したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

文章鍛錬企画【同一プロット競作】5/15〜

1ごはん武者修行有志s:2004/05/15(土) 19:41
■執筆の狙い
だれでも書きこめます。感想レスを使った遣り取りです。
初めてのみなさんも歓迎します。
興味のあるひとは参加してください。

【形式】
 前回分の作品を批評しつつ(数行)、
 出題されたプロット(或いは例文)に則り作品を執筆し(〜2400字程度)、
 期間(〆切)終了後、最初に作品を投稿した人が次回のプロットを出題する。
※繰り返し

【出題形式】
 ①プロットor例文(両方でも可)
 ②〆切日(基本的に、出題日から一週間後)
 ③その他、備考等
※作品は、必ずしもプロットに忠実でなければならない、という訳ではなく、多少の相違点(「主人公の服の色がプロットでは赤いのに、作品では青い」等)はOK。但し、大幅な変化(「主人公がプロットとは別人」等)は認められない。また必要性に因らず、安易に相違点を作るのもNG。基本的にはプロットを尊重すること。プロットに記されていない(或いは曖昧にされている)部分においては、執筆者が自由に創って良い。
 
【批評の規準】
 ・作品がプロット(或いは例文)に則っているか。
 ・プロット(或いは例文)の消化の仕方。
 ・ストーリー性、構成力、演出力、描写その他。
 
【ルール】
 ・第一目的は文章の構成力や演出力、描写手法、独創性の鍛錬です。
 ・この企画は期間によってサイクルされます。期間はプロット出題日から一週間後が望ましく、〆切日は出題者がお題と共に日付で書き記しておいて下さい。
 ・期間中、同じ方が何作投稿されても構いません(但し、常識範囲内でお願いします)。また、出題者の投稿も可能です。
 ・最初に作品を投稿した人に次回のプロットを出題する権利がありますが、辞退する場合は予め投稿する際にその旨を書き添えておいて下さい。またこの場合、二番目に投稿された人に権利が移行します。
 ・感想批評は「比較」に重点をおいて下さい。これは単純に優劣の比較ではなく、「○○さんの作品の描写はどういった点において分かりやすい」など、参考にしやすい意見が望ましいです。
 ・感想批評において、順位付けは厳禁します。
 ・感想批評は作品と共に書き添えて下さい。作品のみ、感想批評のみのレスは原則的に禁止させていただきます。
 ・何事も故意の場合は釈明必須ですが、多少の遊び心は至極結構です。ただし、基礎の未熟な方の遊びはお断わりいたします。

 ご意見は<1プロ会議室>↓にてお願いします。
 http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/movie/4262/1084447891/

2にゃんこ:2004/05/16(日) 00:09
同一プロット創作第三弾

締め切り〜5月21日(金)
ジャンル:ノンジャンル
プロット
[喫茶店]で[男]が一人待ち合わせをしていた。待ち合わせの相手がきた。話を始めて[10分と経たず]口論になり、[男]は相手に水を掛けられた。相手は出ていった。テーブルの上に残った相手の持ち物をそっと懐に入れ、[男]は[喫茶店]を出た。

>10分は一時間でも二時間でもよく、主人公の性別、それに場所もマクドナルド、居酒屋、バーなどに変わってもOK。
念のため、変更可能箇所を括弧でくくっておきます。
プロットで書かれた部分を覆すような展開を後付して二段落ちにしてもいいし、冒頭に序章を付け加えてもよい。その辺は執筆者の肉付け次第です。ただ、このプロットを、骨子として用いるようにお願いします。

3にゃんこ:2004/05/16(日) 09:37
お詫び
上の、『同一プロット創作第三弾』のお題は、風杜さんのお作りになられたものです。
書き忘れていました。
なお、一部修正してあります、「喫茶店」のところをほかの場所にしても良いというところです。
ぼんやりしていてすみませんでした。

以上

4にゃんこ:2004/05/21(金) 19:30
―― 破壊獣 ――
バラエティー番組が突如中断されたので、マスターは珈琲をドリップする手を休めて、テレビ画面に目をやった。
「番組の途中ですが、新宿で事故のニュースが入りました」
アナウンサーが淡々と、原稿を読み上げ始めた。
「体長三メートルを超える化け物が出現した模様です。偶然テレビクールーが現場を取材していたので、そちらに中継を切り替えます」
画面が変わって、新宿の惨劇が映った。道路には三メートル五十はあろうかという巨躯の化け物が仁王立ちになって、発砲する警察官を捕まえて地面にたたきつけているところが映し出された。人々は悲鳴を上げて逃げまどい、車が何台か炎上しているのが見える。周辺はパニック状態になっていた。
いかつい外貌は獅子と人間を合わせたような醜さだった。双肩、上腕、胸部、下肢の筋肉が巌のように盛り上がり、それは伝説に出てくる鬼神を思わせた。怪物が巨躯を動かすたびに筋肉が音を立てて痙攣した。
白髪の老人が喫茶店の客たちがテレビを見て大騒ぎしているなか、静かに珈琲を飲んでいた。その喫茶店の前にある街路樹の横に、パトカーと黒塗りの乗用車が止まった。複数の男たちが降りてくるなかで、ひときわ大きな体躯をした男がほかのものを制止して、一人で、喫茶店に入ってきた。店内を一瞥すると、まっすぐに白髪の老人のところにやってきた。
「岩代博士、お久しぶりです」
岩代は、篠原に声をかけられ頷いた。
篠原は、ウエイトレスがきても無視して岩代に話しかけていた。彼女は篠原のすごみのある横顔に恐れおののいて、水の入ったコップをテーブルに置くだけで戻っていった。
「博士、あの破壊戦士を倒す方法を教えていただきたい」
「あいつを倒す方法か……、それを探し出すのが君たちの役目ではないのかね」
「博士、ふざけている場合ではありません、やつは、研究所から逃亡するときに、私の部下の超人戦士を五名も殺害したのです。なにしろ、体が液体形状記憶合金でできており、手榴弾で体を吹っ飛ばしても、すぐに再生されてしまう」
「そうか、一インチの鉄板を拳でぶち抜く、君たちのような超人でも歯が立たないようだな」
「我々にしても、あの破壊戦士にしても、博士が作られたものです。あなたには、その結果に対して、責任を持たなければならない」
「私は、平和に貢献するためにおまえたちを作った。しかし、政府はおまえたち超人戦士を平和の名の下に、戦地に赴かせた。その結果罪もない人々がテロによって、殺されているではないか。あの化け物は人類への警鐘のために作った。並の兵器ではやつを倒すことはできない」
「破壊戦士のために新宿はごらんの通りだ。海外に派兵されている三十名の超人戦士を呼び戻してもやつには勝てないでしょう。上層部はアメリカ軍に依頼して、デイジーカッターの使用を検討しています。もし、デイジーカッターを首都で爆発させたらどうなるか、甚大なる被害が出るでしょう」
「ふふふ、私の計算では、デイジーカッターを使用してもやつは生き残るよ」
篠原は立ち上がると、いきなりコップの水を岩代にぶっかけた。
「それが科学者のいう言葉か! いったいどれほどの犠牲者が出れば、気が済むのだ!」
ガラスのコップは彼の手のひらの中で握りつぶされて、粉々に砕け散った。しかし、手のひらに傷一つつかない。
テレビで新宿の被害状況が告げられると、岩代はおもむろに口を開いた。
「わかった、じゃあこれをあげよう」
彼はポケットから、緑の液体が入った小瓶を取り出して、篠原に渡した。
「これは何ですか」
「おまえたち超人の肉体を一時的に、活性させる薬だ。おまえの能力は二十倍になる。たぶんこれで、あいつを倒せるだろう。あいつとおまえの体の基本構造は、同じだ。おまえが、全速力でぶつかればやつの肉体の分子構造が破壊される。すなわち、液体形状記憶合金の記憶が消されるというわけだ」
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いではない、それを飲むと、おまえは死ぬのだ」
「私が死ぬのですか……」
「そうだ、その薬は肉体を爆発的に活性するために、副作用で肉体がぼろぼろになる」
「……」
「薬を飲んで一時間後に肉体の活性はマックスになる、それから、十分間持続する、そして肉体は内部から破壊される……」
「わかりました」
篠原は、テレビで新宿にいる破壊戦士を確認すると、岩代の目の前で薬を飲んだ。それは篠原の死を意味するものであった。篠原が岩代に背を向けてドアから出て行くのを、岩代は立ち上がって見送った。
篠原が車に戻ると、パトカーと黒塗りの乗用車はサイレンを鳴らしながら走り去った。

5にゃんこ:2004/05/21(金) 19:31

岩代が喫茶店から出ると、二人の刑事に挟まれた。先ほどとは、別の車が横付けされて、後部座席に乗せられた。ずっと、尾行されていたのだ。これから警察に連行される。車に取り付けてあるテレビで破壊戦士が自衛隊により、機銃掃射を受けているのが映されていた。破壊戦士が逃亡した時点で、極秘裏に自衛隊の出動が要請されていたのだ。だから対応が早かった。機銃掃射により、破壊戦士の体はぶつぶつと穴が開くが、すぐに再生され何の効果もなかった。
「すまないが、新宿へいってくれないか、やつの最後を見届けたいのだ」
岩代の声に反応して、前の座席に座っている刑事が運転手に目配せをして、車は新宿へと向かった。
「グワーオ!」破壊戦士が咆哮した。
大破している車が頭上に持ち上げられた。それをブーンと投げた。車は、機銃掃射をしている自衛隊員たちをひと呑みにした。無反動砲を装備した自衛隊員が、砲身の照準を怪物にあわせた。
「ズドドーン!」砲弾が発射され、怪物の頭部がくだけ散った。一瞬の静寂があたりを支配した。だが、みるみるうちに再生されていく。怪物は完全体に戻った。
しかし様子がおかしい。怪物はあごをしゃくり、鼻を鳴らすように、くんくんとあたりの臭いをかいでいる。硝煙のきなくさい臭いに混じって何かを感じ取っているようだ。
「グアアーァ!」いきなり咆哮し、ゴリラのように胸をどすどすとたたいた。その視線の向こうには、黄色く輝き始めているものがあった。いつの間にきたのか、篠原がマックスになりかけているのだった。怪物は全速力で超人の篠原に突進していった。ドカンー、というすさまじい音を鳴らして衝突した。黄色く輝く篠原の体はビルの三階の側壁にはじき飛ばされ、激突した。コンクリートがくだけちり、ガラスの破片が空を舞った。
地面に落下してきた篠原の体は、黄色から白に発光し始めていた。地面に立った、彼の体の周りで気流が変化し、小さな竜巻がいくつも起こり始めていた。すさまじい熱に地面が焦げ始める。光が一直線に怪物に走った。身構えている怪物に衝突したかと思うと突き抜けていた。光の塊が、筋を引いて流れる。怪物は一瞬で粉々に砕け散った。しかしみるみるうちに再生していく。形になりかけたときにまた、発光体が突き抜けた。再び、怪物は砕け散った。だがまた、再生する。しかし再生する時間は確実に遅くなっていた。白い発光体が白から虹のように七色に輝き、怪物の体を突き抜けたとき、再生は止まった。
そして発光体は輝きを失せ、篠原の姿に戻った。全エネルギーを使ったのか、彼はひざまずくと、そのまま地面に倒れた。
岩代は車を降りると、目の当たりの惨劇に合掌した。改めて自分の犯した罪の深さに悔いたのだった。
篠原の傍らまでとぼとぼ歩いた。
「すまない……」
岩代のその言葉に篠原はうなずくと、まぶたを閉じた。岩代も目を閉じたまましばらくそこを動こうとしなかった。
やがて彼が車に戻ろうとしたとき、何かに足首を捕まれた。足元を見ると、それは、再生しかけている怪物の手であった。
―― 完 ――

