■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■

日記?
1 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:09
都条例も児ポ法も無風状態になったので、
ちょこちょこ付けていた日記を公開。
暇な方はどうぞ。
中身は全然ありません。
ただし、内容がプライバシーに抵触する部分が多々あるので、
正確な日付や個人を特定できる氏名は削ってます。

2 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:10
某月某日
 10年近く付き合いのある某漫画家さんと電話で会話。エロゲー制作に関するノウハウを交換する。その際、人間関係について話題が及ぶと、彼が「俺は漫画家になるまで、頭のおかしい奴と知り合いになったことって無かったんだよね。でも、この業界に入ったら、そういう奴としか会わないんだけど、仁はどう思う?」と尋ねてきたので、「俺の会った漫画家の半分以上は精神病患者か精神障害者で、しかもほとんどの奴に病識がありません」と即答する。事実なんだから仕方ない。

 余談になるが、編集者やライターもやや低い割合だが、やっぱり精神病患者、精神障害者が多い。この業界に入って一番後悔したのは、医学部に進学して精神科医にならなかったことだ。この点に関しては、某出版社の専務と意見が一致しているのだが、本当に大失敗だった。今ごろ、法の不備をついて(日本の精神医療は、行政の指示によって法律が堂々と破られている)大金持ちになっていたかもしれなかったのに残念だ。

 救いがあるとすれば、精神病患者だった養父と20年以上もつき合っていたお陰で、彼らに嫌悪感を抱くこともなければ、次にどうなるかも大体見当がつくことぐらいだろう。
頭が病気の人間は行動がパターン化しているから、次のアクションがかなりの確率で予想できる。

 正常な人間には多様性があるが、病気の人間にはそれがない。しかし、病気の人間に限って多様性を主張する。「正常なんか無い」とか「普通などというものは存在しない」とか「常識に囚われるな」とか「固定観念は良くない」とか「レッテル貼りをするな」とかは、精神病患者、精神障害者の常套句で対応に困る。

 「お前に常識がないだけだよ。何故なら、お前は精神病だから」とは、さすがの私も面と向かっては言う勇気はない。だから、隠喩で表現してみたりするのだが、病気の奴にはそれも解らない。特に分裂病=統合失調症の患者や病後の障碍を抱えている人間にその傾向が強く、仕方がないので「いいから頭の病院に行け」とダイレクトに伝えると、酷く傷ついたり「法的に訴えてやる」と息巻いたりするのだから始末に負えぬ。

 そういう次第で、病識のない病人は手遅れになるまで放置するしかない。何年も治療をしなければ、後から慌てて向精神薬を飲んだって、そう簡単には治りはしないのだが(これは他の病気と一緒である)、そんなものは「俺は病気じゃない」と不思議な呪文を唱えて続けていた本人の責任である。

 ちなみに、年をとって病気が末期までくると、自分で自分の人間関係を破壊して回るから、人生のゴールは家族に煙たがられながら精神病院への入退院、もしくは通院を続けるか、閉鎖病棟に入ったきりになるか、自殺するか、ホームレスになってフェイドアウトのいずれかになる。少数の例外として、とてつもない罪を犯して刑務所入りというケースもあるが、これは閉鎖病棟の変形だろう。作家の見沢知廉によると、刑務所にはこの手の輩がうようよいるらしい。

 選択肢の少なさは病気故である。そして、そのシンプルさはエロゲーの選択肢に類似する。だいたいエンディングが4種類あって、一定のフラグが立てば特例として犯罪者エンドに移行、というところだろう。面白そうだから、次作のゲームに取り入れるのはどうだろう? 

 会話中の選択肢を選んでいくと、どんどん精神病パラメーターが蓄積されてエンディングの種類が決まる、というシステムにすれば簡単にできそうだ。恐ろしいのは、たぶん完成したゲームは現実とそんなに変わりはないことで、「現実とゲームのどこに違いがあるんですか?」と訊かれたら、やっぱり対応に困る。何か良い言い訳はないものか。

3 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:11
某月某日
 知り合いの編集者にパニック障害発生。出社が不可能になる。前から病気に対する自覚もあったし、医者から薬も貰っていたのだが、仕事の疲労が蓄積されてのダウンだったらしい。

 出社が不可能になる前に、SSRI系の向精神薬(パキシル)を医師から貰っておいた方が良いというアドバイスをしており、本人がダウン直前に入手していたのが救いだが、効果が出るまで大体1週間から2週間はかかるので、それまでの作業を誰が担当するかは難しい問題だろう。出社ができるようになったら行動療法も薦めるつもりだが、SSRI系の薬物が効果を発揮しなければ、それも難しいかもしれない。

 ちなみに、パニック障害は鬱病と並んで、「意志の力で病気を治した」と患者が主張するケースが多い精神病だが、もちろん単なる病人の世迷いごとで再発率が異常に高い。つまり、病態が軽度な状況を治ったと誤認しているだけである。一説によると、鬱病は糖尿病なようなもので、一度罹ったら二度と治らない可能性があるらしい。

 この「意志の力で病気を治した」という話は、出版業界に入って既に30回ぐらい聞いたが、「常識に捕らわれるな」と並んでリアクションに苦慮する発言だ。「それは錯覚だよ。錯覚しているのは、お前が病気だから」とは言いづらく、相手が言い抜けできないほど病態が悪化している時に言うしかない………のだが、なんだかそれも水に落ちた犬を棒で叩いているようでスッキリしない。「いいから頭の病院へ行け」以外の何か良い台詞はないものか。

4 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:12
某月某日
 15年来の知人で、漫画家兼CGクリエイターと電話で会話。この人はパニック障害+抑鬱神経症で、それを神経性腸炎だと誤認し続けていた。お腹の具合が悪いので外に出たら漏らしてしまうかもしれない。それが恐いから外に出られない、と主張していたのである。違うだろう。

 幸いなことに、最近では心療内科に通院して投薬治療を受けている模様。ただし、相変わらずの部分もあって、編集者の商業的、あるいは技術的要求を、感情的な対立と捉える悪癖がなかなか治らない。

 私も何度かこれを絵描きに喰らったことがあるが、相手にする方はたまったモンじゃ無い。対抗策として、これをやられたら問答無用でブラックリストを流すことにしている。こっちはクライアントであって、医者でもましてやファンでも無い。たとえ頭の病人でも、この点だけはハッキリさせておかないと、私の精神状態が悪化するから徹底的にやることは堅く心に決めてある。もちろん、相手には言わない。言っても頭の病気だから、抑止力になんぞこれっぽっちもならないからだ。

 件の知人もかなり失礼なことを周囲にやっているのだが、幸いなことに経歴にはそれほど大きなダメージにはなっていない。まだ、やり直せるレベルである。皮肉な話だが、彼と対立したことのある、やっぱり神経症の漫画家は、ほとんどの編集部から縁を切られている。当然だろう。

 これも幸いなことだが、彼は自分の精神的な問題に自覚が出来てきたようで、技術的な要求は技術的な要求でしかなく、それは彼に対する悪感情ではない、と考えるように努めていることだ。

 これが失敗すると、「技術が大切」とか「デッサンが大切」とか「漫画家とは………」とか言い出して、技術力のない人間の話は聞かないと心に決めて、編集者やクライアントを小馬鹿にしだす。そして、人間関係を修復不可能なまでに破壊する。

 精神病が悪化した漫画家に共通するパターンで、「技術が………」とか「デッサンが………」と言ってるヤツは要注意だ。そんな話を、こっちは聞きたい訳じゃない。興味があるのは、面白いか人気のある作品を期日通りに仕上げてくることで、デッサン力なぞどうでも良い。

 そんなにデッサンが大事なら、仕事はレタッチ職人に依頼する。出版業界で最も技術力を要求される職場で、絵描きとしての平均収入も恐らく最も高い。漫画家に仕事が来るのは、編集者がデッサン力や技術力をそれほど重視していない証拠である。大切なのは独創性とストーリーの面白さと売れるファクターがあることで、これは色んな漫画家の募集要項に書いてある通りだ。

 例外はイラストの仕事で、これは確かにデッサン力が要求される。しかし、某自営業大先生を最後に、そんな上手い作家はついぞ見かけない。ジャガーバックスみたいな絵物語、絵図鑑が全盛だった時代の読者は幸いである。失われた時は二度と戻らない。魔女の婆さんに呪われた?

5 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:18
某月某日
 長谷川哲也氏の『ナポレオン』を購入。ここ1〜2年、再発マンガ本とエロ漫画と『勝手に改蔵』以外は購入していなかったから、久方ぶりの新作購入ということになる。

 私の娯楽系マンガの購入基準の重要な要素の一つは、大量の人間が入り乱れて戦っているシーンが、きちんと描かれているかどうかである。『ワイルド7』の作者として有名な 望月三起也先生の話によると、描き手にとってそうしたシーンが最も実力を試されることになるらしい。

 たとえば、サッカーマンガなどがその典型で、試合シーンを描こうとすると、2チーム合計22人のポジション把握、及びに顔や体格の描き分けを行わななければならなくなるし、それができる作家は「手を抜いていない」ということになるのだそうだ。

 私の少ないマンガ読書歴に照らし合わせても、望月氏の意見には説得力があるように思われる。長谷川氏は能力に見合わぬ不当な評価を受けてきた作家の一人なので、これを転機として世間に認知されると良いのだが………ナポレオニックは軍事マニアの間でもマイナーなテーマだからなあ。それこそ、フランス語版でも出して冊数を稼ぐしかないかもしれない。集団戦闘シーンが描ける作家の数は少なく、特にどおくまんの『暴力大将』・『熱笑!! 花沢高校』後の作品に当たりが無い漫画界で、何とか頑張って仕事を続けて欲しいものだ。

6 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:21
某月某日
 知的障碍者の展覧会に顔を出す。素焼きの造形に優れた作品があったので、購入を打診したが、主催者から「これは売り物ではないので………」とやんわり断られる。家宝にしたいぐらい、センスのある作品だっただけに残念だ。

 猫をかたどった素焼きなのだが、とにかく素晴らしい。胴体は何とか立体を保っているのだが、頭部までは無理だったらしく、煎餅みたいに平坦な顔が首から先に貼りついているのだ。しかも、取り付け位置が微妙にずれている。そのインパクトたるや、夢にまで出てきそうな勢いである。同時に、このアンバランスな感覚は常人には表現不可能なレベルで、本人にも再現可能かどうか甚だ疑わしい。

 こういう展示会はしばしば開催されるのだが、基本的に非営利なのがつくづく惜しまれる。日本でもプリミティブ・アートのジャンルは確立しているはずなんだから、是非営利目的での開催をお願いしたい。誰もが技術的に優れた=イデア(理念、理想)性の高い作品を望んでいるわけではなく、この手の一品には潜在的な需要がある。

 日本では谷内六郎、山下清がその筆頭だし、海外ではアンリ・ルソーやルオーなんかがその代表だろう。非言語的な創作には、必ずしも知性は必要ない。知的障碍者だろうが精神病患者だろうが、インパクトさえあればそれでオッケーである。また、創作とは本来そうした人々が社会にコミットする手段の一つではないだろうか?

 表現規制の問題も、この観点から問い直されるべきだろう。ところが、クリエーターが政治参加しようとすると、必ず自己の高い評価を期待してグチャグチャにされる。馬鹿げているとしか言いようがない。作家は作品を媒介項にして承認を勝ち取るべきであって(それでも、この方法は転倒した欲望に過ぎないのだが)、政治的な理由で評価されるべきではない。

 また、直接的に政治参加する場合は、どこまでも社会的弱者の立場を貫くべきだ。これも政治参加しようとするクリエーターがよく勘違いすることだが、社会的弱者の代弁者としてではなく、本人が社会的弱者として赴くべきだ、ということだ。原則として社会的強者は自分が創作者になったりはしない。プロデューサー、あるいはクライアントとして作業を指揮するものだ。

 数少ない例外がマヤ文明における貴族で、支配階級がイコールで職人だったが、これは中南米地域が大河川を利用した農耕に適しておらず、トウモロコシが主食=貧乏だった為に起こった現象である。他の大文明が花開いた地域では創作活動は被支配階級、特に奴隷の仕事であり、イソップなどはその代表的な存在だった。

 技術職や創作者が支配者になれる、あるいは被支配階級の代弁者になれるというのは、技術者や創作者の妄想に過ぎない。大部分の創作者が代弁しているのは、クライアントの意向に過ぎない。つまり、強者を代弁しているのだ。広告業界が儲かるのは創作の原則に忠実だからである。

 そして、数少ない例外がプリミティブ・アートであり、その作者にはそもそも政治的判断能力がない。だから、技術力が無くとも評価される。ここにイデオロギーが極度に肥大化した現代社会の皮肉がある。

 誰も彼もが政治に参加したいわけではないのに、政治制度を維持する必要性から無理にでも選挙に参加し、国政や地方政治の動向を監視せざるを得ない社会が、果たして健全かどうかは甚だ疑問である。しかし、放置すれば自由や機会平等が確実に失われる。少なくとも、日本ではそうだ。何とかならぬものか。

7 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:23
某月某日
 3年ほど前に知り合いになった、優秀な若手で右翼思想に染まったライターと、今後の仕事の件で会食する。彼もやっぱり強迫神経症で、語源や語意に異常なこだわりをみせる。これが原因でライターになり、ついでに祖先崇拝から右翼に転じているのだが、この手のプロフィールはインテリ右翼に多い。

 「○○の語源は△△だから、正確な意味は××だ」とやりだすのだが、語意や語源は前後の文脈によって変化するものであり、単語のみの意味が問われるのは辞書作成時か前後の文脈で文章を読解できない人間=子どもか精神病患者か異邦人ぐらいで、日常会話とは基本的に無関係である、ということがどうしても解らない。

 案の定というか、会食中に語源話が出てきてうんざりしたのだが、面白かったのはそこから「どうして人を殺してはいけないのか?」という話題に転換した時だった。この質問は、しばしば左翼系の人間から発せられるもので、これを彼が言い出したのも興味深かったが、同時にこの質問が前述の語源語意と同様に、前後の文脈を無視することで初めて成立する、一種の引っかけ問題であることが理解できていなかったことも興味深かった。

 どういうことかというと、殺人が発生した経緯や殺人者の動機=前後の文脈を無視しなければ、この質問は成立しないのである。つまり、殺人者が重度の統合失調症(分裂病)にかかっているか、正当防衛の結果としての殺害であった場合は罪に問えないし、「いけないことだ」とも言えない。また、そうでなければ、罪や悪の意味が失われる。自己の身体や財産を守る目的で敵対者を排除できない社会や、善悪の判断がつかない重度の精神病患者に責任をとらせようと考える社会は異常であり、こうした社会集団に論理的、あるいは経験則に基づく妥当な判断基準があるとも思えない。

 したがって、「どうして人を殺してはいけないのか?」という質問は、回答者をミスリードする目的で発せられるか、発した本人の頭がおかしいかのいずれかで、真剣に討議する必要性が全くない。また、真剣に討議すべき問題だと考えているのだとしたら、そいつの頭もおかしいのだ。もちろん、殺人だけでなく「どうして〜はいけないのか?」という類似の質問全般も同様である。言葉遊びとして謎解きに挑戦するのは悪くないが、現実を反映していると思っているヤツは正気じゃない。

 繰り返しになるが、こうした質問は前後の文脈、正確には時間の序列を無視しなければ成立しない。だから、この手の質問を発する人間は、意図的に時間の序列を歪めているか、あるいは時間の序列に沿って思考したりシミュレーションする能力が欠如しているかのいずれかで、後者の場合は精神病を疑うべきだろう………と噛んで含めるように説明すると、さすがの彼もどうにか語源話をしなくなった。

 ついでに、「君がどんなに優秀な人間でも、頭の病気が治らないと早晩使い物にならなくなるから、早く精神病院に行って投薬治療を受けろ」とだめ押しすると、更に静かになって多少は食事が旨くなる。

 私は精神病患者を差別するつもりは全くないが、狂った人間の理屈を鵜呑みにするほどお人好しでもない。そういうロジックが期待されているのは創作の世界、特にSFやファンタジーのジャンルだけであって、それらが現実に適応できるという勘違いは正さねばならない。

 彼は将来を期待されているライターの一人なのだから、こちらも容赦なくギリギリ締め付けるつもりでいる。それで頭が完全にぶっ壊れたら、こいつもそこまでの器だったというだけの話である。それこそ、重度の統合失調症にかかっていない限り、病気を治すか放置するかは本人の責任問題でしかない。そして、治療を受けるのであれば、できるだけ早期に行った方がよい。

 この業界に足かけで15年近くいるが、私よりも優秀なクリエーター(現実問題として、私よりも優秀なクリエーターは幾らでもいる)が、精神病を放置して駄目になったケースを何度も見てきている。SSRI系の向精神薬が認可されてから、投薬治療が比較的有効な手段になっていることを考えると、過去にフェードアウトしていった人達には「お気の毒に」という以上の感慨がある。ただし、病気が薬物治療で改善できると、ライターの仕事は反比例して減っていく(この手のライターの熱心な読者の大多数は、軽度の精神病患者だから、病気が治ると本も読まなくなる)ので、この辺は微妙な問題だろう。

 特にサブカル系はストレートに頭の病気と直結しているから、新規の参入者ほど食い詰める傾向がある。因果な商売だ。

8 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:27
某月某日

 澤地久枝の『雪はよごれていた』を再読。2.26事件を未発表資料から解き明かした傑作ノンフィクションで、何度読み直しても戦慄を禁じ得ない。

 2.26事件は軍官僚による独裁を狙ったクーデターであり、官僚が自己の権力増大を正当化するプロセスを余すことなく伝えている。その方法とは、

1)政治家は企業から賄賂を受け取り、腐敗しきっているという前提を作る。
2)この政治家達が貧困層から搾取を行うので国全体が停滞している、という2段階目の仮説を立てる。
3)この状況を打破するためには革命を起こし、腐敗政治家と彼らに金を渡す企業家、加えて彼らと結託している一部官僚を打倒すべきだと結論づける。
4)そして、このロジックを若い、あるいは頭の悪い人間に繰り返し語ることによって洗脳し、政治活動やテロ(もちろん、官僚の権限を拡大させる目的がある)に従事させる。

