出したキャラクターの一つであるが、原画において確認できる劣化していない特異な性質は、ただデザイン的な奇異さの印象だけに我々を留めておかない。
その額が誇張された頭の輪郭線の丸みと第三の目を表す円形の筆致との対応関係の「正しい」在り方は、我々に萌えをもたらす「丸み」の対応関係を生み出した、その源泉としての原作者の頭の中の「イデア」にまで、存在論的な原像の後退地点を我々にありありと示すのである。

64СТАЛКЕР:2005/03/15(火) 19:00:45
プロシミソ系思想家 w.w著『大量パクリ時代の児童萌え作品』抜粋 2
ところでこの「原画価値」とそのアウラは、オタク階級のさらなる進出によって皮肉にも消えていく運命にあった。
「下らなくても好きな物は好き!!」という価値観が全面化し、ほかのどんな対立的なイデオロギーをも社会から駆逐するに至ったオタク階級は、児童萌えをより効率的に生産するために萌えオリジナリティーを否定し、パクリを全面的に奨励することになるのである。
こうしてトレースなどの手段により大量生産品となった萌え画像は、かつてのイデアへの後退を指し示すものとしての絵の性質を失うとともに、かつての萌え絵系漫画では遵守されていたストーリーの「起承転結」や「大団円」までをも失うこととなった。
この大量生産品としての画像は、児童への愛情から制作されたという当初の意味から逸脱し、萌えを大量生産するのと同様の手法によって、児童に何らかの虐待を加える画像を生産しながら、この加虐的な心情そのものを大量生産し多くの人々の心の中に植え付けるに至ったのである。
しかしこうしてあらゆる社会階級の人々の心情をコントロールすることに成功したかにみえるオタク階級であるが、その過剰なイメージ生産力が生み出す未来を思い描くことを今では完全に放棄してしまった。かつて「原画価値」礼拝時代にあった、萌え絵漫画の「大団円」は実在の児童の幸福な将来へのヴィジョンと重ね合わされていたのだが、そのような「大団円」のヴィジョンを思い描けない現在のオタク階級はそのかわりにオタク的「日常性」への称揚を始め、ガチャポンやポスターや下敷きや抱き枕などによって、あらゆる手段で萌えの痕跡を自らの住む空間に残そうとしているが、これは明確な未来のビジョンを描けなくなった彼らがかつての「原画価値」時代の大団円へのノスタルジーにすがっているからに過ぎない。
ところでオタク階級の代わりに大団円への新たなヴィジョンを示す資格を持つのはプロシミソ階級である。画像を制作しないにも関わらず、プロシミソ階級は児童への純粋な愛情を込めた、原初的な意味での萌えにもっとも近い人々であり、そのために現在のオタク階級のイメージ生産システムを転覆する可能性を持っている唯一の階級である。
そこで逆説的ではあるが、人々の心情を支配するシステムを握るオタク階級に対抗するには、プロシミソ階級も奥ゆかしさへのこだわりを捨ててパクリによる生産過程のなかに入っていかなくてはならないと私は提案する。一発逆転のためにプロシミソ階級がパクリの対象とすべきなのは「法律」である。かつてオタク階級が「著作権」の萌えのイデアをパクリ技術によって、断片化し、オリジナルによらない数値化できる萌えイデアの複製を大量生産したように、個人間の利害関係から生まれた法律の禁止条項ををパクリ技術によって断片化して読みかえ、大量に複製することで、画像に代わる生産物として、直接個人個人の頭の中に関わるような新たな法律の在り方を作り出すのである。このように児童への愛に基づかない画像を全面的に禁止することですべての萌え作品においても、そして実際の児童の将来に置いても望ましい大団円の未来を再び描けるようにするのがわれわれプロシミソ階級の使命である。

65鳥山仁:2005/03/16(水) 08:50:57
63〜64さん>
 『模倣批判』を『模倣』で行うというアイデアだけでも抜群ですが、きちんとベンヤミンのパロディになっている上に、細部を手直しすればオタク批評や社会活動批評としてそのまま使えるという段階で脱帽です。貴方の才能を認めます。特に『萌えアウラ』を思いついた段階で「勝ち」でしょう。

6663:2005/03/17(木) 01:05:37
鳥山氏>
あまり褒められると、象徴的去勢を経ていない幼児的全能感が(以下略)
とはいえ、丁寧に目を通していただいてありがとうございます。
ご指摘のように「原画価値」や「萌えアウラ」がパロディーの要になっている気がしますが、どちらかというと「萌えの痕
跡」とか「法律をパクリで複製する」あたりのアイディアが頭の中で結びついたのが書き込んだ理由です。
「萌えアウラ」の部分の考えは、パロディーで使った文脈はネガティブなので心苦しいですが、ある意味マジでして…。
(いや、分かるか。)脳内元ネタは『複製技術時代の芸術作品』と同様に、芸術意欲が云々といっているドイツの美術史家
の著作『抽象と感情移入』です。(申し訳ないですが、浸りきっているのでここからも長いです。)
ギリシャ人のように外部の現象世界と調和的な関係が結べなかった諸民族の芸術では、著しい様式化・抽象的傾向がみ
られるが(具体的にはエジプトをはじめとするオリエントや、中世ヨーロッパの芸術)これは現象世界の不安定さから逃
れて、結晶的形体のなかに自己投影して安らぎを得るという欲求からそうなったのである、 というのが主旨なんですが、
これを読んだ後、ベタにもこれが「正解」な萌え絵の定義・様態に当てはまるだろうと思ったわけです。
同様の発想は既出なのかもしれませんが、個人的なこじつけは、鳥山氏がオタクはトランスセクシュアルであるという
論旨から勝手に示唆を受けて(パクって)発想しました。エジプトや中世ヨーロッパの絵画では、世界像の不安定さを存在
論的にカバーするために様式化が行われたのだとすれば、性的な自己像の不安定さを存在論的にカバーする絵画の様式化
があってもいいだろうということです。(断っておきますと、「近代以降の社会において人々の生活は異なる点より共通点
の方がが多い」ので、民族的に作り出す芸術に差があるというところに力点を置いているわけではないです。)
オタク的なものがキャラクター文化の全てではない訳ですが、 以上のような考えを抱くとT塚氏直筆の『三つ目が○る』
が、中世の聖顔布像とダブってしょうがなくなってしまいまして、そのまま言うのもはばかられるが、変化球で出すにはい
い話の流れが このところ来たかと思って……。

