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文字化けとの戦いはこちらで

1鶴弥兼成:2004/02/27(金) 23:05

 魚偏貝類特集。例によって括弧内はひとつの文字なので圧縮した字を想像すること。

魚偏に亢 「魚亢」 コウ 大きい貝
魚偏に丰 「魚丰」 ホウ おおはまぐり
魚偏に丙 「魚丙」 ヘイ どぶがい
魚偏に甘 「魚甘」 カン あかがい
魚偏に包 「鮑」 ホウ あわび
魚偏に吉 「魚吉」 キツ どぶがい はまぐり
「魚偏に大に彡」 ホウ ボウ おおはまぐり
魚偏に利 「魚利」 リ あさり
「魚偏 右上に人 右下に虫」 カン どぶがい
「魚偏 右上に人 右中に一 右下に虫」 カン どぶがい
魚偏に奏 「魚奏」 ソウ どぶがい
魚偏に皇 「魚皇」 コウ ひがい
魚偏に豪 「魚豪」 フク とこぶし
「魚偏に腹の旁」 フク とこぶし 
「魚偏に腹の旁の下が夂ではなく又」 フク とこぶし あわび 
「魚偏に朿の下が貝」 サク 貝の一種
魚偏に責 「魚責」 シャク セキ サク 小さい貝

 どうも少ないので見落としが多数あるかと思うが中国ならば貝と接する機会は少なくてこんなものかとも思う。

 「魚責」は小さい貝を指し、また「虫責」と同じ字。貝は虫扱いらしい。だから「蜆 しじみ」、「蛤 はまぐり」、「蛎 かき」などは虫偏なのだ。「貝といえば舌」だからと考えて「虫偏に舌」の「蛞」という文字は何かと調べてみたら、「なめくじ」であった。不祥ながらも納得せざるを得なかった。

 重複、異体字が多い。諸橋大漢和は元々中国の古典から多く採っているので、時代を経て異体字の増える事は仕方のないところだがもどかしい。そして魚偏の文字を一通り見て感じたことは、一字一義とは限らず、むしろ一字多義の事例が数多くあるということ。従って以降重複してもその字は二つ以上の意味を有するまたは有していたと解されたい。

 仕切り直して順番に片付けたい気もするのだが、いくら辞書に著作権が認められていないとは言え、そのまま引き写すことはせず、このまま分野別に抽出しながら再編集して、結果的に分類表となる形を目指すとしよう。

2鶴弥兼成:2004/03/28(日) 23:33
 「鰥」という漢字がある。魚偏に四に水の字だが、四は目であって、つまり魚に目と水で「眔・なみだ」の旁で「やもを」と読む。

 「やもを」とはつまり連れ合いに先立たれた男のことで、「男やもめに云々」という言葉もあるが、やもめの「め」は女であって、男の場合古くは「やもを」であった。「やもめ」の方の漢字は「寡」を使い、これは寡婦の字で見ることもある。これを繋げると鰥寡となり、「かんか」と読む。老いて妻のない者と老いて夫のない者のことで、孤独な様を指す言葉でもある。

 また「孤独」とは、分解して「孤」がみなしご、独は古く「獨」でひとりもの、つまり「幼く親のない者を孤」、「老いて子のない者を獨」が元々の意味であり、これらは似通った意味となっている。である以上当然全部繋げた言葉もある。「鰥寡孤獨」をとこやもめと後家とみなしごとひとりもの。合体すれば上手く歯車が噛み合う気もするのだが、噛み合わないからこその状態とも言える。「鰥居」は老いた男の独り暮しで、「鰥鰥」は目が冴えて眠れない様子など、不思議な印象のある字であって、何故これが魚偏なのかが気になる。

 「鰥」はまず大魚の名と規定されている。「鰔(かれい)の別名」とあるが、鰈がそれほど大きくはならないことを考えると、これは鮃ではないだろうか。ベーリング海のオヒョウがそれらしき雰囲気を持っている。成長し齢を重ねたオヒョウからやもめを連想するのは割に簡単なことだから、それなら納得がゆく。

 しかし「河で釣り上げる」なる記述があるので違う可能性も考えられる。何よりも中国と日本では魚偏の字と意味が食い違うことが多々あり、また現代中国と古代中国でも意味が変わっている可能性もあり、更に古い時代の中国では必ずしも同じ魚を指していたという保証さえない。

 ただ、大きい魚を見て「そこまで年をとると連れ合いは既にいないのだろう」と考えたであろうことが僅かに察せられるのだ。

3演義トランプ 07/29零時発行 改行ツメ:2004/07/29(木) 05:21
 三国志トランプ315円、JORKERが孔明と仲達で、一枚毎に違う人物のイラストと名前に出自、主な逸話と死ぬ場面の簡単な略歴がある。簡体字だが、多少習っていてよかったと思うのはこのような時なのだが、緻密な背景の上に載せた稚拙な人物イラストが突込みどころ満載だ。