であり、奇妙なことに多くの社会主義者の主張とその内容が一致する。

 2.26事件には『天皇制社会主義者』の北一輝と西田税が無実の罪で連座させられているが、西田はコミンテルンの第7回世界大会の邦訳資料を満州から日本へ密輸しようとして逮捕された経歴がある。本人は金目当てで政治的信条を曲げたと説明しているが、それだけでないことは疑いようがない。コミンテルン=旧ソ連と天皇制社会主義者と官僚(特に軍官僚)の間には、何らかの接点があったと考えるのが妥当である。

 その間接的な証拠が産経新聞だ。共産党転向組であり軍用製紙工場の払い下げを受けて大日本再生紙や国策パルプといった紙屋を経営していた水野成夫が戦後に再編し、陸軍出身と言われる鹿内が跡を継ぎ、現在でも同大経済会(陸軍大学卒業生、及びに防衛大学卒業生の財界人の親睦会)と密接な関係がある。

 この一例を採ってみても、軍官僚が保守的だったとは言えず、むしろ社会主義者、あるいは革新政党と親和性が高かったことを伺わせる。日本陸軍の仮想的は常にロシア=ソ連であり、ソ連に対する熱心な研究を官僚が行っていたこと、マルクス主義の本場であるドイツから、様々な制度や理論を取り入れていたこと、東大閥の中のドイツ語学派には多数のマルクス主義者が存在しており、彼らの少なからぬ数が学者や官僚になったこと、などの諸要素が混じり合った結果だろう。

 この傾向は現代の日本でもそれほど変わらない。サンケイグループに属する扶桑社が、共産党転向組の藤岡を使って『新しい教科書運動』をサポートしたのはつい最近の事例である。官僚の政局、政治家批判=官僚独裁への願望は、何故か社会主義者の主張と一致する。そして、上記の批判がおかしいと主張すると、「腐敗政治家と腐敗官僚と企業は一体化しており、区分がつかない」という反論が返ってくる。

 けれども、たとえ制限性だろうが賄賂を支払おうが、選挙で選ばれた政治家と試験で選ばれた官僚を同一の存在として扱うのは無理がある。どちらが国民の意思を尊重しないかは、考えるまでもなく後者なのだ。

 また、利益を上げている企業と税金を使うしか能のない政治家や官僚を同列に扱うのはもっと異常で、「資本家は敵だ」という妄念以外の何かを見いだすことは困難だ。おそらく、官僚独裁を狙う少壮官僚と社会主義者の共通点はここで、金儲けをしている人間=悪人であり、排除すべき対象だと考えているために、社会主義理論に傾倒しやすいのだろう。企業に自由を与えると国家の権限が小さくなるので、自分達の所属する省の利益が侵害されると考えるわけだ。

9 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:28
 経済ライターのベンジャミン・フルフォードは、自民党の亀井静香が尊敬する人物が、キューバ革命の立役者の一人、チェ・ゲバラであることを例示して、「日本の政治家には社会主義者しかいない。保守的な人間がゲバラを尊敬するわけがない」と喝破したが、まったくもってその通りで、日本における右翼、左翼というカテゴライズは表層的なものに過ぎない。具体的には、天皇制を容認するか否認するかの差でしかなく、どちらもソーシャリスト(社会主義者)で「革命的」なことが大好きだ。

 そして、「革命的」なるものの正体が、資本家からの暴力、または法的強制による収奪である限り、社会主義者とは泥棒かつ殺人者の別名でしかない。社会主義、特にマルクス主義理論が異常なのは、資本家を「社会の敵」認定していることで、文字通り物理的な抹殺を容認していることにある。分かりやすくいうと、資本家というだけで資産没収、殺害の対象となり、実際にロシア、中国、カンボジア、ベトナムなどの共産革命が成功した国では多数の資本家や有資産家が殺害されたり追放されたりした。

 この理論は人種差別を支えるロジックとまったく同一のものである。つまり、黒人というだけでリンチの対象になったり、ユダヤ人というだけで差別の対象になるのと何も変わらず、そもそもマルクスの著作では資本家とユダヤ人が混同されている。

 こうしたマルクスの暗黒面を正しく受け継いだのがアドルフ・ヒトラーで、彼の率いた『国家社会主義ドイツ労働者党』(ナチス)は、大量のユダヤ人を虐殺した。

 現代の日本における社会主義者が資本家と同一視しているのがアメリカ人で、アメリカが軍事行動を起こすと激しい怒りを表明するが、アメリカ人が殺されても当然だという顔をする。偶然、アメリカが多民族国家だったために、かろうじて人種差別に結びついていないが、それでもイスラエル問題が出てくると、必ずユダヤ人とアングロ・サクソン人は攻撃の対象になる。こうした人種差別的なロジックの異常性を指摘する日本の大手メディアは皆無に等しく、小規模メディアでは公然とユダヤ人攻撃が行われるのが常で、日本人ジャーナリストの本音が透けて見える。

 日本赤軍はユダヤ人を殺害した過去がある。戦前の特高警察は、フリーメーソンやユダヤ人を危険視していた。日本赤軍とナチスと特高警察のどこに違いがあるのだろうか? それらの全てが社会主義者かつユダヤ人差別主義者なのは明らかだ。

 多くのヘイトグループも、社会主義者と近似したロジックを展開する。ラディカル・フェミニストのグループや宗教団体による男性批判やポルノ批判も、表層的な部分を取り除けば、資本家差別、人種差別と同一である。「黒人は臭い」と「ポルノはおぞましい」という理論のどこが違うのかは、それらの主張をしている人間以外には誰も解らないし、心情的に理解できるという人間は頭の調子を疑った方が良い。

 論理的な思考展開が可能だからといって、その人間の精神状態が正常であるとは限らない。理論に一貫性があっても、現実から遊離している可能性があるからだ。特に抽象的な概念を異常に尊重したり、その反対に憎んだりする人間は、心を病んでいる可能性が高い。形而上的な概念や抽象概念に対する執着と、精神病の相関関係はもっと精神医学研究の対象にすべきである。

 繰り返しになるが、資本家、男性、女性、子ども、ユダヤ人、黒人、アメリカ人、朝鮮人etcというカテゴリーに属しているからといって、その人物を問答無用で殺害して良いという理屈はまったく成り立たない。そうした形而上的な概念や抽象概念を、実在する生身の人間以上に憎めたり愛せたりする人間は、どこかで心を病んでしまっているとしか言いようがない。

 イデオロギー(理念、理想)が極度に肥大化した現代社会では、こうした心を病んだ人間=精神病患者、精神障害者が政治に関心を持ちやすい。そして、彼らが形成する政治的グループは、往々にしてヘイトグループと化す。21世紀の政治活動のあり方は、ヘイトグループとの対決という構図になるのは間違いなく、また彼らを放置したままで社会がまともに機能するはずもない。

 私にとって、児童ポルノ法改正関連の運動参加がその試金石で、それなりのデータを蓄積する事が出来た。今後は、それらのデータをマニュアル化することで、ヘイトグループの主張=病識の無い精神病患者の政治的主張=妄想に、人生経験の少ない子ども達や、政治に関心のない一般人が絡め取られないように、注意を喚起していかなければならない。

10 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:30
某月某日
 左派系の編集者と電話で会話する。この人は軽度の鬱病だが、病識もあり薬物治療も受けているので、妄言を奏でる可能性はほとんど無い。

 その際に、いつものことだが話題が飛びまくり、イスラエルとパレスチナの話になる。パレスチナの宗教指導者がイスラエル軍に暗殺をされたという内容だったのだが、編集者氏は「いつになったらこういう事件が終わるのかねえ」と嘆息しきりであった。

 その答えは簡単で、「パレスチナとイスラエルが政教分離をきちんと行い、かつ神権よりも人権を重視する日まで」である。宗教上の理念が人権を上回っている限り、自爆テロも報復テロも収まらないのは確実だ。

 何故なら、一神教をベースとする諸宗教、つまりユダヤ教、イスラム教、キリスト教の大部分は、強者総取りを前提としているからである。唯一絶対神が最終決定者であるという理念がある限り、強者は弱者を好きなように扱えるし、弱者の救済は「強者の憐れみ」、または「強者の赦し」以外にはあり得ない。そして、強者がダメだと判断すれば、弱者は容赦なく排除される。

 キリストは「愛」によってこの社会通念を逆転したとされているが、現実にはニーチェが指摘した通りでただのルサンチマン(弱者の強者に対する妬みの感情。あるいはイソップの酸っぱいブドウ)でしかないだろう。そうでなければ、人間の強弱、あるいは魂の強弱が宗教上の問題になるはずがない。

 人権とは強者総取りを否定する社会通念で、強者と弱者は話し合いによって物事を解決すべきであり、物理的な暴力を用いるべきではない、という前提に基づいている。だから、社会的な上下関係や強弱関係は、話し合いの際に棚上げにしなければならない。

 しかし、人権の概念が薄く神権の概念が強ければ、話し合いの前に上下関係をハッキリさせておく必要が生じてしまう。その上で、強者が弱者に「憐れみ」、「赦し」を与えるという手順を踏む事で事態の収拾を図るので、社会的な力関係が決まるまでは自爆テロや報復テロを含む、あらゆる物理的な暴力行為が正当化される。

 この辺の事情は旧約聖書の『ヨブ記』に書かれている通りで、現存する世界最古の小説としては殿堂入りが確実な大傑作であり、今でも十分に通用する深いテーマ性を備えている。ヨブに人権が無かったのは明白で、神との和解は(ヨブと神の)上下関係が明確化してからだった事に注目すべきだろう。

 日本でも朱子学系の儒教にこの傾向があり、やはり強者総取りの理論を主張する。そして、幕末にはこの手の思想に染まった人間が何度もテロを実行した。現在のパレスチナ、イスラエルも同様である………という話をしていたら、編集者氏がちょっと怒った感じになったというか、困惑した感じになっていたので、更に話し込んでいったら、どうやら左派系世界でのイスラム教の扱いは、キリスト教やユダヤ教の被害者としての位置づけであることが判明し、「未だにそうなのか」と驚愕する。

11 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:33
 中東は旧ソ連と地理的に地続きであり(特にソ連とイランはアメリカとキューバの関係に近く、ここをアメリカに抑えられると匕首を喉元に突きつけられたようになる)、冷戦時代は石油利権と軍事問題を巡って米ソが中東内部の部族、宗教的対立を煽って泥沼の争いを繰り広げた為に、中東在住の古手のイスラム系左派が、アメリカとイスラエルを激しく憎悪しており(イスラム教を熱心に崇拝する中東系は、無神論者である共産主義を嫌い、イスラエルにのみ憎悪が集中し、アメリカとはユダヤ系住民を排除することを前提に妥協しようとする)、日本の左翼と民族系右派(彼らは民族系=日本人主導の石油会社を持ちたがるので、米国系の石油資本独占には反対である)もこれに同調しているが、あくまでも40代後半以降の古株ウヨサヨが主体だと思っていたのだ。

 マルクスがれっきとしたユダヤ人差別主義者なので(これは何もマルクスに限った話ではなく、ヘーゲルの流れを汲むドイツ哲学者のほとんどが反ユダヤ主義者だった。ヘーゲルが反ユダヤ主義だったからである。マルクスはユダヤ人が真に信じているのは貨幣であり、この貨幣をヨーロッパに浸透させたためにキリスト教が堕落したと、1844年の『独仏年誌』に掲載された『ユダヤ人によせて』という論文で書いている)、ドイツ社会主義の流れを汲む日本の共産主義者と社会主義者がユダヤ人差別と現行のキリスト教批判を自明にしているのは事実だが、本人達には自覚が無い、もしくはあっても国際人を気取るために、どれだけ反ユダヤ主義が彼らの間に浸透しているかは計りかねる(ユダヤ系共産主義者は、マルクス理論の人種差別的な傾向に目を瞑ったために、その後継者達に嫌というほど煮え湯を飲まされた)。 

 恐らく、現行の共産主義者、社会主義者が未だにイスラムを支持しているのは、上記の理由に加えて、攻撃対象であるプロテスタント超大国のアメリカとユダヤ教国家イスラエルが健在なので、「敵の敵は味方」という理論を継続しているせいだろう。米国内では公民権運動が盛んだった時代に、マルコムXのいたブラック・ムスリムは先鋭的だったし、70年代前半まではアフリカの第三諸国も、石油を産出していた中東諸国も元気だったので、こうした主張にはそれなりの妥当性があった。

 そして、日本でも70年代の前半までは、学生運動を含む左翼はリベラルの象徴だった。しかし、アフリカ諸国は農業改革の失敗で沈没し、80年代から最貧国の地位に甘んじ続けている。アフリカでは白人の収奪があったために近代化が失敗したのだと言われているらしいが、これは完全な虚偽で、アフリカの文化風習と行政官の無能が、近代的な農業の移植を阻んだというのが真相である。だから、飢餓が発生してしまったのだ。白人がアフリカの食料農産物を収奪した記録はない。安すぎて儲けがでないので、収奪する価値もないからだ。

 中東諸国もソ連の崩壊によって、地政学的な重要性を失った。今でも石油というエネルギーカードを持っているのは事実だが、石油ショック以降に加速したアメリカの省エネルギー政策と代替エネルギー政策がボディーブローとなって、サウジアラビアのファイサル王が活躍した時代に逆戻りする可能性は、ほとんどない。

 これは、日本の社会主義、共産主義政党も同様で、2003年の衆議院選挙で社会党は消滅の憂き目に遭い、共産党も大幅な退潮を余儀なくされた。こうした歴史のターニングポイントがソ連崩壊にあったことは確実だが、アフリカ、中東、ソ連の没落の全てに農業政策の失敗、特に近代化の失敗が絡んでいたことを指摘する社会主義者や共産主義者が少ないのは不思議である。恐らく、農業生産力が国力と不可分であるという理論は、社会主義や共産主義の諸理論を破壊してしまうためだろう。

12 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/04/14(水) 17:34
 日本では今でも自民党や民主党という名前で社会主義政党が健在だが、これも戦後の農業政策(農地解放)の失敗に原因がある。自作農を増やしても、その規模が小さければコストがかかるだけで、国益に何ら寄与する事はない。むしろ単なる金食い虫で、農協、漁協のボスが土建屋=ヤクザ(日本の水田は高度な土木建築技術を必要とする)、政治家、官僚と結託して税金を収奪する構図を温存させる(この傾向は北関東と岐阜県以西の村落に強く、自民党は次第に西日本を代表する政党に変わりつつある)。これが地方経済の実体で、問題を早期に解決するためには農業基本法を廃止、あるいは大幅に改変して、大土地所有を認可するか農地の有価証券化を図るしかない。

 田中角栄の後を襲った自民党の竹下登と金丸信が、戦前から小作人に農地を分け与えろ、と農地解放を主張していた事実は忘れるべきではないだろう。彼らが真の保守であれば、大土地所有を容認していたはずである。また、中東の農業の現場では暴力が横行し、農民は農地を守るために、土地の宗教指導者を介して傭兵を集めている事実も忘れてはならない。イスラム教が弱者の宗教というのも虚偽で、単に古くからの宗教が近代化を阻んだ為に、世界的な影響力を失ってしまったと解釈すべきである。

 中東で最初に石油を採掘したバクー(後にロシア領)は、オイルラッシュが原因で労働者が大量に集まったために赤色革命の温床地帯となった。ソ連でレーニンの後継者として独裁体制を築いたスターリンも、この近隣にあったグルジアの出身で、チフリス地方から流れ込んできたグルジア人労働者と深い関係があった。そして、バクー油田の近代化に尽力したのは、火薬の取り扱いに長けたスウェーデン人のノーベル一家(後にノーベル賞を創設する)だった。

 あまり日本では話題に出ない中東の裏面史だが、中東が世界史に与えた影響としては最大のものだったような気がする………と話した段階でタイムアップ。この続きをするつもりは全くないが、イスラム教がキリスト教よりもましな宗教という話から逸れられてラッキーだった。北京で開かれた第4回世界女性会議で、イスラム諸国とカソリック諸国が手を結び、性的人権を反故にしたのは私の記憶に新しく、「目くそ鼻くそを笑う」以上の感想を持てなかったからだ。ユダヤ教も同様で、「好きにしてくれ」としか言いようがない。

 また、マルクスがユダヤ人差別主義者であったのと同じ程度に、黄色人種差別主義者であった事も念頭に置くと、日本の社会主義者、共産主義者のユダヤ人差別やアングロ・サクソン人差別はある種の悪い冗談に思えてくる。

 これも、ベンジャミン・フルフォードが書いていたことだが、「日本の政体は、アングロ・サクソン人の陰謀(具体的にはアメリカやイギリスを指す)によってこうなった、としばしば言われているが、アングロ・サクソン人が日本のような政治制度を採択したことは一度もない」というのが真相だろう。

13 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:05
某月某日
 抑鬱神経症の編集者と会食。病気と仕事の折り合いがつかず休職するとのこと。「まあ、仕事にしがみついて頭がぶっ壊れるよりマシだよ」という結論が出る。

 本人にも病識があるので、この辺の話がスムーズに出来るのは救いである。無いヤツと話すと、ただでさえ病人の話を聞いているだけで疲れるのに、上乗せして気を遣わざるを得ないから辛いところだった。

 その際に色々と業界ネタが出てきたところで、とあるロリコン編集者が14歳の少女を買ったという話になってうんざりする。その編集者が「14歳とセックスしても詰まらなかった。今後は15歳を対象としたい」とのたまった、という内容だったからだ。この手の話を、もう何回聞かされたことか。

 論理的に考えれば誰にでも理解できることであるが、子どもとセックスしても面白くも何ともない。その理由は単純で、子どもは肉体的に未成熟で性的経験も少ないからだ。
従って、子どもとセックスしても、成人女性に期待できる性的反応=ヴァギナオーガズムはまず無理で、特にポルチオオーガズムと呼ばれる子宮口が痙攣する反応が得られる場合は皆無に近い。そんな相手とセックスして、果たして何が良いのかと問われても答えようがない。

 セックスは肉体を使用する以上、スポーツと重なる部分が多い。大人が小学生相手に試合をしても充実感を得られないのと同じように、子どもとセックスしても充実感は得られない。ところが、小児性愛者はそれが得られると主張する。セックスをする目的が、肉体的な快感を得ることに無いのは明白で、何らかの強迫観念(思い込み)に取り憑かれた結果として、子どもを性的な対象としているとしか思えない。

