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境界性人格障害について

23チーフなも:2002/10/20(日) 21:16
なものす・スクラップブックより
>>17
>>11?回避性人格障害に関連した記事、かな?

>>19 名前: スズダル中佐 投稿日: 2002/06/24(月) 13:21
>>19のスズダル中佐殿、すんまっしぇん。このスレ、人格障害系スレにすればよかったと、なも主任も後悔しちょります。

優2つ「成績表は人生保証せず」小柴さん
 大学時代は本当に成績が悪かった――。ノーベル物理学賞受賞が決まった小柴昌俊・東京大名誉教授(76)が、喜びの知らせから一夜明けた9日朝、当時の成績表を公開した。前夜の記者会見で「東大理学部をビリで卒業した」と“告白”した通り、評価欄の「優」は16科目中2つだけ。しかもそれは「出席すれば優がもらえる」(小柴さん)実験科目だった。「成績表は、その後の人生の何の保証にもならない」と信じている。そして今、実験物理学者らしく、その信念の正しさをノーベル賞で実証してみせた。
 小柴さんは、東京・本郷の東大理学部素粒子物理国際研究センターで参与を務めており、この日も朝から同部1号館10階の職場に出勤した。いつものようにイスに座ってたばこをくゆらせると、机の引き出しの中のファイルから成績証明書を取り出した。
 1951年に東大理学部物理学科を卒業した時のもので、3、4年生時の専門科目の成績一覧が載っている。「ビリで教授になれるわけがない」などと周囲に言われ、信じてもらえないのが悔しくて、一昨年、当時の成績表を入手した。
 必修11、選択5の計16科目のうち、最も成績がいい「優」は、「物理学実験第一」と「同第二」だけ。及第ぎりぎりの「可」は、「原子物理学」「電磁気学特論」など4つで、ほかは「良」。「皆はたいてい、半分以上の科目が優だったはず。おそらく僕が最低だった」という。
 成績表は今春、東大の理工系卒業生を対象にした卒業式の祝辞でも公表している。「東大嫌いで有名な先生が私の結婚式に出席され、『今日の婿さんは東大を出たけれどビリで出たからまだいくらかの見込みはある』とスピーチされた。家内の両親や親類の人たちは将来大丈夫だろうかと心配した」というエピソードまで紹介している。
 妻の慶子(きょうこ)さん(71)によると、実際は、「戦後の貧しい時代で、アルバイトしなければならず、大学には週1回ぐらいしか行っていなかったようです。まじめに勉強できる環境ではなかった」らしい。
 それでも成績表をオープンにするのは、「成績が悪くてもできることはある。逆に良いからといって安心していいものではない。自分から能動的に勉強することが大事だ」と訴えたいためだ。
 友人たちによると、本当のところは、好奇心旺盛で趣味も知識も幅広い、目立つ人物だったらしい。旧制一高時代の同級生、林義郎・元蔵相(75)も「全寮制で寝食をともにしたが、文学の話なんかも好きで、理科系の人らしくない雰囲気。頭の回転は良かった」と劣等生説を否定する。ノーベル賞の受賞理由になった研究施設「カミオカンデ」の建設では「私に協力を頼みに来た時、これに成功したらノーベル賞ものだ、と語っていたが、本当に受賞してしまった」とスケールの大きさを思い起こす。(読売新聞)
[10月9日14時17分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021009-00000405-yom-soci


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