6763:2005/03/17(木) 01:46:01
ん?文章が崩れた上に話が中途半端ですね。
それで「存在論的に不安定さをカバーする絵画様式」とはなんぞやという部分が弱いので、同じく芸術意欲云々と言っているベンヤミンの議論も萌え絵に関係させてみたら、あら不思議、おすなでできたやまのなかのとんねるがつながりました、
といった感じだったのです。

68松代:2005/03/17(木) 12:12:42
>63さん
いやぁ、そこまでご謙遜なさらずともよいのでは?
はっきりいって、伊藤どころか東よりもよほどわかりやすくて、正鵠を射た分析だと思いますよ。
いや、多木浩二よりもよほどベニヤミンを「精読」しておられるのでは?

ベニヤミンの著述は確かに晦渋で読解困難ですけど、多木浩二をはじめとして、解説者と称する人物が「自説を補強する出汁に使う」ことがあまりにも鼻につきますね。
ただ、伊藤や東、多木のいずれも、自らのセクシャルアイデンティティを否定的に捉え、かつ「保守的なジェンダー価値観を自明としている」のは明らかなので(特に伊藤は二枚舌がひどい)、その辺に「ベニヤミンを『精読できない』鍵」があるのかもしれません。

すばらしい論考なので、ぜひ続けてほしいところです。

69鳥山仁:2005/03/17(木) 12:14:37
63さん>
 やられた。ヴォリンガーの抽象芸術→反自然を、オタク風デフォルメ→反自然に置き換えたんですね。言われるまで気付きませんでしたが、確かにその通りでしょう。「ヒトは何故デフォルメをするのか?」のかと問われれば、「現実がキライだから」と答えるわけです。

 まじめに考えるのであれば、ファンシー寄りのデフォルマシオン(比率修正)はアブジェクシオン(おぞましいものの排除)を目的として行われます。そして、アブジェクシオンがファンシーを媒介項としたオタクの「共通」価値観を成立させます。何なら、これを「去勢」と呼んでもそれほど大きな意味的差異はないはずです。そして、これが『萌え』の重要な要素の一つであることに疑いはありません。だから、アブジェクシオンが達成されていれば、それが模倣か否かは問われない、というのがオタクの基本的な流儀ですが、仰るようにそれが『萌えアウラ』を消失させていったんです。

 じゃあ、何でこんなことが起こってしまうのか……ということをウチのスタッフと与太で話していたりするんですけど、どうにも強烈な不能感(もしくは不達成感)が原因じゃないのか、というのが最近の我々の見解だったりします(あくまで見解で、詳細に考察していなくて申し訳なし)。

 つまり、幼少期に「アレも駄目」「コレも駄目」と禁止(タブー)を繰り返されている間に、どうも自分のやりたいことまで禁止されたのが原因で、酷く強い不能感を抱くタイプの人間がいるらしいんですよ。そして、不能感が恒常的になったら、去勢はそれほど恐怖の対象にはならないわけです。むしろ「みんな去勢しろ」になるんじゃないか、というのがウチのスタッフの説で、「あー、そうかもなあ」と思うだけの説得力はあったわけです。

 ただ、私自身が「禁止による不能感」という経験をほとんどしていないので、これが非常に重大な動機になっている、というのは理屈としては分かっても実感が得られないんですね。禁止はただの禁止でしかなく、禁止した人間(まあ、だいたい親とか教師でしょう)に強い感情を持つ気持ちには?となります。

70松代:2005/03/17(木) 12:30:51
>>69
>鳥山さん

蛇足を承知で付け加えると、多木はともかく伊藤や東、カマヤンのいずれも、ものすごい不能感を抱えているのは傍目にも明らかですね。
また、多木についても、本人の著作を見る限り、不能感を抱えているように思えます。
自らのセクシャルアイデンティティを否定的に捉え、かつ「保守的なジェンダー価値観を自明としている」のは、本人が抱えている不能感、あるいは劣等感の表れなのでしょうか?

