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プチ住民(゚ε゚)キニシナイ!!

1プチ住民:2003/01/31(金) 19:21
愛好会スレのプチ住民の(゚ε゚)キニシナイ!!
おまいら、煽られちゃったり・放置されちゃったり、流れにのれずレスを外しても(゚ε゚)キニシナイ!!
そこにアキラたん(*´Д`*)ハァハァ(*´Д`*)ハァハァがあるなら(゚ε゚)キニシナイ!!
合言葉は(゚ε゚)キニシナイ!!

417小花恋唄 ◆pGG800glzo:2008/06/24(火) 21:45:03
(88)
いつもの格子窓の前に立ち、最初にしたのは正面に飾られた一輪挿しを確認することだった。
思ったとおり、おもちゃのような花瓶に活けられた花は萎れ切って茶色く変色している。
――つまり、まだ「アイツ」は来てねェってことだ。
ヒカルはほっと溜息をつき、改めて室内の様子を窺った。
「アキラ。・・・・・・アキラ?」
そっと呼びかけるが、返事はない。身を隠す場所とてない四畳半だ。
部屋の中にはいない・・・例の下男の訪問日ということで、身奇麗にするために
また風呂に入れられてでもいるのだろうか?
ほんのり桜色に色づいた白い裸体を瞬間的に想像してしまい、ヒカルは慌てて頭を振った。
「ま、いねェもんは仕方ねェよな。どっかに隠れてしばらく待つか」
そうして手頃な庭木の陰に屈もうとした矢先、聞き覚えのある旋律が流れてきた。

「・・・・・・アキラ・・・・・・?」
庭に面した渡り廊下に腰を下ろし、脚をぶらぶらさせながら、アキラは歌っていた。
そよ風に揺れる庭木に合わせて体を揺らし、池の中の鯉の泳ぎに首を傾げ、
陽の光を四枚の羽のおもてに受けて飛ぶ小さな蝶を物珍しげに眺めながら。
それはきっと子守歌なのだ。
世界中に存在する、悲しみを胸に抱え持つ全ての者を優しく癒し、包み、眠らせるような。
「アキラ」
庭木の陰から出てもう一度小声で呼ぶと、アキラはこちらに気づきぱっと表情を明るくした。
腰掛けていた渡り廊下からぴょんと飛び降り、不慣れな足取りで駆けてきて、
石に躓き前のめりになる。
「わっ――」
危ない、咄嗟に抱き止めたが自らも平衡を保てなくなり、二人して庭木の茂みに倒れ込んだ。
「つっ・・・あ、危なかった・・・。よく見たらオマエ裸足じゃねェか。部屋を抜け出したのか?」
「あー。あー」
ヒカルに助けられたことを知ってか知らずか、アキラはにこにこと嬉しそうにしている。
陽に透けるヒカルの金色の前髪を指に絡めたり引っ張ったりして満足気だ。
「てっ、痛っ。ったく、仕方ねェなぁ・・・オマエはもう・・・」
苦笑しながらも、初めて格子窓に隔てられずこうして触れ合っていることが嬉しくて、
ぎゅっとアキラを抱き締めた。

418裏失楽園:2008/06/24(火) 22:45:25
>417 こんばんは!
久しぶりにまた読めて嬉しいです。

419 ◆pGG800glzo:2008/06/26(木) 00:55:55
>418
裏失たん来てたー!!お久しぶりです(;´Д`)ハァハァ
気が向いたら裏失楽園の続きも読ませてくだせえ。
エロカッコイイ兄貴とヒカルとアキラたんの緊張感ある関係に
また(;´Д`)ハラハラしたいっす!!

420 ◆pGG800glzo:2008/08/11(月) 23:57:07
以下、アキラたんとヒカル&ヤシロの3P展開につき
かわいそう(?)なアキラたんを見たくないヤシはスルー頼んます。

421戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/11(月) 23:58:03
(93)
「・・・・・・証拠?」
アキラは訝るように問い返してきた。きっと彼には想像もつかないのだろう。
たった今自分の中に、一点の染みのように黒く生じた、下衆な企みなど。
一瞬だけヒカルは躊躇った。――今ならまだ引き返せる。
だが見えない破滅的な力に衝き動かされるように、どす黒い感情は勝手に言葉となって
舌の上を躍り出た。
「初日の夜にオレを突っぱねたのは、オレが嫌だったからじゃねェって証拠だよ。今ここで――」
そこで言葉を切り、傍らで眠りこけている社を見遣ってゴクリと唾を飲み込もうとしたが、
口内にはもう一滴の潤いも残っておらず、乾いた痛みだけを呑み下した。
「――今ここで、オレにヤらせろよ。そしたら、オマエのしたこと許してやる」
ヒカルの発する一語一語を注意深い顔つきで聞いていたアキラが、ぴくりと目を見開いた。

ひりつくような沈黙の後、整った唇から、やっとのことで反応の言葉が返ってきた。
「――・・・馬鹿な」
「何が馬鹿なんだよ?」
「そんな真似、出来るわけがない!この部屋には社もいるんだぞ?彼が目を覚ましたら・・・」
「酒飲んで、鼾かいて寝てんだ。ちょっとやそっとじゃ、起きねェよ」
「し、しかし――」
「さっきオマエ、オレの気が済むまで謝るって言ったじゃねーか。あれ、嘘かよ?
そう・・・もしオマエが今ここでオレの言う事聞いてくれるんだったら、全部許して・・・
――社にはオレとの『関係』、秘密にしといてやってもいいんだぜ?」
今度こそ、電撃に撃たれたようにアキラの全ての動きが止まった。
強張った黒い目の底にある感情は怒りなのか非難なのか、苦痛なのか軽蔑なのか懇願なのか――
こっちだってもう頭の中は滅茶苦茶で、何も分からない。
「塔矢」
低く叫んでヒカルはアキラの体を抱え込んだ。そのまま上衣の裾から手を滑り込ませ、
指に馴染みのある滑らかな膚を撫でさすりつつ、耳元で囁く。
「なぁ、いいだろ?・・・それで全部、何事もなかったみてェに上手くいくんだ」
いつもそうしているように、上方の小さな突起を指先でつまみ上げ優しく押し揉んでやると、
アキラの喉から快楽とも絶望ともつかない喘ぎが洩れた。

422戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/11(月) 23:58:59
(94)
どのような状況下であれ、一度でも劣情の炎に灼かれたことのある身体に再び火を点すのは
困難なことではない。
下のほうに燻っている燠火をくすぐって燃え立たせてやれば良いのだ。
ヒカルの巧みな誘導によって、アキラの燠火もすぐ燃え上がった。
「――塔矢オマエ、いつもより感度いいんじゃねェ?興奮してんだろ」
「そ、そんなことっ、・・・んっ・・・っはぁ・・・はぁ・・・っ!」
「ンなこと言って、息上がってるじゃん。誰も信じねェぜ?オマエのこんな姿見たらさ」
「ふぅっ・・・!あ、はぁっ・・・・・・!」
部屋の片隅に共通の友人を寝かせたまま、声を殺しての遣り取り。
アキラの衣類をずらして乳首から膝までを大きく露出させながら、ヒカルもまた、
一種非日常の興奮が自らの神経を鋭く尖らせていることに気づかないわけにはいかなかった。
普段なら気に留めることもない衣擦れの音や、アキラの髪先が畳の表面をかする音。
喉から胸にかけて薄い皮膚の下にはっきり読み取れる鼓動と、熱く潤んだ表情。
何もかもがまるで普段のセックスを十倍にも凝縮したように、濃密で、鮮やかで、淫猥だった。

「進藤・・・っ、早く・・・ッ」
ろくに湿らせてもいない指で内部を穿たれる異物感に眉を顰めながら、
アキラがヒカルのTシャツの腹の部分を引っ張り、ハーフパンツの紐をほどこうとする。
紐を押さえ、ヒカルは苦笑した。
「おい、もうかよ。まだちょっと早いんじゃねェか?」
「の、のんびり・・・しているわけにも、いかない・・・だろうっ。こんな状況、で・・・」
確かに・・・。
時に高く時に低く、鼾を立てて眠りこけている社のほうにヒカルはちらりと目を遣った。
ついさっきアキラに想いを打ち明け、受け入れられた――ヒカルはその場面を確と目撃した
わけではないけれども、あの様子では恐らくそういうことなのだろう――幸せな友人。
彼にこの状況を気づかれないためには、彼が目を覚まさぬうちに事を済ませることが肝要だ。
ヒカルはにやりと笑みを浮かべた。
「――いいぜ、塔矢。今すぐ挿れてやるよ」
アキラはほっとした表情で、膝下辺りに蟠っていた衣類をもどかしげに自ら脱ぎ捨て、
自由になった長い脚をヒカルの腰に絡みつけてきた。

423戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:00:37
(95)
「――はぁっ、はぁっ・・・進藤・・・進藤・・・っ!」
悲鳴交じりの荒い息で自分の名を連呼するアキラに、嗜虐に似た興奮を覚える。
今この時にアキラが見せる表情のどんな小さな瞬間も見逃さないよう、目を凝らしながら、
ヒカルはアキラの奥に向かって腰を打ちつけ続けた。
十分に慣らす時間がなかったため潤いの足りなかった内部は、当初、締めつけが強いばかりで
動くと痛いぐらいだったが、やがてヒカル自身の先端から滲み出るものの働きにより、
無味乾燥な摩擦感は脳髄を蕩かす快感に変わった。
「っ・・・、塔矢・・・」
「進藤・・・しんどう・・・っ!」
うわ言のように自分の名を呼ぶアキラを体の下で揺すぶりながら、
一瞬、何もかもを許してやってもいいような気分になった。
たとえどんなすれ違いがあったにせよ、たった今、自分とアキラはこんなにも一つだというのに、
他の人間が間に入り込む余地などあるだろうか。
自分はもしかすると、ありもしない危機に怯えていただけなのではないか。
熱に浮かされたようなアキラの表情、いつも端然と結ばれているその唇は
絶え間なく洩れる熱い吐息のため乾き切って、すんなり伸びた脚は貪欲にヒカルの腰にしがみつき、
結合部からはぬちゃぬちゃと粘着質な音が弾けている。
こんな淫らな顔をアキラが見せるのはこの世に自分一人で、
こんな淫らな音をアキラが聞かせるのもこの世に自分一人で、
それだけでもう何も不満に感じる理由などないのではないだろうか。

だが、予期せぬ出来事が起きた。
部屋の隅に寝かされていた社が寝返りを打ち、呟いたのだ。
「ん・・・うぅん・・・・・・とーや・・・・・・」
「・・・・・・!」
その瞬間アキラの表情に起こった変化は、ヒカルの網膜に痛みと共に焼きついた。
それまで一心にヒカルを見つめていた両の目がゆっくりと閉じてゆき、眉と口とが切なげに歪む。
それに伴い、ヒカルを締めつける内部の収縮は一層激しくなり、ぴくぴくと忙しない痙攣を始めた。
「・・・あ・・・あっ・・・うぅっ・・・!」
――ふざけんなよ。オレを見もしねェまま、勝手にイきそうになってんじゃねェよ。
絶頂へ向けてアキラが昇りつめようとした矢先、
ゴトリと大きな音が響いた。

424戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:01:47
(96)
しばらくの間、アキラは何が起こったのか理解していないようだった。
たった今耳に届いた音を怪しむかのように瞼を薄く開き、曖昧に視線を彷徨わせる。
だがその表情はまだ現と夢の間を漂い、ヒカルと繋がったままの部分は、
中断された刺激を求めてきつくヒクついている。
「・・・どーした?」
殊更に優しい声で囁きながら、腰を前後に軽く揺さぶって中を擦ってやると、
アキラは再び喘ぎの形に唇を開いて、ヒカルの背骨の上でしっかりと脚を組み直し、
揺すられる動きに腰を合わせ始めた。
――数十秒後、ふと部屋の片隅に投げられた視線が、あるものを捉えてしまうまでは。

快楽の熱でとろとろに蕩けていたアキラの表情が瞬時に凍りつく。
視線の先には倒れた日本酒の壜。
さっきまできちんと立っていたはずのそれが卓袱台の上に横たわっているということは、
先程響いたあの不吉な音が、夢や幻聴などではなく現実だったことを示している。
そしてそのような音が室内に響き渡ったことによる当然の結果として、
倒れた壜の向こうに――
驚愕と衝撃に見開かれた二つの目があった。
「・・・進藤・・・、・・・・・・とう・・・や・・・・・・?」

