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日本で現代美術がマイナーな理由

1hiroto:2004/05/15(土) 14:55
なぜ日本では、現代美術が、かくもマイナーな
存在なのかを考えるスレッド。

102メロンパンナ:2004/10/20(水) 02:59
ヒロさん、はじめまして。
>>99
>ケージの禅の理解なんて浅いです。
そうですね。ケージは禅より、中国の易のほうが
好きだったのかもしれないですね。

103ヒロ:2004/10/20(水) 20:42
メロンパンナさん、はじめまして。
>>102
ケージの音楽は少ししか聞いてませんが、好きな方ですね。
とても東洋の自然が好きなやさしい心の音楽でしょうか、
聞いていると現代音楽にはめずらしく心が落ち着きます。

104利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/10/26(火) 13:39
>>100
>われわれの不幸は複製でなにもかも出会ってしまっている。
>感動は一度かぎりでしょう、二度目からでは嘘がまじります。
きのう偶々最新号のFLASH ARTを見ていたら、パオラ・ピーヴィ(Paola Pivi)
の"Zebra"という題名の写真作品に惹きつけられた。
昨年のFreezeArtFairで展示されたもの。下記URLにイメージがあります。
ttp://www.luxflux.net/n3/artintheory1.htm
俺はPiviは優れたアーティストだと思っており、中でもこの"Zebra"は、
良い作品だと評価してる。実際に実物のプリントされた作品を観なくても、
複製のイメージからでも、これが良い作品だと判断できる。
感動という体験こそ、疑わしいんじゃないのかな?ラッセンや鶴太郎の
絵で感動してる人たちはたくさんいる。

105利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/10/26(火) 13:52
Zebraについてはイメージを見れば一目瞭然だと思うけど、
雌雄一対のシマウマを、雪原に連れて行って、写真を撮ったもの。
アフリカのサヴァンナでしか生きられない生物を雪原という別の
コンテキストへ移植するという、デュシャンのレディ・メイドとも
通ずるアイデア。しかも雌雄一対であることから、様々なイメージを
喚起させる。さらに白と黒の縞のイメージと、背景の雪原との視覚的
対比が効果的で、清々しい印象を与える。そんなわけで、俺はこの
作品が好きなのです。

106利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/10/26(火) 15:20
訂正
FreezeではなくFriezeでした。
ロンドンで発行されてるFriezeという雑誌も結構面白いと思う。
ttp://www.frieze.com/

107ヒロ:2004/10/27(水) 21:11
>>104
感動は本来の自分を取り戻しますね、何かべつの世界でしょう。

108利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/10/28(木) 15:03
>>107
>感動は本来の自分を取り戻しますね、何かべつの世界でしょう。
俺も20年前は芸術作品から得られる感動を至高の経験のように思っていた。
でも今考えると、鑑賞者本人の体調や気分に左右されるエクスタシーの
体験というのは、不確実で、その作品が真実優れているから感動するわけでは、
必ずしもないと思っている。
「本来の自分」なんてものは無い。そのときどきの気分があるだけ。と俺は思う。
アリストテレスの『詩学』で、美的エクスタシーについての分析があったと記憶
するけど、普遍性は無いと思う。

109匿名さん:2004/10/29(金) 18:35
>>105
画像をサンクスです。
雪の中のシマウマと青空がさわやかですね。

110匿名さん:2004/10/31(日) 02:22
>>108
>その作品が真実優れているから感動するわけでは、必ずしもないと思っている。

それは確かにそうでしょうね。60億人への普遍性はありえないし、実際求められ
ていないのかもしれません。しかし大多数の人々を感動させうる芸術作品が事実存
在しているのは不思議ですね。作品がより多くの「気分」を内包している場合、様
々な気分の人々を同時に感動させ得るのだと思います。
そして全ての「気分」を同時に含んだものは普遍的な感動を成し遂げるかもしれま
せん。今、個人的にはベートーベンの第九が凄いと思ってます。

111ヒロ:2004/10/31(日) 02:54
やはりこの世は嘘偽りの世界でしょうか、
感動する一瞬こそモノとの出会いでしょう、
そしてなぜか二度目になると知識が入りますね、
そのとたんに人はモノを見なくなります。
>>110
音楽というより再生された何度でも聴ける使い古されたモノでしょうか。