6海描:2004/05/21(金) 20:03
 ――コキュートスの住人――

 店内に鳴り響いたベルの音に、私はビクリと反応してしまった。慌てて視線を入口に移すと、そこに立っていたのは若い男女のカップルだった。まさか、あれが? ……いや、いくら何でも違うだろう。そう思っていると案の定、そのカップルは私には目もくれず、さっさと窓際の席に座ってしまった。
 腕時計で時間を確認する。午後一時半。約束の時間を三十分も過ぎている。しかしその当の本人は姿を現わさない。これは一体どういう事なんだ? 奴が午後一時にこの喫茶店を指定した以上、忘れるなんて事は……。
 その瞬間、私はぞっとするような想像に囚われた。まさか、私が間違えてしまったのだろうか。本当は午後一時ではなくて午前一時だとか、或いは別の喫茶店だったとか……!
 だが、その想像をすぐ否定する。いや、そんなはずがない。この辺りには他に喫茶店なんてないし、待ち合わせ場所に喫茶店を指定しておいて、午前一時なんて時間を選ぶのはおかしい。午後一時に、この喫茶店。それは間違いない。……じゃあ何故、奴は来ないんだ?
 私はとにかく心を落ち着けようと、パンナの入ったグラスに手を延ばした。
「お待たせしました」
 グラスに口を付ける直前、唐突にそう声を掛けられた。はっと顔を上げると、席の横に背広姿の青年が一人立っていた。誰だ? いつの間に? こいつ、何処から現われた?
「き――君は……?」
「失礼します」
 男は私の言葉など聞き流し、さっさと――しかし丁寧な物腰で、私の向かいの席に着いた。そしてぴしりと姿勢を正し、まるで面接に来た新社会人のようにまっすぐ私を見つめた。
「……約束通り、ちゃんと一番奥の席に座ってくれたようですね」
 その言葉に、私はぎくりとした。間違いない。こいつが――娘を誘拐した男なのだ。
「娘は」声が震えた。「娘は無事なんだろうな」
「冷静に」男は表情一つ変えず、「冷静に、です」囁いた。
 私はぐっと歯を食い縛った。だが、そう……落ち着け。冷静になれ。冷静に、だ。知られぬよう深呼吸し、脳裏に娘の笑顔を思い浮かべた。今年で三歳になる、かつての妻そっくりの笑顔。二年前に死んだ妻の遺した、愛すべき忘れ形見。
「何故、時間に遅れた」
 私はまず、会話の取っ掛かりを探った。
「正確には、遅れていません」男はやはり静かに答える。「貴方が来る前から、私はずっとこの店内にいましたよ。そして、貴方の様子を窺わせてもらいました。そこの席でね」と、男はコーヒーカップと伝票の置かれた空席を指し示した。「どうやら、警察には連絡されなかったようで」
「当然だ」私は吐き捨てるように答えてやった。「それがお前のような人間の、望む形だろう」
「ええ、もちろん。お互いにとって、それは賢明です」そこで初めて、男は笑みのようなものを浮かべた。「ではもう一つ、僕の望みを叶えてもらいましょうか」
「なに?」
「現金で六千万」グラスの中の氷が、澄んだ音を立てた。「御用意できますね?」
「ろ」言葉に詰まる。「ろく、せんまん、だと?」また、声が震えた。
「無理――とは言ってもらいたくありません。何より、心当たりのある数字でしょう?」
 心当たり? こいつ、何を。いや、そんな。有り得ない。
「無理だ」私は言った。動揺するな。それこそ相手の思う壺だ。「一介のサラリーマンである私に、六千万なんて大金を用意しろだなんて。いくら娘の為とは言え、不可能な事を要求されても……!」
「おや、それは酷い。この期に及んで隠すんですか? 知ってるんですよ。二年前に奥さんが交通事故で亡くなった時、六千万円の保険金が貴方の手元に入った事は」
 ――――! まさか……何で……知っている?

7海描:2004/05/21(金) 20:03
「い、いや、そりゃあその金はある。だが、一度に六千万も引き落とせば銀行だって不審に思うだろう。それに、いきなりは無理だ。それなりに時間が掛かる」
「分かってますよ、そんな事くらい。……何を慌てているんです? 汗、凄いですよ?」
 言われ、初めて私は自分の額に浮かんだ汗の珠に気付いた。手の震えを抑えつつ、おしぼりを額に当てる。
「三年前の事は、御愁傷様です。奥さん、不運な事故だったとか」
 男は言った。こいつ、いきなり何を?
「何でも、運転を誤って崖から車ごと転落してしまったとか。ブレーキの跡も無く、それに大量にお酒を呑まれた様子もあったそうで、警察も事故としてあっさり処理してしまったらしいですね」
「…………。何が、言いたい?」
「おかしいと思われませんでした? 奥さん、お酒は呑まれなかったんですよ」
 な? に!
「そんな馬鹿な! あいつは……!」
「ええ、お酒の大好きな方でしたね。でも、それは娘さんが生まれる前の事。生まれてからは健康の事も考えて、一滴も口にされませんでした。僕がどんなに勧めても、ね。……あれ。ひょっとして、御存知なかった?」
 眩暈がした。頭の中が、おかしくなりそうだった。店内に流れるジャズのリズムが酷く耳障りに思えた。こめかみの辺りで、煮え滾った血がどくどくと脈打っているのが分かる。とうとう、全身が震えた。血に混じり、ニトロが駆け巡っているような錯覚。感情、が、爆発、してしまう!
 ――瞬間、男がグラスを掴み、その中身を氷ごと私の頭に零した。
「冷静に」グラスから零れた最後の一滴が、私の頭を敲く。「冷静に、です」
 男は空のグラスを私の目の前に置くと、懐から携帯電話を取り出し、その中に落とした。
「これはプリペイドケータイです。今後、これに指示を送ります。今日はこの辺で」
 そう言うと、男は立ち上がった。
「待て」私の口からは、自分でも意外と思えるほど冷静な声が出た。「お前は、何者なんだ?」
「犯人が自ら、素性を語るはずがないでしょう」せせら笑うように男は言う。「しかし、そう……一つだけ。僕は、貴方の娘さんの、実の父親です。――そう言えば、自ずと分かりますかね?」
「…………。…………。私の娘に、傷一つつけてみろ。絶対に許さんぞ」
「奥さんのように、ですか? 心配しなくても、お返ししますよ。傷一つ無く、以前の姿のままで。僕が欲しいのはお金であって、貴方の娘さんじゃありません。それでは、失礼」
 男はそう言うと、自分の会計を済ませ、もう振り返りもせずに店から出て行った。私はそれからようやく、おしぼりで顔を拭った。
 絶対に、娘は取り返す。決心する。自分の娘じゃない事は、血液型から気付いていた。だが、悪いのは別の男と通じていた妻だ。あの子には罪は無い。そうだ。だから、絶対に娘は取り戻す。あの子の笑顔は、私のものだ。私だけのものだ。誰にも渡しはしない。そして、取り戻してから――。
 あの男を、殺してやる。方法は……そう、妻と同じで良いだろう。
 私はプリペイドケータイを懐に仕舞い、足早に店を出た。行動は冷静に、且つ冷酷に。

 自宅に着いた僕は、自分が空腹である事に気が付いた。冷凍庫を開け、中から冷凍食品を取り出す。金が入ったら、もっとまともな物を食べるのも良いだろう。何せ六千万だ。老後まで蓄えておくのも馬鹿らしいし、地獄にまで持って行ける訳じゃない。
 それからふと気が付き、娘の様子を確かめた。うん。約束通り、傷一つ無い。
「寒いかい? けど、もう少しの辛抱さ。君のお父さんが約束を守ってくれたら、すぐに出してあげるよ。それまで、おやすみ」
 僕は娘にそう囁き、ゆっくりと冷凍庫のドアを閉めた。
 傷一つ無く、か。
 心配しなくても、返して差し上げますよ。傷一つ無く、以前と同じ姿のままでね。
 僕は内心独りごち、鼻歌混じりで電子レンジに向かった。

 ――了――

8怜人:2004/05/21(金) 23:41
駆け込みです。あんまり見直す時間が無かったのですが……いつもとはちょっと違った感じの話にしてみました。

――最高のプレゼント――


 心臓の高鳴りが身体全体を震わせている。俺は手元にある光るものの付いたその輪を、ちらりと見た。既に何度見たかわからない。これが、今日の俺の運命を決める――いわゆる、エンゲージメント・リング。
「なんだか今日は落ち着かないな」
この店を経営している春日が俺の頭を二、三度叩きながら、声をかけてきた。
 今は声をかけないでくれ。
 そうは思いつつも口には出さず、黙って出されていた水を飲んだ。
 店内は決して広くはないが、小奇麗で、所々に置かれているアンティークが落ち着きのある雰囲気をかもしだしている。俺は春日のことは特別なんとも思わないが、この店は気に入っていた。実際のところ他の客からは「あそこのマスターは渋くてカッコいい」と人気があるらしい。
 心を落ち着かせながら水を舐めるように飲んでいると、客が入ってくる鐘の音が聞こえた。春日が「いらっしゃい」と声をかけた、その客は、ショートヘアの、中々綺麗な顔立ちをした女――名前は確か桜井遙――だった。店内の男達は皆桜井に釘付けになっていたが、俺の目は彼女と一緒に着た子を見ていた。いや、見惚れていた。小さなすらりとした身体に、桜井遙とは逆の、黒いロングヘア。その子こそ、俺が今日このリングを渡す相手、光だった。 
 彼女が俺の前に座った。心拍数が上がる。
 光はその大きな可愛らしい瞳で俺のことを見つめている。
「そ、外は暑かった?」
我ながらどうでもいいことを訊いたと思う。しかも声が裏返ってしまった。
「うん。でも風があるから」
優しい彼女は当然のように答えてくれる。こういうとき、逆にいまいち勇気を持てない自分に腹が立ってしまう。
 タイミングを見計らって、リングを出せばいい。それだけでいいのだ。俺の身体は不安や恐怖、焦りでいっぱいになっていた。しかし、その中に淡い希望もあった。決して短い付き合いではないし、彼女も俺を愛してくれているはずだ。
「あ、あのさ」
春日が持ってきた水を飲んでいた彼女が顔をあげる。その大きな目が再び俺を見る。
「これ」
震えながら、俺はそれを差し出した。彼女は驚いたようにリングと俺の顔を何度も見た。
「……ごめんなさい」
淡い期待は打ち砕かれた。
「どうして……」
訊かなくてもわかっている。わかっているはずなのに、気がつけば訊いてしまっている。彼女は悲しそうに俯いて、
「やっぱり、私達はいっしょになっちゃいけないの。許されないのよ」
「そんな、俺は――」
「ごめんなさい!」
彼女は叫ぶようにそう言うと、店を出て行った。鐘の音に気付いた桜井が入り口の前まで小走りで行った。
「あら、光? もうどうしたのかしら」
そう言って桜井が追いかける。
「猫は気まぐれっていいますからね」
そう言って春日が笑った。
「ワンちゃんはおとなしくていいですね」
「レオンですか? あいつは臆病なだけですよ。光ちゃんのほうがずっと可愛いですよ」
後者は賛成だが、前者は余計だ。ほっとけ。
「あ、じゃあ私追いかけてくるんで、お会計」
「いや、いいですよ。急いで追いかけてあげてください」
「じゃあ、すいません」
再び鐘の音が鳴った。
 俺は床の上に残った、ペット用の入れ物に入った水と、その横にある、エンゲージメント・リング――金色の鈴がついた首輪を、滲んだ目でしばし呆然と見ていた。