ひゅ、と息を吸い込む音がよじれた。
注がれる視線から逃れようとしてなのか反射的に翳されたアキラの両手を畳の上に押さえ込み、
自由を奪う。
アキラは喘ぎながら顔を背けた。その耳に唇を近づけ、目線はもう一人の男に送りながら囁く。
「・・・塔矢ァ、どーした?おまえギャラリーには強いほうだったじゃん。
あいつオレたちのこと、穴の空くほど見てるぜ。ちゃんと見せてやれよ。オマエの一番イイ顔を」
言うなり、細い顎を掴んで無理やり彼のほうを向かせ、もう片方の腕でアキラの腰を抱え上げる。
深々と繋がった結合部を見せつけるように。
「オラッ塔矢、しっかりしろよ!さっきみたいにヤラシク、腰振ってみせろ!――社の前で!!」
「あっ、ああっ、しんど、進藤、やめっ・・・あ、やァッ、あぁぁぁあッ!!」
今までにないほど激しい動きでアキラの奥を突き、次第にその間隔を小刻みに詰めてゆき、
やがてアキラの体が大きく弓なりに反った瞬間、ヒカルはアキラの最奥めがけて欲望を打ち放った。

425戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:02:53
(97)
二人同時に果てた後もなお、ヒカルを押し包む弾力性に富んだ粘膜は
ビクンビクンと物欲しげに蠢いていた。
その動きに促されて、最後の一滴まで余すことなく注ぎ込み、漸く息を吐く。
結合部がよく見えるよう肩に掛けたアキラの脚が、急に重たく感じられた。
邪魔そうにその脚を外し、腰を引くと、
汗ばんだ白い双丘の間に肉色の秘孔がぽっかりと口を開け、だらしない涎を垂らしている。
その涎のひとしずくを指先に絡め取りながら、聞こえよがしにヒカルは言った。
「あ〜あ、こんなにしちまって!畳汚しちゃったから、後で拭かなきゃな。
でも、こっちに派手に飛び散ってるのは塔矢が出した分だぜ。そんなに気持ち良かったか?
オマエの穴、まだヒクヒク言ってっけど」
アキラは答えない。両手で顔を覆った下から、嗚咽のような音だけが微かに洩れ聞こえてくる。

言葉を失って固まっていた男が、やっとのことで声を発した。
「・・・・・・な・・・・・・何しとんのや、二人とも。悪い冗談・・・」
「冗談でこんなことするかよ。社、オマエも今見てただろ。塔矢はオレとこーいう関係なんだよ」
「か、関係て」
「だから――オレがヤりたい時は塔矢が挿れさせてくれるし、
塔矢がヤりたい時はオレが挿れてやる。そーいう関係。別に驚くことじゃねェだろ?
オマエだって塔矢とこういうことしてェから、さっきコイツに告ってたんだろ」
「・・・・・・!!」
顔に朱を上らせた社の顔を見て、自分の考えが邪推ではなかったことを確信する。
今まで他人に対してこんな残酷な気持ちになったことはなかった。
自分でも驚くほどの無感情な声で、ヒカルは告げた。
「ちょうどいいや。社、オマエもこっち来いよ。塔矢と一発、ヤらせてやるよ」
顔を覆っていたアキラの両手がぴくりと動く。社は一瞬呆気に取られた後、
顔を真っ赤にして取り乱した。
「な、なっ・・・・・・何ゆうとんのや!!そ、そないなこと、オレはっ・・・!」
「塔矢が社にどんな風に言ってたのか知らねェけど――どうせオレとのことは隠して、
都合のいいように言ってたんじゃねェのか?だけど社が眠ってれば、
それをいいことに同じ部屋でオレと今みたいなことをする。そういうヤツなんだよ。
だからオレたちに何されたって文句は言えねェんだ。――なぁ、塔矢?」
問いかけに対して、無論答えはなかった。

426戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:04:19
(98)
社は膝立ちになり、強張った表情でアキラを見下ろしている。
揺れる視線、言葉を探すように開いては閉じる唇から、心の動揺ははっきりと見て取れる。
とどめの一押しと、ヒカルは声に力を込めた。
「まだ分かんねェのか、社。オレもオマエも、こいつに騙されたんだよ。
両方にいい顔して、両方とも自分の好きな時に遊べるオモチャにしようとしたんだ。
だけど、どうせ塔矢がオレともオマエともこーいうことするつもりなら、
今ここでオレたち二人が同時にヤったっておんなじことだろ!!」

ドクンと一つ、社の心臓が大きく鼓動を打ったのがわかった。
膝立ちの姿勢から緩慢な動作で立ち上がり、ヒカルがアキラを組み敷いている場所に近づいてくる。
ヒカルは薄く笑うと、黒髪を乱れさせているアキラの頭の脇へ移動し、
顔を覆っていた手を頭上で束ね合わせるようにして押さえ付けた。
その間アキラは全くの無抵抗だったが、顔を隠すものがなくなった瞬間だけ小さく息を呑み、
横を向いた。
乳首の上辺りにくしゃくしゃになった衣類が僅かに引っ掛かっているだけで、
そこから下は一糸纏わぬアキラの裸身が、社の前に曝される。
しどけなく開いたままの脚、先程の情事の跡がまだ濃厚に残る白い膚――
しかしこの期に及んでも、社はなかなか行動を起こそうとはしない。
何をやっているのかとヒカルが目を遣ると、社の表情には明らかに迷いの色があった。
想いを寄せていた相手の無防備な姿が目の前にあって、そうしようと思えばすぐにでも
意のままにできる状況でありながら、彼はまだ何かを待っている。
恐らくはアキラの言葉を。
他の人間に何を言われようと、たとえどんな酷い裏切りを受けようとも、
アキラが弁解したなら、或いは一言「やめろ」と言ったなら、
この男はきっとそれ以上踏み出そうとはしないのに違いない。
――だがアキラは何も言わなかった。
逡巡と欲望のせめぎ合いの果て、社は一瞬だけ悲しそうな顔をして、
嗚咽に似た呻き声を洩らしながらアキラの身体にむしゃぶりついていった。

427戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/08/12(火) 00:05:10
(99)

――何をしてるんだろう。なんでオレ、こんなことやってるんだろう。
そんな思いがぐるぐると濁流のように渦巻く。
アキラの両手首を押さえ付けるヒカルの目の前で、社はアキラを抱き、
その間ずっとアキラは声一つあげずに目を閉じていた。
狂気に駆り立てられた時は過ぎていき、やがてアキラの名を呼びながら達した社が、
我に返ったように汗に濡れた顔でアキラを見つめた時、
ヒカルは胸の奥からせり上がってくるものをこらえ切れなくなって部屋を飛び出した。

暗い廊下をよろめきながら突っ切り、一番手近な密室であるトイレに駆け込む。
そこでヒカルは、気道を圧迫して息をできなくさせている不安と不快の塊のようなものを
吐き出そうとした。
しかし何度えずいても、喉からは透明な唾液と苦い胃液とが唇を伝い溢れ落ちるばかりで、
不快な塊は無くなってくれない。
罰が当たったのだとヒカルは思った。
自分を裏切ったアキラに意趣返しをするために、あんな酷いことをしたから、
こんな苦しい塊が胸の奥に出来たのだ。
この苦しさは一生消えてなくならないのかもしれない。
でもそれも、自分が二人にしたことを思えば当然だ。
ヒカルはしゃくり上げた。するとさっきアキラが自分に酷いことを言われて嗚咽していた姿が蘇り、
頭がガンガン鳴った。
明日アキラに会った時、どんな風に声をかけたらいいのか分からなかった。
社にもどんな顔をして会ったらいいのか分からない。
ぐちゃぐちゃになった頭で辛うじて理解できるのは、
アキラと社の間に育ちつつあった信頼関係に対し自分がこれ以上ないほど深い傷を負わせたことと、
この数日間アキラと社と三人で過ごした素晴らしい時間は、
もう二度と返って来ないのだということだけだった。

へたへたと、ヒカルは扉を背にして座り込んだ。
――あの花火から後、自分たち三人の間に起こったことが全部夢だったらいいのに・・・
折り畳んだ膝の上に顔を伏せると、夢の中に落ちて行けそうな気がした。
身も心も疲れ切っていたヒカルは、いつしかそのまま眠ってしまった。

428戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:38:51
(100)

「・・・・・・進藤。おい進藤、だいじょぶか」
軽く頬を叩かれて気がついた。
重い瞼をぼんやり開くと、目の前に社の心配そうな顔がある。
「・・・やしろ・・・?なんでオレ・・・」
友人を見つめる自分の眼が酷く腫れぼったく感じられるのを訝しんで、
何度か強く瞬きをした。
固い壁と床に当たっていた足腰が痛い。
睫毛の縁が何かに濡れたように冷たく、目元と頬には軽く引き攣れるような感触があった。
喉の奥に、胃液の苦味が微かに残っている。
それでヒカルは全てを思い出した。

「・・・・・・っ!!」
目を見開く。何か言いたかったが、口が動かなかった。
石になってしまったように両膝を抱えて、目の前の友人を見つめていた。
だが社は必要以上に言葉を費すことはせず、にこりと小さく笑った。
「・・・良かった。便所の外からドア叩いてみたけど反応あらへんし、
さっき酒も飲んだから、中で倒れてたりしたらどないしょ思って・・・」
何かを問いかけるようなヒカルの大きな目に少し困った表情を返して、
社は手を差し延べた。
「ほれ。・・・・・・立てるか?」
途端、枯れきったと思っていた眼の奥から鈍い痛みが押し寄せてきた。
痛みは熱となり、熱は目の縁から溢れて、後から後から頬を伝い落ちる。
「うっ・・・うぇっ・・・ぐっう、うぇぇっ・・・!!」
みっともないと思うぐらい嗚咽が止まらなかった。
ちゃんと言葉にして謝らなければと思えば思うほど、涙が噴き出してくる。
全身でしゃくり上げるヒカルの頭をあやすように叩いて、社が言った。
「うん。進藤。・・・・・・堪忍な。・・・・・・ホンマ、堪忍や。御免なあ」
――何を謝ることなんかあるんだよ。酷いことしたのはオレなのに。
社に、塔矢に、酷いことをした。一生謝っても足りないぐらい酷いことをした・・・
自分を気遣ってくれる社の優しさが、ヒカルには却って苦しかった。

429戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:40:13
(101)
心配そうな社を先に帰して、洗面所で顔を拭ってから部屋に戻った。
気は進まなかったが、荷物も何もかも全部あそこに置いてあるのだし、
こんな時間に外に出て行て行ったりしたら却って二人に気を遣わせるだろう。
小さな赤い電球一つに照らされた室内には、既に布団が二つ敷かれて、
三つ目の布団に社がせっせとシーツを被せているところだった。
既に敷かれた布団の片方から、見覚えのある艶やかな黒髪が覗いていることに気づいたヒカルは
それ以上歩を進めるのを一瞬躊躇ったが、社が口に人差し指を当てつつ
真ん中の布団に行くようヒカルに促したので、足音を忍ばせ、言われた通りにした。
隣の布団に恐る恐る目を遣ると、アキラは掛け布団を頭まで被って
静かな寝息を立てているようだ。
乾き切っていない濡れ髪の甘い匂いが微かに漂っているところを見ると、
ヒカルが眠りに落ちている間に一度、風呂に入って身を清めたのかもしれない。

「・・・塔矢を一人にすんのも心配やし、今夜はこーして三人で寝るのが一番いいと思ったんや。
オレたちももう寝よ」
自分の布団を設えた社が小声で言い、ヒカルも頷いた。
電気が消され、布団に潜り込む音が少しの間ガサガサと響き、静寂が訪れる。
目を閉じても眠れなかった。
社にも、眠っているアキラにも気づかれないように、
ヒカルは隣の布団からほんの端っこだけはみ出しているアキラの黒髪を眺めた。
しっとりとした匂いを放つ美しいそれに指を伸ばして触れてみたかったけれど、
今の自分にそんなことが出来るはずもない。
明日の朝を迎えれば二度とアキラに手を触れることも、
口を利くことも出来なくなってしまうかもしれない。
だからせめて今夜は目の前にあるこの黒髪を、
自分にまだ見つめることが許されているアキラの一部を、
このまま夜明けまで眠らずに眺めていようと思った。

430戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:41:15
(102)
背中側の布団から小さな声が呼びかけた。
「・・・・・・進藤。進藤、まだ起きとるか」
黙っていると、声はそのまま続けた。
「・・・寝とるならそのままでええ。オレが一人言言いたいだけやから、夢ん中で聞いてくれ。
そやなぁ、何から話そ・・・東京から電話がかかってきて、塔矢にこの研究会に誘われた時、
オレほんまに嬉しかってん」
――社は何を話そうとしているのだろう。
寝たふりをしたまま、ヒカルは背中に神経を集中させた。

考え考えという調子で、間を置きながら社は続けた。
「もうバレバレやろォけど・・・オレ、塔矢のことが好きや。北斗杯の時から、
いやきっと、初めて見た時から好きになってたんやと思う。塔矢は強くて・・・
女みたいな顔してる癖に、碁盤の上でも碁盤の外でも、ほんまムカつくぐらい強い奴で。
塔矢のそういうとこ、反発したくなる時もあったけど、憧れてた。せやから・・・
研究会に参加したらまた塔矢と会える思て、オレ、柄にもなくドキドキして、
電話もらってから東京着くまで、ずーっと何にも手に付かんとドキドキしっ放しやった」
――わかっていた。社がどれだけ純粋にアキラを想っているか。
そしてアキラがどれだけ社に惹かれているかも。
アキラを一番側で見つめてきた自分は、痛いほどわかっていた。
わかっていたのに・・・
心臓が錐を捩じ込まれたように痛んで、ヒカルは我知らず眉を寄せた。
社の声は穏やかに続いた。
「・・・・・・けど、オレが東京に来たのはソレばっかのためやない。塔矢や進藤とまた打てる、
北斗杯の時みたいにもう一遍三人で碁漬けの時間を持てるんやて、それが一番楽しみやった。
ここに来てからの時間は楽しくて・・・碁を打ってる時間もそうじゃない時間も、
ホンマに全部楽しくて・・・夢みたいで・・・。塔矢といられるのも勿論幸せやったけど、
進藤と打ったり話したりする時間も、無茶苦茶楽しかった。
あぁ進藤てこんなトコもあるんやとか、こういうトコはオレと似とるとか。
そういう風に感じることがたくさんあったんや。・・・・・・せやから」
一旦言葉を切って息をついてから、ぽつりと一言。
「同じ相手を好きになんのも当然やと思った」

431戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:42:18
(103)
布団に横たわったままヒカルはぎゅっと拳を握り、目を閉じた。
自分がアキラと社の想いに気づいたように、社も自分の想いに気づいていたに違いない。
この数日間同じ屋根の下で、互いが互いの視線の先にあるものを知りながら、
それを口にするのを避けていた。
三人で過ごす、この楽しい夢のような一時を壊したくなかったから。
一つ何かを間違えば、たちどころに均衡を失い崩れてしまうだろうこの生活を
それでも守り抜きたいと、誰もが願っていたから。
けれども皆が自身の想いを押し殺してまで保とうとしたその素晴らしい時間は、
最後の夜に崩壊したのだ。・・・最悪の形で。

逡巡するような間を置いてから、社が再び切り出した。
「・・・・・・進藤は・・・塔矢とオレが二人でいた時の会話、聞いてたんやったな。
でも多分、全部は聞いてへんのやろ。だから少し誤解しとんのやと思う」
――誤解?
ヒカルは薄く目を開いた。
確かにあの時、二人の会話を最初から全て聞いたわけではない。
だが、誤解も何も、自分があの時見た光景。
社がアキラを抱き締め、アキラもそれを拒まなかった。それが全てではないのか?
だからこそ――だからこそ自分は絶望し、怒りに任せ、アキラを傷つけてやろうと思ったのだ。

背後で社の声が躊躇いがちに告げた。
「あん時、オレが塔矢に自分の気持ち伝えたんはホントのことや。
アンタのことが好きやて、そう言うた。・・・・・・けど、本当言うと塔矢はあん時、
OKしてくれたわけやないんや。も少し考えさせて欲しい、て。
オレのこと気になっとるけど、自分には他にも好きな相手がいるから、今は答え出されへん。
ちゃんと答えを出せるのは何年も先になるかも分からへんし、
その時どっちを選ぶか約束も出来ひんけど、それでもエエなら待ってて欲しい、て。
そういう返事やったんや。・・・その相手ゆうのが誰なのか塔矢は教えてくれんかったけど、
オレには進藤のことやて、何となくわかってた。せやからオレ、いつまででも待つて、
その間に碁の腕磨いて、塔矢に認めてもらえる男になれるよう頑張るて、そう答えたんや」

432戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:43:11
(104)
ヒカルは一言も声を発さなかった。
声を発さないまま、頬は涙で濡れていた。
「――この数日のこと、オレ一生忘れへん」
言い切った社の声にはきっぱりとした響きがあった。
「何年か何十年か後、塔矢がたとえ誰を選んだとしても・・・
この家で塔矢と、進藤と暮らした数日はオレが今まで生きた中で一番大切な思い出で、
それはオレが死ぬまで一生変わらへん。だから・・・・・・ありがとう。
二人とも、ほんまに感謝してる。・・・・・・ってことをな。一人言で言っときたかったんや」
最後に照れ隠しのように付け加えて、ゴソゴソ布団を被り直す音が響いたかと思うと、
それきり社の布団からは規則正しい吐息しか聞こえなくなった。
ヒカルは声を立てないように泣いた。
目の前の布団から覗いているアキラの髪は、ヒカルが見ている間夜明けまで一度も、
僅かたりとも動くことはなかった。
もしかしたら、アキラもあの時泣いていたのかもしれないと後で思った。

433戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:44:06
(105)
一晩中起きているつもりだったのに、やはり疲れが一気に来たのだろう。
薄青い明け方の光が障子から差し込んできたのを感じた辺りでヒカルの意識は途切れ、
目を覚ました時はもう予定の起床時刻を一時間以上も過ぎていた。
「げっ。ヤベッ」
両隣の布団は既に畳まれて、部屋の隅に寄せられている。
慌てて廊下に出て隣室を覗くと、障子いっぱいの白い光に満たされた室内で、
アキラと社が碁盤を挟み向かい合っているところだった。
無意識にヒカルの足は碁盤の脇に向かった。
ヒカルが傍らに腰を下ろしても、アキラと社の視線は動かない。
ヒカルも二人の顔を見てはいなかった。
誰も言葉を発さず、それでいて三人の心が真っ直ぐ一つの場所に向いていることを
三人ともが知っていた。
それは今自分たちが囲んでいる、碁盤の上だ。
きっとこの先何があっても――
たとえ修復不能なほどに互いの関係が壊れてしまう日が来たとしても。
自分たちは必ずこうしてまた帰ってきてしまうのだろう。
自分たちが出会うきっかけとなった、全ての始まりである十九路の交差の上へ。
そのために、幾度同じ過ちを繰り返し傷つけ合ったとしても。
一手一手噛み締めるように目の前で紡がれていく対局を見つめながら、
ヒカルの胸をそんな予感がよぎった。

434戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:45:30
(106)
終局後、アキラがヒカルを振り向き「おはよう」と言った。
ヒカルも「おはよう」と返し、そのまま三人で短めの検討をした。
それから、数日間世話になったこの家の碁盤を綺麗に拭き、碁石を洗って、元の位置に収め直す。
「ああ、今日も暑くなりそうだね・・・」
窓を開けて新しい空気を入れながら、照りつける夏の日に眩しげに手を翳してアキラが呟いた。

最後の朝食と後片付けを済ませ、ヒカルと社が荷物をまとめ終わると、三人で家を出た。
玄関を出る時、アキラの白い指が旧式の鍵のツマミを回し、
ゼンマイのおもちゃのような音を立てるのを、不思議と懐かしいような気持ちで眺めた。
この数日間に目に馴染んでしまった風景の中を駅まで辿り、改札を過ぎ、電車に乗り込む。
流れ行く車窓を眺めながら、互いにぽつりぽつりと他愛もない話を交わした。

新幹線のホームに着くまであっという間だった。
ヒカルとアキラは途中で買った東京土産と弁当を社に渡した。
「おおきに」
社は二人から渡された紙袋を両手に掲げて見つめ、はにかむように唇の端を上げた。
到着案内のアナウンスが流れ、新大阪行きの新幹線がホームに滑り込んでくる。
ドアが開き、乗り降りする人の波が忙しなく動き始めた。
「ほなオレ、そろそろ行くわ。ホンマ、ありがとうな、見送りまでしてくれて。
大阪に戻っても、オレぎょうさん碁を打って、二人に負けないぐらい強なってみせる。約束する」
「ああ。オレたちだって負けねェ!なっ、塔矢。・・・・・・塔矢?」
アキラは無言で俯いていた。
切り揃えられた髪が端正な横顔の目元と頬に陰を作って、表情が見えない。
「塔矢・・・」
社の声が揺らいだ。
発車時刻が近づいたことを告げるベルの音がけたたましく鳴り響く。
ドアに背を向け、社がアキラのほうへ吸い寄せられるように進もうとしたその時、
すっと白い手が差し出された。
社が見つめる。陰を払ったアキラの瞳が、真っ直ぐに社を見つめ返す。
そこだけ時が止まったように、一瞬視線が交じり合った。
「・・・・・・おお!」
鳴り響くベルの中、最後にアキラとしっかり握手を交わして、社は大阪へと発って行った。

435戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:46:28
(107)

――そうあれは、もう過ぎ去った夏の盛りの出来事。
社が東京を去った後、ヒカルとアキラの間にはほとんど元通りと言っていいような
日常が帰ってきた。
ほんの少しの疚しさと痛みを、日常の顔の後ろに隠したまま。
あの夜起こった一連の出来事については、互いを責めることもなかったし
普段の会話に上すこともなかった。
それでも時折、真夏の熱に悪酔いしたようなあの夜の昂りがぶり返して
ヒカルを残酷な遊びに駆り立てる。
「し、進藤・・・んぅッ・・・!イヤだっ、あっ・・・あっ・・・!」
「んっ・・・、ンなこと言って・・・ぐいぐい締め付けてきてんじゃねェよ・・・っ、
ホントはオマエ、あの夜のこと思い出しながらすんの、大好きだってバレてんだよっ・・・!」
綺麗に畳まれた夜の布団が崩れそうに揺れて、
上気したアキラの肌から立ち昇るのは、あの夜と同じ仄かな火薬と煙の匂い。
荒い息をつきながらアキラの奥を穿つたび、己が精と共に、
この胸の底に鬱積したアキラへの愛憎も一緒に放ってしまえれば良いのにと思う。
そうしてアキラのことを忘れ去ってしまえば、いつかアキラが他の相手を選んだとしても
胸の痛みとは無縁でいられるのだから。
だが実際は、体を重ねれば重ねるほど苦しさも欲も募るばかりで、
アキラの体を意のままにすればするほど、心まで全て欲しくなる。
大阪に帰った社は、アキラの側にいられないせいで苦しい思いをすることもあるのだろうが、
アキラの側にいるヒカルには、側にいるがゆえの苦しみがあった。

限界が近づいた時、ヒカルの目の裏には、あの夜見た花火の光景が蘇った。
ヒカルと社、二人の花火に挟まれて灼かれ、鮮やかに花開いたアキラの花火。
三人の熱が溶け合うばかりに交じり合い、ただ一時だけ実現したあの混交の美――
あの時の花火のように、自分たち三人もあの夜狂おしい熱を貪り合い、
境も分からなくなるほどに交じり合い、
そのまま燃え尽きて消えてしまえていたら良かったのかもしれない。
そうすればヒカルも社もアキラを失うことはなく、
アキラもヒカルと社のどちらかを失うなどという選択をしないで済んだのだ。
実はそれこそが、あの夜三人が口に出さず心の底に押し込めていた本当の望みではなかったか?