112匿名さん:2004/10/31(日) 03:49
>音楽というより再生された何度でも聴ける使い古されたモノでしょうか。

一度聞いた例えば「第九の部分」を頭の中で流すことでも感動し得る。もちろん
「私の場合」という限定はありますが。

>感動は一度かぎりでしょう、二度目からでは嘘がまじります。
で、これは「あなたの場合」という限定のもとにあります。

優れた作品は、例えば私やあなた以外の人を何度か(もしくは何度でも)感動させ
られると思いますよ。
それで私はそういうレヴェルの作品をめざしてます。難しいですが。

113利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/10/31(日) 22:19
>>110
>しかし大多数の人々を感動させうる芸術作品が事実存在しているのは不思議ですね。
俺もベートーベンは子供の頃から好きではあるのですが、今では第九にしても、
人間中心主義的なロマン主義の古臭い感じに、辟易する気分になるのがしばしば。
だから頭の中で音楽を再生する気にもならない。クセナキスやらリゲティやらの、
より現代的作曲家の作品は、現時点ではベートーベンほどのポピュラリティーを
持ってないのは確かだけど、「多くの一般人を感動させ得ること」は、芸術作品の
価値の基準たり得ないと俺は思う。
一種の忘我的感情である感動は、宗教やファシズムに資するものであって、
今日の芸術にとって、必要だとは俺は思わない。

114利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/10/31(日) 22:42
俺は感動という概念を、一種の忘我的感情という意味で使っていたが、
もっと緩い、あくまで知的な判断力を伴った高揚感ってのを感動と呼ぶなら、
それが優れていると俺自身が判断する芸術作品(小説や映画や音楽を
ふくむ)を享受するときに、俺は確かに緩い感動を感じていると言えると思う。
そういう緩い感動は、再現可能でもあり、常に知性が働く故に、新たな発見を
伴って、作品をより深く享受できたような気にもなるだろうし、逆に底の浅さを
発見して失望したりもするだろう。

115匿名さん:2004/11/01(月) 00:11
>>113>>114
>「多くの一般人を感動させ得ること」は、芸術作品の
価値の基準たり得ないと俺は思う。

私もそう思いますよ。

感動については、それがほとんどの人にとって「幸福感」を意味しているからこそ重要
な情動なんでしょう。どちらの言葉も抽象的かもしれませんが。「忘我的感情」をやは
り意味していると思います。その「宗教やファシズム」という形で失敗しているわけで
すが。人間がそれを求めてもいるのは確かですよ。
まあ、芸術作品に対する感じ方も人それぞれですね。逆に60億人が全く違った解釈を
持てるような、つまり少しも統一させない芸術作品でも良いのかも・・・。

11643:2004/11/01(月) 00:59
ちょっと忙しくて来れなかったので、、全部読む暇は全然無いので、幾つか。

>ビザンティン美術のパントクラトールは一つあれば十分
もうちょっとビザンティン観た方がいいですよ。自分は平均よりは
目にしてきた方だと思うけど、ビザンティン美術を、衰退した芸術と言った人には初めてであった。
ビザンティン帝国崩壊前夜に立てられたコーラ修道院の壁画だとか、息を呑むような美しさだし
何万何十万と描かれただろう聖母子像を、限られた図像の中で、いかに親子の愛情や
マリアの悲しみを表現しようかと、画僧が貞節謙虚に苦心していたか、とか
そういうの観て、感じてほしい。パントクラトールだって、一つ一つ、手が全然違うよ!
図像は同じだけど、それぞれ本物の価値を持って光っているよ。
だからね、私がずっと言いたいのは、「革新性」「自律性」そんなのは、近代以降
に誕生した概念だってこと。(ルネサンスに始まるわけだが)そんな「芸術」という
乱暴なキーワードで、それ以前の、いわば人間の社会精神から生まれ出でたものを
ばっさり切ろうとするから、ビザンティン美術のよさが見えてこないんだよ。

あと、パルミジャニーノのあたり。同時代のことを指してるんじゃなくて、
バロックの隆盛とともに、あの辺りのマニエリスム画家の評価は失墜していったよ。
彼らが再評価されたのは、マニエリスムという用語が美術史に誕生してからだよ。
アカデミズムの画家だって、当時はとても評価されたけど、長らくつまらないものとされ、
そしてまた再評価されつつあるよね。グリーンバーグだってそうじゃない。
評価されて、おとされて、また再評価されて。あなたはなんか変な神話を信じている気がする。
ミケランジェロだって、ドイツ人が再評価するまでは、ラファエロの影に全然隠れていたんだよ。