 ところが、現実に直面すると、この強迫観念が揺らぐ場合がある。解りやすく言うと、実際に子どもと性行為をしたことによって、妄想(子どもとセックスしても充実感がある)と現実(子どもとセックスしても詰まらない)にギャップがあることを認識してしまう。件の編集者がその典型例で、現実に合わせて妄想の方を修正したわけだ。

14 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:06
 ここで釘を刺しておかなければならないが、全ての小児性愛者がこの人物ほど愚鈍という訳ではない。むしろ、多くは自己の性癖が強迫観念のたまものであることをよく認識しており、性行為に至る前に抑制するか、性行為(この場合はペニスをヴァギナに挿入すること)そのものを目的から除外する。

 前者が無害なのは言うまでもないが、厄介なのは後者で、性的虐待の証拠をほとんど残さない。つまり、子どもに肉体的、精神的苦痛をほとんど与えず、むしろ快感(具体的にはクリトリスオーガズム)を与えて共犯関係を作る。こうなると、訴えられる可能性が極端に低くなり、長期間にわたって行為に及ぶことが可能になる。

 上記の犯罪行為を事前に抑止するためには、子どもに性的な知識を持たせるしかないのだが、いわゆる『健全育成』が大好きな大人達は、「性行為に関する知識は成人のみが保有していれば良い」という訳の分からない理由で反対の立場をとる。「健全育成関係者はロリコンかロリコン予備軍」と言われる所以であるが、実際にはセックスヘイト(性憎悪)であるケースが目立つ。

 要するに、性行為を「汚らわしい」、「醜い」もしくは「滑稽だ」と感じているか、「子作り以外の性行為は不潔である」と極度に神聖化しているかのいずれかで、性行為が与える肉体的な快感や充実感とは無縁であることが伺える。もちろん、全ての不感症、冷感症、もしくはAセクシャル(無性欲)の人間がセックスヘイトになる訳もなく、そこに至るまでには経験や思考のプロセスがあるのだが、この「汚らわしい」という価値観が一部ロリコンのそれと合致することは否めない。

 つまり、一部ロリコンの「大人の肉体は汚らわしい」という価値観は、セックスヘイトの「セックスは汚らわしい」という価値観の部分集合である、と捉えることが可能である。そして、女性のセックスヘイターには子供時代に性的虐待を受けた、あるいはそれに近しい経験をしたケースが多いことを鑑みると、自然と「虐待の連鎖」という単語が頭に浮かんでくる。

 さらに、児童への性的虐待行為の多くで、精神病、あるいは薬物中毒、アルコール中毒がブースターになっている事実も考慮すれば、小児性愛やセックスヘイトの本質が見えてくる。小児性愛者は「小児性愛という精神病はない」という詭弁をしばしば用いるし、この言葉に嘘はないが、多くの小児性愛者が精神病や何らかの依存症に罹っている事実は動かない。少なくとも、私が直に知っている(実在する)児童に悪戯を働いたロリコン、小児性愛者の90%以上は精神病、精神障害、もしくは統合失調症(分裂病)の予後障碍の症状を見せていた。

 私が児童ポルノ法の問題に首を突っ込む動機となり、また徹底した少人数による持久戦術を採用した所以(精神病患者と論戦する最良の方法は、あらゆる手段を用いて時間を引き延ばす事にある。そうすれば、特に投薬治療を受けていない精神病患者は次第に病状が悪化して、支離滅裂な発言を繰り返すようになるので、放っておいても勝ちがこちらに転がり込んでくる)だが、精神病の知識が世間に浸透しない限り、この問題の本質が理解される事はないだろう。

 会食した編集者氏もネット上ではロリコンを自称しているようなので、「まあ、そういうことは程々にね」と軽く忠告して別れる。もっとも、彼が子ども襲う可能性は限りなく0%に近いので、それほど意味のある発言ではない。問題なのは彼の今後の方で、何とか復職してもらいたいものだ。

15 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:07
某月某日
 イラクで人質になっていた3人+2人が無事解放。ホントに良かった。しかし、その間にネットやマスコミで流された流言飛語にはほとほとうんざりさせられる。

 まず、この5人が左派系人脈にあたる運動家、あるいはジャーナリストであることをもって、人質事件を自作自演と言っていた右派系連中がいたのには、呆れてものも言えなかった。その反対に、この事件にCIAやモサドの関与を仄めかしていた左派系の連中も同様である。

 このようなトンデモ言説が飛び交う根本的な原因は、中東史、軍事史に無知な人間が憶測を垂れ流しているせいである。最初の3人が人質になった時に送られてきたビデオを見れば一目瞭然で、当時の呼称でテロリストと呼ばれていたイラク人の一人は、第一次世界大戦で使用していたような、ボルトアクション式ライフルを手にしていた。

 骨董品みたいな銃を持ってアジテーションをするテロリストなど、私は未だにお目にかかったことはない。第一次世界大戦当時のライフルを主武器として持ち歩く、CIAエージェントに至っては「何かのコスプレ大会だったんですか?」と尋ねたくて仕方がない。こんなショッパイ武器でテロ活動なり諜報活動なりをやっていたら、敵対勢力による攻撃で全滅は免れない(ただし、狙撃が主目的である場合はその限りではない。旧式の小銃の方が長距離における命中精度が高いからだ。しかし、ストーキングが要の狙撃兵がわざわざアジテーションの為のビデオに出演する可能性は無い。単なる自殺行為である)。随分と無駄なリスクを犯すテロリストやスパイがいるものだ。

あれはどう考えたって、農村部の民兵=傭兵だろう。イラクの農村部は日本史に喩えるなら戦国時代、マンガに喩えるなら『北斗の拳』にそっくりで、暴力が横行する世界である。これは、イラクの耕作地が極端に狭いことから生じる問題で、農業にまつわるもめ事を解決しようと思ったら暴力を振るうしかないのである。また、容赦なく暴力を振るえない人間は農村部から追い出されるか、死ぬしかない(農地を失った者は都市部に出るか餓死するしかない)。

 だから、農家は宗教指導者を通して民兵を雇う。これが米国軍の占領政策に反対する宗教指導者の扇動にのって騒いでいるのが今回の事件の大まかなアウトラインで、TVで報道されているとおりである。こうした報道を無視して陰謀説が横行したのは、繰り返しになるが中東史に無知な馬鹿が通ぶって妄言を振りまいたせいで、「何じゃこいつらは?」以上の感想が浮かばない。

 また、左派系にはイラクに進出している米国の傭兵産業を批判する連中もいるが、「だったら、イラクの傭兵とリクルーターとしての宗教指導者は許されるのか?」という疑問が沸いてくる。イラクの民兵はオッケーで、アメリカの傭兵がNGというのは間尺に合わない話で、私の周りではカヤマンさんなんかが「軍需産業+多国籍企業(コングロマリット)が計画的に戦争を起こしている」と言っているのが妄想でしかない証拠だろう。イラクの民兵は多国籍企業の陰謀でイラクの農村部にいるのだろうか? イラクの宗教指導者は、多国籍企業から金をもらって農村部に民兵を紹介しているのだろうか? 馬鹿馬鹿しくて答える気も起こらない。

16 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:09
 「企業が利益目的で戦争を起こす」という嘘を最初に広めたのはマルクスだったが、その理論があまりにも荒唐無稽だったために、彼の後継者達は修正か隠蔽を行わなければならなかった。理屈に関してはマルクス以上に滅茶苦茶なレーニンでさえ、マルクスの戦争論は擁護できなかった為に別のロジックを立てている(こっちはこっちで破綻している、というのがレーニンらしい)。

 オタクの業界でこの妄想を広めたのは『紺碧の艦隊』を書いたの荒巻義雄で、本人は「歴史シミュレーションは難しい」と胸を張ったために、軍事マニアから失笑を買った。「難しい」ではなくて「妄想だ」が真実だろう。さすがSF作家である。

 戦争は経済に従属しない。むしろ、経済が戦争に従属するのだ。つまり、ある企業が利益目的で戦争を起こすのではなく、戦争が起きた結果として儲かる企業が出現するのである。ここでも問題になっているのは時間の序列で、これほど順番がハッキリしているのに、未だに序列を間違える奴が後を絶たないのは、アメリカ共和党の共和制という理念がどうしても理解できないが頭のイカレタ日本人がごまんといるからだ。

 共和制の理念とは国家の国民への干渉は最低限に抑え、私企業に自由な競争をさせることが国力の増加につながるという考え方で、いわゆる「小さな政府」を理想とする。つまり、共和制支持の政治家は「公共事業の分捕り」を政治的得点とせず、「減税政策」及びに「公務員の削減」を政治的得点とする。そして、共和制の主たる支持者は企業家である。

 この理念には、当然の事ながらデメリットも数多くあるのだが、それを差し引いても美徳である「自由競争」の部分は魅力的である。ところが、この「小さな政府」による私企業の「自由競争」という理念(言い換えれば増税と計画経済は悪という考え方)が、社会主義者、共産主義者、官僚、そして公共事業で食いつないでいる田舎の水に染まりきった人間には永遠に理解できないのだ。

 彼らにとって、税金を使った公共事業(もちろん賄賂付き)と官僚による計画経済(もちろん、天下りが目的)は自明なため、企業と政治家が「小さな政府」を目指して結託すると、減税政策→政府機能の縮小→民間企業への外部委託という現象(要するに、民営化である)が発生することが解らない。というのも、彼らの考える民営化とは既存の国営組織の民営化でしかないからであり、民営化が行われれば公営企業の労働組合が弱体化するからだ。

 だから、民間企業への外部委託(アウトソーシング)という民営化の一手法が頭の中から欠落してしまっており、仮にアウトソーシングが行われると、これを政府と企業の癒着と解釈し、「企業家と政治家が税金を盗んでいる」と騒ぎ立てる。しかし、実際にアウトソーシングが行われると、コストダウンと官僚ポストの廃止が平行して進むのが常で、国家にとって有効な減税対策+政府機能の縮小化となりうるケースがほとんどである。

 たとえば、国家が傭兵(フリーランス)を雇用する最大のメリットは、訓練、昇進、受勲による恩給、戦闘負傷による障碍者年金、戦死、戦没による遺族年金の支払いをせずに済むことで、先進諸国で大量の死傷者を発生させる戦闘が生じれば、この支払額は莫大な数字になる。つまり、戦闘機械の無人化、危険地帯だが正規軍の大量派兵が困難な地域での民間傭兵派遣は今後の戦争には経済的理由から必須となる。単純計算でしかないが、アメリカや日本では800万から1000万円の年棒でフリーランスを雇用しても、コスト削減になるのは間違いないし、この金額なら腕に覚えのある傭兵がごまんと集まってくる。

17 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:11
 この現象を日本人に解りやすく言い直すと、「公務員が税金を好きなように使えない」となる。ただし、こうした反論をすると「弱者の切り捨て」によって減税が可能になったというお決まりの言説が出てくるし、実際にそうした側面を否定するのは難しい。共和制残酷物語とでも言うべき部分で、減税政策のためには社会保障制度を当然のように犠牲にするし、私企業の自由な競争や小さな政府を維持するために、民間人への武器販売を野放しにする。こうした共和制理念の破綻が第一次世界大戦から第二次世界大戦の戦間期にアメリカで大爆発し、20世紀最大の政治家の一人であるフランクリン・ルーズベルトを登場させる舞台を整えるのだが、この辺の事情はいずれ別名義で小説にするつもりなので、時間が空き次第手短なメモランダムを作成する予定である。

 アメリカ共和党の凄いところは、今回の対イラク戦争で軍隊の補給まで『民営化』してしまったことで、共和イズムもここまで来ると開いた口がふさがらない。さすがに軍官僚も危機感を覚えたようで、パウエルを通して苦言を呈していたようだ。また、この軍事システムの民営化政策が、「経済戦争発生説」を唱える電波を刺激しているが「何ともまあ香ばしいなあ」という感じである。

 それらの言説をまとめると「軍に関する予算は軍官僚が担当しなければならない(民間企業は軍需に関与してはならない)」という民主主義否定+官僚主義丸出しの主張にしかならないのだが、本人達に全くその自覚が無いというのが凄すぎる。『経済戦争発生説』を信奉しているので、軍需産業に関わる企業を攻撃すれば戦争が抑止できると想定しているのが原因だが、現実には私企業(民間傭兵)を抑止すれば国営企業(正規兵)が出てくるし、それに伴うコストとポストの増大が発生するだけである。彼らには、これがやっぱりどうしても理解できないのだ。

 こうした主張を一部の日本人が止めないのは、戦前の日本製兵器の多く、特に陸戦兵器の銃砲に関してかなりの割合が国営企業で製造されており、私企業にも軍官僚の多くが恥知らずにも天下りをしたからだ。その為に、日本人は兵器を民間企業が独力で製造する、という考え方に馴染めない傾向が強い。戦前の日本陸軍が、どうやって官僚独裁を達成できたのか、よく解るエピソードである。こんなトンチンカンが在野にウジャウジャいて騒いでいたわけだから、さぞかし楽に政治工作が出来たに違いない。

 ブッシュが権力の座から滑り落ちるとしたら、この軍事『民営化』が原因でアメリカ軍官僚の権益を侵害したことによって、彼らから背中を刺される時だろう。ニクソンも同様の経緯で軍官僚の陰謀によって『ウォーターゲート事件』を起こされているが、米国軍によるイラク人への虐待報道という形で既にその徴候が現れている。日本でも、類似の手法で日本歯科医師会と厚生労働省官僚の癒着が、年金未納議員問題をフレームアップすることによって脇に追いやられている。

 ただし、このプロットが成功するか否かは現段階では不明である。また、仮に成功したとしても、それが公になることはないだろう。というのも、アメリカでも日本と同様にジャーナリストと官僚が裏で手をつないでいるケースが多く、今回のイラク戦争に関する企業関与の裏情報やイラク人虐待のニュースも、概ねこのラインから流出しているものだからだ。「企業が戦争に関与している」と大騒ぎしている連中は、一部軍官僚に都合の良い情報に踊らされているだけである。

 繰り返しになるが、企業が共和党と結託して戦争を起こした事実はない。たとえば、大手火薬メーカーのデュポン社の社史を紐解けば明らかだが、戦争に深く関わる産業に従事する企業は、戦争が始まると好景気に恵まれるが、戦争が終わると不況が訪れることが理解できる。このサイクルがあるために、デュポン社は戦争が始まると大量雇用→戦争が終わると大量解雇を繰り返しており、とても計画的に戦争を発生させていたとは思えない。企業が自社の都合で戦争を起こしているならば、一定の雇用数を保証できるようなサイクルと規模で戦争が発生してしかるべきである。

 現実のデュポン社は戦争による景気変動に左右されないために、火薬開発の化学技術ノウハウを生かし、染料、塗料、セルロイド、医薬品などの多角的な化学工業メーカーへと変貌した。経営者はいつ発生するか解らない戦争に依存することを拒否したのだ。企業家としては当然の選択なのだが、この「当然」がウヨサヨには通じない。

18 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:12
 イラク戦争決意したのはブッシュ大統領その人で、彼を後押ししたのは主に福音派に属するキリスト教系宗教団体である。そして、その引き金になったのはイスラム原理主義者によるテロ攻撃だ。二つの団体共に神権を重視する反面、人権は重視しない。だから、戦争が発生してしまったのだ。

 イラク戦争の旗色が悪くなった段階で、福音派の間からも弁明の声が聞こえるようになったが、これが何と「戦争をリードしたのは、ユダヤ教に影響されたキリスト教系団体であった」という噴飯ものの内容だった。つまり、間接的にユダヤ教=ユダヤ人を攻撃し、自分達には責任がなかったと言いたいのだが、そもそもドグマに忠実な一神教で人権に配慮している団体など無い。宗派の違いは関係なく、ましてやユダヤ教に責任をなすりつけるのは言語道断だろう。同時に、この発言はアメリカとイスラエルが一心同体である、という左翼陣営の説明が嘘であることの証明にもなる。

 現代の世界規模のテロを抑止するには、人権よりも神権を重視する全ての宗教団体に制限を設ける他はない。あの世は神の持ち物かもしれないが、この世は人間の法理で動いている、ということである。フランスは早速公的な場所での宗教活動を制限する法律を成立させた。さすが、元祖左翼の国と評価すべきだろう。ところが、日本では「モラルの堕落は宗教心が無くなったせいだ」として、「宗教心の復活」を教育の要にしようと宣う馬鹿政治家がうようよ存在する。もちろん、こいつらにも人権よりも神権を重視するドグマの危険性を理解するだけの「当然」がない。

また、「当然」が通用しないのはアメリカ政府にも言える。イラクは第一次世界大戦の戦後処理(サイクス・ピコ協定)の過程で生まれた不自然な国家で、シーア派、スンニ派、クルド人、その他が混在している多民族国家でもある。この国に言いがかりをつけて占領してしまったわけだから、アメリカは「当然」各宗派と人種を分割統治しなければ収まりがつかないのだが、どういうわけか領土を保持したまま政権のみを変えようという無謀なチャレンジに突き進んでいる。ベトナムでも同じ事をやろうとして大失敗したというのに、この点だけはどうにも変えられないようだ。南北戦争で北軍=統一派が南軍=分離派に勝ったのが原因なのだろうか? 今回の戦争で植民地を沢山抱えていた19世紀のイギリスが指揮を執っていれば、確実に分割統治をしているはずである。

 面白いのは、この分割統治=悪という概念が、アメリカだけでなく日本の右翼左翼にも共通していることである。もっとも、民族派が分割統治に反対する理由はよく分かる。同じ人種、同じ言語の人間は一緒に暮らすべきだ、という価値観の持ち主だからだ。たとえば、在日朝鮮人のグループは概ね統一派で、朝鮮半島が韓国と朝鮮民主主義人民共和国に分割されているのは大国のエゴで悲劇であると考えるが、これなどが民族派の典型的な思考パターンである。

 解らないのが共産主義者の分割統治反対論で、ベトナム独立の父であるホー・チミンなどがその典型なのだが、とにかく国土を分割&統治することには反意を表明する。日本でも共産主義者は在日米軍を激しく攻撃し、「日本から米軍基地が無くならなければ、真の独立は勝ち取れない」とか「親米派の犬が米軍を誘致している」などと宣うのだが、思想的背景に民族主義、人種主義が無ければ説明不能の意見としか言いようがない。