436戻り花火 ◆pGG800glzo:2008/12/15(月) 23:47:30
(108)

――きっと夏が来るたび、花火を見るたびこの胸をよぎるのだろう。
儚いが忘れ難い一瞬の輝き。
焼きついてしまった夏の思い出。
膚を冷やす闇の中、時季外れの炎の華の残り火に浮かされるように、
ヒカルとアキラは互いの熱を求め合った。

                             <終>

437毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:15:01
(19)

「――じゃあ、昨夜は結局、その妖しを見失ってしまったって云うのかい」
「そ。オレはそん時、別の通りを巡回してたから見てねェんだけど。
直接そいつを見た検非違使仲間の話じゃ、噂どおりに馬鹿デカくって、
山猫と牛車のあいの子みてェな格好の化け物だったらしいぜ。
でさ、その化け物が一度吼え声を立てたらしいんだけど、
それが地獄の底から轟くような物凄ェ声で、それ聞いた検非違使たちはみんな
体が竦んで身動き取れなくなっちまったんだって。
それはともかく、このお菓子美味ェな。あかり、もう一個くれよ。ホラ、賀茂も」
「いや、ボクはもう十分・・・」
口元まで菓子を近づけられた明は、丁重に手をかざして辞退した。
女房部屋の一角、冬晴れの昼下がり。
陰陽寮の仕事をこなし、帝への指導碁も終えた明は、帰宅する前の一時を
友人の近衛光たちと過ごしていた。
菓子を拒まれた光は肩を竦めて、それを自らの口に放り込む。
「ンだよ、オマエが昨夜から寝てねェ、朝もほとんど食ってねェって云うから、
オレのお菓子分けてやろうと思ったのに」
「光はさっきから食べ過ぎでしょ!んもう、折角舶来物のお菓子をいただいたから
明様と光の二人にと思って出したのに、一人でほとんど食べてるじゃない!」
頭の左右で髪を二つに結わえ、残りの髪を後ろに梳き流した女房姿の美少女が
可憐な唇を尖らせる。
光の幼馴染、あかりの君である。
日頃人と打ち解けることが少ない明だが、以前強力な蛇の妖しに取り憑かれた際、
あかりの君を通してもたらされた護符に窮地を救われたせいもあって、
最近では光と共に彼女の局でくつろぐ機会も少なくなかった。
もっとも、積極的に談笑に加わる質ではない明は、光と彼女の遠慮のない掛け合いを
少し微笑みながら見ているだけ、というのが常であったが。

438毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:16:01
(20)
「・・・いずれにせよ、その化け物に検非違使も歯が立たないという事態が続くようなら、
ボクたち陰陽師の出番かもしれないね」
明の呟きに、あかりの君との口喧嘩を止めて光が振り向く。
「・・・あのさ。聞こうと思ってたんだけど、賀茂はその化け物に心当たりとかあるのか?」
「いや?それは無いけど」
「そっか!・・・だよなァ」
ほっとしたように頷いて、新しい菓子に手を伸ばす光の態度が明には少々気になった。
形の良い眉を顰めて問い質す。
「近衛。今のはどういう意味だい?」
「え、どういうって?」
「自分で云うのもなんだけど、ボクは都の陰陽師の中では名の知れたほうだと思ってる。
普通に考えたら、一般の人よりは妖しに詳しいはずだ。・・・そのボクが、
キミの云う化け物を知らないことが意外じゃないのかい?ボクの力量はその程度だと?」
「いや、それはさ、そういう意味じゃなくて。別にオマエの力を侮った訳じゃなくて・・・
そんな目ェ吊り上げるなって。あーもうっ、メンド臭ェ奴だな、オマエは!
・・・・・・仕方ねェから話すけど、さっきの検非違使仲間の話で、
その化け物の姿を途中で見失っちまったって云ったろ」
「ああ。それが?」
明が首を傾げ黒い眸でじっと見つめると、光は云いにくそうに視線を逸らし、告げた。
「皆がその化け物を見失った場所ってのが・・・ちょうど賀茂の邸の辺りだったらしいんだ。
化け物の吼え声で金縛りに遭った検非違使たちがやっと動けるようになって、
声の聞こえたほうへ追いかけて行ったら、もうソイツの姿は何処にも見当たらなくて。
――代わりに、オマエの邸の門が閉まるのを見たんだって。
だから、ひょっとするとあれは陰陽師賀茂明が使役している式神で、
都の大路を徘徊した後、主人である賀茂の邸に帰って行ったんじゃねェかって
怯えてる奴もいた」

439毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:17:05
(21)
「主人だって?ボクがその化け物の?」
明は驚いて問い返した。しばし言葉を失った後、ゆっくりと首を振る。
「・・・馬鹿な。ボクは帝をお守りし、都とこの国の安寧を保つのが仕事だ。
そのボクが化け物を使っていたずらに都を騒がせるなんて、あり得ない」
「そうよそうよ。明様はそんなことする方じゃないわよ!
光は明様の友達なのに、そんなことを云われて黙っていたの!?」
あかりの君にも詰め寄られて、光がたじたじと手を上げる。
「わ、分かってるって!オレだって賀茂がンなことするなんて思っちゃいねェし、
みんなにもそう云ったよ!・・・たださ、知らない間に妖しに取り憑かれることだって
無いとは云えねェだろ。ついこないだも、あっただろ?・・・そういう事件」
光がボソボソと横を向いて云う。明は言葉に詰まった。
「う・・・ま、まぁそれはそうだが・・・」
明が強力な蛇の妖しに取り憑かれ、光や社の活躍によって漸く解放された事件から
まだふた月も経ってはいない。
己が心驕りをして、またあのような得体の知れぬモノに魅入られないようにと、
光は案じてくれているのだろう。

明は吊り上げていた眉を下げて、ほうと息を吐いた。
「・・・・・・わかったよ、近衛。今のところボクにそんな心当たりはないけど・・・
おかしなものを近づけないよう、身辺にはなるべく気をつけよう。
社にも、ボクの留守中に妙なものを邸に入れないよう、云っておくよ」
「うん、そうしてくれよ!そのほうがオレも安心だしさ」
ほっとしたように光が表情を和らげる。あかりの君が握り拳を作って力強く保証した。
「大丈夫よ、明様なら!なんたって都一の陰陽師様ですもの。
高麗国の太子様だって、この国には大変優れた陰陽師殿がおられるそうですね、
是非お会いしてみたいものですって、興味津々だったんだから!」
「太子様?」
明と光の声が揃った。

440毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:18:09
(22)
明は己の顔に苦い表情が浮かぶのを止めることが出来なかった。
昨夜はその太子の気紛れに振り回されて、気の張る宴に明け方まで付き合わされたのだ。
今回、明は急病になった学問僧の代役として通訳を務めたに過ぎないのだから、
今後はもうあのような席に駆り出されることはなかろうが、
たった一晩彼の傍らに侍っただけでも酷い気疲れが今日まで残っていた。
明のそんな事情を知らない光は、幼馴染の口から外つ国の貴人の名が出たことに
純粋に驚いているようである。
「あかり、オマエいつの間に太子様と話なんかしたんだよ。ってかオマエ、
高麗の言葉なんか話せたのか?」
「あら、云わなかった?太子様はとっても気さくな方で、宮中にいらした時は
私たち女房の局にもよくお見えになるの。このお菓子だって太子様が下さったのよ。
背丈が高くて素敵だし、お顔も佐為様や明様に負けないぐらいの美丈夫だって、
女房たちの間ではもう凄い人気。太子様のお付きの中にこの国の言葉を話せる
男の子がいるから、お話する時はその子を通じてするの。
女房の噂話なんて殿方にはつまらないでしょうに、太子様はこの国のことを
学びたいからって、どんな小さなことでも真剣に聞いて下さるのよ」
「へェ、そんな気さくな人なのか。そういや加賀の話でも、
お忍びで市に出かけたりして、割と庶民的なところがある太子様みたいだったなぁ」

二人の会話を聞きながら、明には少し引っ掛かることがあった。
女房の噂話に積極的に加わったり、市まで足を運んだり――だと?
古来、女を篭絡することと、人が多く集まる市へ出向くことは、
間者などがその国の情報を収集する際の常套手段である。
昨夜宴の席で、太子がふと洩らした言葉。
――オレはその霊獣を探しにこの国へ来た・・・
そして、その霊獣の毛皮を身に纏った者は、世界の王となるべき力を手にするという。
世界の王という言葉の下に、この日の本の国をも手中に収めるという意味が
隠されているのだとしたら、彼は何かとんでもない野望を秘めて、
この国にやって来たのかもしれない。
そんな考えがふとよぎり、明は背筋を冷たいもので撫でられたような心地がした。

441毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:19:14
(23)

「あんまキョロキョロよそ見してんなよ、筒井。市は人が多いんだから迷子になるぞ」
「あっ、うん。ごめん加賀」
人だかりの最後列で懸命に背伸びしていた筒井がビクンと肩を跳ね上げ、
ずり落ちた眼鏡を指で押し上げながら駆け戻ってきた。
「通りの向こうで面白そうな辻芸をやっていたから、つい見入っちゃって」
その言葉どおり、筒井が走ってきた方角からは賑やかな鐘や太鼓の音が響き、
人だかりの向こうで時折、鞠や松明らしきものが高く放り上げられているのが見える。
加賀はフンと鼻を鳴らした。
「まぁ気持ちは分からないでもねェけどよ。勤務中なんだ、気ィ引き締めな。
なんたって太子様の護衛だ。怪しい奴なんかを近づけないよう注意しねェとな」
とは云うものの――と心の中で付け足す。
もし己がスリやかっぱらい、はたまた太子の命を狙う刺客の類だったとしても、
今の状況下で犯行に及ぶ勇気だけはないだろう。
老若男女が行き交う市の雑踏の中でも、異国から来たこのみこ――
永夏太子の歩む先は、自然と人の波が開けて道が出来る。
それほどまでにこの太子は、とにかく目立っていた。
すらりと高い背丈に鮮やかな彩りの異国風の錦衣を身に纏い、
橙がかった明るい色の髪を風になびかせて、沓音も高く悠々と歩みを進めていく。
あまつさえ太子の周囲には、五色の糸で作った日除けのきぬがさを差しかける小者やら、
太子が国から連れてきた従者やら、加賀たちを含む検非違使の集団やらが
ぞろぞろと二十人ばかりもついて歩いているのだ。
埃っぽい市の風景に似つかわしくない珍客の訪れに、彼らを取り巻く京の人々が
皆一様に呆気に取られた顔をしているのも無理からぬことと云えよう。

442毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:20:25
(24)
「ったく、人騒がせな・・・市で欲しい物があるなら、従者に買って来させりゃ
いいじゃねェか。毎回オレたちまで護衛に狩り出されてよ」
加賀、筒井と並んで歩いていた三谷が小声で毒づく。
「しっ。そんなこと云って、聞こえるよ、三谷」
「だって、オレは今日非番だったんだぜ?なのにこの任務のせいでさ・・・」
加賀がニヤリと笑って冷やかした。
「三谷、オマエが非番の日にすることっつったら、惚れた女に碁を教わりに
行くことぐらいじゃねェか。ホラ、確かあの・・・かねこの君とか云ったか?
やめとけやめとけ。相手は都でも評判の才女で絶世の美女なんだろ?
オメーみてーなガキ、相手にされるワケないって」
「な、何だと!あの人はそんな情けを知らぬ御方ではない!い、いや違う、
オレはそんな不純な気持ちであの人の所を訪れているわけじゃ・・・!」
他愛もない言い合いの最中に、加賀の鍛え上げた検非違使としての本能が、
空中に弧を描いて飛んでくる「それ」を逃さず察知した。

「はぁッ!!」
白刃一閃、太子の前に躍り出た加賀が刀を振り下ろすと、
ぶつりと何かが切れる音がして、バラバラと細かい物が地面に降り注いだ。
「・・・・・・!」
空気が一瞬にして凍りつく。
従者たちと検非違使が一斉に刀を抜き、太子を守るように円陣を組んで身構えると
彼らを見物していた群衆の間にもサッと緊張が走った。
そんな中、ひしめき合う人々の中から一人の少女がまろび出た。
黒い髪を短く切って、肩や袖には継ぎを当てた、貧しげな身なりの少女である。
少女は地面に散らばった物を一目見ると泣き出しそうな声をあげた。
「あぁっ!私のお手玉が・・・」
「お手玉?」
よく見れば、地面に散らばった細かな物は古びた豆や雑穀の類で、
傍らには見事真っ二つに裂けた襤褸布が落ちている。
どうやら加賀が斬ったのは、この少女が手元を誤り飛ばしてしまったお手玉だったらしい。

443毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:21:18
(25)
『貴様!太子に向かってこんな汚い物を投げつけ、行く手を遮るとは無礼千万!』
太子の連れの従者の一人が、激昂して少女に刀を向ける。
「えっ・・・あ、ああぁっ!ご、ごめんなさい!・・・」
事態を理解した少女が目を大きく見開き、悲しみと恐怖に顔を歪ませる。
『ええい、子供だとて容赦はせん!斬り捨ててくれる!』
従者が刀を振り上げ、誰もがハッと息を飲んで目を覆った瞬間、
――まずい!
考えるより先に加賀の身体は飛び出していた。
従者の刀を、少女の命ではなく己が刀で受け止めるべく、
加賀は頭上に愛刀を真一文字にかざし持ち、襲い来るはずの斬撃を待った。

――が、それはいつまで待てどやって来なかった。
目の前では従者が刀を振りかざした体勢のまま、血の気の引いた顔で固まっていた。
刀を握り締めるその従者の手首を、背後からがっちりと片手で捉えていたのは――
永夏太子その人である。
愛撫のような囁きが太子の艶やかな唇から洩れた。
『――オレがこの国へ来た目的を忘れたのか?こんな所で悪評を立て、
オレの計画を台無しにするつもりか?・・・オマエもオレのお仕置きを味わいたいか?』
『ひっ。も、申し訳ございません!』
異国の言葉での遣り取りは加賀たちには意味が取れなかったが、
少女を斬ろうとした従者を太子がたしなめている、ように見える。
泡を吹きそうな顔で卒倒した従者が倒れ込んでくるのを優雅な身のこなしで避け、
太子が傍らにいた通訳の少年に何事か指示すると、少年は溜め息をつきつつ
荷の中から何かを取り出し、少女にそれを差し出した。
「え・・・?」
少女の脇から加賀が覗き込むと、それは一反の美しい綾絹と、
袋一杯に詰めた大粒の小豆であった。少年はこの国の言葉で告げた。
「ええと、キミ、遊び道具を壊してしまって済まなかったね。
お詫びのしるしとしてこの絹と豆を受け取ってくれるようにとの、太子の仰せだ。
これで新しい遊び道具を作るといい」
「え、これ、私がもらっていいの?わぁっ!私、こんな綺麗な布を触るの初めて!」
少女が手に取って広げた絹の華麗さに、取り巻く群衆から感嘆と羨望の声が上がる。

444毛玉の怪 ◆pGG800glzo:2009/06/20(土) 00:22:19
(26)
更に少年は太子の言葉を代弁するごとく群衆を見回し、告げた。
「ここにいるそなたらにも聞いて欲しい。我々は高麗の太子の一行である。
間もなくこの国で冬を迎えるに当たり、太子は貴人が身につけるに相応しい
皮衣を探しておられる。色は白。既になめしてある物でも、
そのような毛皮を取れそうな生きた獣でも良い。何処ぞの寺や貴族の宝物蔵に
そうした毛皮が眠っているという噂でも良い。有益な情報を持ってきた者には
褒美をつかわすゆえ、七条大路の鴻盧館まで知らせに来るように」
大波のように、興奮気味のざわめきが見物人の間に広がる。
たった今彼らの目の前で太子が少女に与えた品の見事さが、
その興奮に拍車をかけていることは明らかだった。

――なんだなんだ?この雰囲気はよ。
突如として市を支配した異様な空気に、加賀は顔をしかめる。
確かに太子は一人の少女に温情をかけ、その命を救った。
そればかりか彼女に見事な品々まで与えて寛大さを示した。
しかし視線を脇に転ずれば、先ほど太子に何か囁かれただけで卒倒してしまった従者が、
今も真っ青な顔で両脇を仲間に抱えられているのだ。
一方では従者をこんなにも怯えさせ、一方ではこのように巧みに人心を掌握して、
その中心にありながら平然としている太子の美貌が、加賀には薄気味悪かった。

『これで良かったのかい、永夏』
『上出来さ、秀英。さすがオレの乳兄弟だ』
浮かない顔の通訳の少年に、太子が笑いかける。
『けどあんな緩い条件で褒美を約束したら、褒美目当ての詐欺師が押し寄せるんじゃ?』
『最高の情報を釣り上げるコツは、まずどんな些細な情報にも手厚く対応することさ。
それに、寛大で気前のいい太子様と見られておくに越したことはない。
いずれオレはこの国の王にもなるんだからな。今の帝よりもオレに
この国を治められるほうがいいと、誰もが思うように今から仕込んでおくのさ』
『そう上手くいけばいいけど・・・』
太子と秀英が交わす会話の中身を、無論加賀は知る由もなかった。

445盤上の月2(9) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:17:14

「ほどほどにしとけよ和谷」
笑いながら冴木がつい口を出す。
「だって冴木さん、コイツ本当にムカつくんだよおっ」
「まあまあ和谷君気持ちはわかるが、でもちょっとキミはイライラしすぎじゃないか? 
そんなキミにちょうど良いものがあるぞ」
門脇は自分のバッグからある物を取り出す。
「………ほら、これ貸してやるからストレス解消しろよ」
「それ何ですか門脇さん?」
ヒカルの首を絞めるのを止めて和谷は門脇が差し出した物を受け取った途端、「わあっ」と驚きの声を
上げた。
「コココココ、コレッて……!」
門脇が和谷に渡した物は、アダルトDVDだった。
「今が旬の野木ららちゃんの新作だよ。今日発売日でつい買っちゃったんだ。
オレこの子タイプなんだよな」
「これ……本当に借りてもいいっスか!?」
「ああ、いいよ。でもオレまだ見てないから早めに返してくれよ」
「もちろんですっ!」
和谷は門脇に何度も大きく頷いてにんまりと笑い、あっという間に上機嫌になる。
「門脇さん、……和谷の扱い慣れてますね」
関心して冴木は門脇をまじまじと見る。
「まあ、あの年頃はそんなものだろ」
そんな和谷と門脇達のやりとりを、越智は眉間に皺を寄せて眺めていた。
「………ボクは遊びにここへ来てる訳じゃないのに」
和谷の研究会はメンバー達の仲が良く、碁の研究会から脱線することが時々あった。
「ボクは時間を無駄に過ごすのが一番嫌いなんだっ」
1人憤慨する越智を、ヒカルはぼんやりと眺めて少し顔をゆがめる。
「………越智。オマエさあ、なんだかなあ……塔矢みたいなことを言うんだな」
「塔矢みたいだって?」

446盤上の月2(10) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:21:30

「ああ、真面目一筋みたいなところとかさ……」
「真面目で何が悪いのさっ!」
ヒカルに不満を漏らして不機嫌な表情をする越智に、和谷は目を向けた。
「越智〜、何だよオマエこういうの見ないのかよ。1人ですました顔しやがって〜。
オマエはどんな子好きなんだ? 教えろよ〜、ほらオレの秘蔵のエロ本貸してやるからさあ」
機嫌が良い和谷は、自分の大事なエロ本を手にしてニヤニヤしながら越智に詰め寄る。
「和谷! ボクは遊びに来たんじゃないんだ。研究会をしないならば帰るよ!」
「あ〜、悪かったよ。つい聞いてみたかったんだよ。じゃあ、検討の続きをするからさ〜」
越智のキツイ視線に少し焦りながら和谷は碁盤前に座り、検討中の棋譜内容の石を並べ始めた時、トン
トンと玄関ドアをノックする音が研究会メンバー達に聞こえた。
「慎ちゃ〜ん、私よ、桜野。ここ開けてくれないかな?」
九星会所属・女流棋士の桜野の声だと伊角はすぐ気付く。
「えっ、桜野さん!?」
驚きながら伊角は急いで玄関ドアを開けると、そこには笑顔の桜野が右手を上げて小さく振っている。
「慎ちゃんがここの研究会で頑張っているって、以前聞いたのを覚えていたのよ。
偶然この近くで用事があったから寄ってみたの。ほら差し入れ持って来たわ」
桜野はチェーン店のドーナツの入った手提げ袋を伊角に手渡す。
「ありがとう桜野さん、良かったらどうぞあがってください。狭くて汚いところですが」
「聞こえたぞ伊角さん、狭くて汚くて悪かったなっ!」
大声をわざと出す和谷に、伊角は手提げ袋を手にして振り向きながら苦笑いする。
「桜野さん、こんにちは〜」
「こんにちは」
研究会のメンバー達が、桜野に挨拶をした。
「こんにちは。うわあ〜、見事に男所帯ねえ〜。でも結構綺麗にしているじゃない。
じゃあお邪魔するわよ」

447盤上の月2(11) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:22:59

桜野がヒールを脱いで和谷の部屋に入ってすぐ目についたのは、畳上に散乱している和谷が門脇から借
りたアダルトDVDや和谷秘蔵のエロ本だった。
「―――ちょっと、これ何なのよおっ! アンタ達、本当に真面目に研究会やってんのお!?」
悲鳴のような金切り声を桜野は上げた。
「わあっ、ヤバッ!  桜野さんがいきなり来たからしまうの忘れてたっ!!」
和谷の顔は一瞬で蒼白する。
「慎ちゃん、どういうことなの!? 慎ちゃんも一緒になってコレ見てたの!?
もう信じられなあ〜い!」
「いや、桜野さん、これには事情があって……」
しどろもどろに伊角がなんとか場を治めようとするが、桜野はヒステリックになり伊角の言葉が耳に入
らない。
「もう〜、アンタ達はいったいここで集まって何やってんのよおおおおっ〜、こらああ〜!」
「うわあああっ〜」
和谷やヒカル達は桜野がエロ本やDVDを研究会メンバーに投げつけてくるのを避けながら、アパート
の部屋の中を駆けずり回った。
「ああ〜、オレのららちゃんが〜!」
桜野に投げられたDVDが壁に当たり、ケースから本体が飛び出て床に落ちるのを見て、門脇は悲痛な
叫び声を出した。
「もう〜、何でこんなことに! 和谷が悪いんだからね!」
越智が和谷の背中をバシッと強く叩きながら怒声を投げつける。
「和谷〜、オレ飲み物買ってくるからあと頼むなっ!」
ヒカルは素早く玄関で靴を履いて、和谷のアパートから脱出した。
「進藤〜!? 逃げるのか〜、ひきょうものおおおッ〜!」
後ろから和谷の情けない声が聞こえるが、ヒカルはお構いなしにアパートの階段を降りると近くのコン
ビニへと走りだした。
4月に入ったが、まだ外気は寒くて肌に冷気がまとわりつく。
駆け足で道を走る中、ふっと空を見上げると、すでに夕陽が落ちて辺りは暗くなり始めていた。
そして夕空には、一際青白く光る月が眩しくヒカルの瞳に映る。

448盤上の月2(12) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:25:01

どことなく今日の月は霞んでいて、柔らかい印象があった。
ヒカルは真冬に自分の部屋から眺めた時の、寒々とした冬の月を思い出した。
月は日によって見た目の感じが変わり、時には冷たく、または柔らかく見えるようにヒカルは感じる。
―――なんだか月って、塔矢みたいだなあ……。
息を弾ませて走りながら、ヒカルはそんなことを思った。



日本の囲碁総本山・東京市ヶ谷の日本棋院。
理事長の佐賀は、棋院の一室で今後の棋院経営について頭を悩ませていた。
佐賀は前理事長の任期終了後に就任したばかりの理事で、もともと囲碁愛好家であり、銀行経営退職後に棋
院理事を引き受けた立場にあった。
囲碁人口がここ近年激減を辿り、赤字経営の棋院は常に危険に晒されていた為、棋院は経営に疎い棋士
理事ではなくて、優れた経営手腕を持つ佐賀に目をつけて体制建て直しを図ろうとした。
また今の財政では税金面で優遇される公益法人へ上手く移項しないと、倒産する可能性も出てきた。
世間から一際注目を浴びていた日本碁界の顔である行洋は、棋院所属を脱退して世界へ旅立ち、年間億
の収入がある行洋が脱退するなどとは棋院は思いもよらず、寝耳に水であった。
行洋には援助を惜しまないスポンサーや政界の面々がついており、今まで棋院は間接的であったが助力
を行洋に願いでていた。それほど行洋の碁は、人々を魅了する力があった。
行洋の働きかけで新しい棋戦も創立したほど、行洋は有識者等に強く支持されて支援を受ける立場にあ
った。その行洋が日本の碁界から抜けたことは、棋院に大きな痛手となっている。
「失礼するよ、佐賀さん。ワシに何用かな?」
部屋に1人の老人が入ってきた。本因坊タイトル防衛中である老将・桑原だ。
「桑原先生、ご足労おかけします。実はご相談したいことがありまして」
「佐賀さんがおっしゃりたいことはわかりますよ。経営のことじゃろうて……」
「ええ、桑原先生にはお知り合いの有識者が多くいると存じております。何とか力を貸して頂けないで
しょうか」