ちなみに私は、現代美術を見るのは全然好きなんで。考えるのは、あんまり訓練してない。

117ヒロ:2004/11/01(月) 02:16
今日の芸術は作る側が創るのか、見る側が創るのかの問題でしょう、
ぼくはいまの人は見る側がほとんど過剰なほど創ってると思ってます。

118利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/01(月) 03:38
>>116
>もうちょっとビザンティン観た方がいいですよ。自分は平均よりは
>目にしてきた方だと思うけど、ビザンティン美術を、衰退した芸術と
>言った人には初めてであった。
別に俺の意見が少数派ではなく、むしろビザンティン美術を評価する
人の方が少数派だと認識してます。ちなみにレオナルドも俺と同意見でした。
レオナルドが1490年頃に書いたとされる手記から、彼の美術史のビジョンを知る事が
できます。
|画家は「自然」を師としなければならぬ――(略)彼ら(ローマ時代以後の画家たち)は、
|常にお互いの模倣ばかりしていた、そして時代が経るにつれ、常に芸術を衰退させて
|いた。こうした画家たちのあとにフィレンツェ人ジョットがあらわれた。(略)ついに
|ジョットは同時代の親方たちはもちろん、何百年の先人すべてを凌駕した。この人の
|のち芸術は再び衰退した、なぜなら皆が出来合いの絵を模倣したから。こうして、
|フィレンツェ人マザッチョが現れ、完璧な作品によって、師の中の師である
|自然以外から学ぶ人々が、いかに無駄な努力をしていたかを示すまで、幾世紀
|もの衰退が続いたのである。
(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』岩波文庫214頁、Codice Atlantico 141r-b より、適宜意訳抜粋)

119利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/01(月) 05:14
>>117
>今日の芸術は作る側が創るのか、見る側が創るのかの問題でしょう、
>ぼくはいまの人は見る側がほとんど過剰なほど創ってると思ってます。
俺は見る側(鑑賞者)は芸術を享受するだけで、創ることは無いと
思っている。
すると最近のリレーショナル・アートというのはどうなんだ
という問題になる。いろんなタイプがあるけど、鑑賞者が作品の完成に
参加する、巻き込まれるということは、アーティストの計画によって、
割り振られた役割を演じること、つまり役者にさせられることであり、
<見る―見られる>存在になることである。そう考えるとミケランジェロ・
ピストレットの鏡に写真を貼った作品は、平面の内部に鑑賞者を含む、
作品が設置された環境を取り込んでいたし、ブルース・ナウマンのヴィデオ
カメラとモニタを通路に設置して、鑑賞者のうしろ姿とかを本人に見せる
作品なんかも先駆的な事例と言えるかも。
ともかく、作品の内部に鑑賞者の身体がとりこまれようと、肉体的労苦を
感じさせるものであろうと、究極の製作者は、作る側のアーティストのみ
なんじゃないかな。例えば演奏家は芸術を創造してるのかどうか?
極言すれば、作曲家だけがアーティストであって、演奏家は取替えがきく
メディアにすぎないと俺は思っている。ましてや鑑賞者にできることは、
作品の批評のみじゃないだろうか。

120利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/01(月) 05:39
>>116
>ビザンティン帝国崩壊前夜に立てられたコーラ修道院の壁画だとか、息を呑むような美しさだし
俺もレオナルドもイスタンブルには行ったこと無いからねえ・・・。そんなに良かったのか。
俺はフィレンツェの洗礼堂、ピサのドゥオモ、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院なんか
のモザイク壁画を見たけど、別に美しくも何とも無かったよ。ビエンナーレの時にでも
行きたいねえ、イスタンブル・・・。

121利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/01(月) 08:27
>>116
>だからね、私がずっと言いたいのは、「革新性」「自律性」そんなのは、近代以降
>に誕生した概念だってこと。(ルネサンスに始まるわけだが)そんな「芸術」という
>乱暴なキーワードで、それ以前の、いわば人間の社会精神から生まれ出でたものを
>ばっさり切ろうとするから、ビザンティン美術のよさが見えてこないんだよ。
まあビザンティン美術と俺とは、相性が悪いというか、好みじゃないんだろうね。
ロシアのイコンとか、よくもまあ似たり寄ったりのものばっか作ってと呆れるばかりだし。
ロマネスク彫刻のなかには、割りと独創的で馬鹿っぽく、面白いと思えるものが
あるんだけどね。
俺は日本の仏画もあんまり感心しない。あまりにも拝まれるべきモノとして
作られた、型どおりの宗教美術は、いくら歴史を経ようが、芸術的価値は低いと
思う。実際にモノを観ないと、総論では判断できないけどね。