19 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:14
 個人的な見解でしかないが、貧乏な統一国家よりも豊かな分割国家の方が望ましい。国の規模が小さい方が近代化がしやすく、国民一人当たりの豊かさも大きいのは歴史が証明しているとおりで、国土が広くても貧困地帯を抱えていたら意味がない。せっかく集めた税金を、貧困地帯が福祉、公共事業の名目で「吸ってしまう」上に、貧困地帯の抱えている余剰労働力が賃金の上昇を阻止するから近代化が進まないのである。今の日本の都市部と農村の関係を考えれば、この問題は解りやすいと思う。

 これはイラクの農村部も同様で、こんな場所を抱えている限り、安定した政権など絶対にできやしないのだ。そうなると、イラク安定化の近道は、分割統治によって農村部を切り捨てるか、緑化によって農耕地を増やす事にあるのだが、実はこの問題に深くコミットしている日本の政党がある。公明党だ。

 公明党は砂漠化で減少するチグリスの湿地帯を回復しよう、という国際運動に取り組んでいる。これは、イラクの農耕地を増やす間接的な役割があるから大いに結構な事業なのだが、何とこの公明党が、今回の事件で人質になった5人に対して「自己責任論」を唱えだしているのだから、こちらも唖然呆然である。

 「こんなことをする奴らは………」と思って公明党の支持母体である創価学会の会員に複数問い合わせたところ、案の定この馬鹿理論を言い出したのは公明党の九州人脈だったようだ。九州は創価学会の一大拠点だから公明党には九州人脈が多いのだが、コイツらは本当にどうしようもない。あまりにも村社会を自明にしすぎていて、現代的な政治や外交にコミットできるようなタイプの人間がいないのだ。

 九州、というか正確には関東近辺と岐阜以西の農村地帯は、農地解放の悪影響で自作農が大多数を占めるにも関わらず、その耕地面積が極度に狭いという特徴がある。つまり、コスト高の農業をやっていて国際競争力がない。補助金や特別な関税恩恵、農閑期の公共事業無しでは成立し得ない地域であり、こうした地域から選出された政治家は、補助金獲得が最も重要な公約となる。

 つまり、親分か長老かは知らないが、とにかくその地域の代表が国の税金を分捕って、自分の子分か村人に分配するという制度で地域経済を維持している。裏返せば、税金の分配元である「お上」に逆らった人間は、分け前にあずかれないというのが暗黙の掟になっている、ということでもある。これが「自己責任論」の正体で、要するに「お上」=官僚に逆らった人間は、自分のコネとカネで事態を解決しろ=村八分にすべきという、現代的村社会丸出しの考え方だ。これでは、生活保護者と役人の関係と何ら変わりなく、とてもまともな倫理観とは言い難いのだが、やっぱり本人達にはその異常性についての自覚がない。

 これを助長するのが、労働人口に占める第一次産業(主に農業、林業)の割合が5割を越えていた時代に生まれ、その当時の価値観にしがみついている、いわゆる『団塊の世代』以前の人間で、普段は「先祖を敬おう」とか「国際感覚(常識)を身につけよう」とか「日本人の誇りを取り戻せ」とか言っていたりするのだから、腹の皮がよじれて切れそうだ。恐らく、彼らの言う国際感覚というのは、労働人口に占める農業従事者の割合が極端に高い国々(アフリカなどの農業改革が失敗した国か?)の常識で、先祖の常識も同様なのだろうが、農業人口が労働人口に占める割合が10%を切った今の日本で通用させようと思っているところが凄すぎる。

20 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:16
 代表的なのは、西原理恵子のマンガに『ホモかっちゃん』というあだ名で出てきた勝谷という広島県出身のライターで、普段は九州を犯罪地帯扱いしているのだから呆れてものも言えない。広島も九州も似たり寄ったりで、「目くそ鼻くそを笑う」というのが相応しい。この人物は、戦後最大の暴力団である山口組が、彼の出生地である広島を根拠地にしていることなど念頭にないようだ。

 もちろん、今回イラクの民兵の人質になった5人は、承認欲求を満たすたす目的で渡航した馬鹿者(特に劣化ウラン弾の悲惨さを訴える絵本を書く目的で渡航した18歳には、イラクに行く暇と金があったら頭の病院に行くか、物理学の勉強でもすればと思う)で同情の余地がないが、それでも彼らが日本国民であることに変わりなく、政治家も官僚も私情や省益を度外視して、義務として彼ら救助すべきだった。国家の舵取りをすべき人物達が、「村の掟」を持ち出すのは論外で、そんなに「村の掟」が好きならば、イラクの農村で生活すれば良いのである。

 これは、人質事件が起こった際に自衛隊の撤退を求めた、左派系平和団体のメンバーも同様で、自分達の「お仲間」の命を政治的取引に使おうとするなど、「どこが平和団体か?」と思わざるを得ない。発想がイラクの農村で雇われた民兵並で、こちらもイラクの農村に住むべきだろう。どちらの思想も謹んで遠慮したい次第である。

 それにしても、イスラム国家への共感が理由なのだろうが、カマヤンさんが自分の掲示板に「アッラー〜」と書いていたのには悶絶して、思わず私も「あっらー(こっちは日本語)」とモニターに向かって言ってしまった。彼の掲示板には延々とユダヤ人差別の書き込みが連ねられており(しかもほとんどがコピペ)、これほど正統なマルクス主義者=ユダヤ人嫌いの知り合いは私の人生で2人目である。もう一人のユダヤ人嫌いが、20年来の付き合いのある右翼思想どっぷりの漫画家というのもミソだ。

 しかし、マンガ好きで漫画家である同氏が、偶像崇拝を嫌うイスラム教にシンパシーを感じるのは驚きで、やっぱり「あっらー」と言いたくなってしまう。どうにも、マンガは偶像=フェチではないらしいのだが、マンガに疎い私には、その理屈は全く理解できないし、実体はただのフェチだろう。

21 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:19
 某月某日
 日本マクドナルド社の創業社長、藤田田氏が死去とのニュース。日本の食文化をアメリカナイズした張本人として、歴史に名を刻んだことは間違いない。

 藤田氏本人が自分のビジネス哲学を「ユダヤ商法」と喧伝していた事もあって、日本でもマクドナルドはユダヤ資本の代表的な企業として、一部人間の攻撃対象となっている。この一部人間とは、言うまでもなくマルクス主義者、左派崩れ、そして民族系の右派である。

 左派系の言い分では、アメリカを代表するユダヤ資本企業のマクドナルドが、貧乏人(プロレタリアート)から金を搾取するために、安い価格でハンバーガーを売りさばいているということになるし、民族系右派の言い分ではマクドナルドは日本の伝統的な食文化を破壊して、肉食系の体に悪い食生活を日本に持ち込んだ、ということになっている。

 しかし、日本マクドナルドがロープライス攻勢に出たのは、貧乏人から搾取をするのが目的ではなく、デフレ状態の日本でファストフード業界におけるシェアを伸ばそうとした為に選択した戦術に過ぎない。そして、藤田氏は今後はインフレが日本でも発生すると予想してロープライス攻勢を停止したために、日本マクドナルド社の業績は急速に悪化した。経営の神様もマクロ経済には疎かったようで、会社から身を引く原因になったのだが、彼がデフレーションの原因を正確に分析できていなかったのは明白だ。

 また、そもそも貧乏人はマクドナルドで食事などしないので、金を搾取されることもない。何故なら、マクドナルドで食事をすれば、ハンバーガー1個という買い方をしない限り、大体1回の食事に500〜600円を使わざるを得ないからだ。私も含めて本当の貧乏人は自炊で済ませているし、実際に私の周りでマクドナルドを常食としている貧乏人は一人もいない。どうして、左翼や左翼崩れがバレバレの嘘をついてまでユダヤ人差別を広めようとしているのかは謎で、こんな安っぽいペテンに引っかかる奴がいるのかどうか首を捻りたくなるのだが、一定数の人間が主張しているところを見ると、実際に存在するのだろう。馬鹿は小説より奇なり、と呆れる他はない。

22 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:20
 民族系右派の言い分に至っては笑止千万で、太平洋戦争中に『味の素』(グルタミン酸ナトリウム)を東南アジアや中国に持ち込んで、各国の食文化を破壊したのはどこの国だったでしょう? という質問をしたくなったり、日清が発売している『カップヌードル』は各国の食文化を破壊していないのか、と嫌みの一つも言いたくなる。こちらには、馬鹿は死んでも治らない、という言葉を贈呈したくなる次第だ。

 そんなにマクドナルドが嫌いなら、マクドナルドで食事をしなければいいだけの話である。実際に多くの人間がマクドナルドで飯を喰うのを止めたから、マクドナルド社の業績は悪化したのである。それが自由な社会というもので、「貧乏人には選択権がない」といった類の詭弁は用いるべきではない。そんな戯言を振りまいているのは、金持ちに憧れている貧乏人(ホントはマックで食事なんかしたくない! 金さえあれば高級レストランで喰ってるよ!)だけで、それこそルサンチマンというものだろう。

 また、仮に自炊が出来ないのだとしたら、それは今までの生活に問題があったせいで、やはりマクドナルドのせいであるとは思えない。アメリカで肥満になったのはファストフードのせいだ、という集団訴訟が起こされたが、趣旨はこれと同じで、馬鹿も休み休み言って欲しいものだ。言うまでもないことだが、こうした肥満訴訟の背景には、ユダヤ資本を快く思わない白人極右団体の影がちらついている。

 極左と極右の共通点はここで、表現方法は違っていても、その思想的な本質は人種差別主義である。だから、右から左へと思想的変遷をあっさりやってのける輩が出てくるのだ。レーガン政権が極右系のグループを野放しにしたせいで、今やアメリカからは自由という美徳が失われつつある。そして、アメリカの大学に多い左派が、ユダヤ系資本を多国籍企業批判という形で攻撃することで、差別を影から助長しているというのが、現代アメリカの暗部の一つである。

 よく唱えられる、「1%の人口が99%の富を持っている」というスローガンが典型なのだが、第3次産業が主流になれば起こるべくして起こった現象を、まるで一部資本家の謀略のように騒ぎ立てる神経には、やはり脳の調子を疑いたくなる。「田舎の理屈」としか言いようのないもので、信じるだけ損だ。

 第3次産業は働いた分だけ金が貰えるというものではなく、売れなければお話にならない。たとえば、同じ漫画家でも単行本を1万部しか出版して貰えない作家と、100万部出版してもらった上にTV化された作家では、収入に100倍以上の差が出てしまう。労力はほぼ同一なのに、収入に極端な差が発生するのはこれが原因で、単行本が出せなければ働いても収入ナシになる恐ろしい競争社会なのだ。

 こうなると、一発逆転ホームラン狙いの山師か、確実に顧客を掴んでいるアベーレージ・ヒッター以外には糊口をしのぐ術が無くなってくる。ところが、第3次産業に従事していながら、このことが理解できない職種が2つある。銀行員と公務員だ。どっちも員がついているのがミソで、しかも後者には高級官僚と教職が含まれるのは、国民と子どもにとって不幸としか言いようがない。

23 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:22
 特に権利収入に対する理解のない教師が、子どもの将来をある程度決定する立場にいるのは不幸の一言では片づけられない問題だ。つまり、多くの教師は学校の成績と第3次産業を同一視しており、「努力すると報われる」という虚構を本気で信じている。出版業界にいて、努力しても報われない人間を一体何人見てきたことか。

 思い出すだけでも気が滅入ってくるが、こういう現象が発生するのは、努力以前の問題に原因がある。要するに、企画の方向性が間違っているので、どんなに努力しても結果が出ないのだ。例外はあるにせよ、「始めよければ終わり良し」というのはソフト制作の一大真理で最初に躓くと後が苦しくなる。ところが、人間には未来が解らない。ノーミスを狙って企画を進行することは不可能で、必ず予測不可能な事態が発生する。かの有名な「マーフィーの法則」というやつで、「失敗する可能性があれば、必ず失敗する」のだ。

 そうなると、大切なのは様々な状況に対応可能なリカバリー能力、日本風に言えば「引き出し」を多く持っていることで、これは囲碁や将棋と同様である。状況に合わせて最善手を打つためには、一つでも多くのパターンを認識しておいた方が有利なのは当然だろう。

 にもかかわらず、この「当然」が「未来は予測しうる」と妄想する=宿命論、運命論を自明とする人間には解らない。SF、ファンタジー、オカルト、宗教、占い、そしてドイツ系のアカデミズム(ヘーゲル、マルクス、フロイド、マックスウェーバー、ニーチェが代表的)に染まったタイプの人間がこれに当てはまり、彼らは自分が「予測した未来」、あるいは「そうあって欲しい将来」にしか適応不可能な行動をして、これが外れたり失敗すると「陰謀があった」とか「外部からの圧力があった」と弁明する。

 これは、ルーレットで一点張りを繰り返し、大損した客の言い訳と同じで、「ディーラーがいかさまをした」「店が俺からふんだくった」と言いたいだけである。そして、いもしない「いかさま師」を探し出してきて、「コイツのせいで俺は賭(人生)に勝てない」と不満をぶつけるのだ。

24 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/13(木) 16:23
 マルクスにとって、この「いかさま師」がユダヤ人と資本家だった。彼は現実的な社会主義者たちに自己の妄想理論が受け入れられず、かつての仲間であったフェルディナント・ラサールがドイツで労働者の組織化に成功すると、ラサールがユダヤ人であることを理由に「ユダ公」「ユダヤの黒んぼ」「ニグロをベースにユダヤ人とドイツ人が混合した雑種」と罵った。マルクスが正常な人間でないことは明らかであるし、彼の理論をそのまま拝聴する人間も同様で、マクドナルド社への攻撃が社会的弱者の救済につながる可能性など無い。

 しかし、それでもマルクス主義には純粋理論としての美しい一面があった。これを尊んだフランス人共産主義者であるルイ・アルチュセールは、左右両派の攻撃にのたうち回りながら、やはり美しい理論を作り出した。ユダヤ系社会主義者として自殺に追い込まれたヴァルター・ベンヤミンと並ぶ現代の悲劇である。

 この二人の人生は、我々に一つの教訓を与えてくれる。それは、理想、理念=イデアを掲げることで、そうした宿命論、運命論的な抽象的概念に傾倒して人生を捧げるのは馬鹿げた行為である、という厳然たる事実だ。明日のことなど分からないのが人間で、それが「分かる」と思ってしまうのは、頭の調子がおかしいせいでしかない。

 古代ではこうした人々は「予言者」、もしくは「預言者」と呼ばれていた。今では「嘘つき」、もしくは「精神病患者」と呼ぶべきだろう。

25 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/05/14(金) 00:45
>>20
推敲しないまま投稿してた。

以下が正しい文章です。

代表的なのは、西原理恵子のマンガに『ホモかっちゃん』というあだ名で出てきた勝谷という兵庫県出身のライターで、普段は九州を犯罪地帯扱いしているのだから呆れてものも言えない。兵庫も九州も似たり寄ったりで、「目くそ鼻くそを笑う」というのが相応しい。この人物は、戦後最大の暴力団である山口組が、彼の出生地である兵庫を根拠地にしていることなど念頭にないようだ。

26 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/16(水) 21:17
ご多忙で頓挫しているようですが、面白い。

「戦争は経済に従属しない」あたりはちょっと理解しづらいのは俺が半端に
マルクスをかじったからかな?
 企業からの支持を集めているはずの共和党の大統領がキリスト教福音派の
後押しで戦争を始めた、とうのもちょっと分かり難い。

 戦争はいみじくも日本国憲法が語るように「国際紛争の解決手段」の
一つ=政治であって、政治と経済(と宗教?)は互いに影響しあう関係に
あると考えるべきで、「戦争の結果儲かる企業が現れる」という時間序列
を切り取って「経済が戦争に従属する」と結論づけるのはちょっと強引な気が。
だったらその大統領を支持している企業はどうなのよとか、その政府要人が
企業の幹部だったりするのはどうよとか。これもでっちあげ?

もっともアメリカの宗教事情には確かに疎いので「共和党、宗教」でググっ
たらなかなか面白いところがでてくるのでなるほどそんなものかという気も。

あと、イラク人質事件、俺も自作自演説に乗った口だから偉そうなことはいえない
けど、「農民傭兵が、ビデオ撮影してMPEGエンコードしてビデオCDを焼く」
というのも不自然では?宗教指導者周辺は高度な教育を受けているから、そう
考えればいいのかな?

 不勉強なもんでつまらん茶々入れしましたけど、基本的には面白いと思うので
手が空いたときにでも続くと嬉しいです。

27 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/16(水) 21:21
あと、精神病のクリーエータさんとのつきあいは参考になります。

うちにもパニック障害(と診断された)で仕事をやめて引きこもり、
リハビリ中の外注プログラマさんとかいて。

28 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/22(火) 17:55
>>26
> 「農民傭兵が、ビデオ撮影してMPEGエンコードしてビデオCDを焼く」
> というのも不自然では?
横レスですが、
http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/#jisakujien
を通読してみて下さい。
特に、
■Q5:「武装グループが送った声明文のフォントの鑑定からMacを操作して
作成されたと推定する説もあるが、こんなパソコンが中東にあるのか?
誘拐グループがパソコンを使えるの?」
http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/#q5
が参考になります。
「輸入禁止なのに秋葉原より安い(PC)部品も」あるのが実際なのだそうです。

29 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/22(火) 19:41
>>28
感謝。
>イラクという国=「非文明地域」という偏見があると思われる
いや、まったく。

30 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/22(火) 19:55
ていうか、よくわからないままに「戦争経済従属論」に茶々入れちゃったりしたんだけど、
「カマヤンVS鳥山仁」スレの最新投稿を追いかけていて、唐突に戦争論がでてきた(と見えた)
理由がなんとなくわかった。

 う〜ん、あちらを見るのが初めてだったんだけど、あれは確かに古典的すぎて痛いだろうと。
あまり人のことはいえないにしても。茶々あらためて失礼お詫びします。

 それにしてもポストだったかビートたけしのコラムで「搾取されている労働者」みたいな
表現があったりして、まあなかなか味わい深いものがあるよね。

キッシンジャーとCIAの中東政策については意見を述べるほど知見がありません。

まあなんつかネット上の活動にとどまらず選挙への参加などアグレッシブに活動される氏を
陰ながら応援しております。(応援するだけならタダだしね(w

サバゲで痛めた背中、ご自愛ください(w

31 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/22(火) 20:05
あ、ごめん、あっちのスレの最新投稿は半分私信くさかったんでスルー
すべきかもしれないけど、「カマヤン 戦争 鳥山」でググってたら

愛・蔵太の気ままな日記で
http://www.google.co.jp/search?q=cache:Jzk_uFAQXvIJ:d.hatena.ne.jp/lovelovedog/200405+��˨����ゃ�潟����☖��+薐ュ臼&hl=ja&lr=lang_ja

>ネット上に韓国嫌いの差別主義者が蔓延してるのはなぜ?