9怜人:2004/05/21(金) 23:43
 あれからほど一週間経った。その間、俺は腑抜けて、餌もろくに喉を通らない日々を送っていた。受け取ってもらえなかった首輪を見ながら、己の運命を呪った。何故、俺は猫に生まれてこなかったんだ、と。
「お手」
公園のベンチに座りながら、春日は右手を差し出してそう言った。左手を出す。何が楽しいのかわからない。初対面なら握手だとでも思えるが、毎日毎日そんなことをさせられても、馬鹿にされているとしか思えない。
「あら、春日さん。可愛いですね。チワワですか?」
気の良さそうな婦人が春日にそう尋ねた。
「えぇ、まあ」
身体が他のやつらよりも小さいのも、耳がやたらとでかいのもコンプレックス以外の何物でもないが、それはチワワという種の所為らしい。
「あ、桜井さん。お出かけですか?」
「春日さん。えぇ、ちょっと光を病院に」
「病気か何か?」
「いえ、定期検診です」
俺は桜井の腕の中にいる光を見た。光は気まずそうに下を見ている。
 飼い主達は結局ベンチに座って話しこんでしまった。

「あの、さ」
飼い主の足元で伏せていた光に、恐る恐る声をかける。
「この前は、その、急に、ごめん」
「謝らないでよ。断ったのは私なんだから」
「ごめん、あ、いや――」
彼女といると、いつも不甲斐ない自分が嫌になる。ただでさえ、プロポーズを断られた後で話しづらいというのに。
 しかし、彼女はどもる俺を見て笑った。久しぶりに見た彼女の笑顔だった。
 そうだ。
 彼女の笑顔は、どうしようもなく臆病な俺でも、少しはマシな奴なんじゃないか、彼女のために何かできるんじゃないか、そう思わせてくれた。さらさらの毛並みと、大きな瞳に包まれているような気になった。
 そうだ――。
「やっぱり――俺には、光しかいないんだ」
声は震えている。彼女は何か言おうとしたが俺は遮った。
「わかってる。俺は犬で、君は猫。許されないかもしれない。でも――俺は、光が好きだ。愛してる」
「私もよ――私だって……」
「だったら――」
「でも、やっぱり越えられない壁があるのよ。どんなに私があなたを愛していても、あなたが私を愛していても」
「越えられない壁なんかないさ。どんなに高い壁だっていつも二人で飛び越えてきたじゃないか」
「レオン……」
「他の誰が許さなくたって、僕は君が好きだ」



 丁度、犬のレオンと猫の光が、二人の足元で、結ばれた、その時である。公園のベンチで話していた春日が、少し照れくさそうに、
「あの、もし良かったら、今度うちで食事でもしませんか? こう見えて料理は得意なんですよ。喫茶店やってるぐらいですから」
桜井は少し驚いたような顔をした後に、頷いた。

 それから数ヶ月して、二人と二匹が一緒に暮らすようになる。
 桜井の左手の薬指にはダイヤの指輪が輝いている。
 そして、光の首には金色の鈴が凛と揺れていた。

10くろ:2004/05/22(土) 00:07
中途半端宣言!! 今回は参加することに意義があるという考えに基づき、投稿いたしました。

あこがれ  原稿用紙換算約5.8枚

 美由紀はバスの一番後ろのシートに座って、ピンク色のカバーのついたスケジュール帳を開いていた。今日は一件、明日ははしごで二件、明後日はオフ。その次の日にまた一件。ちょうどいい具合に仕事が入って、ちょうどいい具合に休みが挟まる。休みの日にはなにか買い物をしようかと考えながらスケジュール帳を閉じてその上に手を重ね、お気に入りの店で施してもらったネイルアートの出来ばえが目に入ってくると、美由紀はとてもいい気分になった。駅のターミナルでバスを降りて、美由紀はアイボリー色の薄物のジャケットのボタンをしめ、待ち合わせ場所である喫茶店の位置が示された地図を手に爪先の尖ったハイヒールでコツコツと音をたてながら歩いていった。
 道に迷うこともなく喫茶店を見つけ、中に入ると「いらっしゃいませ。一名様ですか」と落ち着いた中年のウェイターに声をかけられたけれど、「待ち合わせなんです」といってさえぎり、店内を見回した。今日の客の目印は紺のスーツに左耳の銀のピアス。店内には紺のスーツを着た客が二人いたが、一方は二人連れで一方は若い女だった。
 「ごめんなさいまだお相手が来ていないみたい」美由紀はそう言ってウェイターに適当な席を案内してもらい、コーヒーを注文した。
「はじめまして。近藤です。あなた美由紀さんでしょ?」
 さっき店内を見回した時に窓際の席に座っていた若い女が話し掛けてくる。たしかにその近藤という女は紺のスーツを着ているし、短く切った髪の合間から左耳に銀の大振りな輪っかのピアスをしているのが見えた。近藤は美由紀の前の席に座り、ウェイターは気を効かせて近藤の座っていたテーブルから水とコーヒーを運んできた。近藤は女というより「女の子」だった。美由紀は煙草に火をつけてゆっくりと一息吸い、ゆっくりと吐き出してから言った。
「どういうこと?」
「どういうことって?」
「なんなの?」
「なんなのって? いけない? 女が女にエスコートを頼んだら」
「意味がわからないわ。あなた幾つ?」
「十六。あなたは? 美由紀さんは?」
「関係ないわ」
(つづく)

11くろ:2004/05/22(土) 00:08
 三十八。美由紀は三十八歳。エスコートというと日本ではいやらしい職業を想像する向きが多いのかもしれないけれど、美由紀の定義するエスコートサービスとはイギリスで興った歴史ある職業だった。独り者の紳士、妻を失った紳士、あるいはホワイトカラーの仕事をしているゲイ。そういう、事情とお金のある男達を相手に、一人では入れない高級レストランで一緒に食事をしたり、クラシックのコンサートやオペラの鑑賞などのお供をする仕事なのだ。それ以上のサービスをする女もいるだろうし、それを望んでいる客ももちろんいる。でも、美由紀のやっていることにいやらしい要素はみじんもない。顧客は口コミで獲得し、美由紀は信頼のおける人間としか取り引きしなかった。勘違いを決め込んだ客は相手にしたくない。その代わり、シーンに合わせたマナー、身のこなし、時には外国語を話す素養などの専門性が要求され、美由紀は臆することなくそれらに対応している。今日は有名な広告代理店の監査役である藤田氏の紹介でここにきた。藤田氏は大変な食通であり、ゲイだった。
「藤田さんの紹介できたんだけど、いったいなんの間違い?」
 「二時間、五万円。ここにお金が入ってる」と、近藤は机に封筒を置いた。美由紀は煙草を吐き出しながら「あのね、わたしは遊びでやってるんじゃないの」と言って、封筒を近藤の方につっかえした。
「わたしも遊びじゃないの。こうやって会うまでにどれだけ苦労したことか。あのね、わたしはね……」
「お嬢さん、わたしもう帰るわ」
 美由紀はバッグに手をかけた。
「お嬢さん? 差別語。それ差別語。女が女をそういう風に差別するわけ?」
 美由紀がなにか反論しかけると近藤はそれを遮るように言葉を浴びせてきた。
「あのね、あのね、用件を言う。用件を言うから、ちょっと、ちゃんと座って。わたしは近藤美咲。わたしはね、あなたの仕事に興味があるの」
「興味? 社会科見学したいってわけ?」
「もう。ちょっと落ち着いて聞いてよ。ちゃんと座って。わたしね、あなたのやってるこの仕事をしたいの。教えてほしいの」
 美由紀には少し考える時間が必要だった。この仕事をしたい?
「ねえ、やっぱり帰るわ。わけがわからないもの。あなたもはやくお母さんのいるところに帰って、きちんと食事をして、勉強をして、歯を磨いて寝なさい」美由紀はまた、バッグに手をかけた。
 近藤は帰ろうと腰をあげた美由紀よりもすばやく立ち上がり、コップを手にとって美由紀の顔に冷たい水を浴びせた。
「あんたそういう嫌な人だと思わなかった」
 近藤は店を出ていってしまった。
 美由紀はあっけにとられて、しばらく顔や髪を濡らしたまま椅子に半分だけお尻をのせていた。今のはなに? ウェイターがタオルを持ってやってきて「お使いください」と美由紀に渡し、カウンターの方に引き返してダスターを手にして戻り、水浸しのテーブルを拭きはじめた。エスコートの仕事をしたいっていうの? テーブルの上の、半分水が染みた封筒から中の一万円札が透けて見えた。美由紀は封筒をタオルで拭ってバッグに入れ、自分の財布から二千円取り出して伝票の脇に置き、走って店を出て行った。