12243:2004/11/01(月) 13:49
>>121
要するに、あなたは自分の芸術論をここで言いたいだけで、
普遍的な芸術論を構築したいとか思っているのではないわけだ。
じゃあ、なんでもいいんじゃないですかね、、

123匿名さん:2004/11/01(月) 23:50
>>121>>122
芸術的価値ってある程度でも規定されているものなのですか?そもそも価値基準は
必要なのか。例えば一方的な抑圧のようなもので滅びかかっているということ?
普遍的な芸術論を求めているというのは解らなくもないが。

124利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/02(火) 02:48
>>116
>何万何十万と描かれただろう聖母子像を、限られた図像の中で、いかに親子の愛情や
>マリアの悲しみを表現しようかと、画僧が貞節謙虚に苦心していたか、とか
>そういうの観て、感じてほしい。
こういう感情移入は、芸術鑑賞において、2次的な要素だと思うけどね。全く無駄だとは
いわないが。俺はヨーロッパで暮らしているが、キリスト教をはじめ、あらゆる宗教に対して
嫌悪感を持っている。教会はキリスト教徒に対する洗脳装置なので、その雰囲気に染まって
まったりする気にはなれない。

125利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/02(火) 02:48
>>122
>要するに、あなたは自分の芸術論をここで言いたいだけで、
>普遍的な芸術論を構築したいとか思っているのではないわけだ。
「普遍的な芸術論」なんてものは、現代においては成立しないと俺は考えている。
古今東西の美術に共通する本質なんてものは存在しない。美は制度的歴史的概念である。
ヴィザンティン美術は、スターリンの肖像画みたいなものと思われ、今でも美術扱いしてる
43氏のような人がいるとはいえ、俺にとってはどうでもよい。
現代美術の個々の作品を、どのように判断すべきかだけが、俺にとっては常に問題であり、
その場合に、美術史のコンテキストについての、十分な情報を持っておく必要がある。

12643:2004/11/03(水) 02:49
感情移入じゃないってば(苦笑)
一つ一つ美術史家の目で細かく見ていけば、決まった図像の中にも
当時の神学とか思想の影響を受けてなんとか当時の世相を表したいと
思ってる、ということが学問的に立証できるわけ。

まあ、全ての宗教に嫌悪感をもっていて意味のないものと思う人は、
美術を理解することなんてできないでしょうねえ。芸術は人間が誕生した
時からあると「信仰」しているのに不思議だわ。ミケランジェロのシスティーナ
だって、なんだって強烈な信仰心がなきゃ成立しえなかったわけだし、
勿論ミケランジェロの数々の独創的な図像などは、「全て」当時の神学思想
に裏打ちされているわけですから。人間の生み出した表現を、「線と形」
だけで観ることなど不可能。「純粋なる鑑賞」なども不可能。絶対不可能。

それから普遍的な芸術論を構築する気があるのかどうかっていうのは、
つまり他人に自分の意見を理解してもらいたいと思って
「議論」しようとしているのかってことを聞いているんです。
つまり論理的かどうかってことです。
あなたの場合は、単に自分の意見を押し付けたいということがだんだん
わかってきたので、「ビザンティン美術は芸術ではない」とこの
人思ってんの、ふ〜ん、ていう意見しかないな。
ビザンティン美術が芸術ではないことを、美学的に証明できるならまだしも、
単にあなたが嫌いだっていう事実にはあまり興味が無い。
ということで、上の方にいた人達もどっかいっちゃったんだなあと思った。

で、まあビザンティン美術の研究というのは、西欧美術に比べれば本当に昨今始まったもので、
価値の無い芸術、という感想は、非常に古臭い考えであることを
お伝えしておきます。ちなみに、誰かが言っていましたが、レオナルドはビザンティン
建築は素晴らしいと思っていたらしいですよ。それでも、レオナルドがビザンティン
美術が好きかどうか、ということは、人のコンセンサスを得る場合に殆どなんの
効力もないと思います。何何先生が評価していた、とかヨーロッパで数十年評価されている
現代美術家、というのも同様です。殆どなんの価値もありません。
そう主張する人が、いかに論理的に客観的にそれを「証明」できるかでしょう。
だってあなたは宗教なんて嫌いなわけだし、感情移入も認めないんだから、、