449盤上の月2(13) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:26:18

桑原は、ふむっと一言を発し、その場でしばらく考え込む。
「確かに棋院は昔から有力なパトロンがいて、創立した経緯がある。空襲でこの市ヶ谷の棋院は1度跡
形も無く破壊され、パトロンの援助で立て直されたからな。
だがな、佐賀さん。スポンサーやパトロンも確かに大事だが、普及の方を力を入れるべきではないか。
根本的な問題はそこじゃろうて。
人に愛されない、見向きもされないものは、廃れていくのが自然の摂理であるならば、そこをなんとか
関心を持つように時間をかけて働きかけるしかなかろうて………。
ワシの戯言と聞き流してくれてええよ」
「桑原先生のお話は痛いほどわかります。だが時間が無いのです……」
「まあ囲碁が普及しないのは、この老いぼれにも責任がある。出来るだけ力になれればと思うとるよ。
どうじゃろう、佐賀さん。世間から注目を浴びやすい国際棋戦や世界棋戦に、若手を参加させてみると
かは。見所のある低段者でも経験を積ませる。国の棋戦だけじゃ世界には通用せんよ」
「………………」
「佐賀さんも知っていると思うが、今の碁界は若手が育ってきておる。
リーグ戦やタイトル戦に名があがるようになった若手の倉田。
また昨年の北斗杯で名をあげた塔矢さんの息子である塔矢アキラや、進藤ヒカル、それに社。
活気が出てきておる」
「………古参の棋士先生方や棋院関係者らは、納得されないでしょうね……。
しきたりを重んじる時代錯誤の碁界では、特に進藤君は一部からあまり評判が良くない。
以前の手合い不戦経歴や、北斗杯で塔矢アキラを押しのけて大将についたことを良く思わない重鎮もい
るんですよ」
「進藤の小僧は、苦労するかもな……。ワシは気に入っているのだが。
力をつけて実力を奴らに見せつけるしかないじゃろう。それにいつでもどこでも、新しい風に歯向かう
輩はいるだろうよ。血を流す改革無くして風向きは変わらんよ、佐賀さん」
「………確かに経営を軌道に乗せるには、かなりの血肉を削らねばならないでしょうね……」
2人は部屋から見える曇空へ目を動かして少し眺め、互いに小さく息を吐く。
桑原は佐賀のいる部屋から出て喫煙室へ向かうと、そこにはすでに先客がいた。

450盤上の月2(14) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:28:07

緒方だった。煙草を吸いながら緒方の視線は、ゆっくりと桑原の方へ移動する。
「おお緒方君じゃないか。調子はどうじゃ」
「……またリーグ戦で再度挑戦権を取りますよ」
無表情で緒方は、ぼそりと話す。
緒方は前回の本因坊戦の挑戦資格を取得して桑原に挑んだがタイトル奪取を逃し、桑原の本因坊防衛成
功を重ねる結果となった。
―――この老いぼれジジイ。タイトル死守しないで、年寄りらしく若手に早く寄越しやがれっ!
緒方は心の中で、桑原に悪態をつく。
「ひょっひょっひょっ、ワシはいつでも待っておるぞ緒方君。
………そうだオマエさん、佐賀理事長から何か話を受けんかったか?」
「………桑原先生はどうなんですか」
緒方は相変わらず無表情で、桑原を見ないで話す。
「ワシは経営が困難だから協力してくれと頼まれた」
「……………」
無言で煙草を灰皿内で消して、初めて桑原の方へ緒方は体ごと向けた。緒方の顔はやや強張っている。
「やはりオマエさんも同じか。よほど経営は苦しいのだな……」
ちょうどそこへ棋院の職員が手に新聞を持ちながら、喫煙室へ入ってきた。
「あっ、桑原先生に緒方先生、お話中に失礼します」
ドアの外で他の職員達の声がざわめき騒がしいのが、室内にいる緒方と桑原にもわかった。
「何かあったのですか」
緒方が棋院職員へ聞くと、「新内閣が誕生したんですよっ!」と棋院職員はやや興奮気味にやや早口で
話す。
「ほう……、で、今度の内閣総理大臣は誰なんです?」
緒方は再び煙草を出して口に加え、ライターの火をつけながら棋院職員へ訊ねる。
「新国潮党の青木久治氏です。この人、囲碁愛好家で、すごく有名なんですよっ」
「おっ、今度の総理は囲碁好きか。これは普及に役立ちそうだの」
棋院職員の説明に、桑原が食いつく。

451盤上の月2(15) ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:29:04

「ええ、ここ最近の内閣総理大臣は囲碁を嗜む方の就任がほとんどなくて……。
もしかしたら働きかけ次第では、普及に協力を得られるとつい皆で期待をしてしまって」
棋院職員は嬉嬉として、次々とまくりたているかのように話す。
「…………青木久治氏……か………」
表情をくもらせ、煙草の煙を吐きながら緒方は呟く。
「どうした緒方君?」
「青木氏は、塔矢先生の熱烈な支持者ですよ。青木氏の希望で、塔矢先生は指導碁を時々受け持ってい
た。相手が相手だから、塔矢先生も断れなかったようで………」
「………ふむ……、ややきな臭いのう……。
棋院がこのような時期だから、使えるツテは上層部はなんでも利用するじゃろうなあ……」
「ええ………」
緒方はカバンから携帯を取り出すと、電話をすぐかけた。
「………ああ、アキラ君か。今、少しいいかな。
…………そうか。では明日、久しぶりに飯でも食いにいかないか?  
芦原も都合良ければ誘おうと思っている。場所は………、そう、その店だ」
電話先がアキラだとわかると、桑原は微笑を浮かべる。
―――緒方君は、ああ見えても結構面倒見が良いからのう。見た目はクールなのに面白い男じゃ。
緒方がヒカルの院生試験を受けれるように力になり推薦した話は、密かに棋院内で有名になっていた。
「それにしても、…………碁打ちになったのに、どうして対局以外で頭を悩ますことになるのかの……」
ふんっと、桑原は鼻息を荒くする。

452CC ◆RA.QypifAg:2012/06/03(日) 02:32:06
(13)空襲でこの市ヶ谷の棋院→空襲で棋院……の間違い。
確か以前は別場所にあったと思った。うろおぼえ。

453盤上の月2(16) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:27:57

アキラは夕暮れを過ぎた頃、都内の自然が多い場所にある料亭へと向かっていた。
道の街路樹は桜並木になっていて、夜桜を楽しむ人が多く賑わっている。待ち合わせの料亭に入ると、
着物を纏った店員が個室へとアキラを案内する。
案内された個室は和室の畳部屋で、緒方と芦原が座椅子に座って夕食を兼ねた宴会をすでに始めていた。
窓からは日本庭園が見え、獅子威しが時々辺りに低く鳴り響いている。
「おっ、アキラ来たか! 先に始めてるぞ〜」
ほろ酔い気分の芦原が、グラスを右手に持ってアキラへと声をかける。
「アキラくん、久しぶりだな」
緒方も酒が入り、やや上機嫌になっている。
「遅くなりすみません、でももう2人とも出来上がってませんか?」
クスクス笑いながらアキラは席へと腰を下ろす。
「こんなの酔ったうちにはいらないよアキラ。オマエが来たから刺身持ってきてもらうかな」
芦原は部屋にある電話で注文をしていると、「芦原、これ追加な」と緒方がグラスを手にして左右に揺
らす。
「はいはい、今頼みますよ。アキラは何飲む?」
「じゃあ烏龍茶を」
おしぼりで手を拭きながらアキラは答える。
「ここの料亭は久しぶりですね。半年前に両親と来た以来かな」
「オレはこんな高いところ、緒方さんの奢りでなきゃ来ないぞ………っという訳で、緒方さん。
今日は好きなモン頼んじゃいますけどいいですか?」
「ああわかったよ、好きなだけ食って飲め。アキラ君も好きなもの頼めよ」
「はい緒方さん、ありがとうございます」
アキラは緒方へ頭を下げた。序列が高く活躍している棋士が食事等の料金を支払うことが、棋院の暗黙
の規律となっているため、3人の中で緒方が支払うのはごく当然の流れだった。
しばらくすると店員が刺身や天ぷら等を運んできた。
「ここの天ぷらが絶品なんだ。あと椀物も最高だな」
緒方は揚げたての天ぷらに荒塩をまぶして口に入れる。
「うん、うまい」

454盤上の月2(17) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:28:57

「オレも食べるぞ〜、ほらアキラも熱いうちに食べろ」
箸で天ぷらをつまみながら、芦原はアキラに声をかけた。
「今、頂きますよ」
笑いながらアキラも天ぷらに箸を運ぶ。
「でも久しぶりだな。こうして3人で飯を食うのは」
緒方は芋焼酎のロックをぐいっと飲みながら、しみじみと言う。
「アキラの対局数が多くなってきたから、時間がなかなかあわないもんな。
今オマエ、名人戦と碁聖戦のリーグ入ってるだろ。オレも頑張らないと」
緒方と同様に芋焼酎のロックを口に流し込みながら、芦原は箸を動かす。
緒方は現在、十段・碁聖のタイトルホルダーであり、アキラは今後碁聖戦のリーグを勝ち抜き挑戦手合
い権を得ると、緒方への挑戦者となる。
追う者と追われる者とが一緒に食事をする。一見、奇妙な関係がそこにはあった。
―――いつか来る日だとは思っていたが、こんなに早く来るとはな………。
穏やかに笑いながら食事をするアキラを見て、緒方は少し複雑な心境になった。
わかってはいた。あの時からいつかこんな日が来ると。
………………オレは知っていた……………
緒方の目線は眼前のアキラや芦原を通り越し、別のところへと彷徨う。



―――約12年ほど前。
プロになりながらも、親の都合で緒方は高校に通っていた。
緒方の親はプロになることに賛成を示さず、緒方の兄弟や親戚筋は、皆一流大学へ進学して有名企業へ
就職していた。緒方の親はそのような進路を求めたが、緒方は自分の進みたい道を選んだ。
緒方が行洋の研究会へ参加するため塔矢邸を訪問すると、そこには大抵アキラがいた。
アキラはその頃は5歳ぐらいだと緒方は記憶している。
いつもアキラは1人で碁盤に石を並べていた。
緒方が友達と遊ばないのかと訊くと、アキラは悲しそうな顔をして緒方に言う。

455盤上の月2(18) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:29:49

「ボクは、おともだちにいつもきらわれちゃうの……」
研究会の合間に緒方はアキラに碁を打った。アキラは緒方と碁を打つのをとても楽しみにしていると、
行洋から聞いていた。
正直、緒方はあまり子供は好きではなかったが、アキラは聞き分けが良くて大人しいので、相手にする
のは苦ではなく、それどころかとても自分に懐いてくれたので悪い気はしなかった。
研究会で塔矢邸の玄関に立つと、決まってアキラが駆けてきて「おがたさんだ〜」と、満面の笑顔で出
迎えてくれるのを、緒方は密かに楽しみにしていた。
人に嫌な思いをさせないアキラが友達に嫌われるというのを緒方は理解出来なく、いつか行洋にそのこ
とを訊いてみた。
行洋は視線を落として、静かに話し始めた。
アキラは物覚えが抜きん出ており、同じ年代の子達と遊んでいても、すぐ物を作れたりゲームを覚えて
制覇してしまって遊びが成り立たないことが大半だった。遊ぶ子達はアキラを敬遠し、また強い劣等感
を持つことが多く、その結果アキラは仲間はずれにされてしまうということだった。
人よりも秀でることが、アキラにはマイナスに働いてしまう。
それはとても不幸なことだと緒方は思った。
ある日、研究会後に緒方はアキラと碁を打ち、その後アキラを両手に抱きかかえて庭に出た。
行洋以外にそのようなことをされたことがなかったのか、最初はキョトンと不思議そうな表情をアキラ
はしたが、しばらくすると緒方ににこっと微笑む。
「アキラ君は、大きくなったら何になりたいんだい?」
「えっとね……、おとうさんみたいにきしになりたい……」
「どうして棋士になりたいのかな」
「ボクもおとうさんといっしょで、いごすきだから」
「うん、囲碁はいいぞ。勝ったら全部自分の手柄だからな。
アキラ君、強くなれ。囲碁だったら、キミが勝ち進めば皆それを認めてくれる」
「……ほんとうなの、おがたさん?  
ボクはいままでなにかができたら、ようちえんのせんせいはほめてくれるけど、うさぎぐみのみんなに
はきらわれるよ」