12セタンタ:2004/05/22(土) 01:13
      『月下廃園』
 大通公園を見下ろす喫茶店で、翔太は高校のクラスメイトだった理緒と待ち合わせをした。栗色の髪をくるくるにカールさせ、フリルたっぷりの黒のドレスを着て、ようやく理緒が現れた。膨らんだ袖、バレリーナの衣装のように広がっているスカート、黒のハイソックスに厚底の靴、ご丁寧に黒のパラソルを持っていた。アンティークドールのような姿に、翔太は椅子からずり落ちそうになったが、理性で抑えた。そう、翔太にとって、理性と理論はいつも大切な相棒であった。
「ごめーん、待った?」にっこりと笑いながら、理緒は席に着いた。肩にかかる髪を軽くふんわりとさせ、小首を傾げる。「いや、それ程でも」翔太は口ごもりながら告げた。理緒の服装の好みはともかくとして、笑顔は充分に可愛かったし、こうして呼び出されるのは嫌ではなかった。高校時代の思い出話をして笑い転げた後、理緒がグラスの中のアイスティーをストローでかき混ぜながら、ためらいがちに言った。
「ねえ、翔太、お願いがあるんだけど」「ん?」「……今日の夜なんだけど、ちょっと付き合ってくれないかな?」「……どこ、に?」翔太の心拍数は一気に上がった。期待に胸が膨らむ、いや、そんな不謹慎な考えを抱いてはいけない、冷静に冷静に、と様々な言葉とたぎる想いが血管の中を駆け巡る。理緒が上目使いで翔太を見つめ、そっと唇を湿らせた。
「二階堂邸の廃園」
「嫌だ」翔太は即答した。心拍数は急激に下がり、血液の流れは止まった。
「だって、ホラ、翔太って霊感体質だから魔よけになるし」理緒は長い睫をパチパチとさせながら、早口で訴えた。
「絶対に嫌だ。俺は霊感体質ではないし、今日はバイトの遅番だから、どうしたって無理」
「そこを何とかお願いっ! サークルのサイトの更新に間に合わないし、」
「サークルって、何の? まさか、オカルト研とか、そんなのじゃないよね?」
「まっさかぁ! ちゃんとした文芸サークルだよ。廃墟の写真と一緒に詩や小説を組み合わせる事になったんだ」
「で、二階堂邸ってワケ? 確かにあそこは廃墟スポットとしては有名だけど、何も夜に撮影しなくてもいいんじゃないのか? それに私有地だから、持ち主に断りもなく入り込んだら面倒な事になるだろ」
「だって、仕方ないじゃん。その持ち主が、夜に撮影してください、って言うんだもん。ウチの庭は月光を浴びてこそ一番美しいから、だって。ずっと渋っていてなかなか許可が出なかったのよ。それが昨日急に連絡がきて、明晩は満月だから、この時を逃したらもう駄目です、って」理緒は肩をすくめた。
「……、なんか、ヤバクないか?」
「ぜーんぜん。ちょっととっつきにくいけど、いいおじいちゃんだったよ、二階堂氏」
 理緒は必死に頼み込んだが、翔太は、はねつけ続けた。ついに理緒は怒りだした。
「もうっ! こんなに頼んでいるのに何でそんなにガンコなのよ! いいわよっ、誰か他をあたるから。その代わり、みんなに言いふらすからね、翔太は臆病者だ、って!!」そう言うが早いか、理緒はグラスに残っていた氷水を翔太の頭からぶちまけた。
「わっ!」翔太は思わず声を出し、目をつぶった。目を開けた時、理緒の姿は既になく、紅茶くさい水が頭から滴り落ちていた。呆気にとられながらも、何とか気を取り直し、頭から氷の欠片やレモンのスライスを取り除いていると、くくくっと笑い声がした。

13セタンタ:2004/05/22(土) 01:21
「おまえって、必ずそのパターンだな」翔太は口を真一文字に引き締めたまま、おしぼりで頭や顔を黙々と拭いた。向かいの席に座っていたミズキが言う。
「いい加減に、見えないフリや聞こえないフリするの、やめろよ」
首筋から背中に冷たい水が伝わる。気色悪かったが、翔太はそのまま立ち上がろうとした。
「理緒のあのカッコ、ゴスロリって言うんだろ? あれって理緒の好みじゃないぜ」ミズキは窓から外を見下ろした。ライラックの樹の下を、転びそうになりながら走っていく理緒がいた。理緒は地下鉄入り口の階段を降り、視界から消えた。
「何でそんな事、知ってるんだ?」翔太はミズキを睨みつけた。
「あのドレス一式は、今日、理緒に届けられたものだ。撮影許可の条件は、今晩、月光の下で、と、あのカッコで来てくれ、っていう二つだ。バリバリ怪しいと思わないか?」
「だから、何でそんな事をおまえが知ってんだよ?」翔太は低い声で言った。
「見てたからに決まってるじゃないか。理緒がおまえにメールしてきた時に、ちょっと気になったからな、覗きに行った」
「おま、え、まさか」翔太が目を剥いた。
「心配すんなよ、着替えるトコまでは見てないって」ミズキは、にやっと笑った。
 翔太が乱暴に席を立つと、ミズキが言った。「理緒、パラソル忘れてるぞ。なぁ、翔太。おまえは俺達の事を怖がっているが、本当に怖いのは何だかわかっているのか?」
 翔太は無言のままパラソルを掴むと、会計を済ませて外に出た。

 理緒はボーイフレンドの一人である坂西と共に、二階堂邸の居間にいた。
 当主の雅治は、T駅の近くに広大な土地を所有しており、戦前までは資産家として知られていた。戦後、殆どの資産を手放したとはいえ、未だにこうして広大な土地と屋敷を維持している。かつてはお抱えの庭師もいて、庭園や硝子張りの温室はよく手入れをされてはいたが、今では雑草が生い茂り、樹々は伸び放題で荒れ果てていた。瀟洒で贅沢な造りの西欧風の屋敷は朽ちかけ、今や、廃墟、あるいは、お化け屋敷として有名だった。
 二人が通された居間の床はフローリングで土足、家具はヴィクトリアン様式の古い物で薄っすらと埃がかかっていた。三十分程前に使用人らしき老女が出してくれた紅茶は、甘い矢車草の香りがした。ずっと待たされ、そのうちに隣に座っていた坂西は眠ってしまった。坂西の軽い鼾を聞いていると、理緒までうつらうつらとし始めた。
 軋んだ音をたてて扉が開いた。
 雅治が痩せた体に杖をつきながら現れた。眼窩は落ち窪み、頬がそげ、顔色は悪かった。
「お待たせして、済まなかった。ここのところ、体調が、思わしくなくて、今もなかなか起き上がれなんだ。では、ご案内、しましょう」雅治は少し甲高い声で、一語一語区切るようにして喋った。油の切れたブリキ人形のような声だと、理緒はぼんやりと思った。雅治は理緒の隣で眠りこんでいる坂西を一瞥すると、乾いた声で笑った。
「お友達は、ぐっすりと、お休みのようですな。疲れているのでしょう、ここで、起こすのも、何だから、あなただけでも、行きませんか? 雲が出てきていますので、急がないと、時を、失ってしまう。どうされますか、わたしは、このまま、でも、構いませんが」理緒は坂西を乱暴に揺すって声をかけたが、起きる気配は全くなかった。理緒は微苦笑を浮かべると、坂西の横に置いてあるカメラを取って、お願いします、と告げた。

14セタンタ:2004/05/22(土) 01:28
 居間にはフレンチドアが付いていて、すぐに庭に出れた。雅治が先に立ち、その後を理緒が歩いていく。照明灯も何もないが、月明かりが煌々と輝き、それだけで充分だった。夜の中、ぼうぼうに伸びた草が白っぽく浮かび、白樺や桜の枝は干からびた腕のように空(くう)を突いていた。煉瓦を敷き詰めた舗道を行くと、向こうの草地がキラキラと銀色の光を反射していた。そこでは枯れ樹や砕けた鉢、鉄の柱がそのままに放置されていた。
 雅治は立ち止まり、じっとその光景を見ていた。やがて、ぽつりぽつり、語りだした。
「あそこには、温室が、ありましてね。硝子で覆われていて、熱帯の樹々や花を、育てていたのです。温室の、中は、花の甘い香りでむせかえってまして、眩い光の中で、酔うように、わたしは満たされた、ものです」雅治が振り返って、寂しげに微笑した。
「昭和二十年、七月十五日に、空襲があって、製油所が爆撃を受けました。その爆風がここまできて、あっという間に、温室の硝子は、粉々に砕け散りました。あすこで、光っているのは、その硝子の破片です。足元に気をつけてください。さあ、まいりましょう」
 雅治は杖をつきながら、ゆっくりと温室の跡地に向かって歩きだした。理緒もその後を行った。扉のあったらしい、錆びた鉄の枠を超えて中に入ると、硝子の破片がジャリジャリと音を立てて、靴の下で砕けていった。厚底のエナメルの靴は滑りやすく、理緒はバランスを崩しながら歩いた。雅治はゆっくりとした歩みではあったが、途中で立ち止まらずに、真っ直ぐに温室の中央に向かう。理緒は足元の銀の波のような欠片を見ながら歩いていくうちに、ふっと、辺りの空気が濃く、とろりと変わったような気がした。微かに眩暈がし、足元がおぼつかない。手も足も自分のものでないような、酩酊しているような感覚だった。膝が崩れそうになった瞬間、雅治の手が理緒の手を掴んだ。老人の手とは思えないようなその強さ、骨ばった感触に、理緒は一瞬怯みそうになったが、振り払う事はできなかった。雅治は理緒の手を握ったまま、中央に向かった。
 そこは円形に石が積み重なっていて、小高くなっていた。朽ちた籐のロッキングチェアが置かれ、座面にはぼろぼろのクッションが載っていた。チェアの両脇には苔むした石の水盤があり、ちょろちょろと水が滴り落ちていた。理緒は雅治にいざなわれるまま、チェアに座った。甘く濃厚な香りが体の芯から溶け出し、指の先、髪の先、爪先へと満ちていく。考える気力も何もなく、ただこのままここに座っていたかった。硝子の天井から陽の光が降りそそぎ、眩い暖かさが溢れていた。水盤からは涼やかな水がほとばしる。色とりどりの美しい花々が咲き乱れ、緑濃い、艶やかな葉が生い茂っていた。光の向こうで、雅治が微笑しているのが見えた。視界がゆっくりと閉じられていく。
「理緒っ!」
 理緒は、ハッと目を開けた。月光の下、翔太が突進してくるのが見えた。雅治が振り向きざまに、鈍く光る物を懐から取り出す。理緒は悲鳴を上げた。翔太が大きく跳躍し、黒い杖で雅治の額を打った。バシッ、という音がして、雅治はゆっくりと仰向けに倒れた。
 翔太は急いで理緒の側に駆け寄り、チェアから引き上げた。理緒は泣きじゃくりながら翔太にしがみついた。膝ががくがくとして、一人で立っていられなかった。翔太は何か独り言を言うと、理緒を引ったてるようにその場から離れていった。
 屋敷の正面に置かれていた車の後ろには、坂西が横になって眠っていた。理緒は助手席に座らされた。翔太は手に持っていた黒い杖、ではなく、パラソルの残骸を放り投げると、シートベルトを手早く締めた。すぐに運転席に回り、エンジンをかけ、猛スピードで屋敷から走り去った。