 それで一枚づつ順番に見ていたわけだが、ハートのエースが曹操ですよあなた。演義だから極悪な面構えの曹操がハートのエースですよ。確かに演義では悪役扱いでしたが本場でも曹操の人気は高いわけですよ。曹操はまあ信長と考えれば間違いない性格と立場の人でありますが、それでもハートのエースは荷が重い。演義でハートのエースに相応しいのは貂蝉ですが、彼女はスペードのクイーンに在ります。曹操の名前と格から見ていずれかのキングに配すべきでありましょう。

 いっそのことスート毎に国を分けてしまえばよいのに、ハートのキングは一番凶暴なイラストの張飛です。普通はこの張飛のイラストを見ただけで「あ。ジョーカー」と思いますな。桃園の契りで劉備関羽と義兄弟になる重要なやくどころでありながら最も悲惨な顔に仕上がってあります。顔が鼠色とは閻魔大王より酷い。

 それにしてもダイヤ7の呂布が随分男前に描かれているではありませんか。暴虐の悪王董卓を弑逆してみずからがその席に登ってしまったいわば木曾義仲の立場でありますが、富士額に切れ上がった眉と引き締まった口元、顔色もよくて爽やか過ぎるようです。もう少し頭が悪そうな雰囲気が欲しいところです。

4演義トランプ 後半 07/29零時発行 改行ツメ:2004/07/29(木) 05:22
 その呂布に殺された稀代の悪人董卓ですが、ダイヤのエースを張っており、お髭が向日葵の如く生えている中でにこやかに微笑んでいるのが大変に不気味であります。張飛と入れ替えても通用するでしょう。清盛といった役周りの人でしょうか。

 ハートの10夏侯惇なのですが、彼の絵は仁王立ちで左手を腰の剣柄に添え、右手で射られた直後の引き抜いた矢を握り締めているところです。伝わるところでは眼を矢で射抜かれてしまい、矢を引き抜くと目玉もずるりと抜けてしまった、しかし折角親から貰ったものだから捨てるに忍びずと言い放ち自らの目玉を喰ったそうであります。問題なのは彼が射抜かれたのは確か左眼であって、しかしこの絵では潰れているのは右眼であります。

 あとはまあ、スペード7の馬岱なんてお目目ぱっちりの髭面でどう見てもホモであり、ダイヤ8の公孫瓉は明らかに宣教師の顔つきであり、ダイヤ5張遼は肩車でもして腹の中にもう一人いるのではないかと思うほど胴のバランスがいかれており、クラブ3魯粛は「一杯行こうよ」と誘っているようであり、クラブ2の劉璋は何か歌っているようであり、ダイヤ9の于禁はタコ踊り中の酔っ払いであり、廖化に至っては印刷がずれている。スペード10の黄忠が最も格好よい。

 あまりにも面白すぎるから、三国演義にのめり込んだ過去をお持ちの方は是非、眺めて大笑いするべきかと思われます。

5柿& </b><font color=#FFFFFF>(NNQWVwRs)</font><b>:2004/08/01(日) 16:42
 「柿」と「杮」は非常によく似た漢字であって、通常印刷された場合の読み分けは文脈に頼るしかない。

 幸いな事に果物と鉋屑として全く違う意味であるから文脈判断で間違える可能性は非常に低い。新しい劇場など完成して「こけらおとし」の言葉を聞く機会がたまにあるだろう。「杮落とし」とは鉋屑落としのことで、杮落とし公演とは、その劇場で最初に行われる演し物を指す。

 家などを建てた際に、最後に釘を一本残し有象無象が集まって一番偉い人に打ち込んでもらって完成させ、その後は例によって酒が振舞われるわけだ。あの発展形が駅やビルなどのテープカットであるが、木造建築を主とする日本の建物で釘さえも使わない時代、鉋の削り屑を残したまま完成させ、最後に有象無象が集まって酒を飲む直前に鉋屑を削り取り払う。鉋屑を「杮」と呼び、完成を「柿落とし」と呼んで祝う。現代のテープカットと同義であり、しかしながら柿落としと称してテープカットをするのは意味と時代と物質の変遷を具現していて興味深くもある。

 ところで何故柿と杮はこれほどまでに似てしまったのか。ワードパッドの表示では杮の方が柿よりも僅かばかり旁の天辺が長く見えるようだ。短いのが果物の柿であり、長いのは鉋屑の杮である。柿は木偏に鍋蓋を書いて巾の文字であり、杮は木偏に木のような右下の跳ねが勢いある旁となっている。朮の点を外した形と考えてよい。柿の旁は鍋蓋を書くが、杮の旁はまず十を書く。つまりこれは書き順も形も違うのだ。

 だからと言って杮の旁を十のあと左に右に払うと「林」になってしまう。杮の文字は杭の鍋蓋の取手が下まで突き抜けたような形なのだから、そのように書きそのように表示すれば問題はないのだが、今の規格では事実上同じ字にしか見えない。

 さて、では柿を鉋で削って発生した屑は「柿」ですか?「杮」ですか?