での鳥山氏の発言が取り上げられているのをみかけた。

 いずれにせよ公開されているBBSなんだから、レスの相手がどこ(のサイト)を
指しているのかURL表記入れてくれたほうがいいように思った。

 まあ「覗き趣味のあるやつは勝手にやれ」というスタンスならそれもまたよしだが。

32 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/22(火) 21:35
マルクスと戦争論で探していたらこんなところを見つけた。

マルクスの戦争論(2)
http://ww1.m78.com/discussion/marxs war 2.html

ざっと見たところ、西欧史と経済をうまく絡めていてわかりやすいように思う。
サックリとしすぎていてマルクス主義者には反感を買いそうだ。

33 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/22(火) 22:19
>>32
別宮を引き当てましたか…
色々な意味で大当たりです
が、カマヤンさんは「右翼」のひと言で片づけるだけでしょう。

オタクちゃんねる2
http://jbbs.shitaraba.com/news/535/

オタクの政治
http://jbbs.shitaraba.com/study/1274/

34 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/22(火) 23:00
>色々な意味で大当たりです
どんな意味なんだぁぁぁ!気になって眠れそうもない(w

>「右翼」のひと言
面白いからいいけど、割り切りすぎててちょっと不安になるね。

35 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/06/24(木) 05:24
26さん>
 すみません。松代さんから指摘があるまで、書き込みに気づきませんでした。今度から、age進行でお願いできませんか? ネットにそれほど長時間滞在しているわけではないので、sage進行だと見逃してしまう確率が高くなるんです。許してください。

 まず、イラク戦争に関してですが、最近出版された内情暴露本でも明らかにされていましたが、ブッシュ・ジュニアは大統領就任の翌日に、イラク攻撃の可能性を検討しています。しかも、シニアはこのプランに一貫して反対していました。

 つまり、シニアの支持母体だったテキサスと関係の深い石油会社は、少なくともこの計画には賛同していませんでした。恐らく、石油会社は計画の細部を知りもしなかったと思います。にもかかわらず、石油会社の多くはユダヤ系資本であったため、アフガニスタンでもイラクでも「戦争を影で操っていた」と、人種差別主義者からバッシングの対象となりました。しかし、上記の理由が明らかになるに連れて、この説にはあまりにも矛盾が多いことが分かってきたので、『戦争経済起因説』を唱える人間は、軍需産業に矛先を変えざるを得ませんでした。

 そこで、次は軍需産業について考えなければならないのですが、兵器会社は軍官僚が立案した調達計画に基づいて兵器を軍に引き渡します。そして、その経費(予算)は事前に国会で承認を得なければなりません。国会議員の過半数を納得させるためには、合法的には納得のゆく戦略の提示、非合法的には賄賂を渡す必要があります。
そうすると、仮に軍産複合体+ブッシュジュニアが利益目的でイラク戦争を計画したとしても、
1)イラク攻撃作戦の立案
2)それに基づく兵器生産計画の立案
3)国会議員を納得させるための別の(嘘の)理由の提示
4)贈賄
5)国会による予算の承認
6)生産した兵器の引き渡し
 という手順を踏まなければなりません。そして、9.11テロによってこの計画が実現する……というシナリオになっていた「はず」です。ところが、9.11テロ以降のアメリカの予算を見ると、テロ発生前は共和党お得意の減税(!)が行われており、国防費のみは185億ドルの増加が盛り込まれていましたが、これは老朽化した施設と兵器の更新が目的でした。つまり、戦争計画を立案しているとはとても思えません。

 しかも、テロ発生後に組まれた臨時予算の内訳で、純粋な国防費の増加は約9%に過ぎませんでした。それでは、約700億ドルにもなる歳出の大部分はどこに消えたかというと、実は約半数が国内の安全保障にむけられました。具体的には空港の警備です。これは当然のことで、9.11テロは特殊な兵器を使わず、ハイジャックしたジェット機を特攻させるという方法を用いたからです。これを阻止するためには、軍産複合体が生産する兵器類は必要なく、単純に空港警備の人員を増加して水際でテロリストを阻止するしかありませんし、実際にそうなったわけです。

 となると、仮に軍産複合体の陰謀があったとしたら、あまりにも計画内容が杜撰だったしか言いようがなくなります。また、「一番儲かったヤツが犯人説」を採るなら、空港警備に従事した警備会社の類が、ブッシュジュニアとテロ事件を計画した事になります。これはあまりにも「面白い」陰謀です。そこで、『戦争経済起因説』を唱える人間は、兵器産業への攻撃をトーンダウンして、別のスケープゴートを探さざるを得ませんでした。

 それが「石油関連会社」のハリバートン社です。ハリバートン社が攻撃の対象になったのは、「一番儲かったヤツが犯人説」が『経済戦争発生説』を唱える人間によって採択されたからです。実際に、イラク戦争でハリバートン社は儲かっています。これは、米国軍の軍務アウトソーシング(外部委託)化が原因で、イラク復興の責任者である米陸軍工兵隊と同社が補給業務を巡って密接な関係があるからです。

これで犯人は分かりました。『経済戦争発生説』が真実だとするなら、米陸軍工兵隊とハリバートン社が、同社のCEOだったチェイニー副大統領とブッシュ大統領を加え、イラク復興利権を巡って陰謀を企み、それを実行に移した結果がイラク戦争だったわけです。

 この説の問題は、「一体誰がそんな説を信じるんだ?」という点につきます。普通の人間だったら、ハリバートン社のハイエナ体質に嫌悪感を抱くことがあっても、ハリバートン社が戦争を起こしたという意見には同意しないでしょう。
(続くけど、また明日ということで)

36 名前: 26 投稿日: 2004/06/24(木) 08:45
>sage進行だと見逃してしまう確率が高くなるんです。許してください。

あちゃー。選挙も忙しそうだしと思ってたんで、こっちこそ申し訳ない。
鳥山氏つきあいよすぎ。

39 名前: 松代@管理 投稿日: 2004/06/25(金) 00:20
>>37-38は投稿者の求めに応じ、削除しました。

40 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/06/25(金) 02:57
26さん>
 いや、先週、今週は(その前に本を一冊完成させたので)クールダウンの期間に当てているので、別に付き合いがよい、というわけではないですよ。実際、この板以外のほとんどのサイトは、1週間に2回ぐらいの割合でしか回っていないので、反対活動の現状も概要すら把握できていない有様です。

 先の書き込みを中断する形で申し訳ないですが、私の中東、イラク関係の情報は、主にトルコ在住のクルド人と、その政治的関係者であるイラク在住のクルド人から、インターネットを通じてもたらされたモノ+彼らと会話ができるように中東史を勉強した結果です。実は、昔ICQというコミュニケーションソフトを使っていた時期に、多数のトルコ人とクルド人と知り合いになったんですよ。

 私の名前である鳥山仁を、ICQ用にローマ字に変換するとtoriyamazineとなるんですが、これがどうもトルコにある『聖なる山』の名称と近いらしいんですね。それで、繰り返しになりますが、一時期中東関係の知り合いが爆発的に増えました。従って、少なくともクルド人は英語もできるし、インターネットもできるし、当然パソコンも使えることは私が保証いたします。

 また、話は全然変わりますが、愛・蔵太(ホソキン)が私の発言を取り上げているとは思ってもいませんでした。あの人は白泉社の名物編集で、間に一人挟んで私の知り合いになります。出版業界はつくづく狭いと思いますが、何でカマヤンの板を見てるんでしょうね? 謎だ。

41 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/06/25(金) 04:33
32さん>
 分かっていらっしゃるなら話が早い。私がカマヤンさんのケツを叩き出したのは、別宮氏をゲームジャーナルと兵頭が引っ張り出してきて、ミリタリーオタクとリンクさせたのがきっかけです。

 それまでのカマヤンさんが考えていた戦略――オタクを左派系の知識で政治化する――は、この動きがなかったら悪くなかったし、そこそこ効果もあったと思います。何故なら、近代日本史の研究というのは、左派系の学者が中心になって進められてきたからです。右派というのは、このデータにいちゃもんをつけるだけで、とても論理的とは言えませんでした。

 ところが、西洋経済史に強い上に軍事史にも強い博覧強記の人物が出てきたことによって、カマヤン戦略は一気に崩されちゃったんですね。そうした状況(別宮説のオタクへの浸透)が急速に進んでいたんで、「こりゃあかん」と思って、都条例関連の会合でオフに顔合わせをした時に、本人に対して「ゲームジャーナル周辺が、急速に知恵を付けているから、あんたもそれに見合った知識を付けてくれ」と注文したんです。にもかかわらず、本人には危機感が全くないどころか、私の意見に対して「荒らし」だの「思い込み」だのと難癖をつけ始めました。

 しかし、26さんが指摘しているように、一般的な知識で斟酌してもカマヤンの理論は既に誤りであることが明確なんです。このまま、パラダイムシフトをしないなら、あっという間に「過去の人」か「痛い人」に格下げでしょう。何でいつまでも広瀬隆みたいな戯言を言ってるんだと思います。必死になって新しく出てきた資料関連に目を通さなければ、どうしようもないはずなんですけどね。

 また、別宮氏は第2次世界大戦以降のマルクス主義の「理論的」変遷については言及しておらず、かつ不正規戦にもほぼ言及していないので、その点は割り引いて読む必要があります。ただ、西洋経済史に強いというアドバンテージは相変わらずで、これがある限り左派が彼の意見を論破するのは不可能でしょう。

 というか、西洋経済史や西洋経営史をやってる人間を、左派が論破するのは相当に難しいんです。それこそ、右翼が左翼にいちゃもんつけるのと同じ有様になります。これは、大学時代に何度も目撃した光景なので、今更珍しい話じゃなんですが。

42 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/06/25(金) 04:43
32さん、じゃなくて33さんの間違いでした。申し訳なし。

43 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/25(金) 09:13
>西洋経済史に強い上に軍事史にも強い博覧強記の人物

うう。日本の左派はアレルギーが強いのか、軍事関連はほとんどタブーだしねえ。
少なくとも日本以外では軍事は重要な政治項目だし、その知識がそもそもないのでは
太刀打ちできなそう。

それに「虐げられ搾取された民衆が革命で解放される」というのは物語的にも魅力だし。
弱者のルサンチマンってやつ?一度染まった人間が変わるのは大変だろうなあ。いや俺も。

44 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/06/26(土) 02:05
43さん>
 1950年代前半の共産主義、社会主義者は、朝鮮戦争の流れで『暴力革命』も視野に入れていたので、必ずしも軍事アレルギーがあったわけじゃないんですけどね。しかし、国内での暴力革命の頓挫、及びに朝鮮戦争の結果を見れば、「暴力行為」を方針にしていることが、かえって自分達の命取りになることぐらいは理解できたはずです。従って、未だに共産党ではこの時期にあった『軍事方針』が無かった事になっています。南京事件の『なかった派』とどこが違うのかと思います。

 しかし、ヒーロー願望のある人間にとって、左派勢力の『弱者救済』のお題目が魅力的なのは事実です。日本では、これが「悪の米帝を打倒せよ!」や「ユダヤ国際資本を追い払え!」になるのですが、これは太平洋戦中の「鬼畜米英」スローガンや明治維新前後の「攘夷」思想とどこも違いません。共産主義者は戦前の『鬼畜米英』は天皇のため、戦後の『打倒米帝』は民衆のためと強弁していますが、単なる議論のすり替えに過ぎないでしょう。承認欲求の対象が変わったからといって、排除対象が変わらなければ本質に変化はありません。

 共産主義者の最大の誤算は、米国が日本やアジアから某かを『搾取』しようとしているはずだ、と思いこんだ(または思いこまされた)ことにあります。むしろ米国の方針は正反対で、日本人の生活水準を上昇させようとしたんです。これは、善意に基づく部分もありますが、最大の目的は戦前の日本工業界と官僚が採った輸出政策、すなわち軽工業製品のダンピングを防止する目的がありました。工業生産労働者の賃金が上昇すれば、無理な製品の値下げはできないだろうと考えたんです。

 だから、GHQは占領政策の初期に逮捕されていた共産党の幹部を解放しました。しかし、冷戦中のソ連諜報部(正確にはスターリンの思惑)と、米国CIAの愚行(こっちは間抜け)が日本の政治に歪みを生じさせました。イラク戦争も同様で、米国はキリスト教徒優遇政策と秘密諜報活動担当の官僚の再チェック、及びに経済復興プログラムの重点を農業に移さない限り、同じ失敗を繰り返し続けるでしょう。

 貧乏な国=労働人口に農業労働者の占める割合が高い国では、民主主義を輸入してもそれが上手く根付かないんです。例外は米国だけなんです。この「例外」が世界の超大国として国際状況を左右できる立場にいるのが問題です。しかし、田舎の政治家=ブッシュ・ジュニアには、このことが理解できません。自分の政策スタッフと打ち合わせする前に、必ず神様にお祈りする人が決定権を握っているというのは恐ろしい事態です。さっさと退陣するのが世界のためでしょう。

45 名前: 松代 投稿日: 2004/06/26(土) 11:57
>>43
>少なくとも日本以外では軍事は重要な政治項目だし、その知識がそもそもないのでは太刀打ちできなそう。

最近、文章がやたら引用されるようになったため、既にご存じかもしれませんが、とりあえず極最低限の知識を仕込むのであれば、以下の本を紹介させていただきます。

新・戦争のテクノロジー
ジェイムズ・F・ダニガン著:岡 芳輝訳 河出書房新社

本文より
戦争には勝利者などいない。この事実が往々にして忘れられる。戦争を始めるのは簡単だが、続けるには金がかかり、終わらせるのは難しい。戦争は普通、だれかが勝利を確信したときに始まり、国家、個人のプライドやメンツが戦争をやめさせない。そして戦争は一方または双方が破壊され、士気が低下したとき、あるいはまれに突如、何もかもがバカバカしいと目覚めたときに終わるのである。

湾岸戦争前に書かれた本であり、最新の軍事技術や対テロ戦争には十分に対応していないところもありますが、同じ著者の「戦争回避のテクノロジー」と合せ、最もお薦めできる入門書のひとつです。高いけど、手元においておくべき本です。

いわゆる総力戦と「現代思想」との関連に興味があるのなら、以下の本は押さえておくべき本です。ただ、この本も高いから、図書館に請求するのがよいでしょう。

武器としての宣伝 (パルマケイア叢書 3)
ヴィリー・ミュンツェンベルグ(著) 星乃治彦(訳)本体価格 3,689円
総力戦と現代化 (パルマケイア叢書 4)
山之内 靖, ヴィクター・コシュマン, 成田龍一(共著)本体価格 4,078円
理想郷としての第三帝国 ドイツ・ユートピア思想と大衆文化 (パルマケイア叢書 16)
ヨースト・ヘルマント(著) 識名章喜(訳)本体価格 4,800円
未来小説、ユートピア小説など、正統的文学史から見落とされた大衆娯楽小説200点を手がかりに、大衆運動としてのドイツ民族主義の歴史を初めて構築。

>>44
>とりやまさん
>この「例外」が世界の超大国として国際状況を左右できる立場にいるのが問題です。

まぁ、こういうメンタリティの人々が投票するんだから、ブッシュが当選するのもわからなくはないんだけどさ。

アメリカの反知性主義
リチャード ホーフスタッター/[著]田村哲夫/[訳]
出版社:みすず書房
価格:4,800円

大統領制民主主義には問題が多いという研究も出てきたね。

南窓社 J・リンス, A・バレンズエラ(編) 中道寿一(訳)
大統領制民主主義の失敗 その比較研究
本体価格 3,800円
本書帯より
安定した統治と持続可能な民主主義を提供できるのは、大統領制か議員内閣制か?
著名な比較政治学者達によるこの問題の検証は、我が国における首相公選論や今後の政治制度設計に関する議論に重要な示唆を与える。

46 名前: 松代 投稿日: 2004/06/26(土) 11:59
おまけ
経済と戦争の結びつきに関して、以下の本を紹介しておきます。戦争で国が栄えるなんて、いまどきそういうことを言うのはサヨクプロシミンだけでしょう。

嘘つき大統領のデタラメ経済
ポ−ル・R.クル−グマン/三上義一/[著]
出版社:早川書房
価格:2,200円
ノーベル賞目前とまで言われる大経済学者ポール・クルーグマンが、この数年でアメリカを代表する名コラムニストになってしまったのにはみんな(当人も含め)驚いている。本書収録コラムの執筆開始直後から、アメリカの政治経済情勢は一変した。同時多発テロ。エンロン等の会計問題。アフガン爆撃、イラク侵攻。強引な減税と巨額の財政赤字。これらの政治的な意味や、長期的な経済への影響をクルーグマンは指摘し続けた。

貧国強兵:「特攻」への道 (光人社NF文庫 も N-348)
森本忠夫(著)
光人社[文庫判/256頁]
本体価格 638円
『国を富まし、兵を強くする』の国家的スローガンの下、強兵を追求すれば国力が軍事力の犠牲となり、国力停滞は強兵の実現を不可能とし、日本は崩壊の道へ悲劇のプロセスを辿る――アメリカとの物的戦力差を明らかにすると共に、その非力を補填する精神主義に基づく人的戦力形成の恐るべき実体を捉えた話題作。

