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尾崎辞典を作ろう!
439
名前:
438
投稿日: 2003/12/28(日) 00:41
<雑感>
当時は「何だこれは?」と思って、録画したきり見返すこともなかったんだけど、
今見てみると、これがけっこう濃かった。内容がというより、インタビューに登場するメンツが(w
鬼頭氏をはじめ、須藤さん、見城さん、尾崎のお父さん、西本明さん、吹谷夫妻(姪が大野みのりちゃん)、
名古屋や大阪のホステスさん、アイソトープのMさん(大阪でたこやきを買いに行かされた人)、
鬼頭氏の(当時の)彼女、ジムのトレーナーの人、高校時代の友人K氏・・・等々。
みんな、けっこう言いたいこと言ってるし(w 憤慨したファンも多かったかと思いますが、
個人的には、いかにもって感じの尾崎モノよりは、まぁアリかなと感じました。
440
名前:
438
投稿日: 2003/12/28(日) 00:54
>>438
自己レス。
×しんじつのしょうめい
○しんじつのあかし
441
名前:
Akatuki
(kKIOZAKI)
投稿日: 2003/12/28(日) 13:05
>>438-440
おおーー!!!!!
あの本がプロットなんだー。すごい面白そうじゃん。
普通に採用。
442
名前:
名前さえ名乗れない
投稿日: 2003/12/28(日) 13:25
438さん
その番組、見たけれど、録画してないんです。
もし差し支えなければ、詳しく語った内容なんか書いていただけると
ありがたいのですが。。。
443
名前:
名前さえ名乗れない
投稿日: 2003/12/29(月) 18:27
尾崎と青学で一緒だったkと遊び仲間?も数名、喫茶店らしき所で、インタビュー
受けてましたよ。(尾崎を語る印象から、彼らには好感がもてなかった)
k氏は青山学院の近くに住んでいて、尾崎はk氏の自宅のピアノを借りて良く
練習をしていた。独学の尾崎はK氏の妹さんからもピアノの手ほどきを・・・
k氏のお母様も、亡くなった直後、自宅でテレビのインタビューに答えてました。
「とても可愛い、礼儀正しいお子さんでしたよ」と、死を悼み尾崎はとてもいい子だったと
語られていたような記憶が・・・。
尾崎はいろいろ(暴力的等・・)言われているけれど、
とても律儀で真面目で礼儀正しい一面を持っていたのは事実ですね。
当時、尾崎の身近にいた人たちは、テレビで尾崎をいい風に語る人は少な
かったように思う。
尾崎を語る西本さんには、素直に尾崎の愛を感じることができた。
444
名前:
名前さえ名乗れない
投稿日: 2003/12/31(水) 12:12
>>433
亡くなった時にその人の評価がわかるといいますが、
一般的に、故人がいくら悪人であった場合でも、悪くいうのはどうなんでしょうか?
遺族の気持ちは辛いものでしょうね。
445
名前:
Akatuki
(kKIOZAKI)
投稿日: 2004/01/06(火) 00:41
おらーもう正月は終わったぞーネタくれーーage
446
名前:
Akatuki
(kKIOZAKI)
投稿日: 2004/01/07(水) 23:31
定期age
はしておこう
447
名前:
名前さえ名乗れない
投稿日: 2004/01/11(日) 00:45
/ヽ /ヽ
/ ヽ / ヽ
/ ヽ__/ ヽ
/ \
/ \ / |
| ● ● |
|. (__人__) | <やる気がでてきますた
ヽ /
/ \
/  ̄ ̄ヽ / ̄ ヽ
ヽ_______/ \__/
[[二二二二二二二二二二二二二二二二
448
名前:
438
投稿日: 2004/01/11(日) 02:53
>>442
番組内で語られた発言の中で印象的だったものを適当に拾ってみますた。(遅
以下、長文。やや重〜い内容になります。m(__)m
○見城徹氏
よく、僕は長くは生きられないと言ってました。
その為にやらなきゃならないことが多すぎて、いろんな人たちの何かを
激しく奪うことによって、普通の人が10年でやることを1年でやってきた。
俺は長くは生きられないんだから、俺の激しいワガママを許してくれと。
