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takoスレ マンガ版「風の谷のナウシカ」

138=55@皇兄派:2004/02/11(水) 15:28
takoスレ マンガ版「風の谷のナウシカ」
http://www.2ch.net/tako/comic/kako/950/950120675.html
のレスを貼ってね。

2風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 18:14
名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 10:39

ぼくはナウシカが単純に世界を破滅に導いたとは思わないですよ。
旧世界の人類とナウシカの世代と新たに来る予定の世代は断絶してますよね。
火の7日間前後に人類の総とっかえをもくろんだ少数のテクノクラート
によって、旧人類は全滅させられたということなんじゃないですか?
人類滅亡の本当の犯罪者は「墓所を作った人々」だったと解釈もなりたつ
のではないでしょうか。
もちろん彼らはその後新しい人類を再生させるという計画を立てていた
訳ですが、それが彼らの計画通り成功するという保証はないですよね。

何より生命のコントロールをもくろむ彼らの考えは生命への深い侮蔑
に満ち、生命そのものを実は否定しているのだ、ということに
ナウシカは気付いたわけです。
だから腐海消滅後にくる世界も、実は「新たなる世界の死」でしかない、
そう考えたのでしょう。

それに墓所を破壊してもそれが今の世代の滅亡に繋がるとは限らない。
生命とはカオスであり絶えず変わり続けるものであるから、腐海消滅後
の世界に適応できるような新たな進化を可能性も残されているわけです。
ナウシカはその可能性を信じた、そしてそれは今の自分たちの生を
肯定することでもある、そういうことではないかと思いました。

ただ彼女はこの選択を自分だけで行っています。
かくも重大な決定を独断で行ったことに違和感を感じる人がいるのは
当たり前ですが、(かく言うぼくもその一人)
ただ、彼女の選択を支えているのは墓所に至るまでの彼女の経験の総体であり、
それを読者であるぼくたちが彼女と共に追体験して、
「それでも彼女の選択は正しかった」と言えるかどうか、
(あるいは間違っていると思うか)
そこにこの作品の説得力が掛かっているということですね。

3風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:38
99 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/18(金) 00:55

要するに、
闇無くして光は存在し得ない、ってことだよね。
空の星だって、まわりが闇だから光り輝く事が出来てるわけだし。
それに、清浄な空気の問題も、急に世界の全てがそうなるわけじゃないし、
確か一つの森が清浄されるまで1000年だよね。
空気は世界中全てつながってるわけだから、
清浄な空気は、汚染された空気と交じり合い、森が徐々に正常になるにつれ、
清浄な空気の濃度も徐々に濃くなり、それに合わせて人間達の身体も
1000年かけて、徐々に変わっていくんじゃないかな。
現実の僕達の身体も、何年もかけて今の汚染されかけた空気に
適応した身体になってきたようにね。

4風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:39
45 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/10(木) 21:43

>42
その解釈が作者の意図なら(絶対そうだが)本当に陳腐だ。
彼女がアチコチへ飛び、学び、考え、そして出した「結論」に
ついて、肝心な部分の情報が少ないもんだから(いずれも
『人類の共有財産』であるハズの文明を壊す理由になり得ない
程度)、読者はナウシカの突飛な行動に驚かされる。

こーゆー結末は嫌いじゃないけど、足掛け十数年の大作だし、
「主人公以外が納得できる文明を壊す理由」が欲しい>作者
ちょっと叫ばせてくれ。

大事な事は独断せず、みんなで決めてくれー。
密教から文明を開放するだけでも良かったんじゃないかー?
過去の過ちを踏まえた上でなら、文明を持ってもいいだろー。

皇帝は確かに豪傑で好感が持てるキャラだ。
楽園に迷い込んだ二人の息子も、芸術肌で良かった。
クシャナも魅力的だし、この一族は偽善がなくて良い。

5風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:40
135 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/22(火) 02:53

みんなは、1巻〜7巻まで読んでナウシカを人類の代表者として
認めることが出来たか?そこの所が大事だと思う。
俺はあのナウシカの姿を見ていると許せる気がする。

6風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:42
201 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 10:39