IBMとホロコースト ナチスと手を結んだ大企業
エドウィン・ブラック(著) 小川京子(訳) 右京?三(監修)本体価格 3,800円

日本経済評論社 G・トレップ(著) 駒込雄治, 佐藤夕美(共訳)
国際決済銀行の戦争責任 ―ナチスと手を組んだセントラルバンカーたち―
本体価格 2,500円
本書帯より
第一次世界大戦敗戦国ドイツの戦争賠償処理を主目的として設立されたBISは、第二次世界大戦中、ヒトラーの第三帝国の戦争経済に協力し、必要な財源確保に荷担した。
日本経済評論社 柴田善雅(著)

戦時日本の特別会計
本体価格 6,200円
日本経済評論社 黒瀬郁二
東洋拓殖会社 日本帝国主義とアジア太平洋
本体価格 3,800円
日本経済評論社 柴田善雅(著)
占領地通貨金融政策の展開
本体価格 8,500円

日本経済評論社の出版物によれば、戦争が日本経済に与えたダメージは一般が想像していたよりもはるかに大きく、また財界人にとっても戦争は歓迎せざる事態であったことがわかります。

47 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/06/27(日) 00:25
うはー。なんにしても本でも読まなきゃ昔かじった知識じゃどうにもならんわけやね。
どれから読むかな。

48 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/03(土) 03:17
某月某日
 兄弟子筋にあたる編集者が自殺。原因は制作していた書籍の売り上げ不振と重度の鬱病。ほとんど面識のない人物だったので、心理的なダメージは低かったが、周囲に重度の鬱病患者が大勢いるので警戒せざるを得ない。一説によると自殺者の70%前後は精神病患者(主に鬱病と統合失調)だし、日本における自殺による年間死亡者数はイラク戦争の犠牲者を間違いなく上回る。何か有効な対処法は無いのか。

49 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/03(土) 03:18
某月某日
 やはり兄弟子筋の編集者で重度の鬱病患者が仕事での些細なミスが原因でパニック状態に。何とか失敗の原因から目を背けさせ、向精神薬を服用して貰う。薬が効いて、どうにか妄執から逃れることができたが、落ち着いた後で食事をしている最中に「子供の頃、誰だか分からないけど、とにかく人を殺して家の下に埋めたんだって思いこんじゃって……それが見つかるのが不安で夜も眠れなかった」と告白されて「統合失調症も患っていたのか」と呆然とする。ちなみに、「同じバスに座っていた知らない中年女性が、内申書を書くために自分をスパイしている」という妄想もあったそうだ。今までよく自殺しなかったなあ、とかえって感心する。というのも、統合失調症は鬱病と並んで自殺率の高い疾患だからだ。ダブルだったら相当に苦しかったはずで、今まで薬物投与なしで良く持ちこたえられたものだ。

 私が最初に遭遇した統合失調症の患者は知り合いの作家志望で、ふとしたことがきっかけで「独りになると、ベルトコンベアの音が聞こえるよね?」と言われて病態に気がついた。「聞こえるわけがないだろう」と答えると、不愉快そうな表情で「みんな聞こえるはずだ」と返されたのを今でも良く覚えている……という話を、先の編集者の話も絡めて別の先輩編集者に話をしたところ、「君の周りには病人しかいないのか?」と叱られる。ちなみに、私を叱った編集者も重度の鬱病患者で、閉鎖病棟に入院した過去がある。つまり、彼の言っていることは誠に正しい。

 余談になるが、私が参加したことのあるエロ本の撮影で、一番濃かった組み合わせは、AV女優→拒食症、男優→統合失調症、編集者→強迫性障害と統合失調症、カメラマン→抑鬱神経症、カメラマン助手→鬱病で、正気だったのはメイクの女性だけ、というものだった。これで、よく仕事が回るな、と思う方もいらっしゃるだろうが、もちろん回らなくてトラブルが発生するのは日常茶飯事である。それが外部に漏れると、『ポルノによる暴力』という話になるのだが、暴力じゃなくて病態悪化、病識のない患者の暴走が真実である。特に、アダルトビデオの場合、監督の精神病がトラブル発生に直結する。

 バク○ーシ山下の「女犯」と平○勝之の「水戸拷問」を筆頭とする、V&R作品に対する『暴力的である』という一部左派系フェミニストの批判には、この視点が完全に欠落している。私は、バ○シーシの被害に遭ったAV女優2人と話をする機会があったが、どちらも「山下と××は気が狂っていた」という感想を抱いていた。私が2人の感想に付け加えるのなら、「これらの作品を見ていて、監督が頭の病気じゃないと思うヤツも頭の病気だ」ぐらいではないだろうか?

 フェミニストがしばしば口にする「ポルノにおけるジェンダー差別」は表層的なモノに過ぎない。その辺の事情が知りたければ、V&Rと関係の深い漫画家の卯月妙子さんに話を訊けばいいのである。ちなみに、彼女は境界例人格障害→統合失調症のコースをたどり、現在は投薬治療によって精神状態が安定しているので、今のうちなら比較的落ち着いて話ができるはずである。

 とは言うものの、こういう提案をしたところで、ほとんどのフェミニストは腰が引けてしまい、撮影現場に来ることはおろか、正直に事情の話せる関係者の前に来ることもほとんどない。また、希に来てもフェミニズムのイデアを振り回して、現実を直視しようとしない。にもかかわらず、分かったような口をきく。彼女達の「ジェンダー差別に関する文章」と「統合失調症患者の預言」にどんな違いがあるのかと思う。違いなどないだろう。病識のない病人の相手をするのは疲れるが、妄想を事実として世間に流布されるの困るので、どこかでストップをかける必要がある。この日記も、その手段の一つとして機能してくれれば良いのだが。

50 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/23(金) 13:22
某月某日
 数少ない楽しみにしていた漫画、『勝手に改蔵』が終了。ネタばれになるので詳細は割愛するが、作者の久米田康治がオタク=精神病というスタンスでこの作品を描いていたことを再確認できて納得する。作品の舞台の名称が『とらうま町』という段階で既にオチはバレバレだったのだが、そんな些末な事柄はどうでもよくて、とにかく『週間少年サンデー』という大部数の媒体で発表していたという一点をもってしても、相当に意義のあるこの作品を、最後まで続けることの出来た作者と編集には素直に敬意を表したい。

 問題なのは、実在するオタクが久米田が解っているほど自分たちのことが解っていないことだろう。何しろ、彼らの中には未だに「ファッションを変えればオタクに見えなくなる」とか「現代思想で理論武装すれば(以下略)」とか「オタクも政治や社会にもっと興味を持てば(以下略)」などと、端から見ていて痛々しい話を延々と続けている連中が、未だに相当数いるのである。

 オタクを止める、もしくはオタクらしくない振る舞いをするのは簡単で、精神病院に通って投薬治療を受ければいいだけの話である。それでも、通院している人間の多くはオタクのままだ。そして、頭の病気を治療しなければ、やがて彼らはオタクですらなくなってしまう。

 幼女連続殺人事件で逮捕された宮崎勤について調べ、オタクが精神病の別称でしかないことに気づいた私は、最初こそ彼らに「オタクは精神病の別称だから、どんなに他の方法で解決しようと思っても無駄だよ」と忠告していたのだが、今ではすっかり政治的になってしまい、時間の経過と共に彼らが駄目になっていくのをじっくり待つようになった。

 それが良いことなのか悪いことなのかは判然としないが、態度を変えて以降の私はこの手の論争でただの一度も負けたことがない。何しろ、時間が経てば相手が病態悪化で沈没という結果を勝手に示してくれるのだ。これほど説得力のある実例はないだろう。

 ただ、そうやって諍いに勝ったからといって、何か有意義なことがあるのかと問われたら、「何もない」としか言いようがない。オタクという単語が世間に広まったのは、精神病に対する無知と偏見が原因である。そして、精神病差別が人種差別や民族差別と決定的に異なるのは、精神病患者自身が無自覚に精神病差別に参加する、というケースが頻繁に発生するという点にある。

 つまり、精神病患者自身が他の精神病患者を「あれは精神がたるんでいるせいだ。病気じゃない」と批判したり、「あの程度で病気だと言っていたら、世の中の大部分が病気だ」とくさしたりする。『勝手に改蔵』が凄かったのは、こういう病識のない病人の行動すら正確に再現していたことにある。業界でしばしば言われているように、「久米田康治は天才」は真実だろう。

51 名前: 熱心な投稿者 投稿日: 2004/07/24(土) 16:36
ちょっと疑問なんですが、鳥山さんのスタンスでは、オタク⊆精神病 ですか?
あるいは オタク⊇精神病 ですか?

52 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/07/25(日) 07:50
>>50
私は普段より鳥山さんの考えには共感・納得させられることが多い者ですが、
ここでいうオタクの定義とはどのようなものになるのでしょうか?

ここでのオタクの定義が曖昧なままで話を進めてしまいますが、
「オタク=精神病」を認められない人達も、また自分がオタクであることに
肯定的な人達(自分がオタクであることの負の面も納得して受け入れている
ような人も含めて)も結局は「オタク=精神病」だから、時間が経てば
「病態悪化で沈没」してしまうので「治療可能なら治療すべき」だという
ことになると考えて良いのでしょうか。

53 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/07/25(日) 17:31
>>50
 日記に書き込んでよいか迷ったのですが。
 この精神病はメンタルヘルス全般と考えてよいものでしょうか?
 
>久米田康治は天才
 絵は合わなかったけど、面白いコメディ描く人ですよね。
 久米田さんの漫画、結構好きです。

54 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/26(月) 01:55
熱心な投稿者さん>
 sage進行だったので、気づかずに申し訳なし。質問に関してですが、なかなか鋭い点をついていると思います。既にお読みになっていらっしゃるかもしれませんが、まずは中島敦の『狐憑』に目を通してください。下記のアドレスに全文が掲載されていますが、これが私の想定するクリエーター、あるいはオタクを過不足無く表現しています。お話はそれからにさせて下さい。

 私は短編作家をそれほど評価しないんですが、ビアスと中島は例外で、特に『狐憑』は傑作と言っても差し支えないと思います。少なくとも、私はこの作品を知人の紹介で読んで腰を抜かしました。熱心な投稿者さんにも、楽しんでいただければ幸いです。

http://www.asahi-net.or.jp/~aq3a-imi/syoko/kindai/nakajima/kitsunetsuki.html

55 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/26(月) 02:37
52さん>
 オタクとは近代人のことでしょう。つまり、オタクは作ることに価値があると考えている=クリエーターを崇拝する人達の総称です。しかし、その制作対象がマンガやアニメ、ゲームや小説などの、比較的精神病患者に優位なジャンルであることが特徴となります。

 そして、ここからが重要な点ですが、精神病に理解のない社会では精神病患者は差別の対象ですが、それがクリエーションに有利な条件であれば簡単に捨てられません。要するに、精神病が治ってしまうと創作者としての神通力(思い込み)が失われて、ただの人かでくの坊になってしまうので、病気を維持しなければならない、あるいは病気を維持しなければならないという強迫観念に取り憑かれてしまうんです。

 中島敦はこの問題に気づいて『狐憑』を書きました。同時に、もう一つのタイプのオタク、いわゆるコレクターや批評家をテーマとした『文字禍』も書いています。どちらもオタクの暗部をえぐり出した傑作で、オタクについて知りたい人達は目を通しておくべきでしょう。何千冊、あるいは何万冊も集めたマンガや同人誌の山で圧殺(人生を棒に振る)は、オタクの人達にかなり頻繁に見られる現象です。

 そう言う次第で、時間があるようでしたら『文字禍』にも目を通しておいてください。
下記にアドレスを貼っておきます。
 http://www.asahi-net.or.jp/~aq3a-imi/syoko/kindai/nakajima/mojika.html

56 名前: 熱心な投稿者 投稿日: 2004/07/26(月) 02:51
読ませていただきました。
なかなか面白い作品でした。昔の作品ながら、いまどきの社会風刺にも対応されている感じで、普遍性の高い作品だと思います。
さて、鳥山さんはこのシャクについてクリエーターを対応させていらっしゃるのでしょうか?それとも、オタクを対応させて
いるのでしょうか?というのも、自分の中では、オタクとクリエータは別物と定義されているからです。もちろんこの両者が
一人の人間の中に並存、または相互依存することは多々ありますが、イコールではありません。作中で言えば、シャクの周囲に
集まった人間がオタク的であると自分は見ています。
また、シャクが冬篭りのあいだにクリエーター(あるいはオタク?)としてのありかたを失ってしまったことは、いささか
唐突過ぎる感もあり、これがどのように精神病として解説されるのかもちょっと想像がつきません。シャクはスランプになって
しまった、というのが一般的な認識になるでしょう。
以上が、現時点での感想です。

57 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/07/26(月) 10:51
簡単な字を二百回、三百回と続けて書くと、点と線の集合にしか見えなくなります。

試してみたい方は自己責任でどうぞ。

58 名前: 52 投稿日: 2004/07/26(月) 11:25
>>55
ご説明いただきありがとうございました。
ご厚意に甘えて更に質問させていただきます。
近代人の中でも「比較的精神病患者に優位なジャンル」に価値を認める人達が
ここでの「オタク」の定義であるということは理解できました。しかし、
そのようなジャンルでなくとも(車やスポーツ、ファッション等)偏執的な拘りや
収集癖・一家言を持つ人々、いわゆる最近のメディアで気軽に使われる意味での
「オタク」的な人達もいると思うのですが、これらを「マンガやアニメ、ゲームや
小説」等と切り分けて考えるのは何故なのでしょうか。

例えば工業デザインやファッションのクリエイターは、「比較的精神病患者に
優位なジャンル」と違って論理的整合性が必要だから、またそれらを消費する
人々も精神病患者的な要素を求めているわけではない=オタクではない、という
解釈でよいのでしょうか。
(無論、それらのオタクジャンル以外にも極度のマニアは存在しますが、
それらの人々はオタクではないが精神病だ、ということになるのでしょう)

59 名前: 52 投稿日: 2004/07/26(月) 11:37
もう一つ書き込まさせていただきます。
リンク先の小説読ませていただきました。
大変面白く、また興味深い内容でしたが、オタク=近代人の中でも比較的
精神病患者に優位なジャンルに価値を見出す人々だと定義するならば、
この小説でも示されているとおり、近代以前、遙か古代にも語り部や評論家、
収集家は存在していたと思うのですが、だとすればオタクは近代人に限らない、
ということになるのではないでしょうか。
(些末な疑問ですみません)

60 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/27(火) 00:47
53さん>
 レスが遅くて申し訳ありません。言い訳なんですが、ただいま2冊の本を同時進行で作成中のため、休日返上かつ1日12時間労働体制に突入しており、掲示板のこまめなチェックは不可能なんです。
 メンヘルの定義に関して私はよく解らないのですが、一時的な精神の異常も含まれると考えてくださって結構です。

熱心な投稿者さん>
 「作る」ことを自明とする社会では、「作れる人」と「作れない人」を区分することは重要ですが、外部から見ればどちらも「作る」ことを自明としているという意味で大きな差はありません。既にご自身で指摘されているように、オタクは作者になる場合もありますが、なれない場合(消費者のまま)もあるわけです。つまり、作者になれない人間のみをオタクとして扱う必要性はありません。

 そして、昨日まで作者だったオタクが、ある日を境に「作れなくなる」事があります。
こうした「作れない」状況をスランプと呼ぶわけですが、これは承認欲求の観点から再検討する必要性があると思います。

 後で述べようと思っていたことですが、フィクションにとって本物(リアル)なのは「思い入れ」=強迫観念だけです。従って、作家は自分の強迫観念から外れた作品を作ることができないか、あるいは作るのに多大な苦痛を伴います。同時に、強迫観念の質や量が変化してしまうと、従来通りの作品制作が不可能になります。この強迫観念の変化に最も大きな影響を及ぼすのが承認欲求なんです。

 これがスランプの原因です。この点で英語というのはよくできていて、create(創造)の繰り返しはre-create(再創造=娯楽、気晴らし)です。

 私の好きなアルチュセールは、この再創造=再生産の問題に気づいた偉大な先駆者でした。しかし、躁鬱病があまりにも重かったので、この問題を上手くまとめることが出来ず、これをイデオロギーの再生産と定義づけてしまったんです。パイオニアにはこうしたミスはありがちですが、それにしても惜しいことをしたと思います。もっとも、彼が精神病患者でなければ、この問題に気づいたかどうかは甚だ疑問ですが。

61 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/27(火) 11:08
57さん>
 私もとある悪戯が原因で、小学生の時に「反省」という文字を百回書かせられた時に、似たような現象が起こりました。モウシマセン。

52さん>
 説明不足なようで申し訳なし。オタク的である要素は、
1:現実から乖離している
2:大量生産品を収集、評価の対象とする
 の少なくとも1点を満たす必要があると思います。

 つまり、現実に比較、測量可能な対象でも、空想的=現実を無視して耽溺すればオタクになります。そして、最初から空想であるフィクションのジャンルでは、他ジャンルに比較すれば「空想に耽溺する」可能性は高まります。その代表的なものとして、ゲームやアニメを挙げたわけですが、もちろん事実に基づいたゲームやアニメも存在します。つまり、ゲームだからといって、フィクション性が保証されているわけではありません。ヒストリカル(史実に基づいた)ゲームなどはその典型でしょう。

 何度も語っていることですが、「思い入れだけが本物」というのがオタクの基本なんです。これは、オタクが現実よりも空想を重視する傾向があることを意味しています。よく言われて耳にタコの話ですが、「生身の女性よりもマンガのヒロインを愛せる」のがオタク、ということです。

 しかし、こうした傾向が原因でオタクが社会から否定されるのは差別です。例外はオタクが「世の中皆自分と一緒」と思い始めた時で、これは叩かれても仕方ないでしょう。つまり、大多数の人間が「現実よりも空想を重視している」と信じ始めた瞬間から排除の対象にされても仕方ありません。

 こういう輩は、大抵「ものの見方は色々ある」とか「解釈は多様だ」と言い出します。確かに解釈は多様でしょうが、「現実と空想のどちらを重視するか?」という問いかけが抜けていてはお話になりません。普通は理念、空想よりも現実を重視するんです。そして、現実を重視する人間にとって、解釈が幾らあっても下位概念に過ぎないので大した意味はありません。

 これも繰り返しになりますが、我々が多様性を重んじるのは現実よりも個々人の空想を重視しているからではなく、未来が分からないからなんです。未来のことが分からないから、色んな選択肢を用意しておいた方が有利だよ、ということなんです。その他の質問に関しては、後で書き込ませてください。そろそろタイムアップです。