7163:2005/03/18(金) 14:29:08
松代氏>
お言葉に甘えてベ二ヤミンについて言いたいように言いますと、やはり「屑拾い」としてのベ二ヤミンの文章構成術という
のが重要だと思います。
ベ二ヤミンはとにかくあらゆる文化領域の事柄をクロスオーバーして語っていた、と単純にいうことはできます。しかし
一方で、彼は何か注目するものにぶち当たったとき、美術だったら美術固有の、文学だったら文学固有の志向性のなかに入
り込むということを(少なくとも文章に表す上では)拒否する(断念する)という傾向もありました。ですから彼がぶち当た
って発見するものは、本来は明確な志向性と、それを追求した天才達のイメージ負荷が掛かっている事象についての周辺
情報というべきものです(本の装丁に尋常でない興味を持ていたというのは分かれやすいですね)。そしてぶち当たる在り
方自体はランダムで、無計画で、半ば無意識的で、どうでもいいという心境でもなぜかそれにぶち当たってしまう訳です。
このように周辺情報を集める「癖」をして彼を「屑拾い」と呼ぶわけですが 、ここで彼が徹底しているのは、この「癖」を文章
作法上の 二重の戦略に転化させている点です。
戦略とは第一に、採取された情報はランダムに、天才に関わる志向性の高みとは無関係に発見され、書き留められた断想
の形を取るので、たとえゲーテやらシェークスピアやらを引用したとしても、そのことが直に自説をオーソライズするとい
う意味にはなりません。そして第二は、ここはどうみてもベニヤミンがある事柄に断定的な判断を下しているだろう、という
ような記述部分も、実は拾ってきた在り合わせの「屑」を並べ続けていたら偶然そうなったというような、(無意識的な)クロ
ス・レファランスの性格を減じないような文章と同等になるということです(『セントラルパーク』でボードレールの母親
に対する態度を正当化すること一つ取っても、こういう粋が凝らされている訳です。)。
以上の意見は雑読の結果で、ここの掲示板からも強く示唆されており、出典はなんぞやとか追求されると厳しいのですが、
ベニヤミンの論考を比較的一本道に解釈している多木氏の「精読」が、ベ二ヤミンの文章の「志向性」(こういう使い方あるの
かな?)について教えるもの少なだ、とはいっていい気がします。
ところで『複製技術時代の芸術作品』のベ二ヤミンは、こうした言語上の自前の発明が、「映像言語」にも当てはまるんだ
(何気なく撮ったカットが編集という「屑拾い」の過程で重要な意味を持ってくるから?)と強力に主張していて、そのせいで
本人の身の乗り出し加減がすごいんですが、アドルノに「進歩的なチャップリン鑑賞態度なんてない」と諭されるのももっと
もだと思います。

7263:2005/03/19(土) 00:06:28
うう…また文が。パソコン技能がアレなのは明らかですが、話を続けます。申し訳なし。
多木氏に続いて俎上に上っている東氏ですが。まあなんというか、自分もかつて東萌えな傾向がありました。
ただ彼の、どんな新しい作品の意味も象徴界の均衡と生理学的な直接性に還元する姿勢はついていき兼ねるものがありました。
オタク文化のようなものも、社会変動の深層に切り込んだ思想家の論考と合わせて見ればその芸術的深さがよく分かる、というあおりにノコノコ付いていくと、抵抗不可能なすり込み現象やら、パブロフの犬的反射やらの顕在化につれて、作品の「質」の問題が切りつめられていくのに出会うわけです。
松代氏が現代美術についてちょっと触れていましたが、結びつきの必然性のないものを結びつけてゼロサムゲームに仕立て上げようとする手法にはウンザリです。
また象徴界の均衡と生理的な直接性の均衡という話で、個人的に思い浮かんでくるのは某『無限のリ○ァイアス』というアニメです。
あの物語では、全然関係のなかった人々が不可抗力で運命を共にさせられ、宇宙環境の厳しさやら、宇宙船内システムの次第に増えていく不備やらで、各人が避けがたく似たような環境の負荷を受け、共同幻想が生まれたり、友情や恋愛のきっかけが生まれたりと二つの条件が上手く合わさっていくのですが、この溢れ出るマチズモ感はなんなんだろうと考えてしまいます。

7363:2005/03/19(土) 00:13:13
訂正:生理的な直接性の均衡→生理的な直接性との関連づけ
です。

74松代:2005/03/20(日) 12:23:07
>>71-73
>63さん

持ち上げるわけではありませんが、やっぱり多木よりもよほどベニヤミンを的確に捉えておいでのように思えます。
東については、激しく同意しつつ、マチズモ感というところが自分の爆笑つぼを「スイカを割っちゃうような勢いで連打」して、立ち直れなくなるところでした。

もし、ごく表面的にベニヤミンを読み取ったなら、本筋から派生した周辺情報ばかりをフェティッシュに追求し、本筋に対しては「適当にお茶を濁している」にもかかわらず、なぜか「物事の本質を突いている」かのように受け取ってしまうのではないでしょうか?
これは、63氏も指摘している「屑拾い」としてのベ二ヤミンの文章構成術が大きく作用しているのですが、この辺が「本質はディティールに宿る」式の解釈論を経て、脱構築論へつながったような気もしなくはないのですが、デリダは斜め読み途中で投げ捨てたため、あくまでもなんとなくそう思ったレベルの話です。