>皇弟は頭は人間で首から下がヒドラ
弟じゃなくて兄のナムリスの方じゃなかった?
弟はヒドラになる手術を拒否して老いさらばえてたんでしょ。

それだけじゃ何なので・・・

ぼくはナウシカが単純に世界を破滅に導いたとは思わないですよ。
旧世界の人類とナウシカの世代と新たに来る予定の世代は断絶してますよね。
火の7日間前後に人類の総とっかえをもくろんだ少数のテクノクラート
によって、旧人類は全滅させられたということなんじゃないですか?
人類滅亡の本当の犯罪者は「墓所を作った人々」だったと解釈もなりたつ
のではないでしょうか。
もちろん彼らはその後新しい人類を再生させるという計画を立てていた
訳ですが、それが彼らの計画通り成功するという保証はないですよね。

何より生命のコントロールをもくろむ彼らの考えは生命への深い侮蔑
に満ち、生命そのものを実は否定しているのだ、ということに
ナウシカは気付いたわけです。
だから腐海消滅後にくる世界も、実は「新たなる世界の死」でしかない、
そう考えたのでしょう。

それに墓所を破壊してもそれが今の世代の滅亡に繋がるとは限らない。
生命とはカオスであり絶えず変わり続けるものであるから、腐海消滅後
の世界に適応できるような新たな進化を可能性も残されているわけです。
ナウシカはその可能性を信じた、そしてそれは今の自分たちの生を
肯定することでもある、そういうことではないかと思いました。

ただ彼女はこの選択を自分だけで行っています。
かくも重大な決定を独断で行ったことに違和感を感じる人がいるのは
当たり前ですが、(かく言うぼくもその一人)
ただ、彼女の選択を支えているのは墓所に至るまでの彼女の経験の総体であり、
それを読者であるぼくたちが彼女と共に追体験して、
「それでも彼女の選択は正しかった」と言えるかどうか、
(あるいは間違っていると思うか)
そこにこの作品の説得力が掛かっているということですね。

という感じでどうでしょう?

7風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:44
203 名前: とむ 投稿日: 2000/03/03(金) 11:20

ああ、そう言われると、「あの選択は正しかったか、共感でき
たか」というのが重要なファクターなのかもね、この漫画は。も
しそれを狙って作ってたとしたら、凄いわ。漫画家として。

関係無いけど、「セブン」という映画で、ブラッド・ピットが
最後に犯人を射殺するかどうか凄くドキドキしながら観たし、観
終わった後考えさせられた。それにちょっとだけ近いかも。

8風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:45
212 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 09:54

ナウシカ達の体は人工的に変えられてるわけでしょう。
だから、清浄な世界で生きるためには、進化じゃなくて、先祖返りが
必要なんだよね。
遺伝子の復元力みたいなものが働くといいんだけど。

213 名前: 212 投稿日: 2000/03/04(土) 09:57

途中送信してしまいました。つづき。





今の世界に適応出来なくて死んでしまった、ナウシカの
兄弟のような人たちは、逆に、清浄な世界で生きていける
遺伝子を持っていたのかも知れないしね。

9風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:47
276 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/25(土) 08:34

最近読んだばかりだけど、結構希望残った終わり方だと思う。
浄化された世界では改造された人間は生きていけないから、腐海が消えた
後の世界は「今」を生きるもの達にとっては一見すると絶望的に見えるけれど、
よくみたら、ちゃんと希望が残されてましたね。
毒の空気と清浄の空気の両方に耐性を持ち、「今」を生きる人間が最後に
少なくとも一人だけは存在してますね。
庭園の入浴シーンで、オーマの毒の光にやられた肉体は多分丸ごと交換
したと見てるんですが・・・。その時遺伝レベルまで改良されていたら、
子供にもその耐性は受け継がれるでしょう(今の人間たちも毒の耐性を
遺伝で伝えていますし)数百年後に最悪でも何人かは生き残れるでしょうね。
ただ、本人はその事実に気付いていたかどうかは知りませんが・・・。

277 名前: >276 投稿日: 2000/03/25(土) 10:30

>庭園の入浴シーンで、オーマの毒の光にやられた肉体は多分丸ごと交換




>したと見てるんですが・・・
あそこは詩と音楽を後世に伝えるための場所だから、そこまでは
無理じゃないでしょうか。
ナウシカと庭番の会話だと、肉体の改造のような「伝えるに値しない技術」は
墓所にあるようだし。
第一、肉体を交換したらナウシカ自身が気づかないとは思えないんだけど。

10風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:49
315 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/14(金) 02:21