6部首:2004/08/26(木) 16:50
 「挨拶」という字を覚える呪文は「てむやてくくくた」であり、これは挨拶をそのまま分解した「扌」「ム」「矢」、「扌」「巛」「タ」を強引に読む。

 ややこしい漢字はひたすらに書き続けて手で覚えてしまうか、何かの技を必要とするのであって、大した自慢にならなくても不意に役立つ時がくる。

 一頃「薔薇」が書けるかと問う広告があり、「草十人々一回。草机ビ」と覚えて以降は迷いなく書けるようになったが、やはり部首の呼び方を知るか知らずかで多少の差が出るようだ。

 「憂鬱」もまたごちゃごちゃして書き難い字の筆頭であると認識されている。だからこそ覚えてしまおうとする無意味な努力により、迷わず書けてしまう。憂は問題ないが鬱が少々ややこしい。何度か書いてみて、手で覚えることは不可能と悟ったから、分解して「きこうきわ、ちょうさんづくり」で覚えている。この場合、部首名が大きな役割を果たしている。「木」「缶」「木」「冖」「鬯」「彡」であり、上の両端「木」は問題ないが、通常「缶」を「コウ」とは読まない。しかも「缶」の部首名は「ほとぎ」なのだが、語勢と勘違いにより「きこうき」から「木缶木」が導き出される。そしてわかんむりを挟んで下に「鬯彡」がくる。「鬯」の部首は一度分解したこともあるのだが、語呂の悪さに手を焼いていたところそのままの形で部首があることを知り、「ちょう」と覚えた。この※に受け箱にサジで「ちょう」の部首、殆ど使えず事実上鬱専用なっており、あまりにも非合理的過ぎて覚える価値は全くない。しかし「覚える価値がない」を覚える理由としてしまう悪癖がここでも発揮された結果、憂鬱を書くことが出来る。

 ところで「くさかんむり」が表示不可能であることに早急なる対処を求めるものだ。「艸」しか存在しないことは不便にも程がある。「おいかんむり」「しょくへん」など、意識せずに覚えた者には必要なくても新たに日本語を覚えようとする人々に対して障壁となるではないか。

8ケチャップ:2004/10/22(金) 23:37
 ケチャップは下痢する。

 ある程度使われて内容量が半分程度に減った頃、安定感を理由に直立させている状態から蓋を跳ね上げて圧力をかけたれば実に汚い音を立てて途切れ途切れに噴出される。これを避ける為には蓋を閉じた段階で内部の空気と本体の位置を入れ替える必要がある。不注意により汚い音を出した直後に、慌てて蓋付近に空気ではなく本体を寄せるべく振ってみる瞬間、不幸にして蓋を開けたままであれば、少量づつ弾丸の如く玉状で予測もつかない方向へ飛んでゆき、何故か必ず困る場所へと着弾することになっている。

 では空気を入れない状態の、つまり搾り出す為にかけられた圧力がそのまま残っている所謂潰れた容器の場合は下痢しない。ただし自立せずだらしなく横たわっているから見苦しい。クリームを絞る袋のように下に蓋口を付けておけばよいのだが、それは逆さにして保管すればよいと反駁されるのであり、確かにその通りではあるが蜂蜜の容器で下から垂れる奴があるだろう、あの形を参考にすればよい。

 また蓋口周辺を丁寧に拭っておかない場合、一部が乾燥して穴を塞ぐ。塞がれなくても穴の一部に乾燥付着してしまい、勢いで吹っ飛ばされると問題ないが、強固に付着してある場合は穴の形が微妙に変化し、出てくるケチャップは変化球の軌跡を描く。ここに空気が溜まってあれば「変化球で飛び散る下痢状のケチャップ」という悲惨な事態が発生する。

9ケチャップ 後:2004/10/22(金) 23:37

 「ケチャップ」の語源は諸説あり過ぎて最早誰も信じられない状況にあるが、日本語としては片仮名で定着しているのが少々悔しい。元が何語であるか位が判明すれば話も進もうものだが、仕方がない。とりあえず中国語ではどう表記されているか。「番茄酱ふぁんちえじぃあん」これをこのまま日本で適用するには無理があるようだ。そもそもトマトの漢字が中国輸入の「蕃茄ばんか」と日本で当てられたらしき「赤茄子」である。トマト自体の語源はメキシコ土着語の「TOMATL」と考えられているがこちらからの接近は難しいようだ。