いずれにしても、ベニヤミン的文化領域のクロスオーバーと、周辺情報にこだわる(ように見える)態度と、そしてランダムかつ無計画で半ば無意識的なところは、本来なら「激しくオタクウケ」しそうな要素なのですけど、まぁベニヤミンと正面から取っ組むオタクはそんなにいませんな。
とはいえ、岡田は「オタク学」に上記の要素を上手く取り入れ(ちゅうかいただいて)、上手いこと一山当てたのですから、ベニヤミンとオタクとの相性は悪くないと思います。
また、雑学に長けた人間が衒学的で晦渋な物言いをすると、まるで『筆者が「屑拾い」としてのベニヤミン的文章構成術を駆使している』かのごとく、読者が勝手に誤読してくれる可能性もありますからね。
でまぁ、その辺を悪用しようとしたにもかかわらず、衒学的な物言いが身につかず単なるいやみになっちゃったのが唐沢で、わかりやすくして一山当てたけど生来の人のよさもあいまっていまいち権威化で来ていないのが荒俣氏という感じかな〜と、これまたぼんやり考えています。

7563:2005/03/21(月) 00:41:52
鳥山氏>
コミケなどについて、それこそ大塚氏とかの説が一般化した後あたりしか自分は知らないですし、積極的なコミットメントをしたわけではないので、禁止を他人に求める態度とかは、性格が違うかどうか以前に知見が少ないです。
ですので返事も蛇足になりそうですが、 69のレスでは共通価値観が発生したという事実にウェイトを掛けて「萌え」に言及していらっしゃると思います。つまり半分はアブジェクシオンを認めることで、もう半分はある価値観から派生した虚栄の生活に所属するという意味で「萌え」がキーワードになるという感じでしょうか?
ただ去勢を他者に押しつけるというは、萌えパクリ関連ではないですが、萌えのゴッドファーザーたる駿氏にも当てはまると思います。彼は戦争とは「国家がその最大限の機能を発揮している状態である」(うろ覚え。)とか語っていましたが、『千と〜』その他を見る限り、「最大限の機能を果たしている共同体のなかで、自分なりの役割を果たせれば、あらゆる不能感から解放される」という文脈で言ったと思うしかありません。こういうのがある種の「プロテスタンティズムの倫理」みたいな符丁を日本のアニメ好きにもたらしていると思うので、パクリが内輪で通用したらしたで、そういう追求自体が業界を格上げする、みたいな目的論があってもおかしくなさそうです。

76鳥山仁:2005/03/21(月) 03:02:57
63さん>
 その考え方であっていると思います。つまり、共通価値観というのは「特定者を皆で排除する行為を通じて同一化を図る」ことによって発生します。例えば、制服を着るという行為は、制服着用者以外の人間を「排除する」ことによって、制服着用者同士を「共通化させる」わけです。

 そして、この過程にタブーの侵犯が加わっていれば、共通化はより一層強固なモノになります。何故なら、タブーというのは理由はどうであれ「AとBを区分するためのルール」だからです。従って、タブーの侵犯は区分の破壊に他ならず、これが必然的に同一化(と新たな区分)をもたらします。

 共通価値観としての『萌え』もこの例外ではなく、「何が萌えなのか?」という問いかけにはなかなか答えられなくても(これは個々で異なる場合がある)、「何が萌えではないか?」には比較的簡単に答えられるわけです(これは排除したモノだから一緒)。評論家はこの点をしょっちゅう見落としがちですが、考察すべきは「萌えとは何なのか?」ではなく「萌えは何を排除したのか?」や「萌えはどのようなタブーを侵犯したのか?」でしょう。

 宮崎事件以降の『オタク』という共通価値観が排除したのは精神病でした。「宮崎はただの頭のおかしい人間ではないのか? そして、宮崎と行動パターンが似ている人間も同様ではないのか?」という疑問は、宮崎を心神喪失で無罪にしたくない警察にとっても、放送コードに引っかかるので「キチガイ」という単語が使えなかったマスコミにとっても、そして自分達が病気だと認めたくなかった(あるいは病識がなかった)オタク当人達にとってもタブーだったわけです。しかし、その理由はそれぞれ異なっていたので、なかなか「オタク」という単語の持つ真意は伝わらず、宮崎が逮捕後に速攻で精神鑑定を受けたという事実は無かったことか、非常に軽いモノとして流されてしまいました。

 『萌え』にも同様の経緯があるはずですが、この件に関しては私が真剣に追いかけていなかったので、「よく解らない」としか答えようがありません。しかし、仮に「分かった」としても、萌えてる人達にとってはあんまり嬉しい話じゃないでしょうね。

 評論といえども商売なわけで、「実は萌えてる人達はセレクテッド・ピープルだったのです」という結論を出さなければカネはとれません。それが嫌だから「評論はしないよ」と言ってるんですけどね……クライアントに分からず屋が多くて困ります。

77鳥山仁:2005/03/21(月) 03:15:32
 おっと……文章が抜けてました。これじゃすっ飛ばしすぎですな。
以下は追加です。

 『オタク』という単語は精神病という単語を排除しつつ、「精神病患者を攻撃する」というタブーの侵犯を可能にしました。すなわち、「あいつはキチガイだ」と言えないところを、「あいつはオタクだ」と言い換えることで、同義にすることに成功したんですね。後で同じような単語として「引きこもり」が使われるようになりましたが、そのお陰で『オタクのアウラ』は輝きを失ってしまったワケです。