うまく言えないけど、たぶん、巨神兵を創って世界を破滅させた連中
と、旧人類を遺伝子改造して生き残らせた連中、そして腐海システム
で地球を浄化し、墓所と庭園で新人類誕生と生態系復元を計画した
グループはそれぞれ別の勢力だったのでしょう。
墓所グループとしては、旧人類の生き残りは、同じく改造された
動植物と共に浄化で滅んでもいいし、新世界創造後に必要となる
労働力のための奴隷として生き残らせてもいいといった、せいぜい
その程度の存在なのでしょう。
その生命への限りない傲慢さと、究極的に物質にまで還元されるような
生命観がナウシカの逆鱗に触れたわけです。

11風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:50
351 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/05(金) 00:31

ここで議論されてるのはナウシカの行動の是非、意味
みたいですね。
私の意見ではあの破壊行動はなんの意味も持っていないん
じゃないかってことです。
墓所を作った連中くらいの技術があるのなら何重もの
バックアップシステムがあると考えるのが当然なんじゃ
ないかな。
王蟲、庭園、墓所。旧世界の遺物はそれだけとは到底
思えないし、庭園のヒドラも相当な力を持ってそう。
竹宮恵子の「地球へ。。。」でもマザーを壊しても
テラがいましたよね。あれはコンピューターでしたが、
墓所はバイオテクノロジーの産物みたいなので復元力
はもっと強そう。墓所にあった情報が失われたとしても
その核心部分は温存されて密かに復活してるっていうの
が、作者の意図からはずれるかもしれませんが、ある意味
素直な受け止めかたなのではと思っています。

12風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:51
63 名前: にゃふにゃふ 投稿日: 2000/02/11(金) 03:28

ていうか、あの墓所を葬るのはアレだろ、宮崎のマルクス主義とかへの
訣別だろ。よーするにあれだ、「人間には理性があるんだから、それを
上手く働かせて合理的な社会というものをちゃんと再構成すればちゃん
とした社会というものは創れて人間もずっとマシになれるんだ」って
いう、密かな信仰を捨てたんだよ。
「ごめん、やっぱ無理だ!だって人間てしょうもないんだもーん!」

「でもなーそうはいってもなー」ってへこんでるのが「もののけ姫」。

「えー、というわけですが、今日もこれで締めくくりたいと思います。
1、2、3、ダーッ」で終らせられねえもんなー。人間てやつあ。

やっぱり最高傑作は「ラピュタ」でしょ。
でも漫画「ナウシカ」も大好き。

13風の谷の名無しさん:2004/02/11(水) 22:51
359 名前: みーむ 投稿日: 2000/05/16(火) 07:06

作品外からの情報を元に解釈するってゆーのは、反則なのかもしれないけど、
この場合>63の意見が、実状に近いんではないかな。
>267〜269が載ってる「コミックボックス」のナウシカ完結特集で作者が、
「皇弟はスターリンのような人。本人は人民のことを想っているつもりで、
虐殺をやっている。救われない人だと思う」みたいなことを言っていたけど、
じゃあ、土鬼初代神聖皇帝はレーニンで、墓所を創った主はマルクスになんのかな。

で、宮崎駿がクリエイターとして凄いのは、「自分の今までの考えは間違っていた」
とゆーことに、作品を創ることで気づいてしまったことだと思う。
つまり映画版で創った、汚くなった世界を腐海がきれいにしてくれましたとゆー世界観を、
マンガ版で続きを描きつづけていく中で、そのうすっぺらさに気づき、
それをナウシカの行動を通して乗り越えたのだと思う。
だから、映画版が創られる以前に描かれた1〜2巻の時点では、7巻の結末は
想定されていないはずである。

理想的には、読者も自然とついて来られるように、もっと分かりやすく、
説得力を持って描いてほしかったんだけど。
オレも最初読んだ時は、ナウシカの行動についていけなかった。
でも今は、墓所の主の面倒見の良い全体主義の方がもっと嫌だ。
ナウシカは精神の自由をとったんではないかな。