 強引に当てるならば、「けちゃっぷ」赤茶色と考えて「茶」の字を使えるだろう。すると前の「け」後ろの「っぷ」が必要になる。「け」の候補は後で考えるとして、「っぷ」の漢字はどうするか。ここはアイヌ語に当てた漢字から応用すれば「音威子府」「納沙布」つまり「ふ」の文字でよいわけだから、「府不負腑婦譜附符歩訃布麩賦普扶腐付夫阜怖斑蒲釜缶埠富冨敷斧舗浮膚芙赴風」どれを選ぼうか。印象のよくない字や一見「ふ」と読めない字、別の印象が強過ぎる字を除くと「布普扶付富冨芙風」あたりが残る。

 「掛茶布」何やら台拭の銘柄の如き組み合わせになった。「布」が悪いのか。「掛茶風」何処の国の料理か。つまりこれは無理なのだな。

10裾上 前:2005/03/08(火) 06:05:16
 絝の読みは「はかま」であるが、示偏を「はかま」とし、以降は糸偏を「ズボン」と読むことにする。

 絝の裾は通常足の長さに合わせて調整されるが、調整した後に長さを固定する方法として判別出来ないような同色の糸で縫い付ける方法と裾上テープを利用する方法がある。糸で縫い付けた場合は近くで見ると確かに縫目が見え、裾上テープの場合は折り返しの高さが一目瞭然となるのでこれは好みの問題となる。裾上を頼む店によって違いもするが、どのような方法であろうと固定されているならば問題はない。しかし内側に折り返された裾が何かの拍子に外れてしまえば悲惨な目に遭う。

 一時的に長袴のような歩き方になるのは仕方がない。針と糸を絶えず携帯している男は滅多に居ないから折り返しの癖を信じてその日を乗り切ろうとするわけだが、その後の処置として裾を上げて固定せねばならない。仲が良くて針と糸を常時携帯している家庭的でいい女が身近に居たならば応急処置を施して貰えるが、そうでない場合は男の知恵が発動される。

 「ホチキスで止める」確かに止まり、長袴状態ににもならず折り返した内側と筒の内側にある耳とを止めれば針の痕跡は全く見えないから非常に快適に思える。だからつい本格的な裾上をせず、クリーニングに出しても外れず返ってくるからそのまま穿こうとする。しかし糸で縫い付けたり裾上テープで接着させたりした場合と違い、脹脛の両脇二箇所をホチキスで止めただけでは折り返した裾が袋を形成する。穿くと足が袋に差し込まれて出てこないのだ。

 しかし絝を穿こうとする状況では大抵何かの時間が迫っているもので、その場はとりあえず足を通し裾上問題を先送りにして凌ぐ。以降は単にその繰り返しである。その循環を断ち切る為に針と糸でちくちく縫うのは何故か気恥ずかしいから裾上テープを用意する。テープは濡らした後に熱したアイロンを押し当てて接着させる仕組みであるが、説明書を詳しく読まない性格の人間はここで失敗することになっている。

11裾上 後:2005/03/08(火) 06:05:39
 濡らせたテープの何処に糊があるのか不審に思いながらまずアイロンを当ててみるとぴったり張り付く。ただし張り付いた先は絝ではなくアイロンの裏だから焦るのであって、そのまま指で剥がそうとして充分に熱されたアイロンで火傷する。

 ひとまずアイロンが冷めるのを待ち、銀色の糸に見えた物体が糊らしいことを把握し、アイロンの糊を念入りに拭き取って程よい長さに折り畳んだ裾の間に挟み、アイロンは直接当ててはならないことを学習したから次は問題なく接着出来る筈だ。

 再び熱されたアイロンを慎重に動かし、完璧に接着出来たと確信した喜びは直後に打ち砕かれた。裾の長さを決める為暫定的に折り返していた裾は表に折り返してあったので、耳が露出しており汚くて長過ぎるダブルの裾になっていた。

 再び焦って引き剥がそうとするが実に完璧な接着であったから下手をすると裾のほうが破れてしまう。蒸発して接着したのだろうからもう一度濡らせばよいのではないかと思って濡らしてみても何故か剥がれない。手遅れになってから説明書を読み始めた。すると「剥がすときは濡らして熱せよ」とあるではないか。そんなに簡単だったのかと思い慎重に剥がしても糊の跡が非常に汚い。これを正しく裏返してアイロンを当てた場合、もしかすると汚く残った糊で今度はアイロンと裾が接着されてしまうのではないだろうか。

 そもそもアイロンを当てる度に剥がれていては裾上テープの効能は一回きりとなるのではないか?もしかしてこれは使い捨てなのか?そんな筈はないから自分の理解が何処かで間違っていることを悟りつつ夜は更けてゆく。


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