 あとでわかった事だが、二階堂雅治は三日前に特養ホームの自室で亡くなっていた。屋敷や土地は半年も前に人手に渡っており、ずっと無人であった。理緒が聞いても翔太は納得のいく説明をしてくれなかった。夢を見ていたんだ、とその一点張りだった。坂西に至っては、理緒と一緒に出かけた事までは覚えていたが、どこに行ったかはわからなかった。
 でも、理緒はあの夜、確かに、月光に照らされた廃園を、雅治と共に硝子を踏み砕きながら歩いたのだ。原色の美しい花々が咲き乱れ、緑濃い、艶やかな葉が生い茂っているのが見え、甘くとろりとした香りが全身に満ちた感覚を覚えている。そして、翔太が少年に向かって、ミズキ、と呼び、何か話していた事も。
    <了>

15風杜みこと★:2004/05/22(土) 01:45
参加することに意義アリ――ということで、字数オーバーな作品ですが投稿させていただきます。


 真利子は窓の外を見ていた。
 隆が指定した駅前ビルの1Fにある喫茶店は待ち合わせに最適だった。店内は冷房が効いているし、駅側に面した壁は色付きの全面ガラスになっていて、駅の改札を通る乗降客がよく見える。キヨスクにも電話ボックスにも、交差点で信号待ちしている群れの中にも隆の姿はない。
「おっそいわね……」
 真利子は気を紛らわせるようにBGMに合わせて足を揺らした。
 ジーンズに包んだ長い足を組み、片手でカプチーノを啜っている姿はなかなか様になっている筈だ。長く伸びた黒髪を無造作に背中で一つに纏めた髪型は、ともすると野暮ったいが、体にピッチリしたTシャツにブルージーンズ、ブランドもののサンダルを身につけ、幾重にも天然石のビーズのブレスレッドをした今日のスタイルにはちょうど合っているだろう。
 隆とは付き合い始めて一ヶ月と経っていない。今日が三度目のデートだ。ファースト・デートは映画だった。ずっと観たかった『トロイ』。二度目も映画。それも隆の趣味でホラーもの。今日も、もしかしたら映画かもしれない。映画して食事してキスして……その繰り返し。
 恋愛って、みんなが言うほど楽しくナイ。
「あーぁ、帰っちゃおうかな〜」そう呟いた時、
「帰れば?」
「えっ?」真利子は後ろを振り向いた。いつの間にか待ち合わせの相手である隆がきていた。だが、隣に生意気そうな少年を連れている。
「隆、なんなのソイツ」
 真利子は唇を尖らせ、少年を観察した。中学生ぐらいだ。黙っていれば可愛いと言えなくもない色白の小顔のなか、瞳だけが不気味に光を放っている。
 隆は真利子の声が聞こえなかったかのように顔をそむけ、少年の横顔を見つめている。それも見たこともないような真剣な目で。
「まさか……隆……アンタもしかして、そっちの趣味だったの」
 真利子の台詞に少年が皮肉気に笑い、一歩踏みだし言った。
「バーカ」
「な……なんですって、このガキ! ちょっと隆、どういうつもりなの。何とか言いなさいよ!」
「バカだからバカって言ったんだよ。こんな奴にひっかかりやがって。どうせひっかかるなら、もっと大物選べよ、マヌケ」
「こんなヤツですって〜」
 隆は気まずそうに見ているだけで何も言ってくれない。真利子はカッとなった。
「なによ! 隆の方から告ってきたんじゃない。今日だってアンタが誘ったから来てやったのに……なによ何よナニよ! わざわざこんなガキ連れてきて……ッ!」
 真利子は一口もつけていなかった水の入ったグラスを掴み、隆と少年めがけて放った。

 パッシャーン……。

 真利子は茫然と、前髪から滴りTシャツを濡らしていく水を感じていた。
 自分のかけた筈の水は避けられ、少年に水を逆に浴びせかけられたのだ。
 真利子は目を上げ、隆を見た。
 青い顔で立ち尽くしている隆の瞳に自分が映っている。
(なんか……変。)
 自分の体を見下ろした。ジーンズが濡れて貼りついている。薄茶色のサンダルの皮にまで水滴で黒い染みができてしまってる。
(あたし、こんなカッコだったっけ?)
 視界がぶれ、別の映像が過ぎる。ツキンと目の奥に痛みが走り、真利子はテーブルに左手をついた。
 その手が一瞬見知らぬ他人のもののように見え、慌てて右手で確かめるように触れる。
 なんでもない。自分の手だ。
 でも、何かがおかしかった。
 真利子はあたりを見回した。
 いつの間にか店内には、自分たちしかいない。
 流れていた音楽は止んでいる。
 ガラス窓を見れば、さっきまで明るかったはずの外は暗く、駅から漏れる光と信号機の灯が目を打った。
「……嘘」
 店内に視線を戻すと、隆と目が遇った。
「た、隆――? 何か言って。ねぇ、どうして。どうしてなの。隆なにか言ってよぉぉお!」
 
 パシャッ……。

「――ッとぉ。これだけかけりゃあ十分だろ。いい加減目ぇ覚ませよ」少年が真利子を見下ろし、空のグラスを振った。
「あ……」
 真利子にはもう何がどうなっているのか分からなかった。分かってるのは二度も水を掛けたこの少年が、自分を馬鹿にしてるということ、許せないということだけだ。
「……このぉ!」
「へへっ、怒ってやんの」
 我慢も限界だった。真利子は席を立ち、少年につかみかかった。
「待ちなさいよっ」
 テーブルの間を逃げていく少年を追いかけ、後ろから肩を掴み、振り向かせる。
 刹那――
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
 少年の指先が奇妙な印を結び、そこから光が膨れ上がった。白い光が目を、意識を灼き、そして――
「きゃあぁぁぁああ――!」

16風杜みこと★:2004/05/22(土) 01:47
 真利子は窓の外を見ていた。
 だから、青い軽トラックが信号を無視した時もいち早く気づいた。駅から走ってきた隆が周囲の悲鳴で立ち止まり危うく轢かれるのを逃れたのも、隆がこちらを見て何か叫んだのにも気づいた。
『ニ・ゲ・ロ』
 そのあと視界いっぱいに迫ったトラックが……

 店内は静かだった。
 二人がテーブルを斜めに挟んで座り、奥のブースに意識なく横たわった人物を眺め、話をしていた。
「まさか喫茶店に突っ込むだなんて……真利子が轢かれるなんてオレ思わなくて……。もしオレがあの時轢かれていれば真利子は助かったかもしれないなんて思うと、オレ……」大学生風の青年が言うと、
「自分のせいなんて思わない方がいいよ」少年が言った。
「でも……もしオレが時間通りに着いてたら真利子は……」
「ダーッ! そう思うんなら、ちゃんとしてやれよ。大体、事故から何ヶ月経ってると思ってんだ。化けて出てからじゃ遅すぎんだよ」少年はテーブルをバンッと叩いた。
 その衝撃が伝わったのか、ブースに横たわっていた人物が身じろぎし、眉間に皺をよせ呻いた。
「……ぅ」
「あ、啓、気づいたか?」少年は身を乗り出し、覗き込んだ。
「ぅう……冷たぃ」
 低く掠れた声でぼやくと、啓と呼ばれた人物はゆっくりブースから起きあがった。二三度かるく頭を振り、切れ長の瞳で周囲を見回した後、自分の体を見下ろした。ジーンズも、ホーキンスのサンダルも濡れて、おまけに白いTシャツは中が透けてしまっている。啓はTシャツを情けなげに引っ張り、少年を睨んだ。
「……二度もかけることないだろう?」
「いいジャン、水も滴るイイ男って言うし」
「……!」
「あ……あのぅ、真利子は」
 啓は切れ長の瞳を大学生風の青年、隆へと向けた。「大丈夫ですよ。貴方のおかげで彼女の止まった時間が動き始めました。あとは普通に供養すれば上へ昇れるはずです」
「そう……ですか」隆はホッとしたような、どこか残念そうな表情をすると、啓の手をとった。「有り難うございました!」
「え、いや。はは……」
「ケッ、祓ったのは俺なのに」テーブルに肘を突き少年が面白くなさそうに呟く。
「じゃあ、これ。約束の金です。また何かあったらお願いします」隆はそういうと啓の手の中に封筒を押しつけ、席を立った。
「アッ、それはっ」
 少年が焦った声を出したが、隆は気に留めず入口のところでもう一度礼を言い出ていってしまった。

「返せ」
 促され啓は封筒をテーブルの上へ置いた。
「君もこの件で依頼を受けてたとは知らなかったよ」
「フン、直ぐ憑かれる癖に営業だけは上手いよな」少年は皮肉を言いながら、懐へ金をしまった。
「はは……そうかな」啓は苦笑した。「なぁ、良かったら連絡先を教えてくれないか。一方的に知られているみたいだけれど、君とは同業の誼で仲良くやれるんじゃないかと思う」
「冗談! サッサと廃業しろよ。お前のやり方は危なくって見てられねー」少年は立ち上がると、啓に背を向け入口へ向かった。
「いっかー早く辞めるんだぞ!」
 戸口で振り向き念を押すように怒鳴る少年に、啓は笑いかけた。
「名前ぐらい教えてくれてもいいだろ?」
「バーカ」

 少年が去った後、店内は急に暗くなったようだった。
 啓は一つ溜息を吐くと腰を上げ、外へ向かった。
「どうぞ」
 啓はドアを支え、風を通した後、ふと目を転じ、
「ぁあっ、ちょっと待っていて下さい」
 店内に戻ると入口に一番近いテーブルの上から何かを拾い上げた。
「ふ……」
 薄くなった封筒を手にした啓は、それを三つ折りにしてジーンズの尻ポケットに突っ込むと踵を返した。壁面のパネルで照明を消し店外へ出る。喫茶店の鍵をかけ、看板の後ろの観葉植物の鉢に隠した。
「お待たせしました。さ、いきましょう」
 啓はエスコートするように傍らへ頷く。
 微風がそれに応えるように吹いた。
 啓が歩き出す。
 一人分の靴音が反響するなか、去っていく二人を、紫色の看板『if』が見送っていた。

 ――了――

17にゃんこ:2004/05/27(木) 00:27
 同一プロット競作第4弾

 プロット
 作品提出の締め切りは6月3日(木)。
 ジャンル:ノンジャンル
 
 主人公は海と山が見える風光明媚(ふるさとならどこでも良い)な、ところに住んでいた。そこに長年分かれていたある人物が帰ってくることによって、ドラマが始まる。
 このプロットで大事なことはふるさとの描写を入れて、読み手をその作品世界にのめり込ませること。海だけでも良いし、山だけでも良いし、またはほかのところでも良い。
 帰ってくる相手は元恋人でも良いし、都会に出たまま行方不明になっていた父親でも良い。刑務所から母親が帰ってきても良い。別に行方不明になっていた犬でも良い。またはこのふるさとで人を殺して逃げていた者でも良い。そこがドラマの分かれ目なので、ご自由に。