あなたの「芸術観」は近代以降誕生したものに他ならなくて、その現代の価値観で
過去を乱暴に裁断しているだけなのに、あたかも過去に「芸術」が存在した(厳密な意味で)
と主張してしまうからおかしいと言っている。あなたの芸術観が過去においては
正確に適用できないということを認めてくれるなら、「ビザンティン美術は独創的では
ないから自分にとって現代的な意味での芸術ではない」と言っても全然いい。
そりゃそうだろう、、という感想しか生まれないけど。
私はそれよりも、現代のものさしで計れない「非常に美しく人の心のうつもの」
があるとすれば、そういうものを包括するような、論理的な言説を生むことのほうがよっぽどスリリングでおもしろいや。

127利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/03(水) 10:18
>>126
>感情移入じゃないってば(苦笑)
>一つ一つ美術史家の目で細かく見ていけば、決まった図像の中にも
>当時の神学とか思想の影響を受けてなんとか当時の世相を表したいと
>思ってる、ということが学問的に立証できるわけ。
当時の世相を宗教的図像が表してるって、マニエリスムが当時の不安な
世相を表現してたみたいな、紋切り型の解釈を与える事が、美術をネタに
した学問的な商売になることぐらいは、俺も知ってはいるけど、それは芸術を
享受する態度とは別ですよね?スターリンや毛沢東の肖像が、いかに加工
されてたか、といったこととネタ的には何も変わらないんじゃない?
そこで連想されるのは、毛沢東の肖像を素材にした、アンディ・ウォーホルですが、
確かに当時の世相を意識的に反映させようとした人でした。

128利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/03(水) 10:50
>>126
>ミケランジェロのシスティーナだって、なんだって強烈な信仰心がなきゃ
>成立しえなかったわけだし、
そりゃそうですよ。ただ信仰心があれば、誰でもミケランジェロのように
『最後の審判』や『天地創造』が描けたというわけでは無い。
信仰心に目を曇らされた人間には、宗教的主題の芸術作品を、まともに批評はできないと思います。
メル・ギブソンが監督した『キリストの受難』を、1個の映画作品として批評する場合でも、
ビザンチン美術を鑑賞する上でも、信仰心および、信仰に対する同情心は、全く助けになりません。
>勿論ミケランジェロの数々の独創的な図像などは、「全て」当時の神学思想
>に裏打ちされているわけですから。人間の生み出した表現を、「線と形」
>だけで観ることなど不可能。「純粋なる鑑賞」なども不可能。絶対不可能。
というか、図像の解釈なんて、聖書の知識があれば、何も難しいものではないわけです。
例えばシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』を鑑賞する場合、ミケランジェロが愛読してた
ダンテの『新曲』からの影響を見て取ったり、審判の裁断を下す若々しいキリストの肉体の、
捻れた形象に、当時発見されたヘレニズム期のラオコーン群像の影響を見たりというような
見方の方が、より興味深いし、アーティストの心情により近づけると思われます。
それに加えて、フォルマリズム的な分析は、作品理解に常に役に立つと思います。

129利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/03(水) 11:11
>>126
>それから普遍的な芸術論を構築する気があるのかどうかっていうのは、
>つまり他人に自分の意見を理解してもらいたいと思って
>「議論」しようとしているのかってことを聞いているんです。
>つまり論理的かどうかってことです。
あなたの上記の文章は、とっても非論理的だと思います。普遍的でないものごとに
ついて、論理的に語り、相互理解を深めようとする行為は、日常においても、
常に行われていることです。
美術史を普遍的な美の発展として記述する事は誤りであり、無益なことだと思いますが、
美術史を個別に地域や時代に即して、背景となるコンテクストを明らかにしつつ、
記述する事は、文化史の一分野として学問的な研究対象となることでしょう。