14<虚無>:<虚無>
<虚無>

15風の谷の名無しさん:2007/07/06(金) 14:53:08
あほくさいが15ゲット。

16風の谷の名無しさん:2007/12/22(土) 02:11:49
いいスレですね

17 ◆Moomin//36:2008/12/12(金) 03:52:42
もっと貼りやがれ

18風の谷の名無しさん:2010/07/21(水) 03:35:47
  長くなりますが。漫画版「ナウシカ」が完結して大分経ちました。そろそろこの作品の現代におけるある解釈を与えても良いと思います。
先に申しますとナウシカは人間キリストの現代版であります。宮崎は一神教を快く思っていないハズなのに何故ここまで絶対的なヒロインを必要としたか?
腐敗した経済社会に警鐘を与え希望をもたらすものとして深層心理でどうしてもキリストが必要だった。そしてそれを少女に託した。少女はそのその博愛性と公共性
つまり完全な人間、またそれは同時に処女性も持ち合わせていなければならなかった。
 クシャナはナウシカの精神的な双子であり(どちらも母親が完全でない。宮崎の母親は病弱。また経済性に毒された現代の母親の象徴。)そして仏教的な存在である。クシャナに付きまとう
のは酷薄なまでの人間理解であり、同時に世界への諦観である。
 二人の家柄を見ても、小さな集落(風の谷)の棟梁であるナウシカと、王族であるクシャナは、キリスト:大工の息子、仏(ゴーダマシッダルダ):王族の息子の家
柄とぴったり重なる。
 また腐海は現代における産業情報化社会へのオマージュである。決して、現行の細胞生物の加工によるものではない。宮崎は飛行機屋の息子であり機械文明の極地が外骨格をなす昆虫類に近づく
ことを直感的に見抜いていた。つまり、現在我々が依拠している産業化、情報化はここまで洗練された複雑な生態系をなし、人間のコントロールを外れていくことを天才の直感で
想像したのである。かかるこの複雑混沌とした作品世界ではキリスト(ナウシカ)、クシャナ(仏)でも人間を救うことが出来ない。これが宮崎のぐるっと一周した一神教批判
である。またナウシカは、作品の中で少しずつその処女性を失っていく。即ち処女懐胎の物語でもある。先ず風の谷(子宮)で風(男根)を受け入れ、作品世界(子宮)大海しょう(男根)を飲み込み、墓の穴(歴史も含めた世界
としての子宮)でオーマ(歴史も含めた上での人間の勇敢、即ち男根)を受け入れる。かかる過程を経てナウシカは処女性から解放され、自分の母のトラウマを乗り越え、セルムという精神的な
父親と同時に夫、チククの母となることを決意するのである。そこには宮崎自身の劣等感(民族的、歴史的)が虫たちやオーマを通じて投影されている。
 だからナウシカはよくエロねたやオタクに玩具にされているが作品そのものに元凶があり、テーマの偉大さと天才の想像力によってそれが昇華されているとも言えるだろう。男根を祭る神社
があるくらいであるからこの作品もその一種である。ちなみに各地の神社で行われる祭りの神輿の宮入は神の性交(豊穣の約束)を祝って行われる。
つまりキリストとして生まれたナウシカは女であるが故、精神的な処女性は失ったものの一周してマリア様になっていた。後、ご期待。といったところがこの作品の現代的解釈であり。彼らのそ
の後について書かぬのは天才の限界である。宮崎はごまかし続ける、娯楽とメルヘンに。彼の、いや我々とその時代の才能ではこれが一つの限界なのであると、私は宮崎を弁護してみる。
 ラピュタ以降の作品が興行的に成功していなければ彼はもっと根本的なテーマを持ち出すか自殺かのどちらかを選らんだだろう。結局彼は娯楽作家としての職能に半ば甘んじることを時代が許
したのだ。彼はもがいている。我々にもっと冷静な批判精神があったなら、もっと鮮烈なライバルがいたならば彼はアニメ界のゲーテと賞賛される天才になれたかも知れぬ。今のままでは天才
であるが故、煮え切らないオナニー野郎である。つくづく不遇な作家である。そもそも現代の芸術自体が中々世界を牽引出来ていない。宮崎はその象徴である。ピカソは世界を拓き、マルローは
欧州を導いた。彼らは金の為に描いたのだろうか、戦場で赴き戦って書いたのだろうか。そこに宮崎(戦後)との決定的な違いを感じる。水木茂がアニメに身を投じていたならば、宮崎は逃げる
ことは出来なかったのではないかと今更ながら思うのである。
 私は漫画ナウシカを超えたのは宮崎の作品の中ではラピュタのみであると考える。
 墓を葬ったのは経済性と科学の蜜月の終了の象徴。テトの墓の農場にヒドラはまだいる。彼が知っているだろう。
つまり、ナウシカは冷静に計算している。墓が無くとも科学は有用であり続ける。博物学的な管財の道具として。

19風の谷の名無しさん:2011/07/18(月) 19:18:08
マジキチ


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