18怜人:2004/05/31(月) 22:21
やけに気合を入れて書いてしまい、大幅な字数オーバー。本当にすいません。

――廃校綺譚――


「浩介!」
 橙に染まる、古びた木造の長い廊下に佇む彼に向かって、僕は叫んだ。窓から差し込む夕陽が逆光になっていて顔はよく見えないが、しかし、それでもそれが浩介であるということは、十分わかった。十年前――あの時の姿のままの、佐々木浩介であると。
 ――あの日のままだ。
 少しツバの歪んだキャップ。そして、右手に握られたバットを見て、僕はそう思った。

1

 眼を開くと、名前通り太陽の如く鮮やかに咲き誇る、数百本のひまわりが、涼しげに風と戯れているのが見えた。いつしかCMで見たどこか外国のそれには遠く及ばない規模ではあるが、綺麗なひまわり畑だと思う。ただ、普通ならば爽やかに感じようその風景も、僕にはやはりどこか陰鬱に思えてしまう。それが、この墓地という場所柄によるものなのか、それとも僕の心境が影響しているのか――少なくとも、今日という日が原因のひとつであることは、間違いなかった。
 僕は静かに灰を落とす線香を、しばらくぼんやりと眺め、物思いにふけっていたが、少し強めの風が、さあ、と吹いて灰を浚っていったのをきっかけに、ようやく重い腰を上げて立ち上がった。園内には人気がなく、暑さを際立たせる、蝉の声だけが騒々しく響いていた。
 今の今まで来ることのなかったここに、十年目の命日だから、と、ここに訪れたことを、少し後悔していた。墓に刻まれた名前を見ると、否が応でもあのときの風景が思い出されてしまう。
 思い出というには忌々しいそれらの記憶を振り払うように何度か頭を振り、僕は車に乗り込んだ。
 ――いい機会かもしれない。
 僕は急に思い立ち、浩介の墓を後にし、あの場所に向かった。

2

 車内で僕はあの日のことを思い出していた。
 浩介は、僕の親友だった。優しい性格で、正義感が強く、人一倍努力家で、あこがれさえ抱くほどの、最高の親友。
 しかし、六年生の夏、彼はいじめを受けて、この世を去った。

 ――いじめられた理由は恐らく大したことではなかった。十年前、僕の母校である里中小学校は、一クラス二十人程度で、全学年一クラスずつという構成になっていた。一学年一クラス、クラス替えなしであるためか、みんな仲が良かった。しかし一方で、一度出来た力関係はそう簡単に崩れない、という状況も作り出していたのも事実だった。当時、六年生だった僕達のリーダー的存在だったのが、遠野弘樹。がっちりした大柄な体つきをしていて、喧嘩はめっぽう強かったし、勉強も出来た。
 本格的にいじめが始まったのは、六年生に入ってからだったと思う。勉強が出来た遠野のテストの点数を、浩介が上回ってしまったのだ。それまでずっとクラスで一番頭が良かった遠野のプライドが傷つけられ、それ以来陰湿ないじめが始まったのだ。最初は浩介の持ち物がなくなる程度だったが、次第にエスカレートし、いつしか机の中に鼠の屍骸が入れられたこともあった。
 それでも、浩介は動じなかった。それが、余計に遠野の逆鱗に触れて、結果的にもっとストレートな『暴力』に発展した。浩介の友達だった僕も、結局教室の隅で早く終わるのを祈るぐらいしか出来なかった。自分が情けなくてたまらなった。
 そんなある日のことだった。グラウンドから、野球を終えて、道具を背負いながら帰ってきた浩介への、エスカレートし過ぎた暴行が起こったのは。事が終わるのを泣きながら待っていた僕は、遠野たちが去った後に倒れる浩介に駆け寄った。浩介は痛そうに顔を歪ませながら、笑って「大丈夫だよ」と言ってふらふらと帰っていった。僕は何も言わずその後ろ姿を黙って見ているだけだった。
 次の日、浩介は脳震盪を起こして死んだ。

 助手席を見ると、透明のビニールに包まれた白いユリの花が置いてあった。墓に添えるはずだったのを、忘れていたのだ。
 今からでも戻って添えに行こうと思ったが、時既に遅し、車は目的地に到着してしまっていた。

19怜人:2004/05/31(月) 22:25
3

 到着した先は、僕の母校である里中小学校だった。生徒数の減少により、今はもう廃校になってしまっている、小さな古い木造校舎の建物。周囲は山に囲まれており、時折吹くそよ風に、深緑色をした山の木々がざわめいている。陽は傾き始めていたが、それでも十分に暑かった。
 僕は昔使っていた玄関から校舎内に入った。途端、それまであまり感じることのなかったノスタルジックな思いが胸に込み上げてくる。
 一歩歩く度にぎしぎし云う階段を踏みしめながら、僕は二階に上がった。当時の、僕達の教室が見えてくる。狭い教室内には、ぼろぼろだが、小さな机や椅子が積んである。
 カタン。
 教室内に溢れる思い出を噛み締めていた僕の耳に、何か、重く、硬いものが落ちる音が聞こえた。
 慌てて音のしたほうを振り向く。
 大きな窓から差し込む夕陽で逆光になった小さな影、それは――。

4

 浩介は、帰ってきたのだ。
「こ、浩介……?」
恐る恐る声をかける。何も言わずに黙って佇んでいる。
「あの時――僕は弱かった。遠野に逆らう勇気も無かった。でも、信じて欲しい。僕は君の事を嫌ったことなんて一度もなかった。すまないと思ってる」
震えた声で、唐突に始まった自己弁護に、浩介は戸惑ったに違いない。ただ、この十年胸の奥に蓄積されたどろどろとした贖罪の気持ちが、一気に吐き出されてしまったのだ。
「おい、浩介。お前調子に乗るんじゃねえよ」
突然後ろから聞こえた声に、僕は驚愕した。その声は、紛れもなく十年前の遠野のものだったのだ。
 振り向くことが出来なかった。しかし、僕のことが見えていないかのように、少年達の声が続いた。自分だけ透明人間になって過去にタイムスリップしてしまったような錯覚すら覚える。そして――。
「いっつもへらへらしやがって。気色悪いんだよ。死ねよ」
その声の中のひとつを聞いた途端、僕の背筋に悪寒が走った。
「死ねよ」と言ったその声の主は、十年前の僕自身だったのだ。
 僕と遠野達は、つかつかと歩いて僕の前に立った。みんな、あのときの姿のままだった。思い思いのTシャツや短パンをはいた少年達が、眼の前で浩介に暴言を浴びせている。
「違う――」
僕は呟いた。
 外で聞こえていた、木々のざわめきも、風の音も、蝉の声も、何も聞こえない。夕陽が空を一面炎上させているのが窓から見える。

「あーうぜぇ。マジさっさと死ねよ」

十年前の僕の口から容赦なく発せられる言葉。

20怜人:2004/05/31(月) 22:25
「違う、僕じゃない! 僕は、いじめてなんかいない。ただ――黙って見ていただけだ。僕は何もしていない」
浩介はあくまで遠野達の暴言を無視して、静かに僕のことを見ている。
「僕じゃ、ないんだ……」
 僕のことを、見ないでくれ。
「やめろ……お願いだ」

「死ねよ」
遠野達が何度も繰り返す。

 ――やめろ。

 グラウンドで倒れている浩介の姿がフラッシュバックする。

 ――やめてくれ。

「死ねってば」

「やめろォ!」
僕は叫んだ。ただ、それまでとひとつ違ったのは、僕が叫んだ相手は浩介ではなく、遠野達だったということだ。
 気がつくと、浩介が手に持ったバットを、眼の前の遠野達に振り上げていた。遠野達は幻影のようにあっさりと消えうせた。それから、浩介はゆっくり振り向いた。薄れていた記憶が、浩介の顔を見た途端、蘇っていく。
 そうだ。やっぱり、違う。
 遠野の指示でクラスメイト全員が、浩介を無視していたにも関わらず、グラウンドで野球をできたはずがないのだ。一人で野球をしていたなんて考えられない。しかし、浩介は確実に野球道具を持っていたはずだ。ということは――。

5

 いじめられていたのは、僕の方だったのだ。浩介はそんな僕をいつも助けてくれた。いつもあの優しい笑顔で、僕のそばにいてくれたのだ。
 あの日いじめられていたのも、勿論僕だ。それを野球帰りの浩介が助けにきてくれたのだ。殴られて倒れている僕はぼんやりとしか見ていなかったが、浩介は遠野達を追い返そうとしていた。遠野が何か叫んで浩介を押し飛ばした。浩介は倒れた拍子に、自分の持っていたバットに頭をぶつけてしまった。うずくまっている浩介を見て、怖気ついた遠野達は「チクったら殺すからな!」と捨て台詞を残し、さっさと帰ってしまった。立ち上がった浩介は、やっぱり笑顔で、頭を押さえながら、僕を起こして、「大丈夫?」と訊いてくれた。僕はなんだか悲しくなって、何も言わずに走って帰った。
 そして――翌日、浩介が死んだことを知った。転んで頭をぶつけたときに、やはり脳震盪を起こしていたのだ。

6

 僕を助けた所為で、浩介が死んだ。
 その事実から眼をそらし、いつしか自分の記憶さえも、捻じ曲げてしまっていたのだ。
「浩介……」
また、助けられてしまった。もう十年も経つというのに、僕は何も変わっていない。
 再び黙って佇んでいる浩介に一歩近づく。
 足が震えている。僕は、眼から涙を流しながら、小さな声で、浩介に言った。
「あ――ありがとう」
僕の口から発せられたのは、浩介を傷つける暴言でも、許しを請う言葉でもなく、その一言だった。
 十年前、何度も助けらていながら、一度も言うことが出来なかった言葉。
 浩介はそれを聞くと、あの優しい笑顔を浮かべて、それから小さく何かを呟いた。
 その言葉は、外の木々のざわめきに消されてしまったけれど、何となく、僕には浩介がなんと言ったのかわかった気がした。
 それから、彼は徐々に濃くなりつつある校舎の闇に消えていった。

7

 校舎の外に出ると、急に時間が動き始めたように感じた。
 西の空はかすかに夕陽の色を持っていたが、山は既に薄闇に変わっていた。
 僕はもう一度玄関に立つと、墓に添え損ねたユリの花をそっと置いて、もう一度「ありがとう」と呟いて、校舎を後にした。

21セタンタ:2004/06/02(水) 21:53
       海食

 誠吾は櫓を漕いだ。ヤン衆たちのヨイサッヨイサッという掛け声が響く。上半身を前に倒し後ろに引き、誠吾は皆と一体となって繰り返した。
 明治になって、この漁場はニシン漁でわいた。三月から五月にかけて春ニシンが到来し、お祭り騒ぎのようだった。東北から雇いの漁夫が大勢渡ってきて、彼らはヤン衆と呼ばれ、番屋に泊まりこみ不眠不休で働いた。沖に張ってあった建網(たてあみ)にニシンの群れがかれば、一斉に網を起こし、汲み船で浜へ運ぶ。浜にも多くのヤン衆達が待ち構え、綱を引く。大量のニシンが後から後から積み重ねられ、干し場ではニシンの加工が行われた。熱気と怒号とニシンの匂いで、辺りはむせ返り、息つく間もなかった。