130利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/03(水) 11:54
>>116
>あと、パルミジャニーノのあたり。同時代のことを指してるんじゃなくて、
>バロックの隆盛とともに、あの辺りのマニエリスム画家の評価は失墜していったよ。
>彼らが再評価されたのは、マニエリスムという用語が美術史に誕生してからだよ。
パルミジャニーノの代表作である『首の長い聖母』は、イタリア国外におけるマニエリスムの
再評価とかの、学者が研究して作り上げる「美術史」とは無関係に、ウフィッツィ美術館には、
ずいぶん昔から展示されており、20世紀の初頭にリヴォルノ出身のモディリアーニは、
1年間フィレンツェの美術アカデミーでデッサンを学んでいたおり、この絵に親しく接していた
はずだと思う。彼がヴェネツィア経由でパリに行き、引き伸ばされた肖像画を描くように
なった背景には、彼が好んだフィレンツェ派、ヴェネツィア派絵画だけでなく、自然に
パルミジャニーノの絵からも創作のヒントを得たはずだと思う。俺が重視している美術史とは、
こういうアーティストによる昔の美術の解釈と、新しい形での再生という自然な繋がりである。
モディリアーニは決して、さほど前衛的革新的なアーティストではなかったけれど、明らかに
イタリア絵画の伝統を滋養にし、それらを咀嚼して独自のアートを創造した人だった。

131利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/03(水) 12:41
>>126
>それでも、レオナルドがビザンティン美術が好きかどうか、ということは、
>人のコンセンサスを得る場合に殆どなんの効力もないと思います。
俺がレオナルドの手記を引用したのは、ちゃんと文章を読めばわかるとおり、
彼が、アーティストは自然を師とするべきであり、ジョットやマザッチョが他の
アーティストより優れていたのは、彼らも自然から直接学んだためだと主張
していた歴史認識に興味を覚えたため。ちなみに俺自身は、自然を師とするべきだ
という考えは、現代美術においては、ちっとも有効ではないと思ってる。
しかし、例えば西洋近代絵画に惹きつけられた円山応挙が、写生を尊んだことなどを
連想すると、近代美術の枠組みを構成していた思想が、レオナルドあたりから
自覚されてきたこと、(ギリシャ・ローマ美術の復活ということを含め)、それが週百年間
かけてコンフリクトを生みつつ世界に広まり、未だに日本の美術界では、こういうドグマに
とらわれてる人も結構いることなど、いろいろ考えさせられるのです。
自然を師とせよという思想も、それ以前の美術を支えていた思想同様に普遍性はないけれど、
現代美術が近代美術を批判的に継承してきたものであり、われわれがポストモダン化しつつある
モダニズム社会に生きる以上、再考する価値はあるように思われます。

132ヒロ:2004/11/03(水) 20:50
>>131
>自然を師とするべきであり、

世界広しといえども、自然を師としたのはモナリザしかありません、
まあ永遠に完成は無いでしょうが、永遠の天才ですね。

133利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/07(日) 08:58
>>123
>芸術的価値ってある程度でも規定されているものなのですか?そもそも価値基準は
>必要なのか。例えば一方的な抑圧のようなもので滅びかかっているということ?
>普遍的な芸術論を求めているというのは解らなくもないが。
今日の大学で、西洋美術史や日本美術史が、研究される理由は、個々の時代や地域で
生み出された美術作品に、芸術的価値が有る(あるいは高い)からではなく、
美術史が文化史の1分野であるからであって、それゆえにあらゆる時代、あらゆる地域の
美術の変遷の歴史が、網羅的に、学術的研究対象としては等価に、研究されているの
だろうと思います。ですから、図像解釈やら様式の比較やらが、いくら研究されようと、
個々の作品の芸術的価値に関しては、言及しようが無いと思いますし、それを美しいと
賞賛することは、主観的な判断を下す事であり、学問的態度としては無意味だと思います。
43氏は、ヴィザンチン美術の学術的研究が行われていることが、すなわち芸術的価値が有る
(あるいは高い)ことだと勘違いされているように思えます。

芸術家は、学者と違って、過去および同時代の作品について、独断的にせよ、常に価値判断を下す
存在だと思います。芸術家が作品を創造する行為には、自身の作品への価値判断が、常に
伴うからです。先に引用したレオナルドの手記は、ジョット以降マザッチョ以前のアーティスト、
つまりシモーネ・マルティニから国際ゴシック様式に属する幾多のアーティストを否定し、
フラ・アンジェリコも否定したということです。自然から直接学ぼうとせず、金箔を多用し、装飾的、
様式的なものに勢力を注いだ画家たちを否定したということです。

134匿名さん:2004/11/11(木) 00:29
>>133
>芸術家は、学者と違って、過去および同時代の作品について、独断的にせよ、常に価値判断を下す
>存在だと思います。芸術家が作品を創造する行為には、自身の作品への価値判断が、常に
>伴うからです。