78СТАЛКЕР:2005/03/23(水) 13:43:18
「自らのセクシャルアイデンティティを否定的に捉え、かつ『保守的なジェンダー価値観を自明としている』」オタクが自らのオタク趣味を肯定するためにはマチズモは不可欠な要素なのかなあ、などとよく知りもしないのに言ってみるテスト。
ベニヤミンの手法ってよく考えると学生自分にレポート書くためにあっちこっちから拾い集めた断片をつぎはぎしたのに似ているなあ。評価が低かったのはあまりにも浅学で付け焼刃だったためでしょう。

79鳥山仁:2005/03/24(木) 04:45:57
78さん>
 承認欲求の観点から考えてください。男性「だけ」に承認されるよりも、男性からも女性からも承認されたほうが、より大きな承認欲求を満たせる「期待値」が高いと考えるのが普通ではないでしょうか? そして、男性が自己のセクシャルアイデンティティを否定するということは、
1:男性像そのものに違和感がある
2:自分自身が理想とする男性像と乖離しすぎている
のいずれか、もしくは両方であるわけです。

 話は変わりますが、現代日本人はマッチョの十分条件として「知性がないこと」=反知性をあげない傾向があるような気がします。鎌倉時代の武士が「和歌や蹴鞠をすること」を軽蔑し、武道に邁進していた頃とは相当違っていて(もちろん、今でもそういう人達はいますが)面白いですね。

 また、知り合いの女性編集者がことあるごとに「男は馬鹿だ」と言っているのを聞くと、なんでマチズモの要件に反知性が含まれていったのかの、別の側面がおぼろげながら理解できて楽しいです。頭のいいオトコがいると困るオンナがいるんでしょう。だから、フェミニストの存在は本人の意図しないところで保守的なジェンダーをリコンストラクションする役割を果たしているんですが、本人達にその自覚がないのがナントモですな。要するに、女でもマッチョになれるってことです。

80СТАЛКЕР:2005/03/25(金) 17:59:23
太田房江とか田島陽子ってマッチョだよな。

81СТАЛКЕР:2005/03/26(土) 11:05:09
やはり一部の人にとって、政治と宗教に関われば関わるほど犯罪を起こす確率が高くなるというのは事実です。犯罪者本人や、一般人の中にも、「政治と宗教があるから、自分は本当の罪を犯さないでいられるのだ」と言い張る人がいますが、それは全くウソなのです。犯罪の予防という観点からも、やはり政治と宗教の規制は必要だ、というのが私たちの結論です。

82СТАЛКЕР:2005/03/26(土) 12:43:18
やはり一部の人にとって、○○○に関われば関わるほど×××確率が高くなるというのは事実です。×××本人や、一般人の中にも、「○○○があるから、自分は×××ないでいられるのだ」と言い張る人がいますが、それは全くウソなのです。×××の予防という観点からも、やはり○○○の規制は必要だ、というのが私たちの結論です。

83СТАЛКЕР:2005/03/27(日) 23:48:19
>話は変わりますが、現代日本人はマッチョの十分条件として「知性がないこと」=反知性をあげない傾向があるような気がします。

知的でない、はマッチョの必要条件とは思うけど、十分条件とは思えないな。
ひよわなおバカさんはマッチョではないでしょ。

84鳥山仁:2005/03/28(月) 10:33:10
80さん>
 後は斉藤美奈子もね。『紅一点論』で特撮系オタクのヒトも知ってるでしょ? 最近は特撮モノもヒロインの人数が増えて崩れちゃったし、それ以前から格闘技ゲームでは崩れていたんですけどね。馬鹿が馬鹿に「馬鹿」というとろうなるかを我々に教えてくれた、唐沢チェンチェイと同じ程度に素敵なヒトですな。

85鳥山仁:2005/03/28(月) 10:44:44
83さん>
 うーん。シド・ヴィシャスのような例があるから、ひ弱=マッチョではない、に関してもちょい疑問です。つまり、か弱くても痛みに対して異常な耐性があればマチズモは成立します。シドのお師匠さん(?)であるジョニー・サンダースもこの手合いで、洋物ロックの有名人の何割かはこういう役柄に収まっていたいたような気がします。でも、ステレオタイプという意味では仰る通りでしょう。

 それから、あの書き込み後にちょいと考えたら、日本では学校制度の枠内で『文化系』と『体育会系』という区分をしていたんですね。すっかり失念していました。

86松代:2005/03/28(月) 12:37:30
マチズモ問題はジェンダースタディーの「@肝」みたいな部分なので、騙り始めると(誤変換じゃなくって、本当にみんな「騙って」いるんだよね)きりがなくなります。
ちゅうか、ジェンダースタディーそのものが、マチズモなどの「アメリカ宗教電波世界を自明とした男女」による『自分語り』なので、他の文化圏に住む人間にとっては「騙り」の要素が濃くなってしまうのでしょう。

というわけなので、マチズモを考える際に「アメリカの反知性主義」という要素は必要不可欠なので、反知性主義を回避している論考にはあまり意味があるとは思えません。そして、浅学無頼のマッチョ人間である松代は、少なくとも日本語で読めるジェンダースタディー論考において、アメリカの反知性主義をメインフレームに組み込んだ論考に触れたためしがなく、ジェンダースタディーは「騙り」だと思い込んでいるのでありました。