アーティストとしては完全主義者。その為に、どれだけ自分を切り刻んできたかわからない
くらいに表現に対しては厳しい男でしたから、一番プッツリ切れる回数は多かったですね。
バースのアルバムとツアーに自分の全ての復活を賭けていたから、
彼が一番センシティブになった時期だったと思う。
繊細で臆病な尾崎豊と、野獣を心の中に飼っている尾崎豊がいて、
死ぬまでその振り子の大きさに苦しんだ人。
でも、ずーっと残っていく作品を作るアーティストは基本的にそうですから。
猜疑心と独占欲が非常に強い。ってことは結局、自分が愛されたいんですね。
だから、自分が愛した人に対して一番猜疑心が強くなっちゃう。
子供が親に当たる、というのが一番近いかもしれない。
自分が愛し、相手も自分を愛してくれているとわかってる人に対して、
あなたの愛情は足りないと責める。責められる方はにっちもさっちもいかなくなる。
彼の中に人間が持ついろんな負の感情があって、それを知っているがゆえに、
どこかで本当のものを求めていたんだと思う。
○須藤晃氏
子供の頃から孤独を愛するところがあって、愛されているにも拘らず、
自分は孤独なんだと思いたがるところがあった。
彼の幼児体験の中で、非常に寂しい思いをして、自分の愛情を猫に注ぎ込むことで、
何とか精神状態を保っていたというのが、その後の彼の創作活動の原点にあるような気がする。
もっと普通の生活をしなよって。歌うことがないんだったら、
単純な日常を繰り返してみなよって、彼の早い晩年には常に言ってました。
希有の天才だったと思う。彼は自分を常に変えたかったんだと思う。
彼のアーティスト活動の変遷は、自己変革の変遷だった。
彼と関わった人間たちが、それぞれの尾崎豊との決着をつけるかのように、
いろんなことを言ったりしてるのを見ていて、
僕は絶対決着をつけないからねって、尾崎に言いたいですね。
449
名前:
438
投稿日: 2004/01/11(日) 02:54
○鬼頭明嗣氏
ネクタイを締めてビジネスとなれば、絶対に崩れない人だった。
アーティストの時とは全然違う。
やっぱり不思議な人ですね。好き嫌いとか、そんなこと全然(考える)余裕を
与えてくれない人でした。
(鬼頭氏の発言は、ほぼ本の内容そのままでした)
○元アイソトープのM氏
夜中の2時頃に、彼がいきなり“たこ焼きを食いたい”と。
大阪やからたこ焼きを食べようっていう話になりまして。
夜中の2時ですからね。もうとにかく買って帰らないワケにはいかなかったんで、
ひたすら歩いたんですよ。何時間か歩いて、たこ焼きを4舟買って、ヒルトンに帰りました。
イヤな言い方をすると「試す」っていう言葉になるんでしょうけど、
味方を探してたってゆうんですかね。自分の為に何かしてくれる人を探してたっていう。
(ちなみに、この人ベタベタの大阪弁)
○西本明氏
「放熱への証」には、本当の彼が出てる。
その時点の失敗や、人間関係のグチャグチャや、精神的なドロドロした部分も全部出ていて。
作品的には、おそらく未完成なのかもしれないですけども。
死に向かわせたとは、僕は思わない。
けれども、皆の言うように、必然だったかもしれないとは僕も思います。
でも、早すぎた。たぶん長くは生きないと自分で思ってただろうけど、
彼はあの時点では死ぬつもりはなかったんだと思う。
いろんなことで、もう頭が一杯だったんだと思う。
客観的に見て、そんなことまでしなければいいのにと思うことまで全部に手を広げて、
社長業からマネージメント、レコーディングのコーディネイト、
彼は自分で全てをチェックしたくて。落ち込んだりする暇もなかったんじゃないですかね。
人間関係も、周りの人間がどんどん離れていって、孤立していって、
たぶん社会との接点も、僕から見て無くなっていくように見えて。
渦みたいな真ん中にいて、それを解消するには、彼がこの世の中から消えちまうことしか
ないんじゃないかと思った。そういう意味で、それを全部解消するために、
彼がちょっと望んでたかもしれないし、周りからもそういう力があったんじゃないかと。
それで必然的に、結論として……そこに結果が出たというか。
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