価値判断に終始することではないと思うが、現社会に価値基準があり、そこに利便性を付帯している
ことからも価値判断が必要かもしれませんね。

135利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/11(木) 09:10
>>132
>世界広しといえども、自然を師としたのはモナリザしかありません、
>まあ永遠に完成は無いでしょうが、永遠の天才ですね。
レオナルドの自然から直接学ぶ実践が、すなわち膨大な解剖デッサンだった
わけで、それが彼にとっての「科学」の1部だったと思います。
そういう思想が起源になって、美術アカデミーの教科として、芸術解剖学が
教えられ、骨やら筋肉を模写させるという奇妙な伝統が、未だ残っていたり、
ヌードデッサンなんかが未だに基礎教育として、まかり通っていたりと、
古い習慣が後を絶たないのは不思議な事です。でも、そういう古い近代的な
教育システムの中から、漫画家やアニメ作家やフィギュア原型師とかが
出てきて、別のマーケットに人材を供給している現象も、それなりに興味深い
気がします。

136利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/11(木) 09:23
>>134
>価値判断に終始することではないと思うが、現社会に価値基準があり、
>そこに利便性を付帯していることからも価値判断が必要かもしれませんね。
現代における芸術家の価値基準というかリアリティの源泉は、おっしゃる
通り、我々が生きている現実の社会なんだと思います。そこから遊離して、
独り善がりの美学に耽溺してたら、芸術の実践など不可能でしょう。
利便性とおっしゃってる意味は、俺には分かりません。
アートは非利便的な発想、あるいは利便的世界への批判として生まれるもの
だと認識していますので。

137利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/11(木) 09:51
現代美術の話題になかなか行かないのだけれど、俺なりにビザンチン美術と
現代美術との関連を考えてみた。要するにイコン的なイメージを活用する
アーティストは、そんなに多くは無いが、無視できないくらいはいる。
例えばキース・ヘリング、ペンク、奈良美智(ペンクの教室にいた)など。
ウォーホルのシルクスクリーンを使った有名人の肖像、あるいは
キャンベル・スープ缶なども、ある意味でビザンチン美術的な思考の、
復活を意味する先駆的事例かもしれない。でもウォーホルが選ぶ有名人の
顔は、喪のイメージが常に付帯してるから、そのあたりはビザンチンじゃ
ない気がする。村上隆は、喪の感覚は継承してない。でもスーパーフラット
をビザンチンと読み替えても、そんなに違わない気もする。目玉を強調する
ところなんかビザンチン度が高いかも。そもそも日本の漫画アニメに
ビザンチン的な図像と類縁性があるのかもしれない。
中村政人のマクドナルドなどの企業ロゴを素材とする作品も、光り輝いて
たりして、すごくビザンチンっぽい気がしてきた。

138匿名さん:2004/11/11(木) 17:04
>中村政人のマクドナルドなどの企業ロゴを素材とする作品も、光り輝いて
>たりして、すごくビザンチンっぽい気がしてきた。

宮島達男の数字はどうでしょう?
こちらのほうが妙に宗教ぽかったりして(笑)。

139利毛Т </b><font color=#FF0000>(9ZjLM/uE)</font><b>:2004/11/11(木) 23:03
>>138
>宮島達男の数字はどうでしょう?
>こちらのほうが妙に宗教ぽかったりして(笑)。
宮島さんの芸術の源泉は某宗教にあるそうですから、彼の作品が宗教っぽい
のは妙ではないんです。
|「芸術家は才能の枯渇で苦しみます。
|私が芸術の世界に今あるのは、自分の原点である
|信心の泉を枯らさなかったからです。」
ttp://www.sokagakkai.or.jp/world/world_m/member07.html

140匿名さん:2004/11/21(日) 12:13
枯渇してから長いけど、それも、信心のおかげということね。

141匿名さん:2004/12/23(木) 19:24
こないだ都美館にいったんですが物凄い混んでました。ミケランジェロのやつ。
現代美術では考えられませんね。あの需要は何だろう。

142匿名さん:2004/12/26(日) 03:09
>>141
日本のオタクたちの美の基準が、ルネッサンスのようです。
海洋堂の専務のインタビューを読んで納得できたけど。
NYの美術館でブランクーシを糞味噌に貶したあとで、
ルネッサンス彫刻を見て圧倒されてやんの。ほんと馬鹿丸出し。
ブランクーシにせよトム・フリードマンにせよ、ルネッサンス彫刻を
常識として踏まえたうえで、誰もやってないことに挑戦してるわけだが、
フィギュアおたくの美意識とやらは、ルネッサンスからロダンあたりで
永久停止してるようだ。
どうでもいいけど、そういう頭で現代美術を貶すのは、やめてほしいものだ。