盤上の月2(19)

「囲碁は勝つか負けるか。その二つしかないからね。それに最善の一手をずっと考えるのも飽きずに面
白い」
「……ほんとう?  ほんとうにボクがかったら、ひとはボクをみとめてくれるの?」
「ああ、本当だよ。実際にオレがそのことを実感しているからね」
アキラは大きく目を見開き、緒方をじっと見つめる。
「じゃあ、おがたさん。ボクとやくそくして」
「約束?」
「いつかボクがおおきくなってきしになったら、ボクとたいとるせんのたいきょくしようよ」
「いいよ、約束するよ」
「ほんとうだね、おがたさん!
ボクがんばるよ。つよくなって、ひとにボクをみとめてもらえるようになるよ。
そしてきしになって、おがたさんとたいとるせんのたいきょくできるぐらいにつよくなるよ」
アキラは緒方に指きりげんまんをせがみ、そして笑う。
アキラと指きりげんまんをしながら、たった一瞬であったが緒方は見逃さなかった。
微笑むアキラの瞳に、激しい炎が生まれたことを。碁を打つことが自分の存在意義になったアキラに、
闘争心が宿った瞬間だった。
この時に緒方はアキラを、自分と同じ人種であること認めた。
碁に全てを注ぎ込むことを躊躇無く選ぶ生を歩むだろうと―――。


「―――……さん、緒方さん……どうしたんですか?」
緒方はアキラの声で、手元の焼酎に視線を戻した。ガラス内の氷がカランと軽い音を鳴らす。
「ああ、何かなアキラ君?」
目の前には5歳ではなくて、16歳のアキラがいた。
話しかけているのに反応が無かったから、どうしたかのかと……」
「いや、ちょっと考えごとをしていてな。で、何だい、アキラ君?」
「……今日はただ食事を一緒にするだけではないように感じたので」

456盤上の月2(20) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:33:14

「ええ、そうなの?
オレはてっきり緒方さんが珍しく奢ってくれると思って、沢山食べるために来たんだけどな」
「芦原、いっぱい食え。豚のようにな」
「うわあ〜、ひっどいッスよ〜、緒方さ〜ん!」
芦原の横で声を出さずに肩を小刻みに揺らして笑うアキラを見て、緒方は重々しい口調で語り出した。
「アキラ君は、ニュースで新しい内閣が出来たことを知っているだろ?」
「ええ、青木さんですよね。新しい総理大臣になったのは。
お父さんが時々、指導碁へ行っていた方です。ちょっと驚きましたけど。
かなり前だけど、ボクの家にも来られたことがあったので覚えてます」
「あ〜、そういえば塔矢先生が指導碁していた数少ない人でしたよね。
塔矢先生は碁の勉強時間を削るのが嫌で、極力指導碁を断っていたけど、青木さんはさすがに断れなか
ったって言ってましたね。政界関係者は難しいですよね。あっ、この煮物追加でお願いします」
芦原は皿を下げにきた店員に追加物を頼みながら、緒方の話題に口をはさむ。
「誠実な感じがする人と記憶してますね。碁がとても好きだから、お父さんとも気が合ったようです。
それにお父さんがタイトル戦防衛したり、国際棋戦で勝つと、必ず贈答品を送ってくれてました」
烏龍茶を飲みながら、アキラは緒方に覚えていることを伝える。
「……オレの勘ぐり過ぎならいいのだが、もしかしたらこの青木氏の指導碁の依頼がキミへ来るかも
しれん」
「えっ?」
意外そうな表情をアキラは緒方にあらわにした。
「アキラにですか。どうして?
塔矢先生の息子だから親近感がわくのかな。それとも他に指導碁で気に入る人がいないからか?」
「指導碁だけならいいんだがな………。
まあしばらくは政局で忙しくて碁など打っている暇なぞないだろうがな……」
「ボクもお父さんと一緒で、極力指導碁はお断りしているんですよ。
やはり勉強時間が少なくなってしまうのが嫌で……」
「でもさあ、政治家の指導碁って、破格の料金って聞くぞ」
「だがな、日本の棋士が世界に通用しないのは、指導碁で食べていけるのも原因だと思うぞ。
棋戦で勝ってこそがプロだろ」

457CC ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 01:35:17
18−19と一気に2個分うぷ出来るんだな。
一気と1個ずつのうぷと、どちらが読みやすいかなあ?

458盤上の月2(21) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:42:54

酒の酔いが回ってきたのか、緒方はかなり饒舌気味になっている。
「そりゃそうだけど、実際棋戦で食べていけるのはほんの一部だけですよ。
オレも指導碁やセミナーとかで随分助けられてるからな」
「おい、芦原。早くオマエもリーグ戦に来いっ!」
「わっ、わかってますよっ! 
オレやっと本因坊最終予選に残れたんですよ。なんとかリーグ入り果たしたいですよ〜」
「オレは前回挑戦者だから自動的にリーグ戦入りだ。芦原淹れてくれんか」
緒方は芦原へ空になったグラスを差し出した。グラスを受け取った芦原は、氷を追加して芋焼酎の入っ
た陶器をグラスに注ぎ緒方へと手渡す。芋焼酎の入っている陶器内はすでに空に近かった。
「ボク本因坊の最終予選に残ってますよ、芦原さん」
「うげえっ、じゃあどこかでアキラと当たるかな。
緒方さん、今日はアキラがいるんだから酒はほどほどにしてくださいよ」
「ああ、わかってるよ。……アキラ君、煙草吸っていいかな?」
「どうぞ。ボクのことは気になさらずに」
すまんなと言いながら、緒方は背広から煙草を出して火をつける。そして襟元をゆるめてネクタイを少
し崩した。
芦原のグラスがほとんど空になったことに気付いたアキラは、芦原の芋焼酎ロック割りを作って手渡す。
「芦原さん、本因坊戦で当たったらよろしく。あと焼酎がもう無いけど追加しなくていいの?」
「おっ、ありがとアキラ。出来ればアキラには当たりたくないなあ、……まあ仕方ないことだけど。
緒方さん焼酎追加しますか」
「おお、頼んでくれ」
「はいはい、アキラは何か頼むか?」
「ボクはいいよ、もうお腹いっぱいだから」
「相変わらず、あまり食に関心がわかないか?」
あまり食べないアキラを、緒方は煮物を口にしながら訊く。
「……そうですね、ボクは好き嫌いはほとんどないのですが、特段に何かが好きというのもなくて…。
まあ和食が一番好きかなぐらいで」
「アキラは肉より魚のほうが好きだよな。ほらこれも美味いぞ」

459盤上の月2(22) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:43:52

刺身盛り合わせの皿を、芦原はアキラの方へ寄せる。
「うん、どちらかと言えば魚の方が好きかな」
喋りながらアキラは箸で刺身を取り、醤油をつけて口に運ぶ。
昔からアキラは食がやや細く、必要以外に口にすることがない。
対局時も食事を取ると気が散るため、あえて昼・夕食を取らないことがほとんどであり、碁以外の関心
事が抜け落ちているかのようだった。
「対局は体力消耗が激しいから下手すると一局で2〜3キロ落ちる。
対局日はアキラ君も食事を取るように癖づけたらいいとオレは思うがな」
「夕方ぐらいの時間は緒方さんはブドウ糖を取るんでしたっけ? 
オレはチョコレートとかよく食べるなあ」
「ああ。オレは特に甘い物は好まんが、糖分補給でブドウ糖を取るな」
「そうなんですか。ボクもブドウ糖だったら口に入るかな?」
「まあなんだ、そのアキラ君。何か変わったことがあったらオレや芦原に連絡をくれ。
芦原はあまり役に立つとは思えんが」
「それどういう意味ッスか、緒方さんっ!」
「そのままの意味だ」
「ひどいですよおお〜」
緒方と芦原は酒に酔い、やや大声を出しながら戯れている。
そんな2人の様子を苦笑いしながら、アキラはぼんやりと眺める。緒方はアキラを心配して食事に誘っ
てくれた。
立場は昔よりもお互い微妙になっているのに、緒方や芦原の気づかいがアキラにはとても嬉しく感じる。
3人が料亭を出る頃はすでに時計の針は深夜の1時を大幅に過ぎていた。料亭にタクシー依頼手配をし
てもらって料亭から出た途端、いきなり突風が吹き周りに咲いている桜の花弁が一気に宙へ舞い、アキ
ラ達は花吹雪に巻き込まれた。
3人は桜まみれになったのを笑いながら、それぞれがタクシーで乗り込んだ。
家に着いてアキラが背広を脱ぐと、畳の上に数枚の桜の花弁がひらひらとゆっくりと落ちていった。
桜の花弁を1枚拾い窓の外へ離すと、花弁は風に乗り春宵の空へと優雅に舞いながら高く飛んでいく。
桜が散り舞う夜は、春の終わりを告げていた。

460盤上の月2(23) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:45:56

アキラ達の食事会があった翌日、ヒカルは自宅で朝から気が滅入っていた。
今日は日曜日で特に用事はないので、いつも通り1人で碁の勉強をしていたが、時々心によぎるアキラ
のことで考えがまとまらずに集中が出来ない。
「……こういう時は遊びに行って、気分転換すっかなあ……」
和谷は仕事が入っていて遊びに誘えない為、ヒカルは1人で出かける準備をして階段を下りていると、
ちょうど呼び鈴が聞こえた。
「はーい」
玄関のドアをヒカルが開けると、そこにはチョコレートケーキを皿に乗せて、両手で持っているあかり
がいた。
「ヒカル、久しぶりね、元気してる? ケーキ焼いたのだけど、良かったら食べて」
「おっ、サンキューあかり。今度はチョコレートケーキか、上手そうだな」
時々あかりは、ヒカルにお菓子を焼いて持ってくる。勿論それはヒカルに会うための口実だったが、ヒ
カルにはあかりはただの幼馴染としか捕らえていないので、あかりの気持ちには全然気付いていない。
チョコレートケーキを受け取ったヒカルは、あかりの顔をじっと見た。
「……何、ヒカル?  私の顔になにかついてる?」
「いやあ、ちょどオレ遊びに行こうとしたところなんだけど、友達が用事あって会えないんだ。
オマエ今日は暇ある?」
「えっ、これから!?」
「ああ、用事あるならいいけど」
「いっ、行く行くっ! 今すぐ仕度してくるっ!」
「別にその格好でいいよ」
「えっ、いやだ、こんな格好、部屋着よコレ。すぐ着替えてくるから待っててヒカル!!」
そう言うと、あかりは急いで家に帰り、タンスの中からいろんな洋服を取り出した。
「コレがいいかなあ〜、でもちょっと派手かな? コレならどうかな。……地味かもしれないなあ」
あかりは流行柄の花柄ワンピースに白いレースのカーディガンを選び、赤色のポーチと靴を履いて家を
出ると、そこにはヒカルが待っていた。
「遅せえよ〜、あかり何やってんだよ〜」

461盤上の月2(24) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:46:51

「ごめん、ヒカル待った?」
「まあいいよ。ほら、行くぞ」
「うん!」
あかりは顔がゆるみっぱなしだった。ヒカルが遊びに誘ってくれたことが嬉しくて、有頂天になる。
「……遊びにっても、オレ最近碁ばっかりで全然出かけてないなあ。
和谷達とはたまにサッカーとかして遊ぶくらいだし。あかり、オマエはどこ行きたい?」
「えっとね、そうだ私、お姉ちゃんから映画券もらっているの。映画でも見に行かない?」
「映画か……、たまにはいいかもな」
「じゃあ決まりね」
2人は近くのバス停へ歩き出した。