 赤銅色に日焼けした誠吾の胸に汗が粉を噴き、その上を新たな汗が流れ落ちる。ねじり鉢巻からはみ出た髪を潮風がなぶる。口の中がからからに乾き、潮の匂いでふさがれた。波飛沫が飛び散る。ゆるやかにうねる波に船は上下し、浜に向かって進んでいった。海岸線に沿って、そびえ立つ巨岩が見えてきた。追いかけるようにして他の船団も後ろから近づいて来る。誠吾は声を張り上げた。空は抜けるように青く、ゴメが白い翼を広げてのんびりと舞っていた。
 右向こうに、弁天岩と松の緑がくっきりと見えた。弁天岩と呼ばれているが、実際は岩ではなく崖だ。崖の突端は空に突き出、赤茶のだんだら模様の地表面が続く。海に近い部分は浸食されて深くえぐれ、白い波が砕け散っていた。

 誠吾は弁天岩から顔をそむけた。父の正造が心中を図った場所だからだ。その時、誠吾は数えで十一歳になったばかりだったが、周りの大人たちの話している事はおぼろげに理解できた。嘉助の女房だったトミと心中しようと、正造は海に身投げしたが、トミは飛び降りなかった。直前になって怖じ気づき、一人生き残ったのだ。
 トミは駐在所で取調べを受けた後、箱館に送られた。網目笠で顔をすっぽりと覆い隠され、両手に縄を括られたトミは、巡査に引っ立てられて歩いていた。誠吾は、遠巻きに見ている村人をかき分け前に出ると、石を投げた。石はトミの体に当たった。足を止め、小さく開いた穴の奥からトミが誠吾を見た。誠吾はもう一度石を投げた。巡査はトミの縄を強く引っ張り、トミは転びそうになった。着物の裾が割れ、緋色の布が鮮やかに翻った。剥きだしになった白い足や泥で汚れた足首を、誠吾は子供心に嫌悪した。トミは引っ立てられながらも、何度も何度も振り返り、やがて村から消えていった。その後、トミには姦通罪が課せられ、監獄に送られたと、噂に聞いた。
 誠吾は母を早くに亡くしていた。敬虔なキリスト教徒であり尋常小学校の教員だった正造との、父子二人の生活は貧しくても静穏なものであった。
 誠吾の名は、己の内なる神に誠実であれ、そして他者にも誠実であれ、そんな願いをこめて名付けたと正造は繰り返し語って聞かせた。だが、誠実でない父親がつけた名は、何と皮肉な響きを持つ事か。
 どういういきさつで父が亡くなったのか、それがわかった時に、誠吾の心にあったものが深くえぐり取られてしまった。弁天岩の裾のえぐれた形は、そのまま誠吾の心の形であった。荒々しい波に打ちつけられ、不安定に立つ姿は、いつかは崩壊し、消えていくやもしれなかった。
 優しく高潔だった父を狂わせたトミが憎かった。子である自分よりも女の艶かしさを選んだ父を許せなかった。爾来、トミと父への憎しみだけを糧に、誠吾は生き延びたのだ。

22セタンタ:2004/06/02(水) 21:58
 沖揚げを終えた誠吾は、親方に呼び止められた。番屋の陰に連れて行かれ、声をひそめて囁かれた。「おめ、トミを覚えってっか?」誠吾の返事も待たずに、親方は早口で続けた。「あの淫売が戻ってきとる。昨日、ウチのおっかぁが見かけたんじゃが、たいそう垢抜けていて、ちっと見にはわがんねがったそうだ。だども、間違いなくトミだと、言っとる。何しに戻ってきたんだが。だがな、誠吾、会っても手ぇ、出すな。わがったな」
 誠吾は目の前が暗くなる思いがした。この十年間忘れようとも忘れる事の出来ない女の名だった。親方に釘を刺されたが、実際に会ってみたら何をしでかすか、自分にもわからなかった。親方が肩を叩いて立ち去った後も、誠吾は両脇に垂らした拳を握り締めたまま、そこに立ちつくしていた。

 翌朝、夜明け前に誠吾は弁天岩の突端に向かった。まだ、ほの暗かったが、通い慣れた道なので目を瞑っても歩く事ができた。朝露に濡れた草を踏みしめて行くと、松の幹にもたれかかって誰かがいた。誠吾は踵を返そうとし、落ちていた枝を踏んだ。パキッと音がして、先に来ていた人物が振り返った。
 頭は丸髷に結ってはいたが、洋装をした女だった。誠吾が立ち去ろうとすると、「もし!」と女が声をかけ、近づいてきた。色白で細面の、どこか寂しげな美しい女だった。
「あなたは、上田正造先生の息子さん?」細い声だった。村の女たちの浜言葉しか聞いた事のない誠吾には、硝子の風鈴のように聞こえた。誠吾は黙ったまま頷いた。
「やっぱり……。上田先生にそっくりだったから、もしや、と思ったのですが」
「親父を知っとるんですか?」誠吾はぼそっと聞いた。聞いてから、顔がさっと青ざめた。
「堪忍してくださいっ!」
 突然、女が誠吾の前に土下座した。額を地面にこすりつけるようにして、堪忍してください、の言葉を泣きながら繰り返した。誠吾は胸糞が悪くなり、吐き出すように怒鳴った。
「今さら、どのツラ下げて、そんな事が言えるんだよっ! てめぇ一人だけ生き残りやがって、てめぇのような淫売に親父はたぶらかされて、」
言葉が続かなくなり、誠吾はトミの体を蹴った。何度も何度も蹴りつけた。静寂の中、誠吾の蹴る音と、トミの「堪忍してください」の悲鳴のような声が響いた。
 ふいに、空気が震えた。
 下から、打ちつける波の音が聞こえた。獣の咆哮のような轟きに誠吾は我に返った。見下ろすと、トミは体を蹲ったまま泣いていた。誠吾の頬にも涙が伝っていた。
 いつの間にか、空は薄青に色を変えていた。昇りつつある陽に照らされ、遥かな海は、穏やかにその波を輝かせていた。浜から太鼓の打ち鳴らす音が聞こえた。もうじき漁が始まる。誠吾は拳で頬をこすると、浜へ向かって駆けていった。

       <了>

23にゃんこ:2004/06/03(木) 21:28
―― 人工島の猫 ――
 周囲二キロにも満たないその島は、二百年前までは、草木のない水成岩の瀬にすぎなかった。石炭が発掘されたので、埋め立てられ、岸壁をコンクリートで固められて、奇怪な形をした人工島へ変貌した。海の底深くえぐった炭坑の先端では、発破が炸裂し、削岩機が岩盤を掘り起した。コンベアはうなりを上げ、石炭を地上に搬出した。
 いつしか、人工島は人々であふれかえり、町の様子を現し始めた。パチンコに映画館、病院に派出所、鉄筋コンクリートの住宅が林立し、子供たちの学舎である小中学校までできた。およそ、人間の生活に必要なものは島の中でほとんどまかなえ、人々は島から出る必要さえ無くなった。
 その人工島から神隠しのように人々がいなくなったのは、エネルギー政策が、石炭から石油に転換したからだ。昭和四十九年に炭坑は閉められ、それから、わずか三ヶ月で人工島は無人の島になった。

 蒼穹に鳶が舞っていた。穏やかな海面を一隻の渡船が人工島に着岸した。
 一人の男が、人工島に上がると、渡船は白波を立てて去っていった。目の前には廃虚と化した七階建ての学校が建っていた。荒れ地の上に赤茶けたコンクリートの建築物が無惨な姿をさらしている。
 男は学校の中に入っていった。床の板が所々腐って抜け落ちていた。体育館だった場所だ。男が中学二年生の時に、この人工島が閉鎖され、家族とともに島を去った。父と母、男と妹の四人家族。
 三十年ぶりにこの島に男は帰ってきたのだ。父が閉山で職を失い、家族は新天地を求めて、大阪に出た。家族を養うために父は建築現場で働いた。しかし慣れない仕事で、現場のビルから落下して死んだ。そのあと母が懸命に働いて、男と妹は大学を出た。男の学生時代はアルバイトばかりだった。
 あれから二十二年の歳月が流れ、男は、就職、結婚、そして子供が生まれ、生活も安定した。男が三十代で立ち上げた会社は、不景気といわれた時代にも、利益を上げた。
 仕事で長崎に立ち寄った日の夜、男は居酒屋で焼酎を飲みながら、朽ち果てゆく、人工島の話しを耳にして、生まれ育った、ふるさとに立ち寄りたくなったのだ。
 男が体育館から、荒れ地になった運動場を眺めていると、雑草の陰で虎猫が耳のあたりを後ろ足で掻いているのが見えた。男は驚いた。無人島になって、三十年になるのに、未だに猫がいるのが不思議だった。猫の寿命は長くても十五年ほどだ。男は、島に渡る前にコンビニでワンカップとちくわを買っていた。そのちくわを持って、猫に近づいた。

24にゃんこ:2004/06/03(木) 21:32
 男が近づくと猫は警戒心のない目を向けた。男はその猫をどこかで見たような気がした。ちくわを差し出すと、臆することなく食べ始めた。どこにでもいる虎猫なのだが、男が小学校の低学年の時に見た猫に似ていると思った。勉強をしていると教室によく入ってきた猫だ。その猫のことを白足袋と呼んでいた。虎猫で足のところが白かったから、白足袋と呼ばれていた。いま、目の前にいる猫も足が白である。似ている猫がいるものだ。
 男は猫と分かれると、自分が住んでいた鉄筋コンクリートの住宅に行った。昭和二十八年に建てられた五階の建物だ。中は無惨にも廃虚と化していた。窓は壊れ、畳は腐っていた。緑無き人工島といわれたのに、部屋の中にまで、雑草が茂っていた。壁には男が小学校の時に描いた、父の絵が張ってあった。現在の自分よりも若い父の姿である。色は抜け落ちていたが、まだ、見られるものであった。壁から、はがして持ち帰ることにした。いま、父が生きていれば、何歳であろうかと思う。
 空の牛乳瓶が目についた。島を出る最後の日に、父と半分ずつ飲んだのを思い出した。そのときの父の笑顔が鮮明によみがえった。
 居住区をでて、思い出に耽ながら、あちらこちらと探索した。
 
