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『ぎん千代姫の一生』
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韋駄天はふと考えた
:2008/05/14(水) 05:13:15
だが島津家の存亡をかけた耳川の合戦で大友家側が大敗した以降、時代の流れは容赦なく弱体していく大友家に襲い掛かる。
耳川の合戦以降、大友家勢力の軍勢が大きく衰えたのを知った、かっての大友家支配下の武将と手下の軍勢は、厳しすぎる軍政の支配下で同族の仲間を多数殺された積年の恨みを果たさんと、次々に島津家の薩摩側勢力に寝返りをする。
島津家勢力の軍勢が、肥前国(ひぜんこく)島原半島での沖田畷の合戦(おきたなわてのかっせん)で龍造寺家の軍勢を撃破して龍造寺家を滅ぼすと、島津軍の勢いづいた勢力は大友領地の肥後国から筑後国へと北上していき、みるみるうちに島津家率いる薩摩勢力側の軍勢は、1万余騎から2万余騎〜5万余騎へとふくれあがっていく。
完全に勢いづいた島津軍大勢力は、肥前国を制圧して領地にすると、次に肥後国領主の阿蘇家を降伏させて肥後国を制圧。今度は大友家領地の筑前国制圧へと侵攻作戦を開始する。
この島津軍大勢力の勢いを食い止めるために、筑前国から立花道雪と高橋紹運がそれぞれ兵を率いて南下、筑後国の各城を奪い返しては、島津軍大勢力の北上を阻止しようとする。
立花道雪と高橋紹運の二人の知勇と武勇に優れた猛将の前に、さすがの島津軍大勢力の軍勢も、北上を完全阻止されたかと思われた。
がしかし、大友家軍勢の要であった立花道雪が、筑後国の戦場で高齢によって急死するや戦局は一気に島津軍優勢に傾く。
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