62 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/29(木) 12:03
52さん>
 どうにかネットに復帰。

 おっしゃるように、近代以前に「オタク」が存在したのは事実だと思います。しかし、このタイプの人間が独自にグループを形成できるようになったのは近代以降でしょう。それでは、それ以前の「オタク」がどうしていたのかと言えば、少なくとも西洋では宗教関係の制作物に関わっていました。これは、宗教団体が「現実よりも空想」を重視する人の集まりだったからです。

 つまり、現実には存在しない美少女を愛するのも、やはり現実には存在しない神に帰依するのも違いはありません。そして、これも繰り返しになりますが、ただ空想上の存在を愛でるのであれば差別の対象にはなりません。

 今でも、オタクの世界では特定の作品を無批判に受け入れる人間を「信者」と呼ぶ場合がありますが、鋭いネーミングだと思います。同時に、キリスト教系の一部団体と特定左翼グループが、ロリコンネタでオタクを目の敵にする理由も理解できます。どちらも、現実よりも理念を重視する団体なんです。

 普通の人間であれば、ロリコンマンガを読んでも「マンガだから」=空想上の産物に過ぎないという理由で気にしません(気味悪がる場合はあります)。しかし、現実よりも空想を重んじていれば話は変わってきます。ただし、またしても繰り返しになりますが、マンガというジャンルがそのフィクション性を保証しているわけではありません。ただ、フィクションである可能性が高い、という話に過ぎません。

63 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/29(木) 12:16
 いずれにせよ、西欧で宗教の没落が始まり、その流れの一環としてポルノが出現します。最初に出てきたポルノは宗教ネタ、その次に出てきたポルノはロリコンものでした。つまり、ポルノは反宗教運動という政治的な意図の元でスタートし、幼女を犯す、あるいは同性同士での性行為(どちらも生殖目的ではないことに注意)というテーマを選択したんです。

 フェミニストは、こうした歴史的な流れを無視して、「ポルノは女性を搾取する」と言いますが、そもそも女性は関係ないでしょう。これが解らないから、彼女達は「反ポルノ」をぶち上げて、宗教団体に絡め取られてしまうんです。児童ポルノ問題は、この観点から解釈すべきですし、既にアメリカでは『青少年に有害!』という著作などで、この問題が語られています。この本に関しては、いずれ簡単な要約文を書き上げる予定です。仕事がきちんと終われば、という但し書きがつきますが。

64 名前: 52 投稿日: 2004/07/31(土) 19:09
今回も丁寧な御回答を頂きありがとうございました。
(考えをまとめるのに時間がかかってしまい、レスが遅くなりましてすみません)

「現実から乖離している」ことがオタク的である要素だということはよく理解
できるのですが、一方で、オタク的要素のない人でも、映画や小説のような
フィクションに一時の慰めを求めたりしますし、近代以前でも、昔話や伝説の形で、
フィクションが長きに渡って求められつづけてきたように思います。
また、近代以前は宗教関係者がかつてのオタク的存在であったというのも非常に
納得のいく話ですが、当時は一般大衆もまた、程度の差はあれ信仰に耽溺していた
のではないでしょうか。(勿論、その方が集団の中で生きやすかったという現実的
側面も大きかったのでしょうが)

「大量生産品を収集、評価の対象とする」という点についても、しかし世間で広く
(資産的)価値の認められている家屋や自動車、ブランド商品といったものもまた
結局は大量生産品であり、本来の価格を上回る評価がされていることに変わりは
ないように思えます。また、それらの大量生産品に購入者の嗜好で若干の変更を
加えたり、組み合わせを選択することで僅かなりとも独自性を打ち出そうとするのも、
多くの人々が「作ることに価値があると考えている」ことの現れではないでしょうか。

つまり、誰にでもオタク的(精神病的)要素は存在するが、それが行き過ぎて現実より
空想(自分にしか根拠のない基準)を重視するようになった時点でオタク=精神病
である、ということだと解釈すればよいのでしょうか。
・・・こうしてみると至極当然の話で、ここまで解説してもらわなければ
この結論に辿り着けなかったというのはお恥ずかしい限りです。

>>63で触れられている要約文、楽しみにしておりますのでお仕事頑張って下さい。

65 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/31(土) 20:54
52さん>
 仰るとおりでオタクは特別な存在ではありません。この単語は、コンプレックス商売の必要性と、警察とマスコミが宮崎勤を有罪にしたいが為に、「彼が精神病患者である」という事実を隠蔽する必要性から使われた言葉に過ぎません。

 この言葉を最初に使ったのは中森明夫で、世間と上手くコミュニケーションがとれないマンガ、アニメファンを攻撃するために用いられました。ところが、その結論は「岡崎京子や桜沢エリカを読め」で、単なる女性化願望の発露に過ぎませんでした。

 今でも中森は『東京アリス』という写真集を出していますが、要するにコイツは自分が美少女になって周囲からちやほやされたいだけで、それを正当化するために世間と折り合いの付かない社会的弱者を攻撃したわけです。当時の彼の言説は『漫画ブリッコ』というロリコンエロ漫画誌に掲載されており、同誌の編集長だった大塚英志はこの問題に気づいて、「中森もオタクに過ぎない」と彼を革職しています。

 しかし、1989年に宮崎事件が明らかになると、この二人は『SPA!』誌上(だったと思う)で和解を表明して『オタク論』を広めだし始めました。これは、宮崎事件を「ロリコン、オタクの犯罪」としたかったマスコミ、警察の思惑に便乗する行為でした。宮崎は逮捕後1ヶ月で簡易精神鑑定を受けるほどに病態の悪化していた人物だったのですが、警察側からすると社会的影響の大きさを考慮して、どうしても彼を有罪にしたかったので、マスコミを通して敢えて「オタク」という単語を使ったんです。

 また、宮崎が逮捕されるまで容疑者として取り調べの対象になったのは、ロリコン誌、ロリコン漫画誌のライターや編集者で、警察側としては「コイツらみんな××だ」と嫌気がさしていた、という事情もあったようです。

66 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/07/31(土) 20:55
 そして、世間がオタクをネガティブに解釈しだした事に対抗するという名目で、大塚と中森がタッグを組んでコンプレックス商売をぶち上げたわけです。これに飛びついたのが、女性化願望の強い漫画・アニメファンでした。もともと漫画評論のジャンルは、女性化願望の強い人間(橋本治やヨネヤン)によって行われており、大塚もその流れに準じる形で宮崎事件の発覚より数年前に『少女民俗学』という本を出版していたこともあり、彼の立場的にもタイミング的にも、読者の食いつきが良かったんだと思います。

 以降も、『オタク論』の主要な著者の大部分は、女性化願望のある男性、あるいはそうした人物を考察の対象とした研究者です。オタクのもう一方の雄(?)であるやおい系の結論が、「やおいの主要読者層はセクシャルアイデンティティの一致しない女性である」とあっさり結論づけているのに比較すると、あまりにも往生際が悪いとしか言いようがありません。

 ひょっとすると、男性の方がセクシャルアイデンティティの不一致を告白しにくい状況があるのかもしれませんが、この辺の事情は私にはよく解りません。理屈などグダグダこねずに、「僕は美少女になってみんなからチヤホヤされたいんだ」と言えばいいのに、と思います。少なくとも、私の周囲で女性観願望のある男性は、皆そう言っています。

 私が『オタク論』に酷薄なのは、以上の経緯を知っているからです。「何でわざわざむさ苦しい野郎のもったいぶりにつき合わねばならないのか?」ということです。つき合う必要はないでしょう。ただし、女性化願望のある男性に対する社会的差別は考慮する必要があります。そして、同時にセクシャルアイデンティティの一致しない人間に、精神病患者が多いことも考慮しなければならないでしょう。

67 名前: 392 投稿日: 2004/08/01(日) 01:47
>>63
>宗教とポルノについて
なんだってー! Ω ΩΩ
言われてみるとそうですね。だから宗教とポルノは相性が悪いのか。
人間とよく比較されるのがボノボですがコミュニケーションでセックスする猿
だと言われています。他の動物と違い人間は必ずしも子孫を残すこととセックスが
イコールではない生き物です。
ところで宗教で子孫を残す意外の性行為が認められないのって何故
なんでしょうか。生めよ増やせよの拡大解釈? 種を大地にこぼすな?

オタクの基準「大量生産品を収集、評価の対象とする」はこれは大量生産品
である理由は何ですか?

>>66
女性化願望の強いオタクと出逢いましたがまったく当てはまりますね。
普通に「女の子になりたい」と言われて「貴様、俺を見抜いたのか!」と
問いつめたくなりました。(「彼氏が彼女に着替えたら」が好きなもので。

>男性の方がセクシャルアイデンティティの不一致を告白しにくい
のはあるんじゃないでしょうか? ゲイフォビア、女性蔑視、男らしさの押しつけから
逃れにくいとか聞きますが。女性がジェンダーから解放されるためには実は
男性が先に解放されないと女性に解放される番が回ってこないという言説を
どこかで目にした気がします。
じゃあゲイの方が人数が多くてメディアからも認められやすいのは何故か?
はわかりません。

やおい系はたいがいあっさりと認めてますね。「男になって男を掘りたい」とか、
性的対象とされる恐怖と嫌悪、性別を越えることで真実の愛だと信じられるなどの
意見が多いです。栗本薫もかつてはやおい論「タナトスの子供達」で読者の
共感を得ました。今なら榎本ナリコ(野火ノビタ)がオタク批評家としても筆を執り、
やおい好きの心理をよくわかっている作品を出しています。

やおい好きの抱える精神的な問題にも彼女たち自身はそれほど過剰に反応
してないと思う。自分たちがなにがしかの傷を抱えていることにも気づいている。
「やおい論」は知ってますがけどオタク論ってどうなんでしょうね。高等遊民とか
そっち系なんでしょうか。

ただやおい好きはゲイからのバッシング(身から出た錆でもある)に過剰なところが
あって僕女・俺女やビアン、FTM、FTMゲイなどの願望を真面目に口にすると
アイタタ認定されてしまいます。801とゲイは確かに別物であり女性のための
ファンタジーですが、行き過ぎてトランスセクシュアル願望まで否定するのは
やはり精神病が隠蔽されているせいなのでしょうか。
心の傷、ボーダー、摂食障害、援助交際、リスカあたりは受け入れられても
精神病認定は嫌がられているとしか思えません。

68 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/08/01(日) 10:39
>オタクの基準「大量生産品を収集、評価の対象とする」はこれは大量生産品
である理由は何ですか?
大量生産品は同じものがたくさんある、つまりありきたりの物品のことです。
ありきたりの物品ですから、その物品自体に特別な価値があるはずありません。
もし、あるはずのないその価値を誰かが感じ取ったとしたならば、
特別ななにかはその誰かの心の中にあることになります。
その特別な何かをオタクと呼ぶわけです。

でも、これってとっても一般的な心理です。
最近私の気になる言葉に、「こだわり」という言葉があります。
こだわりとは枝葉末節にとらわれて本質を見失うことで、本来誉め言葉ではない。
むしろきわめて否定的な印象を持った言葉だったのです。
でも、最近では「こだわり」はあきらかに誉め言葉ですよね?
実際「こだわり」○○、なんて商品名とかキャッチフレーズをよく見かけます。
さて、この「こだわり」ってここで言う「オタク」と同じです。
オタクって言い方を変えればこだわり人間なわけです。
こだわりが肯定的な価値観であるのなら、オタクもまたそうであるはずです。
私は、オタクにしてもこだわりにしても、こうしたフェティッシュな価値観は、
近代人特有の心理なのだと思います。
金貨が紙幣(非兌換券)となったのですから、こうした心理が育つの当然じゃないのかな。

69 名前: 68 投稿日: 2004/08/01(日) 10:44
ああっ、前のほうのレスよく読んでなかったぁ。
オタクって近代人、て鳥山さんすでに書いてるじゃん。
お恥ずかしい。

70 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/01(日) 13:37
392さん>

 「産めよ増やせよ地に満ちよ」は部族社会=血縁社会の名残でしょう。血縁社会の繁栄の基準は子孫の多さです。しかし、農業の生産性が上がって定住耕作が常態になると、血縁は緩やかに解体されて地縁社会に変化します。すると、「産めよ増やせよ〜」よりも「耕作地をどう保持していくか?」の方が重要となり、血のつながりよりも能力値が重視されるようになります。

 日本の「イエ」制度がこれで、最初は血縁重視でしたが、次第に「家名を絶やさぬ為に養子をとる」のが普通になっていきました。しかし、この制度が近代にはいると社会主義に変質していきます。これは、「イエ」制度の特徴である、「家名のために命を賭す」美徳が「国家のために〜」に拡大されてしまったからです。いわゆる公共の概念というヤツで、戦前の日本では武士道(「イエ」重視)、社会主義、国家神道、家父長制が同居するという奇観を呈しました。これが現在まで続いていて、青少年育成うんたら規制推進派の論理的な(?)根拠となっているわけです。

 ヨーロッパでは、17世紀に30年戦争の終結(ウェストファリア条約)を契機として、徐々に時代遅れとなっていたキリスト教の影響が後退して地縁社会が確定します。ところが、近代国家では唯一アメリカだけがこの「産みの苦しみ」を経験していません。アメリカはピューリタン(清教徒)が作り移民が耕した国なので、政教分離の際に多大な犠牲を払うという歴史的イベントがないんです。日本では、戦国時代に『織田信長VS一向宗』という一大イベントがありました。

 アメリカの恐ろしいところはここで、未だに宗教的な理念が政局を大きく左右し、場合によっては平気で他国(他宗教)に攻撃を仕掛ける事ができます。先のイラク戦争もこうした背景があって初めて発生しえた戦争で、『NO宗教』の私からすると「勘弁してくれよ」と頭を抱えたくなる事件でした。

 また、日本の政治に興味を持つ宗教グループの多くが親アメリカ派であるのも同様の理由に因ります。アメリカ人の唱える、自由、平等は宗教理念抜きでは理解できないし、アメリカ人自身も宗教家が政治にコミットする胡散臭さを理解できないんですね。

 日本の左翼には、是非この点を攻撃してもらいたいんですが、どういうわけかキリスト教よりもずっと血縁を重視するイスラム教にシンパシーを感じて、「打倒米帝」と叫んでいるんだからお話になりません。同時に、戦争に反対する宗教団体(キリスト教多し)と手をつないでニコニコですから、「お前ら、本当に左翼ですか?」という気持ちになります。実体は単なる神道嫌いの攘夷論者でしかないでしょう。

71 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/01(日) 13:38
 セクシャルアイデンティティの不一致を告白する行為に男女差が大きい理由は、勉強不足なのでよく解りません。ただし、女性の方がセクシャルアイデンティティの不一致率が高いことと、これが原因でフェミニズムが盛んになったことだけは解っています。

 そして、女性化願望の強い男性が自己の性癖を公言すると、何故か関東ではフェミニストに従属したがる(承認されたがる)傾向があります。このお陰で、一時期の東京のメンズリブ運動の現場では、フェミニストにつきまとう女装男性の集合体、という気色の悪い光景がしばしば見られました。これじゃ単なる変態パーティーなわけで、世間の理解は得られず山谷えり子みたいな馬鹿女が跳梁跋扈する遠因を作ってしまったわけです。

 オタク論に関しては、ちょろっとネットで探してみましたが、http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/jindex.htm が一番まとまっている様な気がします。この辞典の作者は本当に色んな作品に目を通していて、その努力には頭が下がりますね。ただし、色々と小理屈を並べても最後は承認欲求の問題に還元されてしまう、というのがミソで、もののあはれを感じます。「僕は承認されたいんだけど、みんなが承認してくれないんだ。どうしてだろう?」の一行でお終い、だと思うんですが。

 女性化願望の強い男性は、しばしば自分のなりたい理想の美少女像を実在する女性に投影して、「こうすればもっと理想に近づけるのに」とブツブツやって、「お前はキモイ」と女性から総スカンを食らいます。いわゆる非モテの大部分はこのタイプで、一部の例外を除けば承認されるはずがありません。それなのに、本人に自覚が無く「俺は何でもてないんだ?」と頭を抱えているのを見ると、思わず「心の中に少女がいるからだよ」とやってしまうわけです。私が嫌われるのは当然ですが、つまらん逡巡につき合わされるのはイヤなので、遠慮なくすることにしています。

 やおい系の論客に関しては仰る通りで、男のオタクに比べると遙かにオープンです。また、ジュネ系がゲイから嫌われていたのも事実ですが、ゲイ系もSM関係だとやおい、ボーイズラブを排除しない傾向があるようです。たとえば、G-MENなんかは比較的オープンだと言われています。http://www.gproject.com/

 個人的には、「SMだとゲイもやおいも差別無し」というのはポイントだと思います。どうしてなのかは、たぶん私が言わなくても解ると思います。そういうことです。

72 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/01(日) 13:41
68さん>
 「こだわり」の意味がポジティブに変化しているのが、近代の特徴であるという指摘は鋭いと思います。「思い入れ」=リアリティは細部に宿るんです。そして、「思い入れだけが本物」であるならば、細部にはこだわらざるを得ないわけです。

 フェティシズムが偏在化する理由は、以上の説明で十分でしょう。そして、ジャンルの細分化はどの趣味の世界にも見られる傾向です。つまり、オタクは特別な存在ではありません。

 しかし、宮崎事件が発生した時や、酒鬼薔薇事件が発生した時に、「特別だ」と思いたい人達が大量に発生したんです。彼らが『オタク』関連の言説を熱心に支持したんです。これは選民思想の裏返しで、『ムー』の読者と何ら変わりがありません。そういう人間が集団になって発生したのが『オウム真理教』の起こした一連の事件だったんです。

 オウムもそうですが、最近の新興宗教系はアニメ、漫画を広告として活用する手段をしばしば用います(幸福の科学とか)。潜在的な信者がどこにいるのか、よく解っているんでしょう。前にも言いましたが、実在しない神を信じるのも、実在しない美少女を信じるのも一緒です。実在しない民族を信じるのも一緒でしょう。

73 名前: 392 投稿日: 2004/08/02(月) 13:33
>>71
すばらしいサイトですね。知りたい知識人とかがわかる。

>「こうすればもっと理想に近づけるのに」
一部の例外というのはセンスがあってファッション・美容業界で活躍してるような人ですか? 知り合いで、彼女にはうるさく口を出す(センスあり)人がいるんですが、女性化願望なのかと思うと微妙です。おっさんだし。

>「心の中に少女がいるからだよ」
ワロタ

>SM関係だとやおい、ボーイズラブを排除しない
初耳。一部のゲイはやおいが好きな人もいるのは知ってたんですがSM系という印象は特になかったですね。
SMでは一番人気のあるやおいサイトを読んだことがあるんですが、SMがリアルすぎてやおい特有のファンタジーさがなかったなあという程度の認識です。田亀先生系統。

>どうしてなのかは、たぶん私が言わなくても解ると思います
先生! わかりません!