 島の中央付近にある、小高い丘にある鳥居をくぐると社がある。潮風にさらされて、社は木肌が洗われて朽ちていた。社の横で、さっきの猫がぼんやりと海を眺めている。
「また、あったな」と、声をかけると、猫は男の方を一瞥して再び海を眺めた。
「おまえと、小学生の時にあったような気がするよ」
 男は声をかけたが、猫は耳をピクリともせずに海を眺めているだけだった。
 携帯電話がなったので出てみると、渡船の船長からだった。迎えにきたのだった。
「じゃあ、元気でな」
 男は猫に声をかけると、渡船が待っている場所に向かった。
 堤防から渡船に乗り移ると、いつの間にか猫が堤防のところにきていた。男は思わず笑みを浮かべながら、再び「元気でな」と声を掛けた。猫の鳴き声が男に聞こえた。
「だれか、島に残っているのですか」
 船長が不思議そうに男に訊ねた。男が、猫のことを言うと、船長は堤防の方を見ながら、 首をかしげた。男が再び堤防を見るとそこには猫はいなかった。
「お客さん、もしかしたら、白足袋の猫を見たのではありませんか」
「ああ、そうだよ、虎猫で、足が白かった」
「その猫なら、島ができたときから、いるとの噂がありますよ。きっと、あの島の主なのですよ、もしかしたら、あの島、自身かもしれないな」
 船長はそういいながら、渡船のエンジンをかけた。
 渡船は白い航跡を残しながら、人工島を後にした。
―― 了 ――

25くろ:2004/06/04(金) 00:00
このサイトでは最後の投稿かなあ。
みなさんの作品への感想は後日。

螺旋状の道行き (原稿用紙換算4.3枚)

 沖のほうで波を待っているサーファー達の姿を眺めながら、わたしはバスに揺られていた。一人、二人。すこし離れたところにもう一人いる。今の時期に海に出てきているのはよほどのフリークに違いない。まだ水が冷たいし、ついでに今日はすこし曇っている。 
 五分程走ってバスは大きなカーブにさしかかり、次第に海が見えなくなる。そしてしばらく雑草と、むき出しの岩肌に囲まれた景色が続き、そこを抜けるとまた海沿いに出る。さっきよりも高いところから見ると、サーファー達が待っている大波がもうすぐそこまで迫ってきているのがわかった。この、岩山をぐるぐると螺旋状に切り開いた自動車道の先に、わたしの目的地がある。バスは再び山地側に入り、わたしはバスの窓ガラスに写った自分の顔を見た。右目のまわりの皮膚が赤紫色に変色し、左の上唇が腫れてめくれあがっている。
 バスを降りて、高くめぐらされた塀の脇を少し歩き、見慣れた門の前で立ち止まった。インターホンのボタンを押す勇気がない。わたしは門を背にして煙草に火をつけた。
「美里かい?」
 誰がその言葉を発したのかわかっていたけれど、わたしは声のする方をちらっと見た。広大な庭の先にあるロッジのような建物のドアが開いて、花柄の割烹着を着た年輩の女がこちらの様子をうかがっている。寮長だ。わたしはすぐに顔を下に向けて、口の中が痛いのも気にせず煙草を吸った。あわせる顔がなかった。
 寮長はいったん建物の中に入り、門のロックが大きな音をたてて外れた。寮長は門に近い窓から顔を出して「入んな」と大きな声で言った。

26くろ:2004/06/04(金) 00:01
 大きなリビングルームには四人の女と小さな子供が一人居て、それぞれ好き勝手に、テレビを見たり雑誌を読んだり、子供のお絵書きの相手をしていたりした。
「おいみんな、今日から入る美里」
 寮長が言うと、四人の女たちは一斉に顔をあげてわたしの方を見た。ソファに座って雑誌を読んでいる女に見覚えがあった。
「本当はあと二人いるんだけど、今日は買い物に出てる。部屋は由香利の隣でいいね」
 雑誌を読んでいた女がうなずいた。由香利。一年前にここに居た時一緒に過ごした仲間だ。
「部屋に連れてってやって。美里、ゆっくり休んでからあたしんとこに来な」
 由香利は雑誌をラックにおさめるとわたしの先に立って二階の部屋に誘導した。
「ひさしぶり」「うん。由香利はあのあと出たんでしょ」「そう。で、一月前に戻ってきちゃったの。顔、ひどいじゃない」「まあね」「前の男が追ってきたわけ?」「そうじゃなくて、新しい男がまたさ」「ん……どうしてあたしらはそうなっちゃうかねえ」
 暴力をふるう男が悪い。それは揺るぎない事実だ。一方で不思議な、不可解な現象がある。わたしたちは暴力をふるう男といったん別れても、また同じような癖をもった男と出会ってしまう。その度にこの寮に逃げてきて、わたしたちは一命をとりとめる。それは決して大袈裟な話じゃなく、こういう場所を知らずについに殴り殺された女もいる。
「ここがふるさとになっちゃまずいんだけど」
 そう。ここはふるさとではない。ふるさとではないけれど、親類縁者にも見放されたわたしたちのことをいつでも迎えてくれる場所だった。わたしたちはあのぐるぐるまわる自動車道みたいに、もう見ることはないだろうと思っていた場所にまた帰ってきてしまう。
 机と椅子と備え付けのクローゼットがあるだけの質素な部屋はわたしを懐かしい気持ちにさせ、同時に、これまで耐えていた体の痛みと疲れを思い出させた。「氷でももってこようか?」と言う由香利に「ありがとう。大丈夫、自分でする」と言ってわたしは荷物を置き、由香利が部屋を出ていってから窓の外の景色を眺めた。窓からは遠目に海が見えた。サーファーたちはあの大波に乗ることができただろうか? わたしは窓辺に椅子を引き寄せ、そこに座ってしばらく海を見ていた。

27小山田:2004/06/04(金) 00:08
『嘆き島』

 私が生まれ育ったこの小さな島ほど美しい島は、世界中を探しても多くはないだろう。島全体がたった今泡から生まれたビーナスの胸に似たたおやかな曲線の丘陵で、深い藍の海に無垢な孤児のように浮かんでいる。その肌はエニシダと、まどろみの木陰を作るオリーブ、つややかで瑞々しい実をたわわにつけるオレンジの木に覆われていて、所々につつましく清潔な白壁の民家が小さな集落を作っている。海に滑り込む裾野は輝くような白い砂浜で、それはまるで島を縁取るレース飾りのようだ。一箇所だけレースが途切れる場所があり、そこは石灰岩が剥き出しになった入り江で、ささやかな漁をするための小舟が数艘波間に漂う。光に満ちた清楚なこの島には陰鬱な名がつけられている。嘆き島。入り江の岸壁に、間口は大人が背を屈めてやっと通れるほどなのだが底知れずの深い洞窟があって、そこから絶えずテノールの嘆き悲しむ声が聞こえるのである。洞窟に入り込む風の具合なのか、海底を伝う地球の息吹を反響しているせいなのか、それは知る由もない。諦め、うめき、しぼり出すような嘆きの声は島のどこにいても聞こえた。夜になると、寄せ返す波音と和して切れ切れに月明かりの静寂を細かに震わし、島全体を薄絹のベールで包むのであった。政治的な、あるいはまったく個人的な理由で血生臭い悲劇を演じ、ここに流されてきた我々先祖の嘆きの声だという人もあったし、この島に逃れて甘美な死を選んだいがみ合う村の恋人たちの亡霊だという人もあった。
 人は二つの種類に分けられるのかもしれない。悲しみを受け入れる人と目を背ける人。若者の多くは嫌悪してこの島を去っていった。私も若い頃はこの陰鬱な声が嫌でならなかったのだが、ある日打ちひしがれた私がこれと全く同じ声で嘆いてい、どちらが私自身の嘆き声なのかさだかではなくなった時から、忌み嫌う気持ちは薄れていった。島民は嘆き声を聞きながら簡素で静かな生活を営んでいた。ある者はオリーブを育て、ある者は漁をし、私は皿や壷を焼く。
 ある夏の日、一人の紳士が三日に一便入り江に入港する連絡船を降り立った。私の幼友達で、彼もまた二十数年前にこの島を出ていった一人だった。仕立ての良い涼しげなスーツを身にまとい、野心と希望に輝く笑顔を浮かべた友人は、ある財閥の観光開発のプロジェクトを任されていた。この島の優雅な美しさは完璧だ、あの嘆き声さえなければ、と彼は出迎えた私の手を握って言った。ありきたりな風景に飽き飽きし、次なるリゾート地を求める洗練された人々を満足させるために、まず洞窟を静かにさせなければならない。そんなことができるだろうか、と私は血色の良い友人の顔をしげしげと見つめながら問うた。彼は笑った。まあ、見ていてくれよ。

28小山田:2004/06/04(金) 00:10
 数人の作業員が島に到着すると、洞窟の周りに足場がくまれて工事ははじまった。島の景観を損なわないように、切り出された石灰岩を洞窟の入り口に積み上げ、漆喰で塗り固めていく。作業はすみやかに行われ、ほどなくして穴は塞がれた。しかし嘆きの声は消えなかった。テノールの声が幾分高くなり、さめざめと泣きつづける細い女の声が響き始めたのである。初めからやり直しだった。友人はもっと緻密に仕事を進めなければならないと考えた。洞窟の周りの石灰岩を平らに削り取り滑らかに磨き上げて、一分の隙もなく風が入り込まないように鉄板をあてた。その上をあたかも自然に見えるように石灰岩のカモフラージュを貼り付けていったのである。男のうめき声も、女の悲嘆の声も聞こえなくなった。が、今度は人が死の間際につくという哀切の長いため息に似た風音を、間欠的にさせるようになったのである。これはいままでのものとは比べ物にならないくらい、沈痛で重苦しく聞くものをいたたまれなくさせた。友人は再度計画を変更せざるをえなくなった。風の出入りを閉ざして封印するのでなく、音が外に漏れないようにするしかないようだった。鉄板が取り外されたとたんに、あのテノールの嘆き声がよみがえった。防音壁は念入りにとりつけられ、最後の一枚で洞窟の入り口はそっと閉じられた。
 島から嘆きの声は消えた。さざめく明るい陽光と紺碧の海に恵まれた、空っぽの美しい島が残された。予想外に難航する工事に時には苛立ちを隠せなかった友人は、すっかり自信を取り戻し、勝利の喜びに満足して言った。いよいよこの島も生まれ変わるのだね。しかし、彼もうすうす気づいたはずだ。帰路につく連絡船に乗りこむ桟橋で足を止め、不安そうな眼差しで、彼が捻じ曲げた島の姿を眺めたのだから。しばらくしたらここはホテルや土産物屋がひしめくようになるだろう。洗練された人々が押し寄せ、倦怠と享楽の日々を過ごし、そして、ありふれた風景に飽き飽きして、貪欲に次のリゾート地を捜し求めるに違いない。そうなるのに長い時間はかからないだろう。
 その夜、私は入り江に出向いた。星がこぼれそうに瞬いて波の粒子を輝かせ、波は船べりを撫で叩く。白い岩肌が浮かび上がる。白い防音壁は洞窟の入り口を緩やかに囲み、まるで嘆き悲しむ者を庇護しているようだった。岩伝いに私はそこにたどり着き、耳を押し当てた。かすかに、けれど確かに、そして幾いろもの嘆きの声が聞こえた。その中には、私の、私の大切だった人の、そしてたぶん、あの友人の嘆き声もあるのだろう。
 閉じ込めきれない悲しみは、抱いて生きていくしかない。嘆き島のように。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板