ついでに言っとくと、マチズモについてはその文化圏における「武官と文官の役割分担」も大きな影響を与えていて、その意味では近世以降の日本では「武士と呼ばれた戦士集団の行政官僚化」が進んだことと、近現代におけるアメリカ政治の特徴として「軍人政治家の台頭による政治家の戦士化」が表面化したことについても、論考の際には避けて遠れないでしょう。
特に興味深いのは日本における戦士集団の行政官僚化で、例えば武侠小説に代表される中華文化圏における「漢」が極端なまでにマッチョ化されていることや、武侠小説の源流とされる三国志演義(演義だよ、正史じゃないからな)や水滸伝における文官、軍師の描写などにも、知性とマッチョを対立的概念として捉えているふしが見受けられます。
これは、映像作品における諸葛孔明の描写などに顕著で、日本では「鋭さ」や「しなやかさ」を孔明のキャラクター要素として重視しますが、中国では「磊落さ」や「天衣無縫さ」を前面に出した孔明像を作り上げていて、軍師と言うよりはマッチョだったりします。
対する日本では、真田親子や毛利元就、羽柴秀吉のような奇計機略を駆使する武将をも「漢」として尊びますが、中国では奇計機略を忌む風潮もあり、少なくともマチズモ的には退けられがちな要素といえましょう。
欧州ではどうかというと、これまた頭の悪いヒーローがてんこ盛りで、ドイツのバルバロッサにしてもイギリスのライオンハートにしても頭の悪さ全開ですな。
微妙にマニアックな話になりますが、体格的には華奢だったジョルジュ・ギヌメールがヒーローとして賛美されるにもかかわらず、比較的体格がよくて顔もごつかったルネ・フォンクがヒーロー足り得ないのは、彼が自著「私の戦争」において独自の空戦理論を展開したことと、いささか陰惨な戦いぶりが影響していたとはいえないでしょうか?
そういや、神経質で人間嫌いの大リヒトフォーヘンにやはり理屈屋のベルケより、気障でお茶目なゲーリンクやウーデットの方がヒーロー視されたのも、その辺の事情があったように思えます。

少なくとも、理屈屋で効率重視のエースは、マッチョ的に扱いづらい存在のようです。

87松代:2005/03/28(月) 12:47:46
文の順序がおかしいから、さすがに訂正しておきます。

特に興味深いのは日本における戦士集団の行政官僚化で、例えば日本では、真田親子や毛利元就、羽柴秀吉のような奇計機略を駆使する武将をも「漢」として尊びますが、東洋文化圏の親玉である中国では奇計機略を忌む風潮もあり、少なくともマチズモ的には退けられがちな要素といえましょう。
対する中国では、武侠小説に代表される中華文化圏における「漢」が極端なまでにマッチョ化されていることや、武侠小説の源流とされる三国志演義(演義だよ、正史じゃないからな)や水滸伝における文官、軍師の描写などにも、知性とマッチョを対立的概念として捉えているふしが見受けられます。
これは、映像作品における諸葛孔明の描写などに顕著で、日本では「鋭さ」や「しなやかさ」を孔明のキャラクター要素として重視しますが、中国では「磊落さ」や「天衣無縫さ」を前面に出した孔明像を作り上げていて、軍師と言うよりはマッチョだったりします。

88СТАЛКЕР:2005/03/28(月) 19:19:43
日本の場合は、戦士集団の行政官僚化の前に武士(武)の上位概念(でいいのかな)
として朝廷(文)が長らくあったことも大きいんではないでしょうか?
地方武士の都文化への憧れはそうとう強くて、都落ちした貴族なんかが大事にされ
されましたし。それが、行政官僚化→貴族化へ進ませたのかも。
鎌倉武士も教養としての和歌は大事にしましたし、室町になると茶道ですよね。
なんとなく「頭の悪いのは恥ずかしい」とか「相手にされない」とかいう風潮が根
強かったのかも知れないですね。
マッチョ化したのはやはり幕末から明治にかけてということなのかなあ。
薩長の影響で。乱暴な意見ですいません。

8988:2005/03/28(月) 19:25:38
ああ、すいません。上のマッチョ化というのは反知性的という意味で使ってしまいました。

9063:2005/03/30(水) 16:53:44
74<
松代氏<

激しくレスが遅れました。「マチズモ」って他の表記よりいい語感があるので狭い知人のあいだ(私を含めて二人)ではこういうのが慣習となっております。

>>岡田は「オタク学」に上記の要素を上手く取り入れ(ちゅうかいただいて)、上手いこと一山当てたのですから、ベニヤミンとオタクとの相性は悪くないと思います。

たしか『オタク学入門』では「クズとして打ち捨てられたものに価値を見出すことは価値の創造である」というようなことが書いてあるそうですね(未読なので伝聞)。パロディー化してますます感じましたが、ベニヤミンの議論で主題となるものはいくらでも交換可能であり、その意味ではマンガ/オタク的モティーフをそこに当てはめて多様な理論展開が期待できそうです。ただベニヤミンのコアな部分は「これからのオタクミドルのための悪食入門」というニュアンスにもっていくより、論争相手を明確に措定してこそ輝くという感じがあり、個人的にはそこらへんでつっこみ足りない部分があるのかなと。