足を運んだ映画は最近流行りのファンタジー物で、ヒカルはそれなりに楽しめた。
今日は日曜日なので、街はいつも以上に大勢の人で溢れている。ヒカルとあかりは、とりあえず喫茶店
に入った。
「ねえヒカル。棋聖戦の最終予選決勝で負けて残念だったね」
アイスショコラテをストローで飲みながら、あかりは2人座りの対面席にいるヒカルに訊いた。
「えっ、何でオマエそのこと知ってるの?」
「だって私、今年から週刊碁を定期購読しているから」
「気張りすぎて滑った……」
そう言うとヒカルは、ズズズと音を立ててストローでサイダーを吸う。
「だけど北斗杯選抜戦があるし、本因坊最終予選には残っている。今年こそはリーグ戦入りしたいな。
そうだオマエさ、高校で囲碁部作るって話どうなってるんだ?」
「……う〜ん、やっぱり囲碁に興味持ってくれる人って、ほとんどいなくて……。
部員は中学校の囲碁部で一緒だった久美子ちゃんと私の2人だけなの」
「久美子って、津田のことか。津田とオマエ、同じ高校だったんだっけ?
都合のいい日にあかりの囲碁部へ行こうと思ったんだけどな」

462盤上の月2(25) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:47:50

「そうだ、同じ年頃のヒカルがプロで指導碁が出来るってことに、興味持ってくれる人がいるかもしれ
ない!
それに北斗杯ってインターネットで中継するんだよね。
ウチの高校、パソコンがあるから少し見れるかも。ヒカル、北斗杯頑張ってね!」
「ああ、もちろん頑張るよ。去年は緊張しちゃって前半グダグダだったからな
じゃあそろそろ昼飯にするか。ラーメンでいいよな」
「え〜、ヒカルは相変わらずラーメンが好きねえ。私、もっとおしゃれなところでお昼したいよ」
ヒカルとあかりはお互いの昼ご飯の主張をしながら、喫茶店を出る。あかりは道沿いの店のウインドー
に映る並んで歩く自分達を見つめた。
―――私とヒカル、2人並んでいると他の人達からは付き合っているように見えるかな?
そう思うと、あかりは顔を瞬時に赤らめる。
行きかうカップル達は、手を繋いだり腕を組んだりと楽しそうに歩いている。
―――いいなあ。私もヒカルと手を繋いで歩きたいなあ……。
  私、ずっとヒカルを小さい頃から見てきた。これからもずっとヒカルを見ていきたい。
  ずっとずっとずうっと。……………でも、それっていつまでなんだろう………?
今まで湧いたことがない疑問に、あかりは少し戸惑う。ヒカルがいつも一緒にいることが普通であり、日常
であった小学生時代。中学生になるとヒカルは囲碁のプロの棋士になり、自分より早く社会人となっている。
自分と違う世界に身を置き、先々へと歩むヒカルを頼もしいと思う反面、どこか置いていかれるような気が
して、あかりの心は複雑に揺れる。
「あかり、こっちの店とあっちの店のどっち入る? オレはこっちのサンドイッチ店がいいな」
ヒカルが立ち止まり、二つの店を指してあかりに訊く。
「そこのサンドイッチ店はキッシュも美味しいんだって。でもあのパスタ店も捨てがたいなあ」
「おい、どっちなんだよオマエは」
ヒカルが笑いだすと、つられてあかりも笑ってしまう。ヒカルの笑顔は人の気持ちを明るくするところは昔
から変わらない。あかりはヒカルの笑顔が大好きだった。
「あれって……進藤君じゃないかい? 女の子とデートかな」
ヒカルとあかりが歩くところを、ふっくらとした体格の年配男性が視線を当てている。

463盤上の月2(26) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:48:47

アキラの碁会場常連客である広瀬が、たまたま通りかかり偶然に2人を目撃していた。
楽しそうに話しをするヒカルとあかりは、他者から見て恋人同士に見えなくもない。
「まあ、進藤君もお年頃だしねえ……、いいねえ若い子は」
広瀬はヒカル達の姿が人だかりで見えなくなるまで珍しそうに目で追い、その後行きつけの囲碁サロン
へ足を運ぶ。
「いらっしゃい広瀬さん、北島さんはお先に来ているわよ」
碁会場にはいつものように受付嬢の晴美が、笑顔で広瀬を迎える。
「こんにちは市河さん、今日はいい天気だね」
「遅いよ、広瀬さん」
すでに席についている北島が、広瀬に苦言を放つ。
「いやあ、すまんです北島さん。今日、つい珍しい光景を目にして遅くなってしまって。
おや、今日は若先生が来ているんですね、お久しぶりです」
「こんにちは、広瀬さん」
奥の席で1人棋譜並べをするアキラは、広瀬に頭を軽く下げて挨拶をする。
「珍しいって何を見たんだい?」
北島が広瀬に訊くと、広瀬はヒカルが女の子と歩いているのを見たことを話し出した。
「いやあ、進藤君もやるもんだねえ。女の子は遠くから見ただけだけど、結構可愛い子でしたよ」
「へっ! 若先生はここで碁の鍛錬をしているのに、進藤はデートかい。いいご身分なことだな。
進藤なんざ棋聖戦の最終予選決勝で落ちて、今いちパッとしないぜ」
緑茶を淹れて広瀬へ運ぶ晴美は、顔をしかめながら北島を諌めるように言う。
「北島さん、最終予選決勝に残るってすごいじゃない。
それに進藤君だって年頃なんだから、デートの一つや二つはするでしょうよ」
「そうだよねえ市河さん……、確かに年頃だものねえ……でもそれは進藤君だけじゃないよね……」
「うん………その……頑張れっ……市ちゃん!」
広瀬と北島は2人顔を見合わせて、心配そうに晴美を見つめる。妙齢の晴美が独身であるのを密かに心
配しているのは他客にも多いので、独特の雰囲気が碁会場に漂っている。
年配男性2人が良縁の無い自分を心配しているのに気付いて、晴美は声を荒げた。
「おふたりに心配されなくても結構ですっ!  私はこれでも毎日楽しいのよっ!」
北島らがヒカルの話で盛り上がるのを、アキラは棋譜並べを続けながら静かに聞いていた。
碁石を持つ手が一瞬だが強張り、そして口元をきつく噛みしめる。アキラの瞳には暗い光が滲み揺らぐ。
ほとんど見ず知らずのあかりに対して、アキラは煮えたぎるような激しく赤黒い感情にかられる。
アキラの心に、嫉妬が芽生えていた。

464盤上の月2(27) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:51:38

第2期北斗杯選手代表選抜―――東京予選。
昨年と同じくヒカル・和谷・越智・稲垣が勝ち、選抜戦本戦へと進む。

第2期北斗杯選手代表選抜―――本戦
今年はヒカル・和谷が勝ち抜いて、代表選手枠を獲得。
社は以前から不調が続き、今回も本調子を取り戻せなくてあえなく敗退。
和谷は昨年の悔恨をバネに成長が著しく、出場者達も目を見張った。
今年の日本代表は、塔矢アキラ・進藤ヒカル・和谷義高の3名に決定となる。
アキラは選抜本戦の当日は仕事が入っており、日本代表枠を知ったのは仕事後に出向いた棋院で週間碁
の記者・古瀬村に問い合わせてからだった。

ロビーで古瀬村に声をかけられたアキラは、北斗杯・日本代表決定のメンバーを聞いて「そうですか…」
と、一言のみ答える。
「やっぱり今年も進藤君が選ばれたね。でもそれって当然だけど。
社君は残念だったけど、和谷君の活躍も楽しみだよ」
「ええ、こういう場は数多く経験するほうがいいでしょうから、いろんな人が出場したほうが好ましい
と思います」
「今年こそ打倒韓国・中国だよ塔矢君! 期待しているよっ」
握りこぶしで熱く語る古瀬村に対してアキラは頷きながら、ヒカルの事を思い出す。
真正面からヒカルへと向き合う時期が来たことを、アキラは密かに待ち望んでいた。
アキラは家には帰らずに囲碁サロンへ行き、いつもの指定席へと座る。困難な事が起こったら逃げずに、
その事へと立ち向かうのがなによりも近道──碁を通してアキラはそのことを知っていた。
ただ今日は1人で家にいるよりも、人のいる所へ身を置きたかった。ここへ来れば晴美が笑顔でいつも
で迎えてくれ、他の客も声をかけてくれる。アキラにとって落ち着ける場は、幼い頃からこの碁会場だ
った。
晴美がコーヒーを持ってきてくれた直後、聞きなれた声の主が碁会場へ入って来た。
「こんにちは市河さん。ここにアキラ君が来ているかな?」
「緒方先生、こんにちは。アキラ君なら、ちょうど今来たところですよ」

465盤上の月2(28) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:52:37

晴美はカウンターへ戻り、緒方へ挨拶しながらアキラのほうへ顔を向ける。
「こんにちは緒方さん」
アキラは席を立ち、緒方に頭を下げて挨拶する。
「キミは家にいない時に大抵ここにいるのは、昔から変わらないなあ」
緒方はアキラの対面の席へ座る。
「………訊いたかい?  北斗杯のメンバーを」
「はい。緒方さん、もう耳に入ったのですか。いつも情報収集早いですね」
コーヒーを飲みながらアキラは、緒方の情報収集力の素早さに舌を巻く。
アキラと緒方の周りにいる客達は2人の会話を聞いてざわめくが、どことなく緊迫した感じがあるため
口を出せず静かに聞き耳を立てている。
「まあ、いろいろとネットワークを張り巡らせているからな。
……やはり進藤が出てきたな。予想通りではあるが楽しみなことだ。
昨年、北斗杯はすごく話題に上がっていたから皆注目しているのさ。
進藤が韓国の高永夏と、ほぼ同等の力があることを証明したのがこの大会だったからな」
「ええ、そしてこの大会に出た者は今後、日本・世界とも注目されていくでしょう。
あの社のように。とても意味のある日中韓Jr・団体棋戦です」
「確か今年は社じゃなくて……」
「和谷君です、和谷義高。進藤と仲が良いと聞いてます」
「あら、もう北斗杯のメンバーが決まったんですか。緒方先生はコーヒー、ブラックでしたよね」
晴美が緒方の分のコーヒーを盆に乗せて机へと運ぶ。
「どうも市河さん。北斗杯メンバーは今日決まったんですよ」
晴美が2人の間に入ったことから、北島が割り込む。
「北斗杯、今年も期待してますよ、若先生っ!」
北島が話し出した途端、碁会場の客達が一斉にアキラと緒方の席を取り囲み、アキラへ激励を飛ばし始
めた。
「ぜひ今年こそ韓国戦の大将をやってくださいよ」
「でも進藤もこの1年で成長したようだから、今年どうなるか見てみたいよな」
「何言ってるんだ! 若先生が大将やるところが見たいんじゃないか!」

466盤上の月2(29) ◆RA.QypifAg:2012/06/10(日) 19:53:54

碁会場内は一気に活気付き、その騒ぎを眺めてアキラは徐々に気分が高揚していくのを感じた。
皆が一心に応援して期待する北斗杯を、今年こそ白星を勝ち取りたい。
強い決意がアキラの中に固まっていく。
「あとアキラくん。もう一つキミに伝えたいことがあるんだ」
緒方はコーヒーを手にしながら、ちらりとアキラを見る。
「実は、今年の北斗杯の団長はオレなんだよ」
その場にいる者達は、一瞬言葉を失った。
十代の少年達のまとめ役を行う緒方というのが、想像出来ないからだ。
「………緒方さんが……ですか……?」
聞き間違えたかと思い、アキラは目を丸くしてもう1度そのことを緒方へ問う。
「ああそうだ、オレだよ。オレが申し出たんだ。
これから世界で活躍する輩を、この眼で見たいじゃないか。絶好の機会だ」
―――遠くない先にオレの前に現れる敵を、この眼で確かめたいのさ。
豊かな才能の開花していく様を、その場で見合わせる。自分で自覚は無いが、アキラに負けず劣らずに碁に
全てを手向ける緒方にとって、北斗杯は精神向上を鼓舞すべき格好の場であった。
緒方の心意はアキラには汲み取れないが、以前からヒカルに対して強いこだわりがあることを知っている。
―――進藤のライバルは他の誰でもない、このボクだっ!
アキラは眼力を強めて緒方へ見返すが、緒方の眼鏡は陽に反射して表情が読めない。
緒方はアキラの視線に気付き、コーヒーを飲みながら口元に不敵な笑みを浮かべた。


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