143匿名さん:2004/12/26(日) 16:25
>>142
日本のオタクたちの人口はそんなに多いんだろうか。

144匿名さん:2004/12/27(月) 01:42
>>143
日本のオタクたちの美意識(嗜好)は、平均的日本人の美意識の
スタンダードなんじゃないかと思う。
ミケランジェロ作とかいう彫刻が人気が出るのも、ディテールがよく出来てる
とか、そういう瑣末なとこに妙に執着しちゃうからじゃないの?
俺は実物観てないから、作品の真贋、出来の良否については、何も言えないけど。

145匿名さん:2004/12/29(水) 08:02
>>144
本物の人間みたいに良く出来た彫刻だ、というだけで、
感動する人も多いだろうしね。
現代美術は具象彫刻より、分かりにくいかもね。
誰か詳しい人の手引きが必要だと思う。

146匿名さん:2005/01/14(金) 23:17
>現代美術は具象彫刻より、分かりにくいかもね。

彫刻について、どこから、現代美術といいますか?
流れ的に、ブランクーシは難しいということに鳴るのかもしれないけど、
ブランクーシってモダンの範疇でしょう?

現代の村上隆はミケランジェロと同様にとっつき易いなんてことになるのかもしれないし、

147匿名さん:2005/01/15(土) 09:27
>>146
>ブランクーシってモダンの範疇でしょう?
そうですよね。モダニズム彫刻の父がブランクーシです。
現代美術へのブランクーシの影響は、彼の『無限の円柱』なんかにみられる、
同一形態の反復、モジュール構造なんかが、カール・アンドレに大きな影響
を与えたこと。まあミニマリズムをモダンの最終形態ととらえるか、
微妙ですが。
それとデュシャンが友人だったブランクーシの作品を、NYで売りさばく
ことで糊口をしのいだ時期があったこと。あんまり関係ないよね。
ポストモダン彫刻というと、ボイスとかトニー・クラッグあたりからになるのかな?
まあ、彫刻という概念自体が消えるわけだけど。

148匿名さん:2005/01/18(火) 00:59
>まあ、彫刻という概念自体が消えるわけだけど。

どうかな、戸谷とかいい仕事していると思うけどな、
あの作品をみると彫刻という概念が地として立ち上がると思うのだけど、

149匿名さん:2005/01/20(木) 07:54
彫刻って、造形主義的な美しさは重視されなくなっていると
思うし、これからどうなっていくのかな。

僕は、戸谷っていう作家の作品は観たことないです。

150匿名さん:2005/01/21(金) 10:06
>>148
戸谷成雄って人ですよね、たぶん。
直接観た訳ではないけれど、イメージから想像するに、なんか1960年代のアルテ・ポーヴェラと
ミニマリズムをかけあわせたようで、こういうことを1990年代から延々とやってることに、
とくに新味があるようには思えませんけど。彫刻というか、インスタレーションですよね。
表面的なテクスチャにこだわること自体、1960年代風ではあるけれど、トンネルとか、中に
入ったりすると、また臭いとか、圧迫感とかも感じられるのでしょうか?
バゼリッツもチェーンソーで人体つくってるけど、これまたアナクロニズムだと思います。
やっぱり家をぶった切った、ゴードン・マッタ・クラークの迫力には、到底かなうものではないと
思いますが。こういう彫刻家がトム・フリードマンと勝負できないとおもいますけどね。

ttp://www.shugoarts.com/jp/toya.html
ttp://www.city.kitakyushu.jp/~k5200020/exhibit/tobata/past/toya.html

151匿名さん:2008/03/13(木) 21:32:59
俺は美大卒じゃないけれど
この板は洋楽のRock聞き出した
厨房がエリッククランプトン知ってるか?
zepe知ってるか?ニールヤング知ってるか?
それならアルクパー知ってるか?ボブハイト知ってるか?
とマイナーなrockミュジシャンを得意げに
自慢する厨房と同じですね。
たいして知らないくせBTかなんか写真観ただけで
自慢する板です。
唯一スレ続くのがこのスレです。


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