話は飛びますが、70年代末、新表現主義(きーふぁー・くれめんてetc)というものが(ドイツ・イタリア発で)国際アートシーンに鳴り物入りであらわれ、 アメリカでの紹介時に否定派・肯定派に分かれた大論争(コップの中の嵐?)が繰り広げられるということがありました。個人的に興味があってそこらへんの論考を読むと、なぜか否定・肯定のどっちのポジションの人もベニヤミンを引用しつつ 、「非イデオロギー的な」自身の現代美術分析を誇示しておりました。それで当の論考自体は腑に落ちなくても、変な文章のベニヤミンがなぜ重用されるのか何となく分かったことがありました。ですから相手が激しくツっこんでくれないと、ボケ損というところがあるかもしれません(荒俣氏はケンカ腰でないのでボケ倒し?)。ただの印象論ですが。

9163:2005/03/31(木) 15:32:58
追加 水曜日に偶然『スクール ランブル』というアニメの最終回を見たんですが、演出法が、「抽象と感情移入」的な方式でバッチリ組み立てられてるなあと思いました。あそこまでやられると,まったく斜めにならず没入できます(笑)。

つづいて後番組の『ブリーチ』も見て…、何というか原作は「様式の終局的な倒錯は、全般にわたる死姦であって、まもなくその倒錯は、それが関与している正常なもの、すなわち音楽の慣習のなかに第二の自然として沈殿したものと、もはや区別できなくなる」(『新音楽の哲学』)的なものですよね(音楽じゃないけど)。ところが優秀なアニメーターに変奏されると、個々のキャラクターの「オリジナリティー」が息を吹き返してきて…ある意味『オーシャンズ12』状態の豪華キャストで楽しめました(笑)。

ところで大塚英志氏がマンガ表現は「記号的なもの」と「リアリズム的なもの」とのせめぎ合いで成り立っていると書いていました。彼が「記号的」とされるところのものにばかり「伝統」を認めて、「リアリズム的」と評されるところのものにそれを認めないのには違和感を感じざるを得ないんですが、ふと気づくと、近年日本マンガの「アメコミ」的リアル化が著しく進行したと思いまして、個人的には詳しくないのですが、「萌え」だけでなく、こっちの領域でもパクリはすさまじいことになっているのでしょうか?

9263:2005/04/01(金) 11:49:14
76
鳥山氏< レス間隔が間延びして申し訳なし。
>そして、この過程にタブーの侵犯が加わっていれば、共通化はより一層強固なモノになります。何故なら、タブーというのは理由はどうであれ「AとBを区分するためのルール」だからです。
駿氏云々はちょっと漠然とした話だったのですが、言われてみるとたしかに、タブー侵犯が共通価値観のうえにさらに太い結びつきを作る、という図式が浮かんできますね。


>考察すべきは「萌えとは何なのか?」ではなく「萌えは何を排除したのか?」や「萌えはどのようなタブーを侵犯したのか?」でしょう
激しく同意です。「何が萌えなのか」 は、元祖的なマンガ家でも一定ではないし、ましてや萌えアウラ的なものを度外視して、個々人が所与の形式としたものにあてはまる「萌え」の基準を作り出そうとすれば、それこそ無限に妥当する範囲は広がりますよね。それでは「すべての牛が黒く見える闇夜」(?)を相手にしているようなものですし、「何を排除したのか?」 が、客観的な価値成立の契機を説明するのに必要なのは確かでしょう。

横レスですが、
>シド・ヴィシャスのような例があるから、ひ弱=マッチョではない、に関してもちょい疑問です。
カウボーイにケンカ売られて、ステーキ代わりに(自分の)手の甲を切っちゃうというのがありましたね。ジョニサンもドラッグ漬けのやせ我慢の人だったんですね…。ところで痛みに強いというとクボヅカーもこの手合い?

9363:2005/04/01(金) 11:57:32
あ、返答相手の名前のあとは< じゃなくて > です。失礼。(^^;

94СТАЛКЕР:2005/04/01(金) 15:55:20
芸大で漫画が教えられるようになったら「パクリ」なる批判が「アカデミックで無味乾燥」に取って代わるのか知らん

95松代:2005/04/04(月) 12:17:35
多忙を免罪符にしてはならないのですが、忙しいものはやはり忙しい…
というわけで、ねたをいくつか…

http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20050331104.html
>アップル製品と「模倣」の文化
>せっかく真似をしたのだから、Super Shuffleのように、本物よりも秀でたところがあればいいのだが、必ずしもそうとは限らないようだ。上のLLUON社製PCは後日、本物の方が断然いいという話の引き合いに再び登場する。

96松代:2005/04/04(月) 12:23:50
模倣といえば、日本代表DFの宮本は、顔で俳優の高橋幸治(代表作:ゴジラ対ビオランテ)を模倣している。
模倣といえば、日本代表FWの鈴木は、顔で家族会の蓮池兄(代表作:奪還)を模倣している。
模倣といえば、浦和レッズMFの鈴木啓太は、顔で俳優の宮迫(代表作:雨上がり決死隊)を模倣している。

97松代:2005/04/04(月) 12:40:15
連想ゲーム的な雑感で申し訳ないのですが…

>話は飛びますが、70年代末、新表現主義(きーふぁー・くれめんてetc)というものが(ドイツ・イタリア発で)国際アートシーンに鳴り物入りであらわれ、 アメリカでの紹介時に否定派・肯定派に分かれた大論争(コップの中の嵐?)が繰り広げられるということがありました。

自分は、新しい美術史(ニュー・アート・ヒストリー)を思い出しました。こいつもまたドイツからアメリカに流入して、1970年代から80年代にかけて隆盛した、イデオロギー的な背景を持つ議論でしたね。
まぁ、その後は社会学と歴史学的な検討手法を美術史に持ち込んだことだけが生き延びて、全体的な潮流としては「すっかり過去の議論」となってしまったような感がありますけど、それこそ当時は「そういう時代文脈」が存在していたのでしょうかねぇ?