最近は本格派というか、絵がリアルだったり知識の膨大さが(リアリティ)売りの漫画って多いですよね。小難しい。逆に昔の漫画みたいな「ありえないよ」ってツッコミ入れたくなるような破天荒漫画は少なくなったらしいですが。
でも面白さの本質ってディテールなのか?という疑問はありました。小難しくなくても面白いものは面白いし、薀蓄だらけでもつまらない作品もあるし。
薀蓄といえば京極ですが最近はちっとも面白くないです。

>最近の新興宗教系はアニメ、漫画を広告として活用する
逆に、宗教を脱会するときに漫画・アニメを勧めるというのは有効な手段なんでしょうか?392

74 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/03(火) 02:05
 仰るとおりで、女性化願望を活かすのであれば、ヘアメイクなりファッションデザインなり、ダンスなりの勉強をすればいいわけです。ただし、センスが必要なので誰にでもなれるわけではないから万人向き、というわけにはいかないでしょう。

 「心の中の少女」は私周辺のお約束ギャグで、元ネタは言うまでもなくユングです。アニマなんて女性化願望がなければ理解不能の概念で、ジェンダーフリー反対運動に日本ユング協会会長(?)の林道義が参加しているのを見ると失笑を禁じ得ません。要するに、この人は自分の「心の中の女性」が否定されるのがイヤなわけです。

 SMに関しては私がこれ以上言うとナニなので勘弁してください。

 創作に関してですが、リアリティの有無と面白さの有無と売れる売れないは別でしょう。面白さは意味の分野で、突き詰めれば不条理です。つまり、読者が「なんじゃこりゃ」と思うか、物語の登場人物が「何で俺がこんな目に遭わねばならぬのか」と思うのが面白さの正体です。この二つが合一すると共感が発生し、「心に残る名作」認定されるわけです。

 ところが、物語とは文字通り「物−語る」ですからフェティシズムの要素で構成されています。そこでストーリーをフェチ化して分類し(喜劇とか悲劇とか)、訳の分からない戯言を言うヤツが出てくるわけです。

 私が知っている限り、漫画関係でこの手の戯言を得意げに喋ったのは、あさりよしとお、江川達也、大塚英志、竹熊健太郎の4人で、その結論はすべて一緒で「新しいストーリーなど無い」です。漫画が好きな段階で理屈には向いてないから止めろと思いますが、頭が悪いからそんなことは解らないんですね。もっとも、文章関係も似たり寄ったりなので、これは創作活動に関わる人間全般の傾向かもしれません。

 京極に関しては4行ぐらいしか読んでいないので判断は保留させてください。ただし、売れているのは事実ですから、万人受けする要素はあるんでしょう。

 最後になりますが、カルト脱会に漫画やアニメが役立つかどうかは不明です。カルト脱会の補助グループのメンバーと何度かお話をさせていただいたことがありますが、選民思想の強いカルト脱会者は、カルトを脱会しても選民思想はそのままなので「意味がない」と言っていました。私もその通りだと思います。セレクテッド・ピープルへの憧れを捨てない限り、普通の生活は無理なわけです。そして、この憧れは「未来は予測できる」という妄想を捨てない限り消え去ることはありません。

75 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/08/03(火) 11:40
オタクは木を見て森が見えない人々ですから、枝葉末節を仕分ける分類が大好き。
分類は網羅性が前提ですから、すべての対象は分類されなくてはならず、そしてされてしまいます。
森が見えない人々にとって、分類さえすればそれでおしまい。
おしまいだから新しいものなどあるはずない、となるに決まってます。
SFでいう「浸透と拡散」みたいな現象が分類をいずれ無効化してしまうんですが、
困ったことに森が見えない人々には「浸透と拡散」が行われた後でも、
従来の分類が通用すると思えてしまうんですよね。
分類なんて所詮後知恵なんですが、本末転倒してる人はそこに気づけないんです。
文章関係だと、むやみに文法を持ち出す人たちなんかがそうです。
自然言語の文法も、やっぱり後知恵ですからね。

カルトがマンガやアニメを利用するのは洗脳のツールとしてでしょう。
そして、洗脳に対して再洗脳を行うというのは、
とてもお勧めできるものではないです。
警察とオウムに洗脳のキャッチボールをされたK元巡査長みたいに、
あたまがぶっこわれてしまうに決まってますよ。

76 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/04(水) 09:45
75さん>
 よく解っていらっしゃいますね。分類というか、正確には恐らく博物学の欲望だと思うんですが、オタクの世界では何故かこれが批評の手法として人気があります。そして、不思議なことにカテゴライズの方法論は旧態依然で、植物学者のリンネのような創意工夫がありません。新しい作品が出てこない「ように見える」のはこれが原因なんですが、本人達にはどうにも理解できないんですね。「新しい・古い」を判断するのは自分である、という自覚が希薄なんでしょう。

 可哀相ですが、こういう人達には理屈屋としての才能は皆無です。黙って漫画を描くか、漫画のウンチクを垂れてりゃ良いのにと思います。文法、語源関係も一緒です。

77 名前: 392 投稿日: 2004/08/05(木) 16:35
 そうか、逆洗脳になってしまうんですね。
あれこれ考えた結果「病院に行け」としか思い浮かばなくて。さいわい脱会信者はPTSDにかかっている恐れがあるという認識はそれなりに浸透しているようなのでそんなに反発はないかな。

 いつまでも信者と教団をたたき続ける人たちというのも存在していま。一時的には騙された怒りもあるから仕方がないとは思いまず永遠に被害者意識を持って恨み続けるのは決して精神上いいとは思えないんですよ。
そういう人たちは自分たちが正義(選民意識抜けてない)ってのに酔いしれて病院なんか行かないですよ。

 ジェンダーフリーを推し進めたほうが女性化願望を実現できそうなもんですが乙女心は難しいですね。もしかしてやたらと男尊女卑だったり女らしさをやたらと期待する男って女性化願望なのかしら。

>京極
4行って早っ。最近はブランドだから売れてるだけって気がしますが。同人受けしてるところを見るとやっぱオタ向けなんでしょうなあ。

>「なんじゃこりゃ」
ギャグもこっちの分類になるんですか?

「新しいものなどない」ってのは作品に含まれる、既存の作品に似た要素(猫耳でもシチュエーションでも)に着目しすぎるあまりに、何もかもがパクリや焼き直しに見えるってことですかね? 大塚は構造主義による制作方法だと言ってましたが。
確かにオタ向けのサーチエンジンに使う「検索条件」ってフェティシズムの要素ですもんね。

こういう作品の見方をしてる人間が多いから提言騒動みたいなことになるんですかねえ。
#http://kuroneko-y.hp.infoseek.co.jp/
#オリジナルジュネ作者間でネタ、キャラ名や台詞がかぶった場合は偶然だ
#としてもパクリと認定され、後発の作者が作品を下ろさなければならなく
#なった事件。
http://kuroneko-y.hp.infoseek.co.jp/kajogaki.html
↑これ見ると大塚の小説の書き方の本思い出しますよ。

78 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/08/06(金) 10:44
>要素(猫耳でもシチュエーションでも)に着目しすぎるあまりに、何もかもがパクリや焼き直しに見える
そうです。
オタクはこだわり人間ですから、全体ではなく要素、すなわち部品に拘泥してしまいます。
部品しか目に入らない人達には当然全体の機能などはつかめません。
にもかかわらず、彼らは部品を見ただけで全体もわかった気になれるのです。
彼らの言っていることは「部品が一緒だから出来上がったものも一緒だ」ということなのですが、
そんなのおかしいですよね?

>ジェンダーフリーを推し進めたほうが女性化願望を実現できそう
異性化願望を持つ人の望む「異性」は大概ジェンダーも含んでいるものなので、
そうした場合、ジェンダーフリーはむしろ敵になります。
そして、異性化願望の持ち主は反動形成で異性(ジェンダー含む)をより純化してとらえがちなものです。
それとは別に、性的にはノーマル(自身の性に違和感がなく、異性愛)だけど、
異ジェンダー願望はあるといった人も存在すると思います。
こうした人にならジェンダーフリーは福音になるでしょう。

79 名前: 78 投稿日: 2004/08/06(金) 10:56
書き込んでから「提言騒動」のサイトに行きました(ぉ
いや、笑っちゃいましたよ。
ここに出てくる箇条書きマジックってカテゴライズによる分析の問題点を実に端的に言い表してます。
ホントに笑えちゃうほど身も蓋もありませんな。

80 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/06(金) 11:09
392さん、78さん>
話の流れが面白いし、これを切りたくないので今から別スレッドを立てます。
『日記?』に関するアレコレは、以降はそちらで書き込んでください。『日記?』が話の流れを切るという矛盾を避けたいのです。よろしくお願いいたします。

81 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/06(金) 11:11
某月某日
 母方の祖父の十三回忌に出席する。私も含めて、母方の一族はこの祖父の強い影響下にあった。そして、現段階でも強い影響下にある。これは、祖父が某出版流通会社の重役であったことと、強烈なパーソナリティーの持ち主だったことに起因する。そのせいで、母方の一族の多くは出版関係の仕事に就いてる。

 特に私は母子家庭だった時期に祖父の家で暮らした分だけ、その影響をまともに受けていた。そして、これが非常にたちが悪いものだった。何しろ、無菌教育よろしく、小説、マンガ、テレビ、映画も含めて娯楽モノは一切駄目という方針だったのだから凄すぎる。よく考えてみなくとも、祖父は流通業者として娯楽小説もマンガも売っていたのである。よそ様の子どもが漫画を読むのはオッケーで、孫は駄目というのはおかしな話だろう。

 唯一の例外はゲームで、これは祖父が将棋を愛好していたのと、年齢故に(祖父は明治生まれ)ゲームに興味がなかったのが原因である。私の幼少時には、まだコンピューターゲームは一般的ではなかったから、ゲームと言えばボードゲーム、それもヒストリカルなシミュレーションゲームが主流だった。そこで、外で遊ばない時はシミュレーションゲームということになるのだが、これが歴史を知らないとソロプレーも不可能という代物で、とにかくセオリー通りのコマの動かし方を理解するためにも、戦史を頭にたたき込まねばならなかった。

 それが原因で歴史と地理を勉強する羽目になったのだが、当時のゲーマーの主流だった第二次世界大戦中のナチスドイツ軍にも憧れず、同時期の日本軍にも肩入れせず、赤軍(ソ連軍)と英米軍愛好という(当時としては)マイノリティーに所属する羽目になった。これは、コンベンションなどで見知らぬ同好の志とシミュレーションゲームをプレイする場合、人気のあるナチスドイツや日本軍を担当するよりも、赤軍や英米軍を担当した方が容易にゲームに参加できたのが原因だった。

 要するに、ナチスドイツ軍を担当したいプレイヤーは山ほどいたが、赤軍やヤンキーを担当したいプレイヤーはそれほどおらず、自ら「赤軍を担当したいです」と申し出れば、下手くそなガキでも好意的に受け取られる=承認欲求を満たせるので、子ども心にに「しめた」と思ったのである。

 もちろん、実際に締まったのは自分の首で、赤軍(連合軍)ばかりをプレイしている内に、だんだん赤軍(連合軍)が好きになってきて、「こんなステキな赤軍(連合軍)を作ったスターリン(ルーズベルト)って、一体どんな人だったんだろう?」と、近代ロシア史と近代アメリカ史に首を突っ込んだのが運の尽きだった。「生兵法は大けがの元」とはよく言ったもので、駄目人間の素地は間違いなくここで形成されたのである。

82 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/06(金) 11:13
 つまり、駄目人間の形成と漫画やアニメには、直接的な相関関係は無い。私は十才になるまで、本当にマンガもアニメも見たこともなかったが、今ではきっちり社会のクズである。しかし、マンガ好きやアニメ好きと話をしていると、質的な乖離があることは理解できる。

 彼らと話をしていると、承認欲求のあり方が「自分だけ特別」と「アントロポモルフィスムanthropomorphic(擬人化)」の部分にウェイトが置かれているケースが多い。これは、マンガ、アニメに「主人公だけが特別」という設定が多く、かつ物語の状況説明がキャラクターを介在して行われる場合が多いのが原因だが、ゲーム系の流儀とは真っ向から対立する。ゲーム系の承認欲求のあり方は、「勝敗はルール上で決定する(参加者に特別扱いナシ)」と「状況説明はルールによって行われる(擬人化ナシ)」が基本だから、どうしてもマンガ・アニメ的な価値観とは正面衝突しやすいのである。

 たとえば、同じ歴史的事実を視るにしても、マンガ、アニメよりだと「どんな人物がいたか?」と「その中でも、どの人物が特別だったか」に注目が集まりやすいが、ゲームよりだと「どんな制度(ルール)で運営されていたのか?」と「どうしてその制度が変わったのか?(あるいは変わらなかったのか)」に目が向いてしまう。

 私が真性のマンガファンやアニメファンと齟齬を起こしやすい原因はこれなのだが、どちらがより子ども(または子どもっぽい大人)のリアリティを汲んでいるかと言えば、やはり圧倒的にマンガやアニメ的な価値観であることは疑いようもない。つまり、子どもは「自分だけ特別扱い」されることに違和感がない、あるいはもっと酷いと喜んで特別扱いされたがるし、アントロポモルフィスムanthropomorphic(擬人化)されたものでなければ承認欲求を働かせられない場合がしばしば発生する。

 たとえば、ロボットアニメやロボット特撮ものが典型的だが、わざわざ外形を人間に似せる=擬人化する必要性は全くないはずである。動物(猫耳少女etc)も同様である(この手のキャラクター愛好者をfurvert=毛皮性倒錯者と呼ぶ場合もあるようだ)。しかし、ディズニーが代表的な存在だが、アントロポモルフィスムは商業場では圧倒的に強い。つまり、より多くの承認欲求を満たせる可能性が高い。

 ところが、その一方でアントロポモルフィスムは真剣な議論の対象とされることは希である。少なくとも、宗教界、広告出版業界、及びにその周辺以外でアントロポモルフィスムを自明にすると「馬鹿、幼稚、オタク」のレッテルを貼られやすい。これは、アントロポモルフィスムが『神人同形論』、あるいは『神人同形同性論』であることと密接な関連性がある。つまり、「神は自らの姿に似せて人を創った」ということであり、実際のところはその反対で人像表現の自明化だろう。

83 名前: 鳥山仁 投稿日: 2004/08/06(金) 11:15
 近代社会において『神人同形論』が何故に幼稚かと言えば、この概念を克服する過程で西欧社会が築かれていったという歴史的な経緯があるからである。具体的には政教分離がヨーロッパにおいて近代の発生を可能にしたのだ。芸術のジャンルが典型的だが、人像表現を自明化しないのが近代芸術の一つの大きな特徴である。裏返せば、アントロポモルフィスムは近代に対する逆行ということになる。

 そして、アントロポモルフィスムを利用したキャラクター商売が、アメリカと日本に集中していることも忘れるべきではないだろう。同時に、アメリカという国は政教分離のために多くの血を流した経験のない特異な近代国家であり、日本では死体をアントロポモルフィスムする=先祖崇拝が根強い風習として残っていることも忘れるべきではないだろう。  

 近代社会における大人−子ども問題には、確実に上記の要素が絡んでいる。子どもっぽさ(あるいは子どもらしさ)の一つのあり方とは、詰まるところ擬人化に対する親和性なのだ。人間ではない物が人の形をとり、無機物が人間のように動く(アニメーション)事に対して違和感を感じないのであれば、その人はいつまでも「子ども」でいられるのである。

 13回忌の最中に従姉妹の子どもと遊びながら、「俺の子ども時代はどうだったかなあ?」とつらつら考えたのだが、あれだけ祖父から色々制約をつけられながらも、結局ツクダから出ていたロボットアニメのシミュレーションゲーム(中学と高校で流行っていた)を喜んでプレイしていたのだから、なんのかんの言ってちゃんと子ども時代はあったのだ。そういえば、『ウルトラマン』は見ていなかったのに、『ウルトラマンカード』は一生懸命集めていたなあ、などと色々思い出す。

 祭事が終わり、自宅に戻った際に、それらの品々があるかどうかを探してみたのだが、ボードゲーム以外のアイテムは一切発見されなかった。私の幼年期が終わった時期はハッキリしていて、養父が統合失調症で発狂した二十歳の時と、ずいぶんと遅くまで「子ども」をしていたのにもかかわらず、である。恐らく、母親が処分したのだろうが、訊ねる気にもならなかった。

 「子ども時代」に対するノスタルジーは自分でも驚くほど無い。これは当たり前で、様々な制限を課せられていた時期を懐かしむことができるはずがないからだ。子どもは「楽だけど楽しくない」のである。そして、親権者からの外圧が消えればアントロポモルフィスムへの欲求も消失する。仮に消えないとしたら、未だに心に「何か」を抱えている証拠だろう。

84 名前: СТАЛКЕР 投稿日: 2004/09/08(水) 20:38
>>78
話の趣旨がチョッとズレてしまいますが
「鉄道オタク」はアスペルガー症候群が多いようですね。

特に「川島○○」氏は有名ですが…

85 名前: 松代 投稿日: 2004/09/09(木) 12:18
>>84
申し訳ありませんが、擦れ立て人の要請もあり、このスレに関しては発言へのレスを「日記?」のあれこれ擦れにお願いします。

それにしても、カワシマすか!

本はかなぁり売れてるんですけどね〜
版元のドル箱扱いですよ。
クーラーがついて無い車両をボロクソにけなすのは、とにかく問答無用に面白かったのですが、まぁファナティックなのは間違いないですね。

■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■