>ところで大塚英志氏がマンガ表現は「記号的なもの」と「リアリズム的なもの」とのせめぎ合いで成り立っていると書いていました。彼が「記号的」とされるところのものにばかり「伝統」を認めて、「リアリズム的」と評されるところのものにそれを認めないのには違和感を感じざるを得ないんですが、

まったく同意です。ちゅうか、どこぞの団体がのたまった「マンガ記号論」なるものの胡散臭を、まったく簡潔に表現していて脱帽ものですよ。
時間を見つけて、この辺の話は続けたいですね。

>ふと気づくと、近年日本マンガの「アメコミ」的リアル化が著しく進行したと思いまして、個人的には詳しくないのですが、「萌え」だけでなく、こっちの領域でもパクリはすさまじいことになっているのでしょうか?

いやぁ、とにかくすごいパクリ具合っすよ。
特に大きな影響を与えたのは、ご存知「アレックス・ロス」大先生なのですが、ミニョーラやトッドも盛大にパクられました。
おまけに、ミニョーラやトッドが日本マンガ愛好者で、日本マンガからの影響を肯定しているのをいいことに、パクッタ側が彼らの発掘、あるいは再構築した部分まで「日本が本家」みたいなことを言ってるあたり、なんともやるせないものを感じます。
まぁ、これが「脱構築」だのなんだのを振り回わさずに、オタク=高等遊民的な自認をしてない連中ならまだ可愛げもあろうものですが、そういう連中に限ってアメコミ作家のオリジナリティを全否定しようとするんだから、ほんとにいい気なものですね。

98松代:2005/04/04(月) 12:42:35
>>97は63氏への返答です。
不注意で申し訳なし。

99鳥山仁:2005/04/05(火) 11:18:08
63さん>
 遅レスはお気になさらずに。私も〆切間際には、どうしてもレスが遅れるので、誰かを責めたら自分も責めねばなりません。

 宮崎駿の件に関してですが、残念ながら手元に『宮崎駿の雑想ノート』しかないので即断するのが危険なのですが、恐らく彼にとって「トータル・ウォーというのは階級社会と国家主義を乗り越える有効な手段である」と認知されているんでしょう。特に、スペイン共和国に対して哀悼の意を表しているところからも、この手の妄想を抱いていることが読みとれます。

 これは第1次大戦後のドイツで、社会主義の影響を受けた人間にありがちな発想で、根底には戦争の機械化があります。つまり、南北戦争から第2次世界大戦までの期間というのは、兵器としての機械が発達していった時期で、国家の保有する工業生産力が戦争における勝敗を決する時代に突入したことを意味していました。そして、機械を作るのも戦争をするのも国民であって、元首とか上流階級の人達ではないわけです。

 つまり、それ以前の戦争のように、支配階級がカネを支払って傭兵を集めても、封建社会における武士、騎士階級が集まっても、国民国家の軍隊には太刀打ちできなくなっていたんです。これは、階級社会におけるタブーの侵犯を意味しました。だから、ユートピア妄想と戦争がくっついてしまうんですね。

 ところが、宮崎の場合(というか、高畑も彼らのプロデューサーを務めた故・徳間もそうですが)、支配階級には資本家も含まれる、と考えるので現実との乖離を招きます。イラク戦争の時に、同じ類の人間が電波をかっ飛ばしていましたが、「何でそこまで現実を直視せずに済ませられるんだ?」と不思議な気持ちにさせられたものです。「国民みな公務員」という社会を理想としない限り、アウトソーシングを利益誘導だとは考えられないはずなんです。

 ただし、スペイン内戦に国際義勇軍として参加した人間の中でも、ヘミングウェイは最後まで現実が直視できませんでしたし、ジョージ・オーウェルが完全な(?)正気に返ったのは『ウィガン波止場への道』を書いた頃ですから、疎外感を抱えている人間にとって、そうしたシチュエーションというのは非常に魅力的なんでしょう。

 それにしても、オーウェルが『ウィガン波止場への道』で描いて見せた社会主義者像はヒトラーにうり二つで寒気を催します。もちろん、オーウェル本人もヒトラーを意識していたんでしょうが……。

100鳥山仁:2005/04/30(土) 12:04:59
http://www.foxjapan.com/movies/kingdomofheaven/

 『映画秘宝』の町山智浩が『ブラックホークダウン』でリドリースコット監督を叩いてるのを見て、「黒澤明を軍国主義的だと叩いていた左よりの評論家にそっくりになっちまったなあ」と思っていたんですが、とうとうリドリースコットの方が黒澤化してしまいました。というか、シナリオも画面構成も黒澤を超えた可能性すらあります。『エイリアン』や『ブレードランナー』の監督として80年代のオタクに絶大な影響力を及ぼしたリドリーが、ついにここまで来たかと思うと感慨深いですな。テーマが十字軍で、敵役のイスラム教徒をこれほど格好良く描ききった点も高評化。問題は、この作品が日本でヒットするかどうかなんですが……。


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